BLで主役を張れない理由




 「なぜ、白のボタンが解除スイッチだと?」


 厳重な警戒のもと、乗せられた警察車両の中で、直緒は典子に尋ねた。

 駅ロータリーに止められた車は、書店爆破未遂事件の、臨時の捜査本部になっていた。


「それはね。南波さんは、直緒さんに嘘なんてつけないから。南波さんは、直緒さんに恋してるの」

「最初に尋ねた時は、あいつ、赤だと答えましたが」

「聞き方が悪かったの。南波さんが愛したのは、上品でしとやかな方の直緒さんよ。ネットで流れた」

「じゃ、それは、僕じゃありませんね。ただの、ネットのイメージですね」


「当り前じゃないの」

典子はまじまじと直緒を見た。

「なに、直緒さん。まさか、『本当の自分』を、彼に愛してもらいたかったの? やだ、直緒さん、目覚めちゃったの?」

「んなことあるわけないでしょうが!」

「……もしそうなら、モーリス出版社として、全力で後押しを……」

「冗談でもそんなことを言うのは、止めて下さい」

「あ、そ」


 あっさりと典子は言った。

 そして何もなかったように続きを答えた。


「だから、直緒さんは、ネットの美人さんのイメージ通りに振る舞うべきだったの。そうすれば、あの人には、髪の毛一本だって、直緒さんのことを傷つけることなんかできないんだから」

「あいつは初見で、僕に襲い掛かったんですよ?」

「愛すればこそよ。愛が強すぎて、溢れてしまったの。でも、直緒さんのこと、傷つけてはいないでしょ?」


 どちらかというと、傷つけられたのは、南波自身の方だ。

 直緒に蹴り上げられて。

 古海に投げ飛ばされて。


「爆発を止めるスイッチは白だって、教えてくれたし」

「……」

「直緒さんの魅力に抗える男なんて、この世の中にはいないのよ」

「……そんな理由……、ほぼ、あてずっぽうじゃないですか!」


 今さらながらに、自分達の命が危険にさらされていたのを、直緒は自覚した。

「古海さんがああなったのも、無理はない……」

「コシが弱いのよ、あいつは。ちょっと本を運ばせるとすぐ文句を言うし……あんなに薄い本ばかりなのにねっ……。それも、BLで主役を張れない理由のひとつだわ」



 その古海は、さきほど、救急車に乗せられて、病院に運ばれていた。

 「直緒さん……と、お嬢様……の命が、この、私の指一本にかかっていたかと思うと……この世で、一番大切な人の命が……、こ、腰が抜けました」

救急隊員に立たせてもらいながら、古海は言った。


 もちろん、その日のうちに病院から帰されたのは、言うまでもない。



**



 直緒と典子は、そのままトヨシマ警察署に連行された……のではなく、事情を説明する為に連れて行かれた。


 南波は、黙秘することなく、事件についての供述をしているそうだ。

 ただ、それは書店立て籠り事件だけであって、腐女子狩りについては、否認を続けているという。


「あなたは、篠原もなみさんを傷つけた男を追って、あの書店に入ったと聞いておりますが」


 轟鬼警部が尋ねると、典子は小首を傾げた。

 すごくかわいらしいと、直緒は思った。


「人が多くて……それも外へ流れていく人波が」

「ちょうど、爆弾が仕掛けられたと放送があった頃ですからな。何階へ行ったかとか、連れがいたかとか、覚えていませんか?」

「ごめんなさい。すぐに見失ってしまって」

「エレベーターに乗ったなら、ボタン表示をみたとか?」

「ああ、あっ、エレベーターなんて、考えもしませんでした! すみません……」

「外見の特徴は? 創君では、要領を得ないのですよ」

「男性でした」

「他には?」

「ええと、ええと……」


「そもそもあなたはなんで、立て籠もり犯のいるフロアへ行こうと思ったんです?」

「人波に流されて、ええと、気がついたら……」

「何か理由があるはずですよ? なにしろ、人混みに逆らって進んでいかれたわけですから」

「ほんとにごめんなさい。わたし、頭がぼおーっとしてしまって……」


大きな瞳を潤ませている、

ように見えた。


 「警部さん、」

思わず直緒は割って入った。

「典子さんは、人混みには慣れていらっしゃらないのです。大勢の人の中で、頭がぼーっとしてしまっても、それは無理のないことです」

「直緒さん……」

すがるような目を、典子が向けてきた。


 ……こんなに可憐な人を。

 直緒は、胸がきゅんとした。


「典子さんの言葉通りですよ。この人は、ものを隠したり、秘密をもったりできる人ではありません」

「いや、我々もそんな風に思ってるわけではないんだ」

やや気まずそうに、警部は言った。

「爆弾事件に紛れて、切り裂き事件の方がさっぱりだから。ただ、篠原さんの傷に合致するような凶器は持っていないし、自分がやったのではないという南波の言葉には信憑性があるように思うのでね」


