第6話 名探偵×怪人×怪盗紳士×巨人探偵×ねこ

 その電話が『小林探偵事務所』に掛かってきたのは、春も盛りの桜の季節であった。

——小林さんですか。警視庁捜査一課の五日川です。お久しぶりです。

「ああ、五日川さん。あの事件以来ですね」

——あの時は、とんだ恥をかきました。

「そんなことないですよ。当たっている部分もありましたし」

——忘れさりたい思い出です。ところで、話は変わりますが、小林さんは怪盗紳士をご存知ですか?

「怪盗紳士? 聞いたこともありません」

——そうですか……怪盗紳士ラビット・ボールは世界を股にかける怪盗です。金持ちから金品を奪い、貧しい人に恵むという、いわゆる義賊です。海外での人気は高いらしいです。日本も何度かやってきていて、一度は逮捕したことがあります。しかし、すぐに脱獄されました。警察内部にも協力者がいたようです。そして何より、変装の名人です。

「そんな話を急にされても、なんだかよくわかりません」

——そうですね。有り体に申し上げます。そのラビット・ボールがまた、密かに来日しているようだと、インターポールのニコラス刑事から連絡が入りました。目的は一匹のねこです。

「ねこ? なんだそりゃ」

——それも三毛ねこです。

「どこにでもいるではないですか。三毛ねこなんて」

——それが、どこにでもいるねこではないんですよ。オスの三毛ねこなんです。

「それがどうしました?」

——あなたは何も知らないようだ。染色体の関係で、三毛ねこは通常、メスしか生まれないのです。ところが何かの異常があって、まれにオスが生まれることがある。オスは貴重です。昔から珍重されてきました。つまり、金になるのです。

「へえ」

——そして、今回ラビット・ボールの標的になるオスの三毛ねこには特殊能力があります。

「特殊能力? それは一体なんですか」

——通常のオスの三毛ねこには生殖能力はありません。しかしその三毛ねこにはあるのです。

「相当貴重なねこなんですね」

——時価五千万とも一億とも言われています。

「ええっ? そりゃあすごい」

——驚きましたか。ではお願いです。その三毛ねこをあなたに警備してもらいたいのです。

「はあ? そんなこと五日川さんがやればいいじゃないですか!」

——そうはいかない。私は警視庁の人間。神奈川県で起こる事件には口出し出来ない。それに警視庁と神奈川県警は仲が悪い。だから私は介入出来ない。

「神奈川県警は護衛してくれるのですよね」

——一応、警察庁を通じて依頼はいましたがね。どうなることやら。

「頼りないなあ」

——とにかく一度、お会いしたい。ラビット・ボールは過去に二回、そのねこを奪おうとしている。二回とも我々や、飼い主の努力があって、未然に防ぐことが出来ましたが。今度はやつも本気で獲りにくるでしょう。

