26 寝台の上

 寝台の上から、リュニオスハートの夜景をうかがう。

 営業中の店から、時折、打ち寄せる波のように喧噪が聞こえてくる。

 夜景といっても二階部屋からの景色のため、建物のむこうに教会の鐘楼や庁舎の尖塔が見える程度である。

 膝を立て、頬づえをついた。

 しずかな瞳を窓の外へと投げかける。

 奇妙なほどに心が落ち着いていた。

 ――たぶん、血を飲んだからだ。

 イスラの話によれば、カホカの血を飲んだあと、相当量の力を使ったということだった。それでも尚、空にはなっていない感覚がある。空腹と言えなくもないが、血を飲む前とはその質がちがう。例えるなら、血を飲む前は0の空腹が、いまは血を飲んで一度10になったのが1か2になったような感じだ。――もっとも、ティアは10の時の状態をほとんど覚えてはいなかったが。

 シダからもその時の話を聞くことができたが、ティアは耳を疑った。どう考えても化け物が大暴れした話にしか聞こえなかった。まさか自分にそんな力があるなんて、いまでさえ実感が湧いてこない。

 けれど。

 ティアはひとさし指を伸ばす。その指先が、黒い霧へと変じた。

 誰から教えられずとも、できる。――そうであれ、霧になれ、変われ。言葉はさまざまでも、そうしたい、と思えばできてしまう。

 その霧が、蝙蝠へと姿を変える。

 きぃきぃという鳴き声とともに、蝙蝠がティアに頬ずりをしてくる。

「近くで見ると、けっこう可愛いもんだな……」

 ティアはくすりと笑う。吸血鬼ヴァンパイアゆえの感想かもしれないが、そう思えてしまうものは仕方がない。

 暗い部屋のなかで、いやがる蝙蝠の口に小指を入れてみたり、羽をひっぱったりしていると、ゆっくりとドアが開くのがわかった。

 カホカが、抜き足差し足で入ってくる。夜着姿で普段は結い上げている髪をおろし、ご丁寧に枕まで持って。

 夜目の利くティアにはその一部始終が見えてしまっている。

「なぁ、カホカ」

 声をかけると、カホカの身体が「うぉ!」と飛ぶように跳ねた。

「驚かせんな!」

 カホカは声のした方――ティアの方を向いて、迷惑そうに言ってくる。

「……こっちの台詞なんだけどな」

 とはいえ、呆れこそすれ怒る気にはなれない。

 カホカは枕を寝台に置き、「ん」と膝をすべらせ、そのままティアを押してくる。

 奥にいけ、ということらしい。しかも。

「いいか、こっち向くなよ。――向いたらグーでいくからな」

 かなり理不尽な脅しをかけてくる。

 あきらめ、ティアはカホカとふたり、寝台に横臥することになった。

 ――おかしなことになっている。

 暗闇のなかで、ティアは壁に顔をつきあわせている。

 寝台の上に身体を横たえながら、背中ごしにカホカの息遣いを感じる。

「……えっと」

 ティアが振り返ろうとすると、すぐに「こっち見んな」という殺気のこもった声が飛んでくるため、まったく身動きが取れない状態だった。すこし身をよじっただけで、「動くな」とか「アタシの血を飲む気か」とか、ティアはほとほとうんざりする気分だった。「だったら自分の部屋で寝ろよ」と言ったら言ったで、「タオがアタシの血を飲んだのが悪い」と頭ごなしに責め立ててくる。

 ――まさかカホカと同衾どうきんすることになるとは思わなかった。

 運命とは数奇なものだと、ティアはしみじみ思う。

 この時代、ひとつのベッドで複数の人間が寝ることは珍しいことではない。農家などの貧しい家庭では、ベッドを人数分そろえるのは金がかかる上、布も必要になる。その点、多くの人数で寝れば節約できるし、人と人とが身を寄せ合えば自然と暖かさも増す。要するに効率的なのである。

 しかしながら、家族でもない年頃の男女がふたりきり、同じ寝台で寝ることはさすがにない。

 ――いや、そもそも。

 イスラの言葉を思い出す。ティアとカホカが同じ群れの仲間なら、それはすでに家族と呼べるものなのだろうか。

 しかも、である。ティアは心としては男だが、身体は女なのだ。

 これらふたつを勘案し、別に言い換えた場合、ティアとカホカは姉妹、ということになるのだろうか?

