5 偽りの神

 ……女?

 ティアには男たちが何を言っているのか、さっぱりわからない。

 複数の足音がこちらめがけて走ってくる。閉じた瞼のむこうで、盗賊たちが喚声をあげはじめた。

「見ろよ、こいつの服。なんでこんなに血だらけなんだ。生きてんのか?」

「ああ、こんな白い肌を見たことがねぇ。死んでるみたいだ」

「蝋人形じゃねえのか?」

 好き勝手に吐き出される盗賊たち言葉に、ティアは混乱する。

 なんとなく理解できたのは、血だらけ、ということだけだ。それ以外の言葉はまるで自分に当てはまらない。

 白い肌のわけがない。むしろ陽に灼けているはずだ。いや、そもそもなぜ自分を指して『女』というのかがわからなかった。物心つくころに女児に間違われたことはあるが、それ以降は性別を間違われたことなど一度もない。

 ふと男たちの声が止んだ。

 呼吸を浅く保つティアの左胸に、手が置かれた。なぜか押し殺したような笑い声が聞こえてくる。

 何か、違和感を覚えた。

「生きてるぞ!」

 またもや狂ったような喚声があがる。なぜそう騒ぐのか、やはりティアにはわからない。

「あのデカ狼のおかげだな。金は盗まれたが、こんな上等なモノをよこしていきやがった」

 勝鬨かちどきをあげるように盗賊たちは騒ぎ合い、盛り上がっている。

 ――本当に、そうなのか。

 一方のティアは、心臓を刃物で刺し貫かれたような気分だった。

 それほどに……あえてならずものたちを近づけさせるほどに、自分はイスラを失望させ、そして見限られてしまったのか。

 また、ひとりで。

 暗い闇のなかへ放り出されてしまったのだろうか。

 目を閉じるティアの周囲で、男たちの笑いが起こった。

 ひどく下卑た笑い声だ。

 そして、再び手が伸びてきたかと思うと、ティアの身体をまさぐるように触りはじめた。

 ――やめろ。

 まるで蛇が肌の上を這い回るような、殴られた方がまだマシとさえ思えるほどの嫌悪感に、ティアは反射的に目を開いてしまった。

「触るな」

 怒りをにじませた瞳に、男たちの姿が映る。ティアの腰に当てられていた手が、ぴたりと止まった。

「殺されたいのか」

 じろりと見回す。

 男たちは、凶相だった。

 ――こいつら。

 ティアは直感した。

 ……人を殺したことがある。

 だが、ティアにはこの先の打つ手がない。交渉ができる状況とも思えなかった。

 せめてもの救いは、盗賊どもの意表を突くことに成功したくらいか。

 ――このままハッタリで押し通すしかない。

 ティアは覚悟を決め、

「お前たちの頭領は?」

 低い声音で問う。全員で五人。そのうち四人の視線が、ひとりの禿頭とくとうの男へと注がれた。体格や目つき、もっとも粗暴な雰囲気からも、この男が頭領で間違いなさそうだ。

