58 遭遇Ⅷ
斬り落とされた腕が、雨音に包まれながら、土の上で転々とする。
「なんで、アンタが」
崩れゆく青年を前に、カホカは状況が理解できずにいた。
「バディス!」
野太い男の声が聞こえた。顔を上げると、道のむこうからディータがこちらに走ってくる。
「こりゃあ、どういうこった!」
「オッサンまで……」
茫然とするカホカ、そしてファン・ミリアをよそに、ディータは急いでバディスを抱き起した。その顔は土色で、すでに血の気を失っている。
「バディス、どうしてお前がここにいる!」
大声で話しかけるディータに、バディスの眼がわずかに開いた。
「わか……らない」
弱々しく、バディスが言葉を紡ぎ出す。
「なんとなく……ここに来なきゃいけない気がして……。そうしたら、カホカさんがいて……熱……い」
激痛でだろう、バディスは顔をしかめた。まだ腫れの引いていない顔が、より痛々しく歪む。
「馬鹿が!」
ディータは自分の服の袖を引きちぎると、バディスの腕の止血にかかる。
「ここでは治療が難しい。私が引き取ろう」
力のない声音で、ファン・ミリアが申し出た。
「ふざけんな!」
険悪な顔つきでカホカが叫ぶ。ずきりと斬られた脇腹に痛みが走った。
自分を守ってバディスが傷ついた。
――冗談じゃない。
その言葉が、何度も頭の中に浮かんでくる。
「冗談じゃない!」
ささくれ立つやるせなさが、激しい怒りとなって爆発した。カホカがファン・ミリアの顔面へと射抜くような蹴りを放つ。
「カホカ、待て!」
しかし、その蹴りもラズドリアの盾によって弾かれ、よろめいたカホカが、二歩、三歩と後ずさった。
「……どいつもこいつも!」
それでも踏みとどまり、カホカは殺気を放つ。
なぜかバディスによって自分は救われ、戻るなと言ったにも関わらず、ディータは戻ってきた。ラズドリアの盾によって攻撃のことごとくが防がれてしまう。
「アタシを舐めやがって!」
すべてが気に入らない。
踏み込み、ラズドリアの盾に拳を打ち込むたび、血が流れ出ていく。
いまや、怒りだけがカホカの意識を支えていた。
「落ち着け!」
なおも迫ってくるカホカに、ファン・ミリアが間合いを取ろうと剣を振った。が、カホカはそれをくぐって懐に入ってくる。
――速い!
ここで引けば押し込まれる。
ファン・ミリアは逆にカホカに身体をぶつけた。ラズドリアの盾の反発力が加わり、カホカの身体が後方へと跳んだ。そこを狙って、剣を峰に、カホカを追い落とした。
しかし、地に落ちたはずのカホカが消える。
すぐに背中に気配を感じ、ファン・ミリアは素早く振り返るも、そこにカホカの姿はない。
――殺気を込めたか。
ファン・ミリアが、大きく足を踏み出した。もう一度、身体を反転させる。
目の前で、カホカが歯を食いしばり、構えを取っていた。
「くたばれ!」
突き出されたカホカの拳には、炎の竜が宿っている。瞬時に展開されたラズドリアの盾と激突した。
だが、それだけでは終わらなかった。カホカがもう一方の拳を放つ。その拳にもまた――
「二匹目の……!」
双竜がカホカの拳とともにラズドリアの盾に打ち当たる。
これまでとは比べものにならないほどの、鼓膜を突き刺すような高い音が鳴り響いた。
「まさか!」
周囲の草木を震わせながら、その音とともに、青光の盾に細かな亀裂が走った。
反射的に、ファン・ミリアが両手の槍と剣を重ねた。青い輝きを宿したふたつの得物が光となって混ざり合い、ひとつの武器へと形を変える。
――星槍ギュロレット。
中央に持ち手があり、片方は巨大なスピア、もう一方には鍔が横に長い、十字架型の剣になっている。
星神より授けられたファン・ミリアの神器である。
その
星槍が迫っているにも関わらず、カホカは両の拳を突き出した姿勢のまま、避けようとも、受けようともしない。
――意識を失っている?
