3:初対面

「まずは着替えね」

 美衣歌の返事に満足したフィリアルは、次に美衣歌の服装に、眉を顰めた。

 制服は、フィリアルにとってはとても受け入れられない服装に分類されたらしい。

 滑稽なものを見たかのように鼻でわらった。

 オシャレはできないけれど、美衣歌は制服をそれなりに気に入っていた。

 高校受験する志望校を普通は学力で選ぶ。美衣歌は学力よりも制服で選んだ。

 スカートの下の方に濃い青色のライン、ラインの上に同じ色のリボンが付いている。リボンと同じ色のブレザーに落ち着いた赤色のネクタイ。

 美衣歌のお気に入りはスカートのリボンだ。どこを探してもスカートにリボンのついている学校はそうない。

 何が悪いと言いかえせる勇気を持ち合わせていなく、美衣歌は促されるままに地下の部屋を出た。


 石で造られた廊下は日当たりが悪く、じめっとした嫌な空気が肌に纏わりついてくる。

 突き当たると、石造りの螺旋階段があった。上っていくと明るい場所に出る。

 美衣歌の知らない光景がそこに広がっていた。

 大理石の床の上に敷かれたふかふかの絨毯。均一に小ぶりのシャンデリアが廊下の壁から下げられている。


 廊下では騎士とおもわしき男性や、エプロンをつけた女性が優雅な足取りで、廊下を歩いていく。相手がフィリアルだと知ると皆が壁に寄り、道をあけ、お辞儀をする。

 フィリアルが通り過ぎていくと、何事もなかったように再び歩きだした。

 後ろを気にしながら、歩き去っていく。珍しい服装をした美衣歌が気になるらしく、何度も視線を感じた。


 美衣歌を連れだって、フィリアルは薄暗い一室へ入った。

 豪華な廊下に比べ、質素な部屋だった。

 フィリアルによってドアが静かに閉められ、鍵がかかる。

 美衣歌の後ろをぴったりとついていたヒンツがいない。

 唯一の灯りとなる手燭をもち、豊満な胸を揺らして、フィリアルは美衣歌の前に立った。

 美衣歌の顎を綺麗に手入れされた指が無遠慮に掴み、上向かされた。

 手燭が美衣歌の顔を照らす。

 フィリアルの、整った顔が歪んだ。

「――不愉快ですが、時間がありません。やむおえませんわ。卑しい娘が喚ばれてしまったのはわたくしの力不足と言えましょう」

 掴んだ手が顔の輪郭をさらに強く掴み、爪が皮膚に食い込んできた。

「いいですか? 本日からあなたの名は、スティラーア・メディ・エ・リラ・ルスメイア。ルスメイア家当主の娘。……復唱なさい。頭に叩き込まれるまで、部屋から出しませんわよ」

