2・優等生と癇癪玉

「もう、いいじゃない! ちょっとくらい付き合ってくれても!」


 丘の反対側にある学校への向かう途中、リフは性懲りもなくイラにねだっていた。

 彼女は昔から一度決めたら達成するまで諦めない。しつこく粘り強く、をモットーに我を通そうとする。それは彼女の父、ジョータの教えだった。

 しかし、この教えが今まさに裏目に出ているのではないか。ここまでくると我儘もいいところだ。


 黙ったまま煉瓦坂を下り、早足で彼女から遠ざかる。

 今年で十三になるイラは同年の少年より小柄ながらも、それまで同じ目線だったリフより背が伸び、当然歩幅も大きくなっていた。


「もう、早い……待ってよ、イラ……わっ!」


 必死に彼の後をついて行こうと走っていたリフは、出っ張った煉瓦に足を引っ掛けた。危うく転倒しかけ、両手でバランスを取り免れる。

 しかし、イラはまったく気が付かずに先へ進んでいた。今ではもう坂を下り終え、いくらか足場の良い煉瓦を慣れた足取りで歩いて行く。


 非情な幼馴染の行いにリフは眉をつり上げ、思わず出かけた熱い涙を乾かそうと宙を見上げた。

 空は早朝のような朝焼けはなく、曇り一つない青空へと変わっている。しばらくぶりの晴天。それがなんだか今のリフには癪だった。


「ケチ!」


「リフ、いい加減に……」


 リフの大音量な暴言にようやく足を止めたイラは振り向き様に口を開いた。

 近くにいるだろうと思っていたら、彼女はなかなかに遠くの場所で声を張り上げていたらしい。そのことに気付いたイラは途端にバツの悪そうな顔をした。


 一方、リフは鼻息荒く、止まったイラの近くまで来る。そんな彼女を宥めようと、イラは努めて優しい声音で言った。


「リフ。悪いけど、今回ばかりは無理だよ」


「そう言って大人ぶらないでよ。本当、イラってつまらない男ね」


 機嫌の悪いリフは言葉が辛辣だ。それは小さい時から変わらない。

 その度に機嫌を取ろうと頑張っていたが、十歳を過ぎたからか、イラの心は少しばかり変化していた。今までは狼狽えていたのに、怒りが先に勝ってしまう。今朝もそうだった。


「そんな言い方ないだろ。いい加減にしないと僕だって怒るからな」


「イラが怒ったって、別に怖くなんかないわよ」


 ペロッと舌を出して挑発するリフ。そんな彼女を見て、イラは右の眉をピクリと動かした。感情が胸の中でぐるぐる渦巻き、赤黒く染まっていく。


「あぁそう。じゃあ、もう知らないからな。僕は」


 そう言い放つとイラはリフをその場に残し、さっさと学校へ向かった。


――これは、リフにとってもいい薬だ。


 そう自分に言い聞かせ、背の低い家々を横目に歩く。

 噴水のある大広場まで来ると、ぐるりと取り囲むようにして立ち並ぶ店が現れた。朝の早いパン屋から、小麦の香ばしい香りが漂ってくる。

 開店準備に勤しむ人々がちらほら見え、イラはそんな大人たちに挨拶をした。


「おはようございます」


「おや、珍しいねぇ。今日は一人かい?」


 押し車で花を売るミルおばさんに声を掛けられる。


「あぁ……えぇ、まぁ」


 なんだか居心地が悪い。イラは愛想笑いを浮かべると、すぐにその場を離れた。

 広場を抜けると、また煉瓦の一本道に差し掛かる。段々と並ぶ家が少なくなり、視界が開けると林越しに小さな木造の学舎が見えてきた。

 隣接して建つ時計塔は、まるで鉛筆のお尻が地面に刺さったよう。村で一番の高さを誇る建物だ。塔の窓にはめられている彩り豊かな硝子が朝日を浴び、眩い輝きを放っている。


 まだ、登校してこない生徒が半数のこの時間。道の向こう側から見覚えのある大きな人影がイラの目に映った。牛乳配達を終えたジンが大きく手を振り、こちらへ向かってくる。


「おう、イラ。おはよう。リフはどうした?」


 近くまで来ての第一声がそれだ。イラは大きめのななめ掛けのベルトをギュッと握り、ジンから目を逸らした。


「知らない」


 イラの機嫌が珍しく悪いところを見て、ジンは何か悟ったように顎鬚をさする。


「あーららぁ……まったく、仲良くしろよ」


「リフがもう少し大人しかったらね」


 小さく呟くイラに、ジンは豪快な笑い声を上げた。