そう思った時、虚空の闇が蠢き、
闇が、ファン・ミリアの聖槍にまといつく。重い水にくぐらせたように勢いが弱まったところで、何者かの腕が槍を受けた。
受けた瞬間、光と闇による
「これが、神託の乙女の力か……」
黒い霧を闇のヴェールにして覆っているため、顔はわからない。
だが、女の声だ。二の腕から先を失っていながら、その声に痛みや焦りは感じられなかった。闇に包まれた顔のなかで、唯一、口元だけが露わになっている。
見る者を不安にさせるほどに赤い唇と、うすく輝くような白い肌。
「お前は……」
ファン・ミリアの全身が緊張でわななく。
この黒い波動には覚えがあった。
「黒い獣の者か?」
ファン・ミリアは目の前の闇に対し、低い声音で誰何した。シフルの屋敷で遭遇した、黒狼と同じ力を感じたからだった。
「できれば――」
しかし、あの時の黒狼とは見た目も、声もちがう。
「貴女とはこうなりたくなかった」
ひどく、人間じみた声音だった。女の言葉には、切実な響きがこもっている。
そしてファン・ミリアは思い出していた。ルクレツィアが見たという、カホカの仲間のことを。
「何者か?」
ファン・ミリアは聖槍を構えたまま、尋ねた。
「白く、光輝ある聖騎士団に憧れていた」
「なに?」
残った腕を、女はゆっくりと持ち上げていく。その緩慢とも思える動作が、殺意も敵意もないのだと、ファン・ミリアに伝えているようだった。
その指先を、ふりほどこうという気にならなかったのはなぜだろう。
ほそい指先が、そっとファン・ミリアの頬に触れた。雨によって、湿り気を帯びている。ファン・ミリアの火照った肌に、ひんやりと冷たかった。
「お前は、聖騎士団に
ストロベリーブロンドの前髪から、溜まった雨粒がすべり落ちていく。睫毛の長い
「今の私には、聖騎士団はあまりにも遠い存在だ」
答え、女はふと思いついた様子で、
「ジルドレッド団長は、息災ですか?」
と訊いてきた。
慇懃無礼といった印象はまったく受けなかった。むしろ、親しみを感じさせる口調だ。
「知っているのか、団長のことを?」
不思議だった。この状況で、まるで世間話をしているような感覚がある。それ以上に不思議なのは、人外であろう者に触れられているのに、まるで嫌悪感が湧いてこないことだった。
「知らない、と言ったほうが角が立たない気がする。実際のところ、話したことはないから」
含んだ物言いで、女はちいさく笑う。
「貴女についても、一度だけ見た程度にすぎない」
「悪いが、見られることの多い立場ではある」
暗に、お前のことは知らない、と伝えたつもりだった。
すると女は先ほど同様、ゆっくりと腕を下ろしていく。
会話が途切れた。雨脚が強くなった。
ファン・ミリアの耳に、「バディス! しっかりしろ!」と大声で叫ぶ声が聞えた。見ると、斬られた青年が痙攣をはじめている。
「すぐに、また」
言い終わるや、女の顔が一瞬にして霧散した。かわりに、大量の蝙蝠が一斉に放たれ、ファン・ミリアの視界を埋め尽くす。
「くっ!」
星槍で蝙蝠を振り払いながら、あわてて跳び退った。再びファン・ミリアが見ると、やや離れた位置に女が立っていた。消え去ったはずの片腕が再生されている。
「お、おい!」
戸惑った声を発したのは、ディータだ。
女は気を失ったカホカを右肩に担ぎ、ディータとバディスをそれぞれ掴んでいる。さらにその赤い唇には、バディスの腕をくわえていた。
その女の背中から、服を裂き、特大の翼が広がった。
「蝙蝠の……翼?」
女の翼が羽ばたいた。三人もの人間を軽々と持ち上げ、悠々と飛び去っていく。
「逃がさん!」
夢から醒めたような心地で気を取り戻すと、ファン・ミリアは即座に星槍を女へと掲げた。
女を狙い澄まし、光の奔流を放つ。が、光は女に届く寸前で急角度に折れ、あらぬ方向へと飛んでいってしまう。
「この現象は――」
シフルで黒狼に放った時とまったく同じだった。
……星神の力が届かない。
有翼の女が、降りしきる雨のむこうへと消えていく。
ファン・ミリアはただ、驚く瞳で夜空を見上げていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます