がんがん押してくから/懺悔



 「やあ、ナオ、元気?」


 明るく声を掛けられて、直緒は驚いてパソコンから目を上げた。

 今河義元が、上から覗きこむように、直緒を見ている。


「義元君。今日はなんだい……」

「ちょっと」

義元は馬鹿に嬉しそうである。


 そういえば、典子が彼に仕事を依頼したことを、直緒は思い出した。

 つたかずら先生の新作の、校閲を頼んだのだ。

 ホスト小説、蔦先生の新境地である。


 ところが先生は、男相手のホストバーに行かれたことがない。地方在住でいらっしゃるので、そう簡単に取材にも行けない。

 そこで、ホスト経験のある義元に、出来上がった原稿の校閲を頼んだのだ。


 「典子さんなら、いないよ」

 新しく手に入れた印刷所に、典子は出かけていた。

 そこのオペレーターと製版係を眺めに行ったのだ。

 二人の仕事ぶりを。多分。


 もちろん、両方とも男である。



 義元は肩を竦めた。

「いや。僕は、ナオに会いにきたんだ」

「僕では、ホスト小説の話は、よくわからないけど?」

「原稿の話じゃない」


「じゃ、大河内先生の……? まだ電書版しか出てないけど、『忍ぶ恋』、よく売れてるよ。典子さんは、紙の本にするつもりだ」

「違うって。その話でもない」


「じゃ……まさか、他社が何か仕掛けてきた?」

がたんと音を立てて、直緒は立ち上がった。

「モーリスで書いたことでBL色がついたからとかなんとか、先生にいちゃもんつけてきたんだな?」


「違うってば!」

呆れたように義元が首を横に振った。

「よくそう、何でも仕事に結び付けられるね。そりゃ、親父のこと心配してくれるのは嬉しいけど」


「じゃ、何しに来たんだ?」

「仕事でなきゃ、来ちゃだめなの?」

「え? そういうわけでもないけど」


 編集者にとって、人との付き合いは、何よりも大切である。

 大学を出たばかりの頃、臼杵が教えてくれた。

 もっとも、臼杵の会社では、目の前の雑務をこなすのでせいいっぱいで、著者はおろか、会社の同僚と飲んで帰ることさえ、殆どなかった。



 「あなたを、口説きに来たんだ」

はっきりと義元は言った。


 直緒は呆気にとられて義元の顔を見た。

 義元は平然としている。


「君……まだそんなことを言ってるのか。まだそんな冗談を……」

「冗談? 男同士だからってのは、ナシだぜ? わかってるだろ?」

「少なくとも、僕は女性が好きだし」

「へえ。そういう風には、全然、見えない」

「……これでも、恋人がいたんだ。女の子の」


 ラインであっさりふられた話は、しなくてもよかろう。

 義元は眉を上げた。


「いた? 過去形だろ? ナオは、女に好かれるタイプじゃない」

「しっ、失礼な」

「僕と付き合えよ」

「なんだよ。いきなり尋ねてきて」

「今、古海さん、いないんだよね」


にやりと笑って続けた。

「チャンスだと思って」

「はあ? チャンスぅー?」

「諦めたんだろ、彼。ナオのこと。諦めて、だから、アメリカへ渡ったんだ」

「あのな。何か誤解があるようだから……」

「もう、あっちでいい人、見つけてるよ。あの人は、そういう人じゃないか」


 ……遊ぶには最高の相手。

 そう言ったのは、誰だったか。


「古海さんは、そんな人じゃない」

「へえ、彼をかばうの?」

義元は目を丸くした。


「かばってるんじゃない。言っとくけど、古海さんは、ユルくもないし、チャラくもないから」

「そんなこと、言ってないよ? ……だって、失恋したのは、あの人の方じゃん」

「誰も失恋なんかしてないさ」


直緒はマウスを握り、スリープしたパソコンを起動させた。

「さ、仕事仕事」

「マウスの向きが逆だよ」

直緒の手元を覗き込んで、義元が指摘した。

「何、動揺してんだよ」

「してないったら!」


「僕もちょっと考えたさ。ライバルの留守中に口説くのは、フェアじゃないなって。でも、そもそもあの人は、敵前逃亡したのだから」

「敵って誰だよ」

「……久條先生」

「それは違うな」

「ほんとに?」

「だって、久條先生も男じゃないか。古海さんは、仕事でアメリカへ渡ったんだ」

「いつ、帰ってくるの?」

「さあ」

「連絡先は?」

「知らないよ」


「ほら」

義元はにたりと笑った。

「ナオと古海さんは、完全に切れたんだ。だったら、遠慮なんか、するもんか」

「切れたも何も、もともと、何もなかったの! なんといっても、僕ら、男同士なんだから」