 美衣歌は震え上がった。

 言うようにしなければ、自分はどうにかなってしまうような恐怖をひしひしと感じる。

「わ、たくしは、スティラーア……」

「スティラーア・メディ・エ・リラ・ルスメイア」

「スティラーア・メディ……?」

 永遠と同じ言葉を果てもなく言い続ける。

 言葉のとおり、頭の奥の奥で、迷いなく名乗れるまで、名を脳に記憶させられていく。

 初めから、美衣歌ではなくスティラーアだと錯覚をおこし始めた頃には、つっかえることなく、すんなりと言えるようにまでなった。


「スティラーア・メディ・エ・リラ・ルスメイアと申します。フィリアルさまはわたくしの叔母になります」

「まぁ、いいでしょう。これからは毎日特訓です。失敗は一度たりとも許されませんのよ」

 美衣歌が礼儀正しく、挨拶ができるようになるとドアが遠慮がちに叩かれた。

 フィリアルは鍵を鍵穴に差し込み、ドアを開けた。

 ドアの前でドレスがかけられたドレスラックを引いて二人の女性が立っていた。

「フィリアルさま、お着替えをお持ちしました」

 緊張した面持ちで二人の少女はフィリアルに告げた。

 少女たちが室内へ入ると、フィリアルは再度、鍵をしてしまう。

 部屋から逃げることを許さない。美衣歌にはそう感じた。

 鍵がなければ外に出ることはできない仕様になっているようだった。


「彼女たちは、あなたの専属侍女よ」

 名はイアと、コーラル。

 コーラルは髪を後ろで丸く結い上げ、落ち着いた雰囲気をしていた。

 イアはお城で働くようになって間もないのか、幼い顔に不安げな表情を浮かべている。どちらも美衣歌より年上にみえた。

 フィリアルに頼まれたドレスの中から、煌びやかな緑色のドレスが選ばれる。デザインや、色は美衣歌にわからないので任せる他ない。

「スティラーアさま。お召し物を脱いでいただけませんか? わたくしどもでは分かりかねますので……」

 侍女はこれまで見たことのない衣服に困惑の色を見せた。

 制服を脱ぎたくない、嫌だと断ることはできない。フィリアルの手で乱暴に脱がされかねない。

「わ、わかりました。……あっち向いててもらえませんか?」

 ――恥ずかしいから。

 了承した侍女が後ろを向いたのを確かめて、カーディガンのボタンに手を掛けた。


「なにを馬鹿なことを言っているのですか? スティア、侍女に見られることを恥じていてはいけません。実家では一人で着替えていなかったでしょう?」

 予感していたが、的中してしまった。

 美衣歌の知識から、フィリアルは侍女に着替えをさせてもらっているのが当たり前な生活環境で、美衣歌の恥じらいなんて理解できないのだろう。

「きょ、今日は! できますから!」

 なんとか制服を脱ぎ終わると、すかさずイアが下着からはじめ、手際よく着用させていく。

 コーラルは脱ぎ捨てられた制服を回収していった。

 イアはとても外見からは想像もつかないテキパキさで、仕事の要領をわきまえている。

 イアが後ろからコルセットをこれでもかと締め上げ、緑色のドレスを着せてしまう。

 ドレスを着るだけで、力尽きかけた美衣歌の肩に少し触るぐらいの髪を整えている間、イアがドレスに合う靴を選んで、履かせられる。

「出来ましたわ。フィリアルさま、どうでしょう?」

 装飾品をつけて少し重くなった頭で椅子から立った。ふわりと重みに頭が後ろへ持って行かれそうになって、踏ん張る。

「まぁ、いいでしょう。少々足りないところがあるようですが、よしとしましょう。ついていらっしゃい」

 フィリアルは美衣歌に言うと部屋を出ていく。

 ドレスの両裾を軽く持ち上げるようにして持ち、慣れないヒールに苦戦しながら、フィリアルの後を追いかけた。

 歩くだけで、足の指が悲鳴をあげ始めた。ヒールの靴に慣れていないせいだ。

 ひょこひょこ歩きの限界がきて、もう靴を脱ぎたいと感じたころ、フィリアルが扉の前で止まった。

 美衣歌がフィリアルに追いつくのを待たずに、扉を叩きながら遠慮なくドアを開けた。


「母上、扉は返事があってから開けてくださいと何度も言っていますよ」

 開いているドアの奥から男の人の声が聞こえてきた。

 美衣歌はフィリアルが見ていないとなると壁に手をつき、ゆっくり廊下をつたって進む。

「そんな煩わしいこと、親子なのになぜせねばならないのです?」

「親子でも、常識です」

「ならば、わたくしがなくしてみせましょう」

「むちゃくちゃなことを真顔で言わないでください」

 美衣歌が廊下をゆっくり、カメのペースで進む間、言い合いは漏れ聞こえてくる。

 なんとか部屋の前についた。一息つき、壁から手を放す。が、すぐに足が痛くてぐらりと体が揺れる。慌てて壁に手をついた。

(あ、危なかった。早くこれ脱いでローファー、返してもらわなきゃ)

 ローファーぐらいのかかと以上のものを美衣歌は履いたことがない。踵が高い靴はどうにも合わない。

「本気ですわ。それと、あなた。王が来室中にどこかへ行ってしまうとは何事ですか。そんなことでは上の者たちに示しがつかないではありませんか! もうちょっと、考えた行動というものを……」

