第五報告【星と雪の街で】

24:錯覚と計算ミス

 十二月七日(月)の放課後、俺はまたしても占星術研究会に呼び出された。

 ただし、今回は希月も近江も同行していない。

 部室に入るなり、例によってカーテンで仕切られたスペースへ通される。

 すると、ロクな前置きもなく、意外な事実を知らされた。


「実は先週から、ほとんど絢奈ちゃんと会っていないんだけど」


 天峰未花は、円形テーブルを挟んだ正面の椅子に座ったまま、腕組みしながら渋い表情を浮かべている。高音域の特徴的な声も、普段の人を食ったような調子は感じられない。

 しばしそれを見据えて、様子を窺う。

 天峰は、不貞腐れた態度を崩さず、ぶすっとして返事を待っているみたいだった。

 どうやら、悪ふざけの類じゃないらしい。


「何か知ってることがあれば、逢葉くんに教えてもらいたいと思って」


「希月がここへ最後に来たのはいつだ」


 答えるより先に、確認しておきたくなって訊いた。


「先週の月曜日、昼休みに経過報告書を提出したときね」


 十一月末日か。

 図書館で篠森を問い詰めて、「近江同盟」と接触する前日だな。


「その後も天峰から連絡は取ろうとしたんだよな?」


「スマホにメッセージは、三、四回送ったね。『次はいつ部室に来る?』って感じの短文。他にも、直接電話を一回掛けてみた」


「それで?」


「メッセージは、最初の一回だけ『たぶん明日行くよ』って返事があった。実際には来てくれなかったんだけどね。残りは既読スルー。……電話の方は、ちゃんと出てくれたけど、『最近どうしたの』って訊いたら、『色々忙しくなったから』って言ってた。それで、あとの話は有耶無耶に誤魔化されちゃって……それっきりだねー」


 天峰は、両手で「お手上げ」といった仕草を交えながら、嘆息してみせた。


「絢奈ちゃんが相談所に通うようになってから、あの子と平日に顔を合わせない日なんて、数えるほどしかなかったんだけど。急に避けられるようになったみたいで、正直びっくりしてる」


