90 春宵一擲Ⅷ

 魔法陣から、暗黒の光が噴出している。

 飛び掛かってくる骸骨スケルトンを、ジルドレッドの巨剣が叩き潰した。

「数が多いな」

 抑揚のない声音でつぶやく。

 ファン・ミリア、グスタフと三人で背中を守り合い、迫る骸骨スケルトンを叩いていくが、甦ってくる遺体は広間だけではない。

「部屋の外からも集まってきているようです」

 ファン・ミリアは星槍ギュロレットを操り出しながら、

「グスタフ、力の配分を間違えるなよ」

 指示すると、「承知」と、応じる声が上がる。

「すこし空けます」

 言いざま、ファン・ミリアが跳び出した。

光糸メネット・フィーン」 

 ドレスの長手袋をはめた指先から、光の糸が放出される。ファン・ミリアは走りながら骸骨スケルトンの三、四体をまとめて縛り上げると、自身も回転し、鉄球のように骸骨スケルトンを振り回しはじめた。周囲の骸骨スケルトンをも巻き込み、薙ぎ払いながら、宙を舞う死霊使いネクロマンサーに狙いをすませた。

「オォリャァァァ!」

 糸を離し、固めた骸骨スケルトンの群れを投げ放つも、死霊使いネクロマンサーからだをすり抜け、天井に激突した。

 それを確認すると、すぐまた戻ってジルドレッド、グスタフとともに背中を守り合う。

「ダメでした」

「見ればわかる」

「……単純な物理的攻撃は通じないようですね」

 グスタフが言った。ジルドレッドは目の前の骸骨スケルトンを斬り払い、

死霊使いネクロマンサーか……」

 屍衣しいをまとう骸骨を見上げた。

「ああいった力ある魔物をび出すには、本来、術者の生命力を対価にする必要があるはずだが」

 普通の人間がこれを行えば命を落としかねない危険があるが、不死のイグナスであれば可能だろう。

 そして。

 ジルドレッドは注意ぶかく周囲を探るも、イグナスは気配を消し、骸骨スケルトンの群れのなかに姿を隠している。

 ――あの男が持つ大剣……。

 見た時から、気になっていた。

「あれは、『蜃気楼ディリバブ』のようだな」

「私もそう思っていました」

 ファン・ミリアが応じる。

 蜃気楼ディリバブは、神器と言い伝えられている。

 統一ムラビア建国時より王家に伝わる宝剣である。それが現王デナトリウスの御世、国が分裂した混乱のなかで、何者かに盗み出された。

「あの男は、完全に姿を隠す術を持っていました」

「隠れみのか。間違いなさそうだな」

 神が人にあたえる神器の特性として、身を隠す能力はその典型である。が、あくまで不随した能力であり、蜃気楼ディリバブの真髄は別にあると言われていた。

 いわく、手にした者に憑き、呪い殺す、とも。

 その一方で、持つ者に不死の力を与える、とも言われていた。

 そのため長くムラビア王家に受け継がれながら、日の目に出ぬよう宝物庫にて厳重に保管されていたと聞く。

 その妖剣を、イグナスが持っている。

「――詮索は後回しだ。奴が敵であることに間違いない」

 ジルドレッドはグスタフに声をかける。

「聖水は持っているな」

 グスタフはベルトに提げた布袋から、小瓶を取り出した。剣の平に叩きつけて割ると、透明の液体が刃を濡らす。闇の者に限らず、魔物全般を相手にする聖騎士団にとって、邪を払う聖水は携帯が必須な魔法道具マジックアイテムのひとつである。

「よし」と、ジルドレッドはうなずき、

「ファン・ミリアは死霊使いネクロマンサーを仕留めろ。グスタフは援護だ」

「団長は?」

 ファン・ミリアが訊くと、

「知れたこと」

 おおよその検討をつけ、ジルドレッドは重心を落とした。

 力を溜め、巨剣を振り抜いて骸骨スケルトンを打ち弾く。

 衝撃によって粉々になった骨の欠片が、つぶてとなって放射状にばら撒かれた。ジルドレッドは集中してひとつひとつの細かな動きを追う。骸骨スケルトンの群れの奥で、不自然な動きをする欠片があった。

「俺は、あの男イグナスを狩る」

 ジルドレッドが地を蹴った。

 肩を張り出し、猛然と骸骨スケルトンを吹き飛ばしながら、その空間に巨剣を振り落とす。硬質な響きが地下墓所カタコンベにこだました。

「強引だな」

 声が聞こえた。空間が波打つように歪み、鏡のように周囲の景色を映したかと思うと、半人半蛇のイグナスが姿を現した。

「貴様は、賊の類か? 分不相応な剣を持っているな」

「人聞きが悪いな」

 イグナスがわらう。剣身が青く輝き、その力が増した。ジルドレッドの剣を押し返しはじめる。

「いま泣いて謝れば、許してやらんこともないぞ――『不撓ふとう』のジルドレッド」

 その言葉に、ジルドレッドが嘆息するようにちいさく息を吐いた。

「阿呆が」

 つぶやきとともに、ジルドレッドの腕の筋肉が盛り上がり、さらに太くなった。剣が押し戻される。

「こ……!」

 イグナスの剣が、自らの顔にめり込んでいく。

 腕だけでなく、ジルドレッドの全身が一回り大きくなっていた。硬さと柔らかさ、ふたつの相反する特性を兼ね備えた鎧――ライはがねが、ジルドレッドの体格に併せて膨らむ。

 赤毛の髪がざわざわと波立ち、翠眼がかっと見開かれた。

「不死である己を恨め」

 憤怒の形相を浮かべるジルレッドが、斬り結んだ剣を力任せに落としてくる。

「怖すぎるぞ、お前!」

 イグナスが素早く身体を引き、ジルドレッドの心臓めがけて剣を突き放つ。が、獣にも勝る俊敏な動きで剣を避けたジルドレッドが、イグナスに体当たりを食らわせた。

 宙に浮いたイグナスの身体を、巨剣が打ち弾いた。


 ――一方。

 跳躍したファン・ミリアが、死霊使いネクロマンサーめがけて星槍を振りかざす。

 死霊使いネクロマンサーが、杖をファン・ミリアに向けた。黒い宝玉から冷気が吹き下ろしてくる。すべてを凍てつかせる吹雪となり、ファン・ミリアに浴びせかけられる。

 ラズドリアの盾が吹雪を上下に分断するも、勢いが弱まりファン・ミリアは着地した。すぐさま群れ集ってくる骸骨スケルトンを斬り払いながら、

「乗れ!」

 ファン・ミリアが叫ぶと、グスタフが飛んだ。ファン・ミリアの上に落ちてくる。ラズドリアの盾を展開し、グスタフの身体を反発させた。

 瞬発力を得たグスタフが、二段構えに死霊使いネクロマンサーを攻め立てる。しかし、聖水をまとった聖騎士の剣は本体を捉えることができず、斬ったのは屍衣だけだった。

 ――おかしい。

 と、グスタフが感じたのはその時だ。

 気がつくと自分の身体の位置が、わずかにずらされている。

 着地したグスタフの背に、ファン・ミリアの背が当たる。

「何があった?」

 異常を感じ取り、ファン・ミリアが尋ねると、

「わかりません。ですが」

 グスタフは頭上を――死霊使いネクロマンサーよりも高い、天井からのぞく空を見上げる。ファン・ミリアがその視線を追うと、暗い夜の内から、雨とともに何かが落ちてきた。

「そんな……」

 ファン・ミリアは動揺の声を上げた。

 骸骨スケルトンたちが、その者のために場所を譲るように左右に分かれている。

 そこに降り立ったのは――。

「ティア……なのか」

 茫然と、ファン・ミリアがその名を口にした。

 ティアの顔に、浮き出た黒い蛇の顔が、仮面のように重なっている。瞳孔の長い銀の瞳が、こちらを睨んでくる。

「……オ……オォ……」

 赤い唇を歪ませ、怒りのような、悲しみのような声が漏れ聞こえた。

「オレ……ノ……シロイ……」

 ティアの爪が、長く伸びた。

「ティア!」

 ファン・ミリアが叫ぶと、ティアがぴくりと反応した。こちらめがけて飛びかかってくる。

 前に出たファン・ミリアが、ティアの爪を星槍で受け止めた。逆の爪は、グスタフが対応した。

「筆頭、これは」

 さすがのグスタフも、判断を曇らせている。

「くっ!」

 ファン・ミリアは、強引にティアの胸倉をつかんだ。

「私だ! ファン・ミリアだ!」

 怒鳴り、激しく揺さぶった。ティアは明らかに正気を失っている。

「……セイキシダン……」

 ティアではないティアの声が、言った。

「……オレ……ノ……シロイ……」

 ファン・ミリアは、はっと気づいた。

 蛇の顔に隠れた顔の下から、雫が落ちていく。

「泣いて……いるのか」

 蛇の瞳が、ぎょろりとファン・ミリアを見た。ティアの指が消え、今度は身体から黒い槍が突き出てくる。ラズドリアの盾がその槍を弾き、つかんでいた胸倉の服が破れ、ティアがのけぞった。