 そう考えるならこれはごく自然な行為になるのだろうか。

 そんなことを言い訳のようにつらつら考えていると、カホカがぐりぐりと自分の頭をティアの背中に押しつけてきた。

「なんだ?」

「なでろ」

「……は?」

「いいから、アタシの頭をなでろ」

「この体勢ではなでれない」

「ぬぅ」と、カホカは悩む様子で「じゃ、こっち向いてもいいから、なでろ」

 なぜ命令口調なのかはわからないが、ティアはティアでカホカの血を飲んだ――飲ませてもらったという負い目がある。いわば命の恩人である。

 仕方なく姿勢を変え、カホカの頭をなでてやると、

 くふ、とカホカが笑った。くふふふふ、と。

「……気持ち悪い笑い方だな」

 ティアが言うと、カホカはそろそろとティアの腹に拳を当ててきた。

「……悪かった。冗談だ。やめてくれ」

 謝ったものの、そのままカホカはティアの横っ腹あたりの服を掴み、いっこうに離そうとしない。にも関わらずティアを警戒して身体を丸めているため、表情がわからない。

「カホカ、傷は……大丈夫か?」

 気になっていたことを訊いてみると、

「……ん?」

 カホカがそのままの姿勢で訊き返してくる。

「オレが……その、噛んだ傷は」

 するとカホカは夜着をずらし、首筋を見せてきた。

「なんか、すぐ治った」

 彼女の言った通り、噛んだ痕はまったく残っていなかった。ずっと見ているとまた変な気を催しそうだったので、ティアは自分からカホカに背中を向けた。抗いきれないほどではないが、誘惑を感じないといえば嘘になる。

 そんなティアの心の動きがわかったのか、

「飲みたいなら、いいよ」

 カホカのくぐもった声が聞こえ、背後で身体を起こす気配がした。

「なんとなくもうアンタから離れられないの、わかるし。でも、血はあげるけど、また変なふうになるのはやめてよね。イスラから飲ませるなら少しずつにしろって言われてるし、そんなにゴクゴク飲まれてもアタシの身体、もたないし」

 そこまで言われてしまっては、ティアも「はい、気をつけます……」と返すしかない。

「タオは、これから王都に行くの?」

 ふいに訊かれ、ティアが「そのつもりだ」と答えると、

「じゃ、アタシも一緒に行く」

「いいのか?」

「何言ってんのよ」と、カホカから背中を小突かれた。

「ミハイルをあきらめろって言ったの、アンタじゃない。おまけにアタシをこんな身体にしておいてさ。『オレについて来い!』ぐらい言えないの? しかもタオ、覚えてないかもしれないけど、アタシのこと『オレの物』とか言ったんだよ。責任とれよ」

「本当にか?」

 思わずティアは振り返った。

「アタシがそんな嘘つくと思う?」

 たしかに、そんな嘘をカホカがつくとは思えない。

 ――責任を取る、か。

 ティアは起き上がった。暗い部屋のなかでカホカと向き合う。

「……カホカ、オレについて来てくれないか?」

 やや緊張した面持ちで言うと、

「アンタ、やっぱりタオだ」

 じっとこちらを見つめていたカホカが苦笑した。

「ついてってあげるからさ。――面白いもの、見せてよ」

「面白いもの?」

「うん」

 うなずき、カホカはひひ、と笑う。

「面白いもの、楽しいもの。ワクワクするようなもの。すっごくキレイな景色とか、おいしい物とか、ビックリするものとか、なぁんでもいいからさ。いっぱい見たいんだ。――アタシに見せてよ」

「わかった」

 微笑み、ティアもうなずいた。


 カホカが眠りにつくのを見届ると、ティアはひとり部屋を後にした。

 リュニオスハートにはまだやり残したことがある。

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