「なるほどな」


「……驚かないんだね」


 俺の反応を見て、天峰は探るような目つきになった。


「絢奈ちゃんのこと、やっぱり心当たりがあるの?」


「具体的には何も。――ただ、最近の希月は、少しヘンだった」


 俺は、ちょっとだけ思案して、自分なりの所感を話すことにした。


 そうなのだ。

 実を言うと、この頃の希月は妙なところがあって、何となく

 期間的には約一週間ほど。

 丁度、図書室での一件以来だ。

 毎朝学校のある日は、俺の自宅まで迎えに来て、昼には手作り弁当を差し出してくる……

 その行動自体に変化はない。


 しかし、これまでのように、押せ押せで交際を迫ってくる気配がなくなった。

 一緒に会話をしているときも、上の空といった有様が散見される。

 放課後も纏わり付いて来ない。


 先月告白されてからこっち側、しばしばブッ飛んだ言動を連発してきた希月を思い返してみる。

 あれが平時の様態とすれば、現状には奇妙な変化を認めざるを得ないだろう。


 そんなふうに説明すると、天峰は眉間に一本縦皺を刻んだ。


「じゃあ、絢奈ちゃんが元気なさそうなことには、逢葉くんも気付いてたんだね」


「あれを元気がないとまで言っていいかはわからんが、普段と違うぐらいには思っていた」


 だからこそ、今日の呼び出しにも二つ返事で応じたのだ。

 希月を心配したわけじゃないが、何か面倒事が裏にあるんじゃないかと気掛かりだった。

 それで、差し当たり天峰から何か聞き出せないか……と、そう思ったのである。

 結果的には、相手も同じ思惑で、ただちに事情を知ることはできなかったわけだが。


「何か悩み事でもあるのかしら」


「さて、そいつは本人に訊いてみないことにはわからんだろうな」


「それができるなら、とっくにそうしてるんだけど。何しろ、当の絢奈ちゃんが捕まらないからね」


 天峰は、ちょっと苛々した口調だった。

 まあ、こいつが俺に言いたいことは、概ね察しが付く。


「つまり、俺にあいつから直接話を聞き出してみろってのか」


 何だかんだと、今でも一緒に登校はしているわけだから、たしかにチャンスはあるだろう。


「メッセージや電話でのやり取りからすると、あたしは嫌われてるかもしれないし」


「それはないと思うが……」


 とは言ってみたものの、希月が図書館で篠森に取った態度を思い返すと、断言まではできそうになかった。

 あの子は、自分の婚活が他人に利用されたことを、随分と憤っていたようだ。

 そして、恋愛相談所は「近江同盟」の目論見を、この件では実質的かつ結果的に補助するような役割を負っていた。

 ――たとえ、恋人候補を紹介するため、良かれと思ってした判断だったにしろ、である。


 ちなみに本音を言わせてもらえば、もちろん俺はこの恋愛相談所を嫌っている。

 それでもこうして天峰とやり取りしているのは、医者が運転する自動車に轢かれたせいで、入院せざるを得なくなったような状況に近い。


「最近の希月は、放課後にここへ寄らないんだとしたら、どうしているんだ」


「バイトの入ってる日が多い、とは聞いてるけど。本当かどうかまではわからない。年末も近いから、事実かもしれないし、単に誘いを断るための口実かもしれない」


 希月のバイトは、親戚の経営している花屋を手伝うことが多いそうだ。


「どちらにしても電話口じゃ、『週末や放課後の合コンには、もうしばらく出席できそうにない』って言ってたけどね」


「……あの希月が、そんなことを?」


 さすがにちょっと面食らった。

 それはつまり、「しばらく婚活を止める」と言っているも同義だ。

 にわかには、あの子の言葉だと信じられない。

 だって、俺が知る希月と言えば、「恋愛もこれすべて努力」などと主張するではなかったのか? 


