吸血鬼とカーミラ

もしもし。

ああ、いつもお世話になっております……、

は? 逃げた?

美容院から。

うちのお嬢様が。

……またですか。

いえ、いいんです。行き先はわかってますから。

ええ、荷物は後で取りに伺います。

あ、予約は明日、改めて。ええ、いつもの美容師さんでお願いします。例のその、半年先まで予約が埋っているという……。



ったく!

やられた! やっぱり、ついてくべきだった。



古海さん! 古海さん!

今日はあなたの番ですよ。お嬢様を探しに、本屋へ行くんです!

前回は私が、「トドの穴」で捕獲しましたから、

今回はあなたが、「ナニメイト」へ、お嬢様を探しに行く番です!


用事があるから代わってくれ?

金曜の夕方ですよ? 大抵の人には用事があるんです! 私だってこれから、男を狩りに……



あ、本谷さん。

お疲れ様。今日は定時で終わりですか。なんだか嬉しそうですね。

え。友達と飲みに?

そりゃ、よかったですね。行ってらっしゃい。



わ、古海さん! びっくりしたじゃないですか。いつからそこに? 

ん? なんです、その恨みがましい目。


……何? 本谷さんをお茶に誘ったら、ソッコー断られた? 

そりゃそうでしょうよ。あの人、あなたを避けてますもん。

みんな、言ってますよ? 別宅も、本宅のメイドたちも。

しつこいと違います? まとわりついて、どーします。

そーゆーの、一番、嫌われるんですよ? ただでさえあなたには、S疑惑が……、


……え? 本谷さんの友達? これから会う? 

そりゃ、フツーに男でしょ。サシで飲むって言ってたから。あの人が、女と二人っきりで、酒なんか飲めるわけ、ないです。


いいじゃないですか。本谷さんにだって、息抜きは必要です。いつもお嬢様のお相手をさせられてるわけですから。

たまには、男同士楽しく……つまり、普通の男と……

あっ、古海さん! どこいくんですかっ!

ちょっと、お待ちなさいったら!



……そりゃ、以前、私は、酔っぱらった本谷さんを、自宅まで運びましたけど。あなたと二人で。

でもあれは、お嬢様が酔いつぶしておしまいになったからで。特別、本谷さんが、お酒に弱いってわけじゃ……。


……ああ、ビブリオバトルの打ち上げね。腐女子の皆さんと一緒に飲んだら、当然、酔い潰れますよ。普通の男なら。


……は? フランクフルトの夜も? それは、あなたとふたりっきりで、同じホテルに泊まりたくなかっただけじゃ……。


だから、大丈夫ですって! そんな心配は……、

ちょっと!

それ、現実世界ではストーカー……

ああ、あ、行っちゃったよ。 


え?

じゃ、誰がお嬢様を迎えに、あの、オタクの魔窟へと?

ちょっと! 冗談じゃない! くそーーーっ!!!



**



 シブタニ駅から繁華街を抜け、緩く登っていく坂道の途中。

 昔、ここで処刑された軍人たちを弔う為の、観音像が建ってる。

 慈悲深いお顔の観音様の下の草むらに、3人の小3男子が、隠れていた。

 ともに、この坂の中腹にある、シブタニ小学校の同級生である。

 時刻は夕方。

 冬の早い日暮れは、次第に辺りを、薄闇に沈めていく。



「ねえ、もう、帰ろうよ」

一番小柄なトモが、半泣きの声を出す。

「いや、まだだ」

大柄なゴウが首を横に振る。

「本当に出るのかよ、吸血鬼」

眼鏡をかけたサトルが口を尖らした。

「出る。間違いない」

即座にゴウが返す。


 坂のてっぺんには、大きな、古い洋館がある。

 昔の華族の隠れ家だとも、さる大企業の社長の妾の家だとも、謎の芸術家の巨大アトリエだとも、親たちは、いろいろ言っている。

 詳しいことは、誰も知らない。

 だが。

 子どもたちは、知っている。

 あそこは、お化け屋敷なのだ。

 夜な夜な、黒い服を着た吸血鬼が出て、道行く人を襲うのだ。

 それも、美男子イケメンだけ。



 そういうわけで、怖いもの見たさの男子三人、放課後、この草むらに潜んで、吸血鬼が出るのを、じっと待っているのである。



ピピピッ。

乾いた電子音がした。

「あ、塾の時間だ」

サトルがつぶやいた。

「俺、もう、行かなくちゃ」

「ぼ、僕も一緒に帰る」

即座にトモも腰を浮かせる。

「待てよ。せっかくここまで待ったのに、」

ゴウが制止したその時。

 向こうから、誰かがやってくるのが見えた。

「しっ!」

放課後は、寄り道したりせず、さっさと帰らなければならない。

こんなところに隠れているのがバレたら、先生に怒られる。

3人は腰を屈め、丈の高い枯草の間に、身を隠した。



それは、優しそうな、若い男の人だった。

ちょっと、音楽のタケル先生に似ていた。

男の人は、微笑んでいるようだった。きっと、楽しい場所へ向かうのだろう。

3人は顔を見合わせ、とりあえず、この人が行ってしまうまで、隠れていることにした。


男の人が、観音像の前まで来た時。

「直緒さん!」

そう叫んで、不意に背の高い男が現れた。

黒づくめの服装をしている。

草むらの男子3人は、息をのんだ。

いうまでもなく、噂の吸血鬼は、黒づくめの格好をしている。


直緒という人には、しかし、何も聞こえなかったようだ。

そのまま、ぐんぐん、進んで行こうとする。

……きっと、魔物の声は、子どもにしか、聞こえないんだ。

……そういうのって、わりとよくあるよね。

3人は、目と目を見合わせた。


「直緒さんってば!」

男は、直緒の手をつかもうとする。

するり。

手はすり抜けた。

まるで、透明人間のようだ。

黒づくめの男は焦った様子で、今度は肩を、ぐいと、つかんだ。


……ひっ!

