90 春宵一擲Ⅷ
魔法陣から、暗黒の光が噴出している。
飛び掛かってくる
「数が多いな」
抑揚のない声音でつぶやく。
ファン・ミリア、グスタフと三人で背中を守り合い、迫る
「部屋の外からも集まってきているようです」
ファン・ミリアは星槍ギュロレットを操り出しながら、
「グスタフ、力の配分を間違えるなよ」
指示すると、「承知」と、応じる声が上がる。
「すこし空けます」
言いざま、ファン・ミリアが跳び出した。
「
ドレスの長手袋をはめた指先から、光の糸が放出される。ファン・ミリアは走りながら
「オォリャァァァ!」
糸を離し、固めた
それを確認すると、すぐまた戻ってジルドレッド、グスタフとともに背中を守り合う。
「ダメでした」
「見ればわかる」
「……単純な物理的攻撃は通じないようですね」
グスタフが言った。ジルドレッドは目の前の
「
「ああいった力ある魔物を
普通の人間がこれを行えば命を落としかねない危険があるが、不死のイグナスであれば可能だろう。
そして。
ジルドレッドは注意ぶかく周囲を探るも、イグナスは気配を消し、
――あの男が持つ大剣……。
見た時から、気になっていた。
「あれは、『
「私もそう思っていました」
ファン・ミリアが応じる。
統一ムラビア建国時より王家に伝わる宝剣である。それが現王デナトリウスの御世、国が分裂した混乱のなかで、何者かに盗み出された。
「あの男は、完全に姿を隠す術を持っていました」
「隠れ
神が人にあたえる神器の特性として、身を隠す能力はその典型である。が、あくまで不随した能力であり、
その一方で、持つ者に不死の力を与える、とも言われていた。
そのため長くムラビア王家に受け継がれながら、日の目に出ぬよう宝物庫にて厳重に保管されていたと聞く。
その妖剣を、イグナスが持っている。
「――詮索は後回しだ。奴が敵であることに間違いない」
ジルドレッドはグスタフに声をかける。
「聖水は持っているな」
グスタフはベルトに提げた布袋から、小瓶を取り出した。剣の平に叩きつけて割ると、透明の液体が刃を濡らす。闇の者に限らず、魔物全般を相手にする聖騎士団にとって、邪を払う聖水は携帯が必須な
「よし」と、ジルドレッドはうなずき、
「ファン・ミリアは
「団長は?」
ファン・ミリアが訊くと、
「知れたこと」
おおよその検討をつけ、ジルドレッドは重心を落とした。
力を溜め、巨剣を振り抜いて
衝撃によって粉々になった骨の欠片が、
「俺は、
ジルドレッドが地を蹴った。
肩を張り出し、猛然と
「強引だな」
声が聞こえた。空間が波打つように歪み、鏡のように周囲の景色を映したかと思うと、半人半蛇のイグナスが姿を現した。
「貴様は、賊の類か? 分不相応な剣を持っているな」
「人聞きが悪いな」
イグナスが
「いま泣いて謝れば、許してやらんこともないぞ――『
その言葉に、ジルドレッドが嘆息するようにちいさく息を吐いた。
「阿呆が」
つぶやきとともに、ジルドレッドの腕の筋肉が盛り上がり、さらに太くなった。剣が押し戻される。
「こ……!」
イグナスの剣が、自らの顔にめり込んでいく。
腕だけでなく、ジルドレッドの全身が一回り大きくなっていた。硬さと柔らかさ、ふたつの相反する特性を兼ね備えた鎧――ライ
赤毛の髪がざわざわと波立ち、翠眼がかっと見開かれた。
「不死である己を恨め」
憤怒の形相を浮かべるジルレッドが、斬り結んだ剣を力任せに落としてくる。
「怖すぎるぞ、お前!」
イグナスが素早く身体を引き、ジルドレッドの心臓めがけて剣を突き放つ。が、獣にも勝る俊敏な動きで剣を避けたジルドレッドが、イグナスに体当たりを食らわせた。
宙に浮いたイグナスの身体を、巨剣が打ち弾いた。
――一方。
跳躍したファン・ミリアが、
ラズドリアの盾が吹雪を上下に分断するも、勢いが弱まりファン・ミリアは着地した。すぐさま群れ集ってくる
「乗れ!」
ファン・ミリアが叫ぶと、グスタフが飛んだ。ファン・ミリアの上に落ちてくる。ラズドリアの盾を展開し、グスタフの身体を反発させた。
瞬発力を得たグスタフが、二段構えに
――おかしい。
と、グスタフが感じたのはその時だ。
気がつくと自分の身体の位置が、わずかにずらされている。
着地したグスタフの背に、ファン・ミリアの背が当たる。
「何があった?」
異常を感じ取り、ファン・ミリアが尋ねると、
「わかりません。ですが」
グスタフは頭上を――
「そんな……」
ファン・ミリアは動揺の声を上げた。
そこに降り立ったのは――。
「ティア……なのか」
茫然と、ファン・ミリアがその名を口にした。
ティアの顔に、浮き出た黒い蛇の顔が、仮面のように重なっている。瞳孔の長い銀の瞳が、こちらを睨んでくる。
「……オ……オォ……」
赤い唇を歪ませ、怒りのような、悲しみのような声が漏れ聞こえた。
「オレ……ノ……シロイ……」
ティアの爪が、長く伸びた。
「ティア!」
ファン・ミリアが叫ぶと、ティアがぴくりと反応した。こちらめがけて飛びかかってくる。
前に出たファン・ミリアが、ティアの爪を星槍で受け止めた。逆の爪は、グスタフが対応した。
「筆頭、これは」
さすがのグスタフも、判断を曇らせている。
「くっ!」