 ――いや、裏を返すと、それゆえにやはり異常事態と考察すべきか。

 まさか、近江の恋愛休止宣言に影響されたわけじゃあるまい。

 これはますます、本人に話を聞いてみる必要がありそうだ。



「そういういきさつで、絢奈ちゃんのことは逢葉くんにお願いしたいわけ」


 天峰は、珍しく弱り切った面持ちで言った。普段の小策士めいた賢しらさも失せている。

 そんな姿を意外に思って眺めていると、向こうもこちらの視線に気付いたらしい。


「何しろ、今のあたしは他にも急な懸案を抱えててね」


「……ほう。おまえはおまえで、厄介事に苦慮してるってわけか」


 考えてみれば、今週は試験期間だ。

 明後日からの期末考査に備えて、部活動を休んでいる生徒が大半のはず。

 にもかかわらず、わざわざ天峰が部室へ来ているというのは、希月の件以外にもよっぽどのことがあるのかもしれない。


「まあ、そんなところ。――先に断っておくけど、どんな問題かまでは話せないから」


 他人の個人情報は好き勝手に収集しまくっておいて、この言い草だ。

 横暴にも程がある。

 でも、だからって報復に詮索するつもりもなかった。

 こいつと同レベルの悪趣味に染まる気にはなれない。


「自分に関係すること以外、別にこっちから聞こうとなんて思ってねーよ」


 俺は、椅子を引いて立ち上がると、そのまま占星術研究会を辞した。



     ○  ○  ○



 翌日は、頭上に曇天の広がる朝だった。


 相変わらず、希月は俺の自宅まで迎えにやって来る。

 うちの母親を手伝ってから、妹の雪子に手を振って、俺と一緒に家を出た。微笑を絶やすことなく、如才ない立ち居振る舞いだ。


 けれど、いまや俺には、それがどうにも義務的な行動にしか見えなくなっていた。

 あたかも、「一度自らはじめたことなので、引っ込みがつかなくなって継続している」とでもいうような。

 その証拠に、通学路を歩きはじめて二人だけになると、希月の口数は半減してしまう。

 こんなのは、俺が知ってる自称「婚活女子高生」じゃない。


「ここ一週間ぐらい、恋愛相談所へ出向いていないらしいな。どうしたんだ」


 歩きながら、早速本題を切り出した。

 回りくどいことはしない。


 希月は、一瞬、はっとして瞳を見開いた。

 だが、すぐに平静さを取り戻すと、ごく何でもない口振りで問い返してくる。


「未花ちゃんから聞いたの?」


「まあな。おまえのことを、天峰なりに気に掛けているみたいだった」


「……どんなふうに?」


「『自分は希月に嫌われてるんじゃないか』ってさ。――何だかんだ言って、天峰は近江に惚れてる女子たちの陰謀を察していたのに、俺をおまえに紹介していたわけだからな」


 下手な脚色は交えず、端的な事実だけを言葉にした。

 少し舌足らずな言い方かとも思ったけれど、希月にはちゃんと伝わったらしい。


「未花ちゃんを嫌ったりなんかは、していないよ。そもそも、希望条件に一致するような男の子を探して欲しい、って相談所に依頼したのは私自身だし……」


「あくまで気に食わないのは、おまえの思惑を利用しようとした近江ファンってことか」


 たしかめるように訊くと、希月はこくりとうなずいた。

 とはいえ、それはそれで疑問が残る。


「じゃあ、なぜ先週から今週にかけて、恋愛相談所へ顔を出さなかったんだ」


「それは……」


 希月は、ちょっとだけ次の言葉を躊躇するみたいに、口を噤みかけた。

 でも、すぐに顔を上げて、こちらを真っ直ぐ眼差してくる。宝石みたいに大きな瞳には、まるで幼い迷子の雰囲気が漂っていた。



「これからしばらく、婚活をお休みしようかと思って」



 やっぱりなのか。

 昨日のうちに想定していた答えではあるから、特段の驚きはなかった。


「婚活を休むようになったら、一緒に登校するのもやめるのか」


「そこまでは、まだ考えていないけど――遠からずそうなるかも。ただ、逢葉くんのご家族に心配を掛けないようにしたいから、ある程度タイミングや段取りには気を遣うつもりだよ。まずは、毎朝迎えに通ってたのを、二日に一回に減らしたりとか……」


 希月は、少し考え込むような仕草を交えながら、自分の意向を話してみせる。

 これまで付き纏われ続けてきた俺とすれば、その言葉の内容は本来誠に喜ばしい。

 だが、希月の心理面を推量すると、そこはかとなく不穏なものを感じた。


「念のために訊くが、どういう風の吹き回しだ」


「そうだね……。ひとつは実際的な理由かな。この頃は合コンに出席しても、私が逢葉くんに交際を要求していることを知っている人が多いんだよ。それで参加者の男の子たちからは、妙に敬遠されてるっていうか」


 要するに、合コン会場で最初から敬遠されてるわけか。自ら墓穴を掘った恰好だ。

 なるべくしてなった状況なんだろうなあ、それ……。

 というか、俺と希月の間柄も、いつの間にやら誤解の噂が随分と広まってしまったようである。勘弁して頂きたい。


「それが最大の原因か?」


「他にもあるよ。むしろ、もうひとつの理由が一番問題かな……」


 重ねて訊くと、希月はかぶりを振ってみせる。

 そうして、また思案するような面持ちになった。いったん言葉を切って、視線を正面の通学路へ戻す。


 宝石みたいに大きな瞳は、住宅街のありふれた景色を、ただぼんやりと眺めているみたいだった。

 ――でもそれでいて、やや定まらない視線は、何か手の届かないものを探しているようでもある。



「私を逢葉くんと引き合わせたものは、知らない誰かの意思の作用だったんだよね」


 一拍置いてから、希月は妙なことを言い出した。


「近江くんに憧れを寄せる人たちの、目に見えない集団心理の余波。曖昧で、掴みどころのない、不確かな何か。そういうものを、あの日放課後の図書室で認識して……これまでの私は、ずっと酷い錯覚を信じ込まされてきたんじゃないかって、そう思ったんだよ」


「……錯覚って、おまえが何を取り違えてたっていうんだ」


「つまり私は、これまで自分で考えた物事を、しっかり自分で選んで行動してきたとばかり思っていたの」


 希月は、僅かにうつむき、くぐもった声音になった。


「ちゃんと目に見える事実。明らかで手応えのある、確実なもの。たとえ打算と言われても、いつも間違いのない結果を求めてきたんだよ。少なくとも私は、そのつもりだった……」


 やがて、バス停付近の車道に差し掛かった。

 横断歩道で、並んで立ち止まる。

 信号が赤くなったからだ。

 何台もの自動車が目の前を行き交う。


 俺は、じっと無言で、希月の言葉に聞き入っていた。



「なのに結局、それはただの思い込みで、本当は目に見えないものに振り回されてしまっていただけだったんだよね。――私も、お姉ちゃんと同じように」

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