トモが声を上げかけたのを、ゴウが慌てて口を押えた。


しかし、直緒という人は、無表情だった。

無表情で、じっと、黒づくめの男の顔を見上げる。


「……」

「……」

吸血鬼(他に何だというのだ!)と直緒は、互いにじっとにらみ合っている。

直緒の方が小柄だった。吸血鬼は、だから、直緒を見下ろしている。

青ざめた、ひどく怖い顔をして。



これは、大変な現場に居合わせてしまった。

3人は、ぎゅっと身を寄せ合った。

……おしっこ。

……バカ、我慢しろ!

トモをゴウが小声で叱りつける。

震える声で付け加えた。

……大丈夫だ。観音様が見守っててくれる!

……そういえば、昔ここで、死刑執行、してたんだよな。

サトルが思い出した。

3人は、よりいっそう、ぴったりとくっついた。



不意に、黒づくめの男が、ひるんだ。

目力がみるみる弱くなり、おどおどとした表情にとってかわる。

直緒が、ふい、と目をそらせた。

くるりと向きを変え、再び、何事もなかったかのように、駅へ向けて歩き出した。

肩に乗せられていた吸血鬼の手が、力なくだらりと垂れ下がる。

3人は、思わず、安堵の息を漏らした。

吸血鬼は、悲しそうな顔で、歩き去る直緒の背中を見つめている。


……もしかしたら。

……あの直緒という人は、とんでもない勇者なのかもしれないぞ。

……そうかもしれない。吸血鬼も、手を出せなかったもんね。

……勇者に決まってるよ。だって、あんなに、イケメンだもん。

3人は、目と目で会話を交わした。



そこへ。

「古海さーーーんっ!」

坂の上から誰かが駆けてくる。

黒いコートを羽織っている。

ここからではよく見えないが、コートの下は、ゴシック・ロリータ? そんなふうな衣装を着ている。



……カーミラだ!

かすれた声で、サトルが叫んだ。

……なにそれ?

ゴウとトモが同時に聞き返す

……バーサーカー・サーヴァントだ。アサシンだよ!

破壊的女吸血鬼型モンスターの登場だ。

3人は再び、ぎゅっと、身を寄せ合った。


「ちょっと、古海さん! 今度は、古海さんの番でしょ。お嬢様を、例の魔窟へお迎えに行くの!」

「篠原さん、私は今、それどころでは……」

切羽詰まったような、吸血鬼の声が聞こえる。

「急いで直緒さんを追いかけなくてはならないのです!」

「ダメです。ちゃんと順番は守って下さい! 今回は、あなたが、魔窟へお嬢様を迎えに行く番です」


順番は、守らなければならない。

列の、横入りも、もちろん、いけない。

いつも先生が言っている。魔界も、同じらしい。


だが。

……お嬢様!

それは、魔王の娘に決まっていた。

魔王には、ショタっ気があるのだ。

自分の娘を使って、かわいい少年をたぶらかすのだと、音楽のタケル先生が言っていた。


……魔窟だってぇ!

よもや、21世紀の日本に、そんなところがあったとは。

きっと、そこには、魔王がいる!

少年をたぶらかす、恐ろしい魔王が!

吸血鬼やカーミラは、その手先なのだ。

こんなところでぐずぐずしていると、自分たちの身も危ないに違いない。

3人は、がたがた震えだした。



「私だって忙しいんです!」

カーミラの怖い声が聞こえる。

吸血鬼が言い返す。

「篠原さんのそれは、男狩りでしょ?」

「古海さんだって、似たようなものじゃないですか! 獲物が男であるとこまで、おんなじです!」



 ……狩り。

 ……獲物は男。……恐らくは、きっと、いや間違いなく少年に違いない。


「……!」

「……!」

「……!」

3人は、いっせいに立ち上がった。

目の前の、吸血鬼とカーミラが、驚いたように、こちらに顔を向ける。



口々に悲鳴を上げ、下界に向かう坂を、転がるように駆け下りていく3人の少年たちを、坂の上の観音像が、穏やかな笑みを湛えて見送っていた。




**




翌日。

シブタニ小学校では、臨時のPTA集会が招集された。

議題はもちろん、児童の下校時刻の安全確保、及び、変質者対策について、である。

「皆さん、お忙しいこととは思います。ですが、大事な子どもたちの為です。ぜひ、児童の登下校の際の見守り、または、付き添いをお願い致します!」

壇上の、上坂かみさかPTA会長が、熱く訴えかけた。

傍らに控えた、副会長の宮川みやがわ三重子みえこが真っ先に拍手した。


満場一致で、議案は可決された。









※8章で、「いちじょうじのりこ記念BL図書館」設立に対する苦情の件で、一条寺家へ訪れたシブタニ小学校PTA役員の二人、仲良くやっているようですね。


※「魔王」……、

シューベルトおよび、歌曲リートファンのみなさん、ごめんなさい。


※カーミラについてのサトルのセリフは、コンシューマーゲーム、”fate”よりお借りしました。

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