「ええ、南波さんは無罪ですわ」

妙にはっきりと典子は言った。


 ……あんなにひどい目に遭わされたのに。

 ……なんてけなげで、優しい人だ。


 改めて直緒は感動した。

 有能だけでは、人はついて行かないものなのだ。


「わかりました。ごく、形式的な質問だったのです。失礼だったら、お許しください」

とうとう、轟鬼警部は言った。



**



 エレベーターを降り、薄暗い廊下を歩いていくと、向こうから、男ばかりの集団がやってきた。

 制服・私服警官が入り混じり、ものものしい雰囲気だ。


 「ステキ! モブだわっ!」

低い声で典子が囁いた。

「モブって、なんです?」

典子の顔を見て、直緒はぎょっとした。

「典子さん、よだれ……」


 慌ててハンカチを差し出す。

 さきほどの苛烈な取り調べが、よほど応えたのだろうと、彼は思った。


 ……繊細な人なのだ。

 大切に守ってあげなくては。

 改めてそう、決意した。



 「ちっ、まずいな」

一緒に歩いていた轟鬼警部が舌打ちをした。

「被疑者と被害者が鉢合わせるなんて。いくら混乱していたからといったって」


 すれ違おうという時、塊の中央が立ち止まった。

 「言語学の棚に来れたことを、褒めてやる」

手錠を掛けられた南波が、傲然と頭を上げた。

「ピンクのあんたと、黒のあいつだ」


 「古海はいないわよ。腰が抜けちゃったの」

のんびりと典子は言った。

「代わりに、直緒さんがついてきてくれたの」


「……」

 南波は絶句した。

 すぐに直緒から視線を外した。


「何をしている。早く連れてけ」

轟鬼警部が叱咤した。


「待ってくれ」

南波が言った。

「お礼を言わせてほしい」

「礼だぁ? 侘びじゃないのか」

と、轟鬼警部。

「あんた、この人たちを、あれだけひどい目に、」


「いや、実害はなかったわけですから」

直緒は言った。

「そうよ。古海が腰を抜かした以外は。でもそれは、自業自得よ。わたしを信じないから、そうなるの」


 「礼を言わせてくれ」

重ねて南波は言った。

「あの黒の人にも、伝えてくれ。俺の……俺の小説を読んでくれて、ありがとう」

「はあ? 小説ぅ~? なにそれ?」

「『末広がり+01の異世界バトル』! あれを読んだから、爆弾のありかがわかったんだろ? 言語学のコーナーだと」

「違うわ。801やおいの棚だから行ったのよ。図書の十進分類法? それによると、801は言語学だって、木島さんが言ったから」

「木島……ああ、人質の一人か。って、おい、読んでねえの? 俺の小説」


「読んでないわ」

きっぱりと典子は答えた。

「わたし、BLって保証がなければ、読まないの」


 「俺の小説を読んでない?」

南波はひどくショックを受けたようだった。

「じゃ……古海ってやつは? せめて、そいつは、」

「読むわけないでしょ。そもそも古海は、小説なんて手にもとらないもの」


「え、そうなんですか?」

思わず直緒は小声でつぶやいた。


 声を震わせ、南波が問う。

「なら、なぜ……なぜ、あの棚へ?」

「さあ。あてずっぽじゃない?」


 「古海さんは、タイトルから推理したんだ。『末広がり』は8で、『+01』だから、801だって」

直緒が口を出すと、すかさず典子が補った。

「801が言語学の棚だと結論したのは、わたしの推理をマネたの」

「典子さん、それはちが……」


直緒の言葉を聞きもせず、南波が叫んだ。

「ああっ? なんでそうなる。『末広がり+01』といったら、8+1で、ふつー、9、だろう!! あれは、9つの異世界バトルが繰り広げられる、豪華絢爛な話で……」

「ええっ! そんな話だったの? すると、本当にBLじゃないのねっ!」

「ふぁんたじぃだっ! 俺の想いのこもった畢生のファンタジー……」


「ならなんで、わざわざ09にしたんだ? +9で充分じゃないか」

直緒が尋ねた。

「なんで? なんででもいいじゃないか。ちょっとした修辞だよっ」

不機嫌に南部は答えた。

「よくないよ。わざわざ01なんてやるから、古海さんがタイトルに目をつけたんだ。それを、あの人の推理が間違ってたなんて……」

「なんだ? あの黒のやつをかばうのか?」

「かばってなんか……」

顔を赤らめ、直緒はそっぽを向いた。


「そうよそうよ。古海なんかかばったって、仕方ないのよ」

すかさず典子が言う。


「マークシートだ」

ぽつんと南波は言った。

「マークシートでは、9は09とマークすることが多いだろ? あるいは009とか。全てが記号で管理される現代社会への、あれは、辛辣な批判でもある」

「へえーーー、深いのね」

「うん」


 典子に褒められ、南波は少し、気をよくしたようである。

 続けて言った。

「どこに爆弾を仕掛けたかは、小説の中に、ちゃんと書いてあるんだ。俺だって、無関係な人を死なせるのは忍びないからな。あの小説は、読んだ奴だけが、爆弾のありかを知ることのできる、実社会にも直結した、全く新しいタイプの傑作だったんだ!」