「これからは、がんがん押してくからねっ! さ、辛気臭い仕事してないで、外に出ようよ。見たい映画があるんだ。嗅覚を刺激する映画で……」

「仕事は大事だ」

直緒は言った。

「仕事は心の支えなんだ」


義元はまじまじと直緒を見た。


「いいよ、そういうことなら。ナオの仕事が終わるまで待ってるから。僕は決してあきらめないからね。こんなチャンスを逃すわけないじゃないか」

そう言うと、作業用の長テーブルに足を乗せ、スマホをいじりはじめた。



**



ニューヨーク・フランクフルト/スカイプ


 「……そんな風に、私は、お嬢様をほったらかしにしてしまったのです」


「そのことにより、髪の毛一本だって、お嬢様が傷ついたわけじゃないんだろう?」


「ええ、幸いに」


「そして、お嬢様は、気になさってはおられない」


「それは……、ああいうお方ですから」


「なら、何の問題もないじゃないか」


「ですが、」


「何を気にしているんだ」


「私は……、職務を放棄しました。自分の仕事を擲ち、お嬢様についていくことを怠りました。結果、メイドが襲われ、お嬢様は人質に……」


「その話は聞いている」


「私がついていかなかったせいで」


「君がついていけば、防げたと思うか?」


「私なら、切り付けられることはなかったと思います。また、そうであったなら、お嬢様とて、自ら人質になりに行くことはなかったかと……」


「それはわからんな。なにしろ、常に人の目線の右斜め上45度を行かれる方だからな。作家の先生が人質になっていると知ったら、同じように、飛び込んで行かれたろう。それを止めることができたと考えるのなら、君は、自分を過大評価している」


「しかし、家令の義務は……」


「一乗寺家の令嬢に恥をかかせぬこと」


「常に、お嬢様を第一義に考えねばならぬのです。それなのに私は……」


「そうだ。令嬢が独身であられる間は、常に、お側に仕え、お一人で恥ずかしい思いをなさることのないよう、気を配らねばならない。そして、あってはならないことだが、もし、万が一、令嬢にお相手が見つからない場合は……」


「……家令が責任をとらねばならない」


「そう。生涯を費やして」


「拒否すれば、あなたのように、職場を追われ、国を追われ、……。私は聞いております。本宅の家令であったにもかかわらず、今、あなたが、その国にいらっしゃるのは……」


「そうだ。俺は、家内を選んだ。一乗寺家令嬢より、今の妻を選んだのだよ」


「あなたはそれで、幸せですか?」


「馬鹿なことを問うな」


「……私は、私はあの時、彼と一緒にいることを望みました。お嬢様に同行することより。私は、彼を選んだのです。それが、私の罪なのです」


「彼。そうか」


「新たな人質を求められた時も、真っ先に、彼の安全を願いました。お嬢様より先に。その時私は気がついたのです。ここにいてはいけない、これ以上、罪を重ねてはいけない、と」


「なら、私のように、恋人と共に生きればいい」


「……」


「できないのか?」


「私は、彼にふさわしくない」


「なぜ?」


「自分の仕事を全うしてこそ、得られる恋もあるのです。彼は、そういう人です」


「他にもっと、ふさわしい人がいると?」


「はい……」


「帰らないのか? お嬢様のところへ?」


「帰れません」


「……」


「……」


「最後に、もう一度だけ、あの方の為に働いてみないか?」


「いったいどんな顔をして、お嬢様の前へ出ればいいのです?」


「いや、小説を読んでほしい。なんだか、メロンパンみたいな名前の先生の本だが、大急ぎでシノプシスをつけなくちゃいけないんだ。それも英語で。君は、日本語を読めて、英語も書ける。できるだろう?」


「私は小説なんて、大嫌いです」


「今、作家が、最後の手直しをしている。スケジュールはぎりぎりだ。原稿が上がったらすぐ、君のところへ、データで送る」


「私はまだ、引き受けたわけでは……」


「出来上がったシノプシスも、こちらに送信してくれるだけでいい。直接顔を合わせる必要はない」


「……」


「お嬢様への、最後の御奉公として」


「……いいでしょう。本当に、これが最後です。そうしたら、私は、永遠に姿を消しましょう。典子お嬢様の前から」

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