「はははっ! それは違いない」


 そう言うと彼は不機嫌に唇を尖らせるイラの頭を鷲掴み、ぐしゃぐしゃと撫で回した。


「まぁ、そういうこともあるさ。少年、頑張れよ」


「僕は今でも結構頑張ってる」


「そうだな」


 額を小突かれ、イラは拗ねた子供のように顔をしかめた。

 励まされていることに嬉しいやら腹立たしいやら、なんとも複雑な思いを抱いてしまう。ジンはそれ以上の事は追求せず、荷車を再び動かしていた。


「あ、そうだ。ジン、また鍵を掛け忘れていたよ。リフが勝手に入ってきちゃったじゃないか」


 今朝の出来事を思い出し、イラは咎めるように言った。


「おっと、悪いな。うっかりしてたぜ」


 まったく悪びれる様子もなく、茶目っ気たっぷりにウインクまでするジン。イラは呆れて、思わず溜め息を漏らした。


「近頃はどうも物騒らしいから、気をつけてよ」


「へいへい」


「あと、朝食と紅茶、テーブルに置いてるから」


「おう。世話かけるな」


 どっちが年上だか分からないようなやり取りは毎度のこと。

 朝が早いジンの世話をするのもかれこれ十年は近いだろう。それももう幾分慣れているはずなのに、ついつい口うるさく小言を言ってしまうのも最近になってからだと気づいたイラは、荷車をゆっくり引いて家路へと向かうジンの背中をしばらく見つめた。


 そして、遠くにあるはずの学校から鶏の鳴き声がして我に返り、早足に学校へと急いだ。



***



 自給自足の生活が昔から根付いているこの村では、幼少から獣や鳥の世話をするのが通例で、他にも村での生活に困らない程度の知識や技術を身に付ける。

 学校でも獣や鳥などを飼育するので、当然、その役割を担う子どもが必要だ。獣飼番と呼ばれる役割を数年前から従事するイラは、教室へ行くよりも先に裏手にある獣飼舎へと直行するのが日課だった。


「おはよう、ロイ」


 子豚に餌を与えている少年にイラは声をかけた。そばかすだらけの顔をチラリとこちらに向けたロイは「うん」と小さく言うだけ。


「シャロンとメイは?」


 同じ番である双子の姿がないのでイラは訊いてみる。ロイは首を傾げた。


「知らない。イラこそ、リフはどうしたの?」


「……知らない」


 思わぬ問いに、イラは苦々しい声を返す。ロイが細い目を僅かに瞠り、驚きを表した。


「てっきり一緒だと思ってた」


「いつも一緒にいるわけじゃないよ」


「……ふうん」


 イラよりも一つ年下のロイはあまり興味がなさそうだった。子豚の丸々とした背を優しく撫でるだけで、こちらの気まずい思いなど一切読み取らない。

 それが少し寂しくもあったが、相談するようなことでもないと判断したイラは肩に掛けていた鞄を藁の上に放ると、シャツの袖をまくった。



 それから二人は対して会話が弾むことなく、黙々と作業に没頭していた。

 数十分が経過しただろうか。いつの間にかロイは子豚から兎へと切り替えたらしく、テキパキと働いている。

 対し、イラは上の空で鶏に餌を与えながらぼんやりと数十分前の出来事を思い返していた。


——さすがに置いて行ったのはやりすぎだったかなぁ……。


 頭を巡るのはリフの怒った顔。昔から負けん気が強く、強情でわがままな彼女であるから、いつも我慢を強いられるのはイラだった。

 そう言えばそうだ。

 五年くらい前だかの目玉焼き祭りで大きな卵を勝ち取った時、泣いて喚いてイラから卵をもぎ取ったのはリフだった。

 川釣り大会で、手頃な釣り竿をイラから奪ったのもリフ。

 学校の徒競走でわざと転ぶように仕組んだのもリフだった。

 どうにもこうにも悪い思い出ばかりが過ぎり、イラは眉間に皺を寄せて唸った。


――いつも損をするのは僕だ。


 それにまた、自分から謝るとリフの思うつぼになることは明白である。

 今回ばかりは折れるわけにはいかない、と決めたイラは「よし」と拳を握った。


「あ、イタッ!」


 唐突に、握った拳を鋭い痛みが走る。

 どうやら鶏のくちばしで突かれたようで、イラは驚いて拳を引っ込めた。手のひらから啄んでいた鶏の猛抗議に、慌てて邪心を掻き消す。しかし、それもやはり長くは続かず、手は休みがちになる始末だった。