「ティア!」

 ファン・ミリアがもう一度手を伸ばしかけるも、上の死霊使いネクロマンサーが杖をかざした。氷柱つららが鋭利な刃物となって降り注ぐ。

 飛び退ったファン・ミリアとグスタフの前で、殺戮の氷雨は骸骨スケルトンを巻き込みながら、石床を削り取っていく。

「筆頭、どうすれば?」

 グスタフから指示を求められ、ファン・ミリアは唇を噛む。すると、

「――殺すしかあるまい」

 背後から声が聞こえた。振り返ると、そこに黒狼が立っていた。

「ティアの身に何が起こった?」

「魂を奪われた」

「魂……」

「是非もないことが起こったということじゃ」

 狼は、ひどく疲れたような動きで前半身を沈めた。地を這う姿勢を取る。

「もはや、どうにもならぬ。あの男を滅ぼし得たところで、ティアは死ぬ。ならばせめてこの手で始末をつけてやるしか」

「黒狼よ」

 諦めの口調が、かえってファン・ミリアを鼓舞した。

「お前には見えないのか?」

 言って、ティアを指す。その頬からつたう雫は、雨ではない。

「私には、まだ可能性は残されているように思える」

「お前ごときに、何がわかる?」

 不快そうな狼に、「わかる」とファン・ミリアは言い切った。

「人は、信じることに本懐がある」

 逆境のなかでこそ、人は真価を試される。

「心を失った者は泣きはしない。苦しみは善くあろうとするからだ」

「心ではなく、魂が縛られておる」

「心が、魂を凌駕りょうがしないと誰が決めた」

 聖女たるファン・ミリアの紫の瞳が、熱く燃え上がるようだった。

「……よかろう」

 根負けしたように、琥珀の瞳がやわらいだ。

「お前のその、希望とも呼べぬ希望に賭けてやる」

 黒狼が、死霊使いネクロマンサーを見上げた。

「あれは私が引き受けてやる」

「……頼む」

 ファン・ミリアがうなずくと、黒狼がふと目を細めた。

「何か?」

「いや――」と、黒狼は自嘲するように、

「神である私ができぬと諦めたことを、人であるお前が諦めぬとは」

「……私は、信じている」

 絶望にたおれたひとりの少年が、死の間際に見せたもの。彼が最期に取った行動。

 その姿こそが、人のあるべき高潔さだと思った。

 ファン・ミリアの心をふるえさせ、そして……。

「――グスタフ、行くぞ」

「はっ」

 骸骨スケルトンを斬りながら、グスタフが返事をする。

 星槍を繰り、ファン・ミリアは駆け出した。

「ティア、目を覚ますのだ!」

 叫び、骸骨スケルトンをティアめがけて打ち飛ばす。

「……シロイ……」

 ティアは近くの骸骨スケルトンの頭部を手ずからつかむと、飛来するスケルトンに投げつけた。骨と骨がぶつかりあい、爆発するように四散する。

 手で払いながらファン・ミリアが見ると、ティアが消えていた。

「グスタフ、そっちだ!」

 ファン・ミリアの声にグスタフが反応した。

 即座にふるった剣の先に、ティアが立っている。ティアは後方に倒れ込んで剣をかわすと、床に作り出した黒い沼に沈んでいく。

 グスタフの背後の床に沼が生まれた。人影が浮き上がってくる。

 すぐに察知し、グスタフの剣がその影を斬った。

「――む」

 斬ったグスタフの手に硬い手応えが返ってくる。

おとりか」

 身にまとう影が剥がれ落ち、中から現れたのは骸骨スケルトンだった。

「どこに――」

 ファン・ミリアとグスタフが周囲を見回す。

 グスタフの斬った骸骨スケルトンが崩れ落ちていく。その空洞であるはずの頭蓋の下から、蛇の瞳が光った。

 先に気づいたのはファン・ミリアだった。

骸骨スケルトンの中だ!」

 ティアが手を伸ばし、グスタフの両腕を掴んでくる。

「ぬぅっ!」

 グスタフが身をよじるが、ティアは掴んだ腕を離さない。

 剥き出しになった牙が、グスタフに迫る。

 ――噛みつかれる。

 そう思った時、ティアの顔が、がくりと落ちた。

「……オレノ……シロイ……」

 伏せた顔から、くぐもった声が聞こえてくる。

 ――これは、どういうことだ?

 不可解なティアの動きに、グスタフは訝しむ。そのティアの腹に、ファン・ミリアが星槍を引っかけた。

 迎賓館の時と同様、可能な限り力を抑えて振り抜く。飛ばされ、ティアは離れた位置に着地した。

「何が起こった?」

 ファン・ミリアから尋ねられ、「いえ」と、グスタフは頭を振った。

「私には……。噛まれると思ったのが、突然、彼女の動きが止まったのです」

「どうやら、狙われているのはお前らしいが」

 ファン・ミリアは言ったものの、その理由がわからない。

 ふたりはティアをうかがう。

「……セイキシダン……」

 ティアは、同じ言葉を繰り返している。

「あの言葉に、意味があるのか」

 半信半疑ながら、ファン・ミリアはつぶやく。

 ティアが走り出した。やはりグスタフに向かっていく。ファン・ミリアはその間に立ちはだかり、ラズドリアの盾を展開した。

「グゥゥゥ……」

 ティアは尻もちをつき、立ち上がると、再びラズドリアの盾に突っ込んできては、弾かれる。同じ動作を何度も繰り返す。

「ティア……」

 その、あまりに憐れな姿を目の当たりにし、星槍を持つ手が落ちていく。

「シロイ……シロイ……」

 ティアは、妄執に囚われているのだろうか。

「貴方は、いったい何と戦っているんだ……?」

 ファン・ミリアはどうすることもできず、ただティアを弾くことしかできない。

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