ファン・ミリアは、強引にティアの胸倉をつかんだ。
「私だ! ファン・ミリアだ!」
怒鳴り、激しく揺さぶった。ティアは明らかに正気を失っている。
「……セイキシダン……」
ティアではないティアの声が、言った。
「……オレ……ノ……シロイ……」
ファン・ミリアは、はっと気づいた。
蛇の顔に隠れた顔の下から、雫が落ちていく。
「泣いて……いるのか」
蛇の瞳が、ぎょろりとファン・ミリアを見た。ティアの指が消え、今度は身体から黒い槍が突き出てくる。ラズドリアの盾がその槍を弾き、つかんでいた胸倉の服が破れ、ティアがのけぞった。
「ティア!」
ファン・ミリアがもう一度手を伸ばしかけるも、上の
飛び退ったファン・ミリアとグスタフの前で、殺戮の氷雨は
「筆頭、どうすれば?」
グスタフから指示を求められ、ファン・ミリアは唇を噛む。すると、
「――殺すしかあるまい」
背後から声が聞こえた。振り返ると、そこに黒狼が立っていた。
「ティアの身に何が起こった?」
「魂を奪われた」
「魂……」
「是非もないことが起こったということじゃ」
狼は、ひどく疲れたような動きで前半身を沈めた。地を這う姿勢を取る。
「もはや、どうにもならぬ。あの男を滅ぼし得たところで、ティアは死ぬ。ならばせめてこの手で始末をつけてやるしか」
「黒狼よ」
諦めの口調が、かえってファン・ミリアを鼓舞した。
「お前には見えないのか?」
言って、ティアを指す。その頬からつたう雫は、雨ではない。
「私には、まだ可能性は残されているように思える」
「お前ごときに、何がわかる?」
不快そうな狼に、「わかる」とファン・ミリアは言い切った。
「人は、信じることに本懐がある」
逆境のなかでこそ、人は真価を試される。
「心を失った者は泣きはしない。苦しみは善くあろうとするからだ」
「心ではなく、魂が縛られておる」
「心が、魂を
聖女たるファン・ミリアの紫の瞳が、熱く燃え上がるようだった。
「……よかろう」
根負けしたように、琥珀の瞳がやわらいだ。
「お前のその、希望とも呼べぬ希望に賭けてやる」
黒狼が、
「あれは私が引き受けてやる」
「……頼む」
ファン・ミリアがうなずくと、黒狼がふと目を細めた。
「何か?」
「いや――」と、黒狼は自嘲するように、
「神である私ができぬと諦めたことを、人であるお前が諦めぬとは」
「……私は、信じている」
絶望に
その姿こそが、人のあるべき高潔さだと思った。
ファン・ミリアの心を
「――グスタフ、行くぞ」
「はっ」
星槍を繰り、ファン・ミリアは駆け出した。
「ティア、目を覚ますのだ!」
叫び、
「……シロイ……」
ティアは近くの
手で払いながらファン・ミリアが見ると、ティアが消えていた。
「グスタフ、そっちだ!」
ファン・ミリアの声にグスタフが反応した。
即座にふるった剣の先に、ティアが立っている。ティアは後方に倒れ込んで剣をかわすと、床に作り出した黒い沼に沈んでいく。
グスタフの背後の床に沼が生まれた。人影が浮き上がってくる。
すぐに察知し、グスタフの剣がその影を斬った。
「――む」
斬ったグスタフの手に硬い手応えが返ってくる。
「
身にまとう影が剥がれ落ち、中から現れたのは
「どこに――」
ファン・ミリアとグスタフが周囲を見回す。
グスタフの斬った
先に気づいたのはファン・ミリアだった。
「
ティアが手を伸ばし、グスタフの両腕を掴んでくる。
「ぬぅっ!」
グスタフが身をよじるが、ティアは掴んだ腕を離さない。
剥き出しになった牙が、グスタフに迫る。
――噛みつかれる。
そう思った時、ティアの顔が、がくりと落ちた。
「……オレノ……シロイ……」
伏せた顔から、くぐもった声が聞こえてくる。
――これは、どういうことだ?
不可解なティアの動きに、グスタフは訝しむ。そのティアの腹に、ファン・ミリアが星槍を引っかけた。
迎賓館の時と同様、可能な限り力を抑えて振り抜く。飛ばされ、ティアは離れた位置に着地した。
「何が起こった?」
ファン・ミリアから尋ねられ、「いえ」と、グスタフは頭を振った。
「私には……。噛まれると思ったのが、突然、彼女の動きが止まったのです」
「どうやら、狙われているのはお前らしいが」
ファン・ミリアは言ったものの、その理由がわからない。
ふたりはティアをうかがう。
「……セイキシダン……」
ティアは、同じ言葉を繰り返している。
「あの言葉に、意味があるのか」
半信半疑ながら、ファン・ミリアはつぶやく。
ティアが走り出した。やはりグスタフに向かっていく。ファン・ミリアはその間に立ちはだかり、ラズドリアの盾を展開した。
「グゥゥゥ……」
ティアは尻もちをつき、立ち上がると、再びラズドリアの盾に突っ込んできては、弾かれる。同じ動作を何度も繰り返す。
「ティア……」
その、あまりに憐れな姿を目の当たりにし、星槍を持つ手が落ちていく。
「シロイ……シロイ……」
ティアは、妄執に囚われているのだろうか。
「貴方は、いったい何と戦っているんだ……?」
ファン・ミリアはどうすることもできず、ただティアを弾くことしかできない。
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