99 呼び合うものⅥ

 暗闇の中で銀の凶眼が光っている。

「魔物ですわ。なぜ、このような場所に?」

 眉をひそめ、シィルがサスの手からそろそろと顔を持ち上げた。

 銀の瞳が、足音も立てずに近づいてくる。背が高く、見た目は老人の風貌をしているものの、残酷そうな顔は、明らかに人のそれではない。また、身なりは執事ふうだが片方の袖はなく、二の腕までがむき出しになっていた。

「鷲の、サーシバル」

 老人が、にたりと笑う。鋭い牙がのぞいた。

 サスは素早く外套の下から短刀を抜き、構えた。

「狙いは俺か……てことは、てめえは蛇のギルドのもんだな」

 訊いたものの、老人は答えず、爪が伸びる両手を持ち上げた。

 ――答える必要はねえってか。

 サスは、ちらりとシィルを一瞥する。

 ――こいつだけは逃がしてやりてぇが。

 冷たい汗が、頬を流れ落ちていく。

 出口はひとつだけ、その道は化け物によって阻まれている。

 それ以前に、シィルを牢屋から出してやらなければ話にならない。

「罠か」

 ある程度、覚悟して来たつもりだが、ここまであからさまな化け物が出てくるのは予想外だ。

 ――どうする。

 考える間もなく、化け物が飛びかかってきた。

「くそったれ!」

 やぶれかぶれに短剣を振るうも、ガチリと硬い感触が伝わり、サスの動きが止まった。

 刃に、化け物が食らいついていた。

「止まって見えるぞ」

 無情にも短剣が粉々に砕け散った。

「この……野郎!」

 サスは後ずさりかけるも、戦意を奮わせて蹴りを見舞う。

「だめ!」

 横からシィルが叫んだ。

「退がりなさい、サス!」

 サスがその言葉に反応するよりも早く、化け物に足首を掴まれた。

「ち、ぃ!」

 ぐいと引かれ、片足になったサスの態勢が崩れた。化け物の爪が鋭く光る。

「やめて!」

 鉄格子を掴み、シィルが悲痛な叫びを上げた。その叫びに重なるように、

「どっかーん!」

 突如として背後から現れた人影が、化け物を蹴り飛ばした。

 化け物が、逆側の格子に叩きつけられた。さらに人影は宙で身をひねらせ、二段蹴りを放つも、化け物は地に転がり、間合いを取った。

「キーファか!」

「お待たせしました」

 キーファはサスを守るように背中で隠しつつ、化け物と対峙する。

「サーシバルさん、お怪我は?」

 構えたキーファから尋ねられ、「いや、大丈夫だ」と、サスが答えると、

「……二階にはもう、生きている人はいません」

 怒りに炎髪を揺らし、キーファは歯ぎしりする。

「みんな、あいつのせいで……」

 曲刀を握りしめ、キーファが間合いを詰めようとすると、その分だけ、化け物が後退していく。相当、キーファを警戒しているらしい。

 じりじりと殺気立つ空間のなか、 

「ああ、それは!」

 シィルが、血相を変えてキーファを指さした。

「そこなわらべ! あなたが持っているその弓、私のシルヴィハールですわ!」

「ん?」

 と、キーファは肩越しに振り返り、

「……エルフ」

 顔を強張らせた。その隙に化け物が襲いかかろうとするのを、あわてて正面を向いて押し留める。

「童よ! その弓を早く私に!」

 シィルが重ねて声をかけるも、キーファは応えない。まるで聞こえないといった様子で無視を決め込んでいる。

「サス! 何ですの、あの無礼な童は!」

 埒があかないと思ったのか、今度はサスに向かって騒ぎはじめる。

「いや、知らねぇが……」

 としかサスには答えようがない。

 どうやら、キーファはエルフに対して嫌悪感を抱いているらしい。

 ――『エルフども・・

 トナーの家で、キーファはそういう言い方をした。あからさまな敵意というより、エルフに対しては当然、といった口調だった。

 そのキーファが、豪弓と呼べるほど大仰な弓を背負っている。

「あれが、お前の弓なのか?」

 サスが訊くと、「いかにも!」と、シィルは何度もうなずく。

「早くあの弓を私によこすのです! あの弓さえあれば、化け物をやっつけることなど朝飯前ですわ! いいえ、朝飯前どころか就寝前ですわ」

 ほら早く! というシィルの声にせかされ、

「らしいんだが」

 おそるおそる、サスがキーファの背中に話しかけると、

「嫌です」

 きっぱりとキーファが言った。

「嫌だってよ」

 サスが伝言すると、

「聞こえております!」

 シィルは苛立たしげに鉄格子をガチャガチャと揺らした。

「ちょっと、あなた! なぜ私に意地悪をするのですか!」

「こんな危険な武器、エルフなんかには渡せない……」

「――だそうだ」

 サスがシィルに伝えてやると、

「だから、聞こえておりますと言うに!」

 がっちゃん、がっちゃんと鉄格子を揺すりながら、「もう、もう!」と、シィルは癇癪かんしゃくを起している。

 はぁ、とサスは深く溜息をつき、

「おい、キーファ。悪いがその弓をシィルに返してやってくれねえか」

 間を取り持つように言ったが、キーファはサスにも応えず、かたくなな態度を固持している。

 サスは構わず話しかけた。

「俺が探していたのは、こいつなんだ」

 キーファの細い肩が、ぴくりと反応するのをサスは見逃さなかった。

「お前がエルフをどう思ってるかは知らねぇが、返してやっても悪いようにはしねえと思う。こいつが馬鹿なのは俺も認めるが、まぁ、嘘をつく奴じゃねぇ」