「それ、母上にだけは言われたくありません。今日のは父上が大層心配していましたが? ここにこれたということは、うまくすり抜けたようですね?」

 男性の声がフィリアルの声を遮り、別の話題を振る。

 そこでまた言い合いが始まった。

 フィリアルの後に続いて入るべきか、迷う。

 扉のドアは片側開いたままになっている。

 ドアから覗き込み室内を伺うと、部屋の広さと家具の豪華さに驚かされた。

 部屋の奥にあるベッドは天蓋つき。大きな机は装飾品が所狭しと飾られており、ベッドの反対の壁に沿うように置いてある。


 その机の前でフィリアルは、部屋の主と言い合っていた。

 美衣歌が使い慣れた、六畳の小さな部屋と比べて二倍以上はある部屋に、ベッドと机しかない。

 目をぱちくりさせ、目の保養だとばかりにじっと部屋を眺めていたら。

「スティア、そこで何をしているのです? 早くお入りなさいな」

「は、はいっ」

 美衣歌がいないことに気が付いたフィリアルが室内へ招いた。

 部屋の中は天井から壁まで豪華絢爛だ。部屋の中へ一歩はいるだけにとどめる。

「スティア?」

 アルフォンはその名にいぶかしみ、母の後ろから控えめに入ってきた美衣歌へ目を向けた。

 服装、髪型は違えど、召喚で呼ばれた娘。

「アルフォン、こちらはスティラーア。わたくしの姪よ」

 ドアの前から動かない美衣歌をフィリアルが引き寄せ、アルフォンの前に立たせる。

 アルフォンの瞳と美衣歌の視線がぶつかりあう。

 男の人にまじまじと見られた経験がない美衣歌の体が強張る。足の痛みはとうにどこかへとうに行ってしまった。

 藍色の髪の間からきれいな青海色の瞳が美衣歌を凝視する。

(海の色をしていて、きれい)

 瞳のきれいな色に吸い込まれるように、美衣歌も彼を凝視した。

「こちら、息子のアルフォンよ。二人とも、初対面・・・なりますから挨拶を……」

 アルファンは椅子から立ち上がり、美衣歌の前へ。

 張り付いた余所行きの笑顔で、左手を差し出した。

「アルフォンと申します。スティラーアさま」

 アルフォンが、挨拶をする。

「あ……。えと、ス、スティラーアです。お、お目にかかれて光栄、ですわ」

 美衣歌は目を泳がせながら無い知恵を絞りだして挨拶を返した。

 フィリアルが何度となく練習した名前を口にする。

 何度か読んだことのある小説のおかげで、挨拶らしい言葉は出てきたが、間違っているかもしれない。

 差し出された左手に、恐る恐る右手を重ねる。

 彼は少しかがみ、美衣歌の右手の甲へ唇を落とした。

 びっくりして、慌てて右手を引く。心臓が飛び出しそうになった。

 フィリアルは、深いため息を出した。

 フィリアルが求めていた女性は、淑やかな貴族の女性で、アルフォンの横で見劣りしない娘――。

 アルフォンの前で耳まで真っ赤になる、平凡以下の娘ではない。

 魔法陣の何を間違えただろうか。後で、解明しなければならない。次へつなげるために。

「あなた方、よくお聞きなさい」

 アルフォンと美衣歌が二人同時にフィリアルを見た。

「今日から婚約者同士となりますから仲良くしてちょうだいね?」


 美衣歌は耳を疑った。

 いま。いまなんと言った?

 婚約者? だれとだれが?

 

「婚約式は一週間後。早急に執り行います。分かりましたわね?」

 目を見開き、アルフォンとフィリアルを交互に視線を動かす。

 会ったばかりの人と婚約しろというのを簡単に了承できるものなのか。いや、美衣歌にはできない。

 そんな、全然素性の知らない人と婚約なんて、できない。

 婚約というのは、好きな相手と結婚を前提にするものなんじゃないのか。全然理解できない。

 美衣歌はまだ高校生。結婚を考えられるような年齢じゃない。思い描くことはあるが、それは何年も先の未来のことだと思っていた。

 全然、未来の事なんかじゃない。結婚――ではなく婚約。

 よく知りもしない相手と、美衣歌は婚約することになってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る