 今朝のひと仕事を終え、バタバタと教室へ向かうと既にリフの姿はあった。

 たっぷりの赤毛を長い三つ編みにしたリフの後ろ姿は、他のどの生徒よりも目立っており、すぐに確認できる。

 彼女はイラを見ると、直ぐ様こちらへ向かってきた。

 何かまた嫌味を言うのだろうか。そう身構えていると、彼女は今朝の不機嫌さはどこへやら、彼の目の前に立つと上目遣いで見つめた。


「な、何……?」


「イラ、あのね」


 言うまでもなく気味が悪い。イラは警戒しながら自分の席へゆっくり向かった。


――まさか、謝る気になったのだろうか? それとも、諦めがついたのだろうか。


 しかし、的は大きく外れていた。


「課題、手伝って」


「へ?」


 予想外の言葉にイラは声が裏返った。

 一筋縄ではいかないことは経験上で悟っていたのだが、この発言には素直に驚いた。先ほどまでやきもきしていた自分が馬鹿馬鹿しくさえ思う。


——まぁ、それなら……。


 しばらく考えてイラは頷きかけた。

 リフの表情が一気に明るくなる。そんな彼女を見て、ホッと胸を撫で下ろす自分に気が付き、思わず口元が緩んだ。

 その時。

 リフの笑顔を直視したイラの両目がチカチカと瞬いた。咄嗟に目を手のひらで覆ってしまう。


「どうしたの?」


 リフが怪訝そうな顔で覗き込んだ。しかし、イラは逃げるように彼女の視線からはみ出る。


「ん……なんでもない」


「大丈夫?」


 珍しくリフが心配してくれる。イラはまだ彼女の視線を避けたまま、取り繕うように小さく笑った。


「大丈夫」


「そう?」


「うん……でもリフ、僕にってこと忘れたのかい?」


「え?」


 イラの鋭い言葉にリフの顔が一瞬で引きつった。


「……分かっちゃった?」


 苦笑いする彼女を、イラは真っ直ぐ見つめて頷く。もう直視出来るくらいに両目は正常になっていた。


 育ち盛り故、身体に変化が訪れる時期に差し掛かり、気持ち的にも昔とは違うように思い始めていた。


 そんな時である。


 ここ最近、イラは決まってを感じることがあった。そのどれもが、決まってなのだ。

 直視しなければそんな現象も起きないのだが、今のは至近距離だったせいか、地味に脳の奥が疼いていた。

 あまりにも信じがたいのだが、嘘つきのサインであると仕方なしに決め込んでいる。


 後頭部を親指で押しながら、イラは呆れたように言葉を吐き出した。


「もう諦めなよリフ。僕、忙しいし、それに祭りのリーダーもしなきゃだし、あまり構ってられな……」


 バンッ! という大きな衝撃音が教室中に響き渡った。

 急なことにイラは固まり、恐る恐る目の前のリフを見つめる。彼女は両手を机に叩きつけて項垂れていた。

 殺気立つリフに気を取られていたが、その場に居た数人の生徒も驚いてこちらを見つめているのは容易に分かる。


「何よ……何よ、イラってば、今期に入ってから本当冷たくなったわよね」


 そう言うリフの声は震えていた。顔を覗き込むと、彼女は大きな胡桃型の目にいっぱいの涙を浮かべている。


「リフ……?」


 いつもなら。


 いつもなら、彼女は大声で怒鳴るか、泣き叫ぶかのどちらかなのだ。

 それがどうして今日は静かに、本当に悲しそうな顔をしているのだろう。


 イラはリフの手に触れようと手を伸ばした。しかし、リフがその手を払いのける方が早く、涙でぐしゃぐしゃになった顔を覆うと彼女は、走って教室を出て行ってしまった。


 突然の出来事に、頭が働かない。

 イラは呆然とリフの走り去った方向を見つめていた。


「気にするなよ、イラ」


 一部始終を見ていた周囲の子どもがざわりと集まる。

 近くにいた、気難しい顔つきの少年が慰めてくれるが、言葉を返す気は起きない。

 すると、少年の声に賛同するひそひそ声が広がっていく。


「そうそう。あの子いつも我儘ばかり……」


「イラに甘えてるだけよ。もう十三歳なのにね」


「ねぇ、イラもそう思うよね?」


 何も知らない薄っぺらな言葉を浴び、それでもイラは彼らに何も返すことが出来なかった。

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