「お前か?」

 ティアが訊くと、頭領は「それがどうした?」とすごむように返してくる。

「神に対するその無礼な態度、許されると思っているのか?」

 時間が経てば経つほどボロが出るのは目に見えている。

「消えろ、八つ裂きにされたいか?」

 ここぞとばかりにティアがたたみかけると、頭領は言葉を失ったように息を呑んだ。

 葛藤しているのか、頭領の眼光がいくぶん弱いものになっている。その隙にティアは何度も指を動かそうと試みたが、やはりダメだった。どうしても動かすことができない。

 全身から冷たい汗が噴き出た。バレてくれるなと心から願う。身体を動かせないことを知られれば、どれほどの残酷な目にあわされるかは想像に難くない。

 さらにティアが睨むと、男たちは皆一様にティアから視線を反らし、頭領の顔色をうかがうような素振りを見せた。小声で、「おい、どうする?」などと耳打ちする者もいる。

 わずかだが自分の方が優勢に立っている。

 そう感じはしたものの、依然としてティアは針のむしろに立たされている。ティアにとってはこの盗賊どもを教会から遠ざけることができなければ意味がないのだ。

『……イスラ』

 助けを求めてはいけないと思いつつ、そうせずにはいられない自分の弱さが憎い。

 それがティアの虚勢を弱めた。

 不安のかげがティアの顔をかすめるのを、狡猾な盗賊たちが見逃すはずもない。

「知るか!」

 頭領の節くれだった手が、ティアの首を掴んだ。

「この世に神なんているわけがねぇ。お前ら、吠えろ!」 

 その声をきっかけに、盗賊どもが意気いきを取り戻した。

「おうよ」「上等だ」などと口々に叫ぶ。

「こちとら、地獄行きは決まってんだ」

 首を絞められたまま、ティアは軽々と持ち上げられた。

「くっ……」

 苦痛に顔を歪ませたティアに、頭領は確信したらしく、

「俺を騙しやがったな!!」

 眼を血走らせ、頭領がティアを放り投げた。受け身も取れず、ティアは床に全身を打ちつけた。祭壇に上る階段に、ずるりと身体が落ちる。

 ――失敗か……。

 こうなってしまえば、ティアには講ずる手立てがない。

 同時に、そういうことか、とようやく腑に落ちた。

 階段で逆さになったことにより、視界に自分の身体が入った。

 タオ=シフルとして殺された時の名残だろう、おびただしい量の血糊ちのりが、着ている服のいたることろにこびりついている。

 そして――

 汚れた服をまとった自分の身体が、女のそれになっていた。身体つきから肌の色まで、どこからどう見ても女としか言いようがない。

「これは……」

 ティアは呆然とつぶやく。

「オレが……女?」

 つぶきながら、しかし、思い当たる節がないわけでもなかった。イスラの含んだ物言いや、自分の声が高くなったことなど、不自然な点はあったのだ。

 考える余裕のないままハッとして瞳を上げると、顔に下劣な好奇を張りつかせた男に、両の足首を掴まれた。

 そのまま宙吊りに持ち上げられ、ティアの両腕がだらりとれ下がった。当然、首にも力が入らず、顔が床と対面する格好になった。白く浮き上がった喉に、近づいてきた男の鼻息がかかる。不快でたまらなかった。

「虚仮にしやがって。ただじゃすまさねぇ」

 冷たい、先の尖った刃物らしきものが、ティアの胸元をちくりと刺した。

「怖いか?」

 訊かれたので、「死ね」と答えてやった。

 床しか映らぬティアの視界に、男の脱いだチュニックが落ちてくる。

 刃物が斬り上げられる。痛みはなかった。かわりに、上着の一部が身から剥がれ落ちてくる感覚があった。

「オレは、男だ」

 言ってやると、数秒後に爆笑が起こった。どれもこれもが堂内にこだますほどの笑い声をあげる。

「そう言えばやめてもらえるってパパに教えられたのか?」

 顔を持ち上げられた。男の顔が眼前に迫る。

「オレたち全員のお楽しみが終わるまでは死ぬんじゃねぇぞ」

 ヒヒ、と獣じみた笑いをこぼす男に、

「馬鹿言うな。こんな上等な女、殺すなんてもったいねぇ。遊び飽きたら売っちまえば大金持ちになれるぞ」

 言いながら別の男が近づいてきて、手垢のついた指で顔を掴まれた。指と指の間から、男が舌なめずりするのが見えた。

 男の親指がティアの口腔こうくうに突き入れられる。

「おーおー、美人が台無しになっちまった」 

 またどっと笑い声が上がる。

 どこまでも人を見下した笑い声だ。

 その声を、ティアは知っている。

 忘れるわけがなかった。忘れることができるはずもない。

 胸の奥、そのさらに奥が激しく痛んだ。

 なぜ痛むのか、それをティアはよく知っている。かつてタオ=シフルだった者の魂が叫んでいる。

 この世は、なぜこうなのか。

 生き返り、再び眼にしたこの世界は、なぜこれほどに醜い?

 手足はおろか、指さえも動かない。

 だが、話すことはできる。つまり。

 口は……動く。

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