15 カホカの悩み

 カホカには前々から行ってみたいと思っていた店があった。

『飯か?』

『ちがわい……って言いたいとこだけど』

 そろそろ腹が減ってきたのも事実だ。

 カホカは目抜き通りに出ると、一番うまそうな匂いのする店に入り、香草で焼いたますと、牛串と豚串を三本ずつと、鶏肉の照り焼きを買った。さらに別の店で苺を砂糖でまぶした食後のデザートも買った。

 砂糖は高級品のため、それだけで他の品すべてを合わせたよりも高くついた。

「大漁、大漁」

 ご満悦の表情で両腕に戦利品を抱え、広場に出る。

 円形の中央には噴水と、その一帯が芝生になっており、木組みの長い腰掛けベンチが置いてあった。噴水の規模もやはりリュニオスハートのものより一回りも二回りも大きく、石造りの層のそこかしこから勢いよく水が噴き出している。

 腰掛けは恋人やら日向ぼっこをする老人たちで満員だったため、カホカは水を買って噴水の縁に腰を下ろした。

「ほんと、どこ行っても人がいっぱいだなぁ」

 牛串を頬張りながらきょろきょろと広場を見回す。

 広場の片隅では、ルーシ人たちが大道芸を披露している。見覚えのある子供と目が合い、カホカが手を振ると、むこうからも手を振り返された。日常の光景らしく、客はまばらだった。

「なんかこういうのって、静かだな」

 人はたくさんいる。広場を駆けまわる幼い子供のはしゃぐ声や、水売りの客呼びの声など、むしろうるさいくらいなのに、心は凪のように静かだった。

「……まさか自分が王都に来るなんて思ってもなかったよ」

 なんだかしみじみとしてしまう。

 ティアと、タオと再会してから、それまでの人生とは別の流れに切り替わった、という感覚がある。

『放っておいたらお前は死んでおったかもしれぬからのう』

『そうかもねー』

 イスラの言葉は、けっして間違いではない気がする。

 あの洞窟で、自分は矢で射殺されていたかもしれない。

 いや、むしろそれが自分の人生だった気がする。

 そんな自分がいま、こうして王都にいる。

 きっと自分は一度死んだのだ。

 そしてまた生まれ変わった。

 生まれ変わったのは、やはり――

「血を飲まれたから、なのかなぁ」

 ティアによって形成される群れのなかに、自分は組み込まれた、らしい。

 群れだから、とは思わないが、それでもティアに対して強い仲間意識を感じるのはたしかだ。

 ティアが泣いていれば飛んで行って慰めてやりたいし、傷ついていれば自分が代わってやりたい。代わることができないのなら、せめて一緒に苦しんでやりたい。

 なのだけど。

「いや……これって母親的な感じのやつじゃないのか」

 ううむ、わからん、とカホカが苺を食べながら悩んでいると、こちらにひとりの男が走ってくるのが眼に止まった。必死の形相を作り、全速力でカホカの前を通り過ぎていく。

 そしてカホカは見た。

 走る男のズボンの裾口から、鷲の刺青がのぞくのを。

「なんだなんだ?」

 カホカが遠ざかっていく男の背中を眺めていると、

「待て!」

 今度は軍の制服を着た兵士が走ってくる。

 人数はふたり。同じように全速力だ。

 どうやら白昼の捕物劇らしい。カホカだけでなく、近くの芝生に座っている絵描きの若い男もまた、筆を止めてその成り行きを見守っている。

 カホカは食べ終わった木串を二本、鉤爪のように指の間に挟んだ。

「……鷲は助けてあげないとな」

 昨夜、ルーシ人の長老から聞いた話をカホカは思い出す。

 ――たしか悪いのが蛇で、良いのが鷲だったはずだ。……たぶん。

 カホカは兵士が走り過ぎるのを待ち、二本の串を投擲とうてきした。二本の串がそれぞれ男たちの腿裏ももうらに刺さる。大怪我にならないよう、手加減はしていた。

つうっ!」

 突然の痛みに、ふたりが立ち止まった。

「なんだ、突然」

 兵士たちは刺さった串を見た。それからお互い顔を見合わせ、驚きと痛みに顔をしかめる。

 それぞれが広場を見回した。

「誰だ! 誰がやった?」

 広場の真っただ中で怒鳴り散らしている。

 カホカは素早く絵描きの青年の隣に座り込んだ。

「ちょっ、え?」

 あわてる青年を無視し、カホカは芝生の上で寄り添う恋人を演じながら、

「やだ! あの人たち腿の裏に串刺して超怒ってる。意味わかんない。怖い! でもなんかすごい! とっても前衛的! 今度の展覧会の絵はあれをモチーフにしましょうよ。ね、ダーリン」

