2:控室

 美衣歌は重たい足取りで、控室と言われる部屋に入った。

 控室は簡素な化粧台、ドレスが十数着かかけられたハンガーラックが六畳程の狭い空間に押し込められている。

 中で美衣歌の準備のために四人の侍女が美衣歌の訪室を待っていた。

「スティラーアさま、お待ちしておりました」

 四人の侍女がぴしりとそろう綺麗なお辞儀をする。あまりの綺麗さに見惚れてから慌てて美衣歌はお辞儀を返した。

「スティラーアさま……」

 イアの驚きと飽きれの混じった呼びかけに、顔を上げた。

 侍女四人が、どうしたらいいのかと困惑している。

(ええと?)

 困られる理由が思いつかず、首をかしげる。

 なにか間違ったことをしたのかもしれない。

「す、すいません!」

 美衣歌と歳の近い、爵位を持つ貴族の未婚女性たちから頭を下げられると、何か違うような気がしてこちらも頭を下げずにいられなくなる。

 美衣歌の本質――異世界からの人間で、身分は何もないと知ったら彼女たちは今のように敬意を示してくれるだろうか。いや、示さないだろう。

 強く当たられ、相手にもされない。

 王子の結婚相手という、良い場所を彼女たちは狙っていそうだ。今も。

 着替えをしながら彼女たちの動いていてもあふれ出てくる行動の品質。

 一日二日の訓練だけで敵うわけがない。

「急いでこちらにお着替えをお願いします」

 差し出されたドレスは淡い水色をしていた。

 スカートはひだが多くて、ふわりと裾野へ広がっている。

 一度は着てみたいと思っていた理想のドレスが目の前にある。

 それが異界の地で叶うことになろうとは思いもしなかった。

 履いたままのスカートに不思議そうな顔をされる。脱げない理由が言えず、その上からコルセットをつけた。後ろできつく締められ、その上からドレスを着る。

 化粧と髪の結い上げを同時に行い、アクセサリーを付けたら支度は終わった。

 ドレスを着て、等身大の鏡で最終確認をする。

 鏡の中には美衣歌の顔をした別人が写っていた。顔には緊張からか眉尻は下がり、唇はひん曲がって不安げな雰囲気が漂っている。

 ドレスを着て、準備を終えた美衣歌の胸の中にぬぐいきれない不安が顔に出てしまっていた。

 いまだ、帰る方法はわからない。

 この状況で婚約をしたとして、婚約をしたことで元の世界に帰れなくなってしまったら。

 戻れなくなったら、この世界で生きていかなければならなくなる。

 原因が婚約だとしたら、式に出てはいけない。

(ヤダ、そんな、戻れなくなるなんて)

 そんなのはイヤ。

 それなら、婚約しなければいい。

 少しでも帰る手段は残しておきたい。帰れなくなる原因はなくしておきたい。

「あ、の」

 美衣歌の声に、瞼をしばたたかせた一人の侍女が下から首をかしげながら見上げてきた。

 ドレスの裾を調節してくれていた侍女だった。

「足にあたりましたか!?」

 美衣歌に合わせたはずのドレスは5センチ長くて、引きずってしまう。本来は靴の高さで調節を行うが、美衣歌は高い靴が履けない。

 履くとぎこちない歩きになって、無様な格好になってしまう。

 本来やらないのを仕方なく、目立たないように調節することになった。

 三人のうち、二人はなれた手つきで調節を終わらせ、不慣れな彼女は残りを丁寧にやっていた。

 そんな時に美衣歌が震える声を上げ、彼女は驚いた。足に当ててしまったのだろうかと。

「す、すいません。決してわざとではないのです」

 床に擦れんばかりに頭を下げる彼女に、勘違いさせたことを謝った。

 準備が整うとフィリアルが現れた。

 フィリアル付きの侍女を連れ、肩のざっくりと開いた赤いドレスを身に着けていた。

「準備が整っているのでしたら、早く会場に来なさい」

 フィリアルに城を抜け出したことを言われると心の中で覚悟を決めていた。

 城を抜けていたことではないことに拍子抜けした。

 知らないはずないのに、何も言われない。

 フィリアルは美衣歌の姿をくまなく見据え、両肩と背中を畳んだ扇の先で強くたたいた。

「いたっ」

 あまりの痛さに声が出る。

 ドレスに包まれていないむき出しの肩甲骨の間を扇の根で押され、肩が後ろへ張ったところで素早く首にまわった手が後ろへ引っ張る。

 背中の痛みがさらに増した。腕に力がはいり首が絞められ、呼吸しにくくなる。

 扇がいったん離されると、今度はさっきの痛みとは違うなめらかな動きが背中にきた。

 何をされているのか怖くなり、背中を反らせると首の腕が余計に強く絞まる。

「いいこと? 逃げようとは思わないことね」

 ねっとりとした声が、美衣歌の耳の横から囁いてくる。

「ひ……ぅ」

 か細い悲鳴が上がる。

 美衣歌が城を出たこと。知っていた。

 同じく戻ってきたことも。

 だからこそ、フィリアルがこの部屋に表れた。

「あなたをこの城から一生出られない。次同じことをしたら」

 体中から冷や汗があふれ出る。

「思い知らせてあげるわ」

 腕が離され、背中を押される。よろめいて床に手をついた。

 苦しさから解放され、空気が一気に肺に流れ込む。

 コルセットできつく締められ圧迫された胸は呼吸がしづらい。

「はっ……けほっ」

 せき込み、胸に片手を置いた。呼吸を整えないと声が出せない。

「ファル・マーリゥズ・バリレィ」

 フィリアルが扇根を美衣歌の背中に向け、クルリクルリと宙をなだらかに動き始めると、カッと背中に熱が帯び始めた。

「――!」

 ひりひりとした陽に焼かれる以上の痛みと熱が全身を貫く。

「い……た…………ぃ」

 熱いよりも、痛い。

 歯を食いしばり、痛みに耐えていると、何かが背中から全身に這っていく感覚がする。

(やだ、なんなの!)

 恐怖で目を閉じていたいのに、閉じられない。目に映った両手を見ると、両手首に赤い痕がぐるりと紐状についていた。

(なに、これ)

「ウェリレイ・ユータギィ」

 フィリアルの言葉が言い終わると、腕の赤い紐と身体の中で何かがはじけ、後ろへのけ反り、倒れる。

「フフ、逃がさないわ。あなたは逃がさない」

 妄執もうしゅうにとらわれた笑みで、扇頂せんちょうを手のひらの中に戻し、扇を開いた。

「イア、彼女の熱が戻ったらすぐに連れてきなさい」

「か、しこまりました」

 動揺を隠しきれないイアが唇を震わせて了解する。

「あなたたち、このことは他言無用、ですわよ? 言ったらどうなるか、わかりますわよね?」

 扇から細められた目が六人の侍女に注がれる。

 皆震え上がり、それぞれが承知しておりますと震える声で言うのが精一杯だった。

 フィリアルが部屋を立ち去り、侍女たちが肩に入った力を抜いた。

「あれがうわさに聞く、扇の形を模した杖の力……」

 コーラルのつぶやきに侍女がそれぞれにうなずく。

 侍女たちのの間で近頃うわさになっていた。最近、フィリアルが新しい扇形の杖を手に入れたと。

 どのような形のものか知らず、見た目は扇と同じ用途を持っていては、杖だと見抜けない。

「スティラーアさま!」

 床に転がった美衣歌の背中には、魔法による熱がくすぶりほんのり赤くなっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る