「では詳しくは、お会いしてからにしましょう」

 そう言うと耕五郎は受話器を置いた。

「ねえ、佐々木さん」

 耕五郎は所員の動物担当、佐々木さんに尋ねた。

「オスの三毛ねこって見たことあります?」

「いえ、残念ながらありません」

「見たいですか?」

「そりゃあ、見たいです。興味あります」

「じゃあ、近々見せてあげましょう」

「やったあ」

 佐々木さんは珍しく興奮していた。それだけ、貴重なのか? オスの三毛ねこって。耕五郎は生命の神秘を感じた。


 横浜ニューグランデホテル新館の喫茶室で耕五郎は五日川警部に会った。佐々木さんも同行させてみた。彼女が動物のプロフェッショナルであり、今回の事件に強い興味を抱いたからである。「小林さん、こんにちは。ところで、こちらの妙齢のお嬢さんは?」「こちらは佐々木希望と申します。我が事務所の動物の権威です。普段は迷子のペット探しをしております」「それは頼もしい助っ人だ。どうぞよろしく」「よ、よろしくお願いいたします」佐々木さんは少し緊張しているようだ。「さて、本題に移りましょう」五日川警部は話し始めた。「今回狙われているのは横浜市港中央区にお住いの自営業、共働きのご夫婦のお宅です。瀟洒なマンションです。ちょっと差し障りがあるので、お名前は控えさせてもらいます」「差し障りとは?」「はっきり言うとその道の有名人なんです」「じゃあ、教えてくれなくても顔見れば分かりますね」「さあ、それはどうかなあ。テレビにはお二人とも出てないな」「それで有名人?」「まあ、一部マニアにはということです」「ところで!」突然、佐々木さんが声をあげた。「なんですか?」五日川がびっくりして尋ねる。「ところで、今回狙われている三毛ねこは、ちくわちゃんという名前ではないですか?」佐々木さんが緊張しながら聞く。「そうです。よくご存知ですねえ」「アメリカの動物研究雑誌『zoo』に、ちくわちゃんの研究リポートが載っていました」「そうですか。それだけ、ちくわちゃんは世界的に有名なんですね。ラビット・ボールが固執するのも分かります」置き去りにされていた耕五郎が尋ねる。「ところで、我々は何をすればいいのですか?」「はい。ちくわちゃんに張り付いて、誰にも渡さないようにしてください」「飼い主にもですか?」「飼い主さんたちには今回、旅行に行ってもらうことにしました。前回の事件の時、かなり危険な真似をしていただいたので、その罪滅ぼしを兼ねています」「警備状況は完璧なんでしょうね?」「はい。ご安心ください。神奈川県警港署と、あとはインターポールから、屈強な警官が大挙来日します。それにラビット・ボールの地元、フランスのパリ市警からも応援が来ます。守備は完璧です」五日川は所詮他人事なので大げさに話した。「あとはよろしくお願いします」五日川は伝票を持って去って行った。

 

 三日後、耕五郎と佐々木はパトカーに乗せられて、件のマンションに連れて行かれた。その時、警官が間違えてサイレンを鳴らしてしまったため、ご近所さんから「『小林探偵事務所』の所長、女性所員と逮捕されちゃったわよ」「新婚なのにねえ」と余計な誤解を招いた。マンションには、ちくわの飼い主が挨拶のために待っていてくれた「草刈光明でございます。今回は何卒よろしくお願いいたします」「妻のスジャータです。ちくわはあたしが精魂込めて育てた子なのよ、あのラビット野郎に奪われないでね。奪われたら一億円の慰謝料払ってもらうわよ」スジャータは燃えるような目で、耕五郎と佐々木を見た。怖かった。有名人だというが知らない名前と顔だった。

 二人が旅行に出かけると、ちくわとの初対面となった。ちくわは大きくて太っていた。かなりの肥満である。なんでも、糖尿病と痛風の持病があり、それ専用の治療食を与えなければならないのだが、妹ねこ(多頭飼いだった)の、とんぶりちゃんの美味しい餌を食べてしまうので、油断も隙もないそうだ。この辺りの事は、佐々木さんに任せよう。耕五郎は何時、どのように襲撃してくるかわからない。ラビット・ボールに対して、どんな防衛手段をとらなくてはならないかと、頭を痛めていた。マンションは4LDK、各部屋に神奈川県警港署の人が5人ずつ、詰めているが、これが信用できない。警察内部にラビット・ボールの手下が紛れ込んでいるかもしれない。いや、本人だって変装の名人だ。今ここに居ても不思議はない。ただし、ラビット・ボールは弱点を持っている。日本語を教わったのが亡命キューバ人で、彼がコテコテの関西弁しか喋られなかったため、ラビット・ボールもコテコテの関西弁を話すのだ。だから、口を開かせれば、ラビット・ボールかどうかわかるのだ。それに、ラビット・ボールは平和主義者だから暴力には訴えて来ない。その辺は安心だ。あとは、こちらの守備陣形を整えるだけだ。


 ところが思わぬ事態が起きた。怪人トエンティ・フェースが、ちくわちゃん奪取に名乗りを上げてきたのだ。ベランダにいつの間にか『三日以内にオスの三毛ねこを頂戴いたします。トエンティ・フェース』というメッセージカードが置かれていた。プライドの高いトエンティ・フェースのことだ。フランスから怪盗紳士ラビット・ボールが来日して、オスの三毛ねこを奪うということを新聞か何かで見て、「すは、これは自分も参加しなくては」とおっとり刀で参戦を表明したのであろう。迷惑な話である。

 耕五郎は超人的な頭脳で、神奈川県警港署の所員、インターポールの職員、パリ市警の警察官の名前と顔を暗記した。通訳は宇崎さんという男性と、シャドウさんという女性が勤めることになった。ともに神奈川県警により、経歴はクリーニング済みである。耕五郎達といえば、毎日を怠惰に送っていた。ねこは一日のそのほとんどを寝て暮らすのだ。見張りと言ってもこんな楽なものはない。あとはご飯とトイレとトイレの後なぜか興奮して走り回るだけ。それだって、部屋の中の話しだ。楽というより、ヒマだった。またヒマ人探偵に逆戻りである。それにねこのフンが臭い。佐々木さんが毎度毎度、始末してくれるから良いけれど、その匂いは強烈だ。その佐々木さんといえば、ちくわちゃんにベッタリと張り付いて、観察をしている。感心なものだ。好きこそものの上手なれというけれど、彼女は本当に動物が好きなんだな。ちくわちゃんと、一緒についてきちゃった、とんぶりちゃんをあやして遊ぶ。二匹とも佐々木さんになついている。耕五郎には全然、懐かない。近寄ると『ウギャー』と威嚇される。佐々木さんは「ねこは男性の低い声の領域が嫌いなんですよ」と慰めてくれるが、世の中にはねこに好かれる男性も多数いるはずだ。そう思うと、ちょっと悔しかった。

 二日目に、余計なやつが来た。「小林くん、水臭いわ。官憲の手先になるくらいなら、わしの助手になれっちゅうの」と白智大五郎が現れた。どこから情報が漏れたのだろう? めんどうくさいので「この人怪人トエンティ・フェースの可能性があります。厳重に取り調べを!」と港署の人に言ってやった。大五郎はどこかへ連れて行かれた。別に嫌がらせしたわけじゃない。実際『黄金の不動明王事件』ではトエンティ・フェースは大五郎に変装したんだからなと耕五郎は思った。それ以外はこれといって事件もなく、二日目が終わった。トエンティが指定したのはあと一日である。ラビット・ボールは予告状を送ってきていないから、いつまで居ればいいのか分からない。でもそんなに長くは掛からないだろう。ラビット・ボールはちくわちゃんが欲しくてたまらないのだから。

 トエンティが指定した予告日が来た。全員に緊張感が漂う。いい感じだ。これならトエンティも入り込めないんじゃないか? 耕五郎は安心した。優秀な日本の警察、世界のインターポール、ラビット・ボール逮捕に燃えるパリ市警には余計な敵だけど、みんな一丸となってちくわちゃんを守るのだ。耕五郎がそう考えていると、非常ベルの音が鳴り響いた。消防士さんたちが入って来る。「真下の部屋が火事です」「下には逃げられません。一度屋上に上がって、はしご車でおります」耕五郎は慌てて、ちくわちゃんをケージに入れようとするが「フンガーッ」と怒って入れさせてくれない。仕方がないのでちくわちゃんは佐々木さんに任せ、耕五郎はおとなしいとんぶりちゃんをケージに入れた。佐々木さんにケージに入れられている、ちくわちゃんはなんだか嬉しそうだ。相手が女性だからだ。そう気付いた耕五郎は心で毒づいた。「この、エロねこめ!」

 確かに階下からは大量の煙が立ち込めてくる。下には逃げられない。耕五郎と佐々木さん、それに消防士二人は、急いで屋上へと走る。屋上にはすでに鉄製のカゴが一つセッティングされていた。「カゴの定員は二人です。まずは私とレディーファーストであなたが乗ります」と消防員が佐々木さんを指差す。「はい、あたしですね」緊張の面持ちの佐々木さん。「行くぞ」と消防士が言い、佐々木さんとカゴに走る。その時耕五郎は気が付いた。カゴの四隅に透明で見にくいが、ロープが見える。なんでだ? 不思議に思っているうちに気が付いた。あのカゴははしご車のものではない。気球のものだ。あの消防士はトエンティ・フェースだ。僕は慌てて叫ぶ。「佐々木さん、それに乗っちゃいけない」しかし、時すでに遅し、佐々木さんはカゴに乗ってしまい、気球は浮かびあがっていた。だが、幸運にもカゴを押さえておく時のロープが残っている。耕五郎はロープを掴んでやろうと走り出した。そこを残っていた消防士に頭をガツンとやられた。「怪人トエンティ・フェースは暴力が嫌いなんじゃないのか?」耕五郎が叫ぶと、「あなたは別です。いつも私たちの邪魔をします。ボスから『死なないようになら、殴ってもいい』と言われています」消防士は二度目のパンチを繰り出してきた。こいつはプロだ。耕五郎のテンプルに正確に入って来る。耕五郎は意識を失った。


 火事はバルサンを炊いた偽物だったらしい。警察は何でもっと早くに気付かなかったんだ! と気がついた耕五郎は強烈に怒った。しかし、警察は「あなたたちがちくわちゃんを盗まれた。責任を取ってくれ」と耕五郎に責任転嫁してきた。「こっちは所員を攫われたんだ。誘拐で捜査してくれ。非常線を張ってくれ」と耕五郎は抗議した。「だいたい一般市民の我々に手伝わせようってところに警察の無能ぶりが現れている。このことマスコミに全部言ってやるぞ!」気が立っている耕五郎は警察に噛み付いた。あまりの怒りように警察もビビり、「非常線は張ってあります。相手はトエンティ・フェースですからあなたの所員さんも無事に見つかるでしょう。今はちくわちゃんの捜索に全力を傾けます。警察が無能でないところをお見せします。あなたは怪我をしている。少し休んでください」と態度が変わった。「怪我の心配なんかしていられるか。ウチの佐々木が無事に見つかるまで、捜査本部に居させてもらう」とは叫んだが、耕五郎はその実、体の震えが止まらなかった。熱が出てきているようだ。トエンティの手下のやつ手加減を知らない。きっと新入りだな。そう思っているうちに、また耕五郎は気を失った。

「所長、私は無事です。元気です」佐々木さんが顔の前で叫んだので、耕五郎は目覚めた。「所長は脳出血していたのです。緊急手術が行われました。手術は成功しましたが、所長は三日間眠り続けました」と渥美さんが言う。みんな来てくれたんだ。あれ、悦子は? 「悦子さんとお父様は、事務所を休んじゃいけないとおっしゃって二人で仕事に励んでいます。お父様は二日間で十の依頼を解決させました」それを聞いて耕五郎はがっくりした。まずはお見舞いする二人と事務所に残る二人が逆だろうということ。もう一つは父、恭介の超人的探偵力。耕五郎の何倍、何十倍も上手だ。何で引退なんかしたんだろう。父親との力量の差を思い知らされてますますがっくりくる。「それにしても頭にくるのはトエンティ・フェースだ。私を瀕死の状態にしやがって、今度会ったら、ただじゃ済まさない!」そこに「小林さん、お見舞いですよ」と看護師の犬井さんの声。入ってきたのは外国人モデルのような男だった。片手にお見舞い品だろう、箱を持っている。「来たな、トエンティ!」耕五郎は闘志むき出しになる。「耕五郎さん。今度のこと謝ります。あの部下は新人で教育が足りなかった。今頃東京湾でサメの餌になっているよ。今回は、お詫びにこれを持ってきました」と言って持っていた箱を開けた。「ニャー」中には、ちくわちゃんが入っていた。「僕はよく考えたら動物アレルギーでした。体が痒くて仕方ない。これ、お返しします」そう言うと、窓のそばに行き、「では失礼」気球に乗って去って行った。「普通に来たんだから普通に帰ればいいのに」佐々木さんが言った。「そういうやつなんだ、トエンティは」僕は遠ざかるトエンティをぼんやり眺めていた。


 振り出しに戻った。考えてみれば、トエンティ・フェースは後から出てきた不協和音だ。本筋とは関係ない。本筋とは怪盗紳士ラビット・ボールを捕まえることだ。しかし彼は影も形も見えない。本当に日本に来ているのだろうか。ちくわちゃんを本当に盗む気があるのだろうか。単に日本観光に来ている可能性だってあるのだ。今、ちくわちゃんは病院に特別の許可をもらって、耕五郎のベッドの下に廃棄する予定のマットレスを敷いてもらって、そこで寝ている。佐々木さんが「あたし、連れて帰ります」と言ったのだが、この前みたいな件もある。それにラビット・ボールの手下にも新入りがいるだろう。きちんと掟を守らなかったらと思うと心配で、娘一人の部屋にちくわちゃんを置く訳にはいかない。で、結局こういう状態になったのだ。もちろん、ドアの外には神奈川県警港署の警察官が交代で見張りをしている。まず大丈夫だろう。耕五郎は考えた。しかしそれは甘かった。


「わて、今日から小林さんの担当になりました、宇佐木ですわ。神戸から来ました。モダンでっしゃろ。よろしゅう頼みまっさ」耕五郎担当の医師が代わったようだ。「先生、私はいつ頃退院できますか?」「そやのう、永久に入院ってとこかいのう」「ご冗談を」「ははは、冗談やおませんで。このマシンガンでバンバンとやったら永久入院ですわ」「な、なんですかそれは」「趣味のモデルガンやな」「悪い冗談やめてください」「まあええがな。退院はいつでもできるけど、ベッドの下の猫ちゃん。事件解決するまでは入院やて警官のお偉いさんが言うてましたで「えー、そうなんですか」「そのようでんな。まあせいぜいのんびりしなさっせ」宇佐木は帰って行った。「間違いない」耕五郎は確信した。コテコテの関西弁。宇佐木医師こそ、怪盗紳士ラビット・ボールだ。しかし、フランス人がよく関西人に変装出来るなあと感心する耕五郎。さて、このことを神奈川県警のお偉いさんに伝えた方が良いか。いや、手柄は自分一人のものにしようと耕五郎は決めた。今度の事件ですっかり警察は嫌いになった。

 その夜、耕五郎が警戒怠りなくしていると、看護師の犬井さんがやってきた。夕食も終わっているのになんだろうと思っていると、「今日から、新しいお薬が増えます」と犬井さんが言った。「夜飲む薬なんですか?」「そうです、興奮を鎮め、血液の流れをゆったりさせます」「そうですか」耕五郎は言われるままに薬を飲んだ。「小林さん」犬井さんは耕五郎を呼んだ。「はい、なんでしょう?」「あなたは怪盗紳士ラビット・ボールのこと、よく知ってますよね?」「はい」「性別はなんだと思います?」「紳士って言うくらいだから、男でしょうね。」「その通りです。でも女性にも変装出来るようよ。では続いての質問、怪盗紳士ラビット・ボールの弱点は何ですか?」「ねこ好きなことと、日本語がコテコテの関西弁なことです」「半分正解。半文間違え」「えっ? どっちが間違えですか」「コテコテの関西弁やがな。失礼関西弁です。怪盗紳士ラビット・ボールはパリの日本語学校で、標準語を勉強し直してこんなにペラペラと標準語が話せるようになりました」「ええっ? では、あなたが?」「わたくし、ラビット・ボールと申します」「おまわりさん、来てください!」耕五郎が叫ぶが、反応はない。犬井さんことラビットボールに音もなくやられたのだ。「仕方ない。では私が貴様を捕まえる」耕五郎は空手の形をとった。「ああ、怪我人さんが無理してはいけません。それに、あなたはあと三分で眠くなる」「ああ、睡眠薬飲ませたな!」「はい。あなた極度の不眠症ではないですよね」「ああ」「じゃあ、朝までぐっすり眠れるよ。良かったね」そう言った時には耕五郎は眠っていまっていた。「さて、ちくわちゃんをいただくかな」ラビット・ボールはベッド下に手を入れた。「ブニャー」ちくわが威嚇する。「そう怒るなって、セクシーな美人三毛ねこたくさん付けてやるからに。あんさんにはどんどん子供作ってもらいますきに」ラビット・ボールの標準語が崩れてきた。やっぱり、関西弁の方が性に合っているのだろう。「ほらよっと、ではちくわちゃん強奪の旅も終わりにしようかね」ラビット・ボールが立ち上がった瞬間。「手を挙げろ」と誰かが叫んだ。「なんやて」ラビット・ボールが振り返ると、そこには宇佐木医師が居た。手にはマシンガンを携行している。「あんた誰や? おもちゃのマシンガンで脅すとは子供じみてるの」ラビット・ボールは余裕を見せた。すると「ふふふ」と宇佐木医師は笑って天井にマシンガンをぶっ放した。「えっ? ほんまもん!」ラビット・ボールはあっけなく手を挙げた。ちくわちゃんは足元に置かれている。「もう直ぐ、パリ市警のメンバーが来る。覚悟しな。でもあんたは脱獄するんだろな、また」「いや、今回は捕まることもないで。ところであんさん、誰や?」「イギリスのホームズだよ」「えっ? コカイン中毒で入院してたんじゃなかたんかい?」「治ったんだよ。それで、日本の草刈夫妻に依頼されて日本に極秘入国したのさ。スコットランドヤードは俺がいなくて、事件が全然解決しないとぼやいているだろうぜ」「そっかあ、退院していたのか。それは不覚だったな。世界一の怪盗と世界一の探偵。勝負は隙をつかれた方の負けや。わし、負けは認める。でも逮捕はされん」そう言うとラビット・ボールは窓を蹴破って外に飛び降りた。ここは最上階だ。死ぬ気かとホームズが外を見ると、ヘリコプターが空中に待機していて、ラビット・ボールはそこに収まった。「またな。今度は正々堂々とやろうぜ」「おう」ヘリコプターは空高く飛び立った。