 くりくりとした円らな碧い瞳を上目遣いにして、猫のように青年の胸元に顔をすりつける。

「そ、そうだねハニー」

 一方の青年は突然の事態にうろたえながら、それでもどこか嬉しそうである。

 兵下たちもまさか犯人がカホカとは思わず、また追っていた男を完全に見失い、「見つけたらただじゃおかん!」と息巻きながら来た道を戻っていく。

 男たちが見えなくなるのを確認すると、カホカはすくりと立ち上がった。

「んじゃ、ま、そういうことで」

「え、あ、ええ?」

「さいなら」

 唖然とする青年をよそに、さらりと手を振ってその場を後にした。



﨟長ろうたけておるのう』

『……うーん』

 目抜き通りとは別の大通りを歩きながら、カホカは眉根を寄せた。

『どうした?』

『いやさぁ……』

 カホカはぽりぽりと首の裏を掻く。

『なんかアタシ。やっぱり変かなーって』

『何がじゃ』

『なんか、男に興味が持てない』

 もともと、カホカは男女の関係に興味が薄い人間だった。身の回りに同じ年頃の異性がいなかった、ということもある。

 けれど、もう自分は十四歳である。

 リュニオスハートのカホカの店で働く娘たちの話では、カホカの年齢の頃には、とっくに男女の睦事むつごとを経験しているようだった。

 さっきの絵描きの青年に寄りかかっているときも、何の感慨も浮かんではこなかった。もちろん、初対面の人間に心ときめかせるほど乙女な性格ではないのは自覚しているが、それにしてもあまりにピンと来ない。

 はっきり言って、物によりかかっているのとまったく変わらない。

『そんなもの、人それぞれじゃろう』

 イスラはどうでもよさそうである。

「なのかなぁ」

 それでもカホカは気になってしまう。

 ――タオのせいか。いや、ティアのせいなのか。

 師匠の庵でタオと同居していた時は、頼りない兄貴ぐらいにしか思っていなかった。元婚約者だからといって、そういう目で見たこともない。

 親愛の情は持っていたが、恋心を抱いてはいなかった。

 そのタオがティアになってカホカの前に現れた。

 はじめは半信半疑だったものの、彼女は間違いなくタオだった。

 そのティアに血を飲まれ、寝台の上で話をして……。

 その時にしたって、自分はいったい何を期待していたのだろう。


 一緒についてきてくれ。


 そう言われたとき、嬉しかったのは本当だし、タオらしいとも思った。

 そうじゃない、と思ったわけではない。

 かといって、それだ! と思ったわけでもない。

「ティア……かぁ」

 ずっとではないが、一緒にいると、ドキドキすることも多い。

 カホカが誰かについて考えるとき、そのほとんどがティアだ。

 寝る前とか、ふとした瞬間に考えるのは、ティアばかりだ。

 ……これは群れの仲間としてなのか、もしくは母親的なやつなのか。

 それとも別の感情なのか。

「てゆーか、別の感情だったらどうすんだ、アタシ。やばくねーか?」

 そもそもにおいて、ティアは男なのか、女なのか。

 たとえば同性と認識するなら、裸を見られてもなんとも思わないはずだが、それは絶対に嫌だ。

 かといって異性としてなら、さすがに自分のほうからティアの寝台に忍び込むのはまずい、という分別がカホカに働くはずなのだ。

「……働くはずだよな?」 

 というか働いてくれないと困る。

「……わからん」

 謎だった。謎すぎる。

「わからーん!」

 カホカはがしがしと髪を掻きむしった。

「モヤモヤするぅ!」

 うおお、とカホカは頭を抱え、はげしく前後に揺する。

『青いのう』

『うっさい駄犬』

『狼じゃ』

 そんなやり取りをしていると、どこをどう歩いてきたのか、いつの間にかカホカは背の高い住宅に挟まれた、薄暗い路地に入り込んでしまっていた。大通りのざわめきが離れて聞こえてくる。

 そのカホカの前に、三人の男たちが立ち塞がっていた。明らかな敵意をこちらに向けている。

「余計なことをしてくれやがって」

 真ん中に立つ男が、ドスの利いた声音で話しかけてくる。

 カホカは頭を抱えたまま、無言で男を見上げた。

 余計なこと、が何を指しているのか、カホカにはわからない。わからないままにカホカは足だけを動かし、踊るようにステップを踏みはじめた。

「何をしてやが――」

 男が言い終わる前に、カホカは男に背を向けた。瞬間、男が横ざまに吹っ飛び、家の壁に叩きつけられる。

「いま考え事してんだろうが。邪魔すんなハゲ。壁にキスでもしてろ」

 剣呑な目つきで言い、それでもカホカは頭を抱えたまま、「わからん、わからん」と、ふたりの男の間を通り過ぎていく。

 残されたふたりの男はただ、カホカを見送ることしかできなかった。

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