「ちょっと、誰が馬鹿ですの、誰が!」

「……助け舟を出してやってんだから、黙ってろよ」

 サスはうんざりしながら、

「こういう奴なんだ。な、頼むぜ、キーファ」

 もう一度言うと、

「……サーシバルさんから渡してください」

 キーファが、憮然とした口調で言った。

「僕からは、渡したくありません。サーシバルさんがお願いします」

「助かるぜ」

 サスは苦笑し、キーファの首から弓を持ち上げようとすると、化け物が飛びかかってきた。

「ちっ!」

 反射的にサスが身を引くと、

「そのまま取ってください!」

 キーファはしゃがみ、頭から弓を抜く。と同時に、手に持った曲刀を宙に放った。瞬間、曲刀それ自体が意思を宿したかのように宙を舞い、化け物めがけて一閃した。

 化け物の服が横に裂けた。

「――おのれ」

 化け物は、ふたたび間合いを取らざるをえない。

 素人目にも化け物はキーファを攻めあぐねていた。

「すげぇな」

 サスがヒュウと口笛を吹くと、

「サス! 早く弓を!」

 シィルにせかされ、サスは弓を鉄格子の間に通そうとする。だが――

「ぬ、抜けない!」

 シィルが悲鳴を上げた。

 シルヴィハールは弓柄ゆがらが長く、また幅があるため、ちょうど間あたりで引っかかっているらしい。

「おお、なんということでしょう!」

 恐ろしい、とばかりにシィルは恐慌状態に陥った。

「私の! シルヴィハールが! 挟まって!」

「……うるせぇなぁ」

 サスはほとほとうんざりしながら、「おら、さっさと抜きやがれ」と、シルヴィハールを押し出してやる。

「ふんぬ! ふんぬ!」と、シィルは弓を脇に抱え、角度を変えながら、精一杯の力で引き抜こうとする。

 ふたりがかりで押し引きを試していると、ようやく弓が抜けた。

「やりましたわ!」

 抱きしめた弓に、シィルは頬擦りをする。

「ああ、愛しのシルヴィハール!」

 愛しいですわ、愛しいですわ、と気持ちが悪いほどの猫撫で声で弓に話しかけている。

「……別にいいんだけどよ」

 だが、サスは知っている。

 船の中で、シィルは自分の小便のために弓を売ろうとしたことを。

 それはともかく。

「あの化け物、早く何とかしてくれや」

「わ、わかっておりますわ。いまそうしようと思っていたところですわ!」

 どうやら目的を見失っていたらしい。

 サスは冷たい視線を送りつつ、そういえば、とキーファを振り返った。

 キーファは化け物をこちらに通さぬよう、一定の距離を保ちつつ、曲刀で攻め立てている。その外套がめくれるたび、腰のベルトに提げられた矢筒がのぞく。

「おいシィル、矢はどうすんだ?」

 訊いたものの、シィルはまるで気にしていない様子で、

「これを――」

 弓の一端――本筈もとはずを両手でむんずと掴み、

「こうして――」

 その弓を高々と振り上げる。何をするのかと思ってサスが見ていると、

「こう! ですわ」

 そのまま鉄格子にむかって振り下ろした。弓が鉄格子に叩きつけられた瞬間、爆発が起こった。鮮烈な緑の光とともに周囲に風が吹き上がり、塵芥を煙のように巻き上げる。

「えぇ~……」

 サスは、まったく意味がわからない。弓はそうやって使うものではない。

 しかし。

「脱出成功! ですわ」

 もうもうと立ち上る煙を手で払って見ると、シィルが通路に立っていた。鉄格子が圧し潰されたようにひしゃげ、大穴が開いている。

「はっはー!」

 と、シィルは勝ち誇った笑い声を上げながら、ふたたび弓を持ち上げ、キーファと戦闘を続ける化け物に踊りかかっていく。

「あ、馬鹿! 待て!」

 サスが静止をかけるも、シィルは聞く耳を持たず、

「居直りゃぁ!」

 とばかりにシルヴィハールをぶんぶん振り回している。

「エルフ! 邪魔!」

 キーファはすごく迷惑そうだ。そりゃそうだわな、とサスは思いながら、鉄格子に身体を預けた。シィルは加勢しているつもりらしいが、別段、洗練された動きというわけでもない。軽々と化け物にかわされている。

「……もう好きにしてくれや」

 どうでもよくなってサスが鼻をほじっていると、化け物がくるりと背を向けた。そのまま通路を走り、地下室を出ていく。どうやら逃げを決め込んだらしい。

 ――もしくは、シィルを相手にするのが馬鹿々々しくなったのか。

 思っていると、追いかけるふたりの向こうで、扉が閉まっていくのが見えた。

「やべぇ!」

 さすがにこれはマズイとサスも走る。が、間に合わず、扉が完全に閉じられた。ガチャリとかんぬきが通される音が響く。

 キーファが扉を押し開けようとしているが、扉は重く微動だにしない。サスも加わって一緒に押したが、やはり結果は同じだった。

「閉じ込められた……」

 キーファが、呆然とつぶやいた。

「みてぇだな」と、サスが相槌を打つ。すると。

「心配には及びませんわ!」

 シィルが意気揚々とシルヴィハールを振り上げた。

「これを、こうして――」

「おい、まさか……!」

 サスは青褪あおざめた。あわててキーファの腕を取り、小柄な身体に覆いかぶさるように抱きすくめる。

「こう!」

 扉が、爆発した。

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