「わかった!」

典子が叫んだ。

「な、何が?」

「あなたが新人賞を落ち続けた理由よ!」

「え? ほんとに? 教えてくれ。なぜ俺は、何年も何年も、冷たく無視され続けなければならなったんだ?」


「それはね」

重々しい口調で典子は言った。

「それは、BLを書かなかったから! だって、この世で一番、ステキなお話は、BLなのよ! ここは、BLを書かなくちゃ、いけなかったのよ!」


「でも、門壇社の新人賞は、エンタメだと聞きましたが?」

思わず直緒が口を出すと、典子は胸を張って言った。

「エンタメの頂点は、BLですからっ!」

「でも、典子さんは常々、BLは文学だと……」

「優れた文学は、最高のエンタメでもあるのよっ! そしてそれは、BLをおいて、他にないのっ!」

「……」

「……」



 「詳しい話は、取調室でしてもらおうか」

南波の横にぴったりとくっついていた刑事が、ドスの効いた声を出した。

 こちらが凶悪犯だと言っても、誰も疑わないような顔をしている。


 南波は動かなかった。

 ちらりと直緒を見た。

「おまけに、初恋の人は男だったなんて。あんなにあんなに、好きだったのに。今だって……! ああ、これから俺は、いったいどうしたらいいのだろう!」


聞き捨てならないことを聞いた気が、直緒はした。


 「留置所に本を差し入れるわ」

典子が言った。

 この上もなく優しい声だった。

「南波さん、自分の心に正直になるのよ。わたしの本を貸してあげる。あなたも思い切ってこちらの世界へいらっしゃいな」




 「結局、典子さんも古海さんも、二人とも、間違っていたわけですね」

警察署の長い廊下を歩きながら、直緒は言った。


 南波の小説は、神様の手違いから、主人公が死ぬことから始まる。彼は異世界に転生し、あまりに無知蒙昧な迷信に支配されたその住人達に驚く。そして、自分がもといた世界の知識を広げる為、剣と魔法を以て、頑迷な迷信を打破していく、とまあ、ざっくりこのような内容の連作短編だった。


 書店、図書館、大学、古本屋……。9つの物語は、いずれも、異世界の言語に関する書籍が納められた書棚を爆破して、完結していた。

 本当に、ひとつ読めば、爆弾の場所は、すぐにわかったのだ。


 直緒は続ける。

「本の分類法とか、関係なかった、と。古海さんも典子さんも、全く違ったネタで推理して、爆弾に辿りついたわけですね」


 「なんていうか、ひどい偶然ですな」

毒気を抜かれた顔で、轟鬼警部がつぶやいた。

「礼まで言っていた南波が、なんだか哀れに思えますな。自分の作品を読んでもらえたと勘違いしてて」


 そもそも、あんたたち警察がさっさと読めばよかったのでは、と直緒は思った。

 一話読めばわかると言うのだったら、自分が乗り込むより前に、爆弾の在り処はわかったはずだ。

 しかしそれを口に出さないだけの分別は、直緒にはあった。


 すまし顔の典子が言う。

「あら、警部さん。彼が一番、トクをしたのよ」

「逮捕されたのに?」

「ええ。これで南波さんも、文句なしの塀の中の作家。今回の件を書けば、いやでも、世間の注目を集めます」

「犯罪実録ですか? どうでしょう。アメリカにはサムの息子法というのもありますよ。良心的な出版社なら、相手にしないんじゃ」

思わず直緒は口を出した。


 直緒は常々、扇情的な出版のあり方には、疑問を感じていた。

 作品の良しあしではなく、極めてセンセーショナルに、しかも、犯罪被害者やその遺族の気持ちを無視した、本造りだからだ。

 度を越した売り上げ重視だと思う。

 そんな本が、時の流れに勝って、次世代へ受け継がれるだろうか。本当の良書と言えるだろうか。


 幸いにも今回は、けが人は出ていない。それでも、司法に先駆けて、世論が判決を下す一助になってはいけないと思う。

 それでは、巷のリンチと同じだ。


 「犯罪モノじゃないわ」

典子がむくれた。

「南波さんも見たはずよっ! 佐々江さんと木島さんの、熱いショットを」

「ええっ! すると……、」

「BLに決まってるでしょ。他に何があるっていうの?」

「ですが、そんなシーン、ありましたっけ? 佐々江さんと……木島さん?」

「あったの! 直緒さんがニブイから気がつかなかっただけなの!」

「に、鈍い、って……。僕が見た限り、組み敷かれていたのは、南波自身だった気がしますが」

「愛し合うカプの、攻めに襲われたのよ? 恋人の受けの前で。貴重な体験をしたわけよ! 南波さんは! だから、書くべきなの! それが、小説家の卵としての、彼の義務だわ!」


「……」

「……」

直緒と轟鬼警部は次の言葉が出ない。


 「今回も、アテウマは、直緒さんねっ! わざわざ犯行現場まで来てもらった甲斐があったわ。ああ、南波さんの書く小説が楽しみっ!」

 「今回も? 前もあったのか。キミも、大変だな」

轟鬼警部がささやいた。


 ……それは、あれだ、多分。

 初めて吉田ヒロム先生に会った時……。

 あの時も、アテウマと言われた。


「慣れてますから」

直緒は答えた。

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