第9話 アゲハ
化粧台の前で一人の女性が女座りのまま、鏡越しに話しかけてきた。薄いピンクのシースルーから透けた肌に、僕の鼓動は廊下の蛍光灯みたいにチカチカ鳴っていた。僕ちゃんと呼ばれたのは本日で二度目だった。一人目は経理担当の美琴さん。そして二人目はショートカットの女性。髪の毛は艶やかで華奢な身体つきをしていた。化粧をしていなかったので眉は薄く、黒目がちな表情で庶民的な容姿だった。
「あなた、新入りね」と言った後、女性は鏡越しから笑みを浮かべた。
髪の毛を耳にかける仕草が目に飛び込んだ。コマ送りみたいな動きで僕は慌てて自己紹介をした。すると女性は少し笑ってから僕の方へ振り向いた。薄いピンクのシースルーの下は、淡い水色の下着を身につけている。僕は目を逸らして、その場から逃げ出そうと体勢を変えた。回れ右と言わんばかりに動こうとした時、女性は素早く立ち上がって僕の腕を掴んだ。
「待ちなさい。ここは男が入っちゃいけないのよ。覚えておきなさい。もし見つかったら罰金ものよ」と女性が言うので、僕は一瞬青ざめた。
「まあ、一回目だから見逃してあげるわ。それにまだみんな来てないからね。アゲハさんが来てたら終わってたわよ」
アゲハ!?女性が言ったのは蝶々の種類ではない。もちろんそんなことは僕でもわかる。ここで働いている女性には源氏名が付いている。主に自分で名付けていると関谷さんから説明を受けていた。シースルーの女性が名前を出したアゲハという女性は、恐らく一番の古株で誰も逆らうことができない女帝というわけだ。
「そのアゲハさんに見つかったらどうなるんですか?」と興味本位で質問をしてみた。
するとシースルーの女性は顔を近づけて、「骨抜きにされるわよ。それにアゲハさんは僕ちゃんみたいな若い子が大好きだからね。わかったら早く行きなさい。僕ちゃんの着替える場所は廊下の奥を行った所よ」
僕はシースルーの女性へお礼を言った後、その場から立ち去ろうとした。アゲハさんがどんな女性なのか気になったが、罰金となればたまったもんじゃない!!僕にとってお金は大事な生きる糧なんだから。頭を軽く下げ会釈してから立ち去る僕の背中へ、シースルーの女性が自己紹介をしてきた。彼女の名前はユリ。それが彼女の源氏名だった。
この後、ユリさんの視線がずっと僕を見ていたなんてまったく気づいていなかった。そして改めて、僕は第一歩となる扉を開けるのだった。
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