 耕五郎が、気が付くともう、翌朝になっていた。「ちくわちゃんは? ラビット・ボールは?」と慌てて周りを見渡すと、窓ガラスが割れていて新聞紙で補強してある。足元を見ると、ちくわちゃんを入れたケージがそのまま置いてある。中身を確認すると間違いなくちくわちゃんだ。ほっとする耕五郎。昨日のあの犬井さんからのラビット・ボールへの変身はなんだったんだ。夢か? 幻か? そう考えていると、宇佐木医師が現れた。でもおかしなことを言う。「今日から担当になります宇佐木です。地元、横浜の出身です。どうぞよろしくお願いします」「えっ? 昨日からですよね。それに出身は神戸だと言っていましたよ」すると宇佐木医師は「はあ? 脳のダメージが大きのかな? 一度CTを撮ってみましょう」と言って、耕五郎の入院を先延ばしした。ホームズは今日のために準備されていた宇佐木の身分証明書を見て変装したのだ。そのことを耕五郎は知らない。いろいろと耕五郎が考えていると、そこに草刈夫妻がやってきた。旅行から戻ってきたようだ。「ちくわを帰してもらいにきました。お怪我までされてご苦労なことでしたね」草刈光明が言う。それに対し耕五郎は「まだラビット・ボールの襲来があるかもしれないのに、お帰ししてもいいのですか? それともあなたたちが変装したラビット・ボール一味?」と聞いた。その瞬間草刈スジャータのハンドバックが耕五郎の頭を直撃した。痛い。すごく痛い。「馬鹿言ってるんじゃないわよ。ラビット・ボールは昨日の夜、海外に脱出したわ。インターポール確認済みよ。だからあたしたちが戻ってきたんじゃないの」「そうなんですか」「そうよ。あなたは役立たずの自称、名探偵ね。あたしが頼んだエシャロット・ホームズは世界一の探偵だったわ。あの人、コカインさえやらなくちゃ最高なのに」「エシャロット・ホームズ! 彼が来たんですか」「そうよ、昨日の夜、ここでラビット・ボールと対決したのよ。ラビットは潔く負けを認め、海外に逃走したの。ホームズも今朝、イギリスへ帰ったわ」世界一の探偵と世界一の怪盗がここで対決したんだ。自分が寝ている間に! 耕五郎は興奮し、やがてガックリときた。「私はまだまだ、世界には及ばないようですね」と自虐する。「そうよ、全然及ばないわよ」傷に塩を塗りつけるスジャータ。「私たちはこれで失礼します」スジャータの毒舌が全開になる前に草刈光明は病室を出た。スジャータの右手を引っ張って。

 しばらくボーッとする、耕五郎。あることに気付いた。「ところで、今回のギャランティ、どこから出るのでしょう?」慌てて、五日川に連絡を取るも捕まらず、神奈川県警港署の会計係に聞いてもそんな請求はないと言われた。さらに、二度目のCT検査の代金は自分で払えと言う。踏んだり蹴ったりだ。しかし、心配には及ばなかった。『世界防犯協会』という謎の団体からギャランティの入金があった。


「ええ、みなさん」退院した耕五郎は所員を前に話し出した。「これからは警察からの依頼は小林探偵事務所では受け付けないことにします」頭の包帯が痛々しい。「それから、今回の事件で自分の実力の至らなさがよく分かりました。所長の座を辞任して修行の旅に出ることにします。後任の所長には父に復帰してもらいます。いいですね」「いいよ!」恭介はなぜかあっさり承諾した。「でも旅行には悦子も連れて行ってやりなさい」恭介は言った。「駄目です。それでは修行の旅になりません」「なら、所長なんてやらないぞ」恭介はグレた。「じゃあ、渥美さん」「私に今の激務の上、帳簿までつけさせる気ですか?」「そうですね。無理ですね。じゃあ、佐々木さんも……無理ですね」「ええ」「分かりました。悦子を連れて行きます。お父さんお願いしますね!」耕五郎は自棄になった。「いいよ!」


 こうして耕五郎は修行の旅に出た。しかし、新妻の悦子も伴ったことから、所員の間では「新婚旅行じゃん」という声が聞かれた。

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