第一章・魔女の村

1・魔女の村

 華やかな都市部から離れたその村は、「深緑しんりょく」という名の通り森に囲まれている。

 春には丘や並木の花が咲き乱れ、夏は小川のせせらぎで涼み、秋には作物の豊作を祝い、寒さの厳しい冬に備える。自然豊かなこの村は自給自足の生活でまかなえることが出来、環境には申し分ない。

 それに代々、祭り好きの村民たちであるから、月毎に村のあちこちで催しが行われる。老若男女、誰も彼もが陽気に歌え飲めの大騒ぎ。それが村の名物でもあった。


 平和という言葉が似合う村だが、それでもどうしようのない悪たれはいるわけで、いざこざや事件が起これば自警団が動く。村役場の人間が村の法に則って厳重な罰を下すのが決まりになっているのだ。


 深緑の村は小さくも美しい、穏やかな土地。しかし、壁のように聳え外界を隔てる森に囲まれているが故に、それは独立した国のようでもあった。



 日の出が早い、緑風の候。

 真新しく爽やかな風が村に流れる、ゆっくりとした早朝にバタバタと慌ただしく駆ける足音が辺りにこだました。煉瓦道をブーツの硬い靴底で踏み鳴らす音にほとんどの村民は起こされたことだろう。

 足場の悪い煉瓦の坂をゆっくり下っていた荷車が全力で向かってくる足音に驚き、立ち止まる。


「おいおい。リフ、一体どうしたんだ。そんなに慌てて」


 荷車を引き、牛乳配達をしていた大柄な男が、目の前を通り過ぎる少女に声を掛けた。途端に急停止する少女は、長い三つ編みを振り乱して顔を上げる。


「あら、ジンおじさん、いたの?」


「はははっ、随分な言い方だなぁ」


「ごめんなさい。気がつかなかったわ」


「そのようで……んで、どうした? こんな朝早く。お前さん、いつもは寝坊助じゃないか?」


 ジンは荷車から牛乳の入った瓶を出しながら言う。リフは丸めた羊皮紙を、さながら剣の如く振り回して抗議した。


「寝坊助はあたしじゃないわ!」


「ははぁ〜ん。いつもイラがぼやいてたが……そうか、寝坊助はアイツなんだな?」


 ニヤリと笑い、顎鬚を触るジンをリフは頬を膨らませて睨む。


「まったく、失礼しちゃうわね!」


「はいはい。んで? 今からヤツを叩き起こすのか?」


 怒るリフを適当にあしらいながら、ジンは牛乳瓶を抱えて近くの家に配っていく。パタパタと足踏みしながらリフは大声で答えた。


「そう、大変なの! とにかく大変なのよ! ホント、朝から参るわぁ!」


 内容がまったく見えない。しかし、リフが興奮している時はどのみち話が通じないのでジンは気にせず、またも適当な対応をした。


「ふうん、そうかい。それで、こんなにバタバタと……ご苦労なことで」


「えぇ。急いで行かなきゃ! じゃあね、ジンおじさん!」


 そうまくし立ててリフは走り去っていく。その後ろ姿を眺めながら、ジンは溜め息をついた。


「まったく……大変だなぁ、アイツも」



***



 教会を抜け、ガタガタと不安定な煉瓦坂をまっすぐ登ると、小さな丘がある。丘には酪農家ジンの家があり、イラはそこに住んでいた。


 木製の小さな平屋で、ジンが牛乳配達の前に暖炉を焚いていたのだろう煙突からもくもくと灰が立ち上っている。例年通り温かな春ではあるが、丘は平地よりも少し肌寒い。

 パキッと、燃やされた薪が割れる音で、イラは目を覚ました。

 鹿の毛皮であしらわれたソファでもぞもぞ動き、毛布からチラリと顔を出す。


 時計を見上げると、現在六時十八分。うっすら開いた目でそれを確認すると、イラはまた毛布の中へ戻った。


「まだ寝ていられるな……」


 二度寝に興じようとしていたその時。


「イラ! 大変よ! 早く! 早く開けて!」


 玄関を激しくノックする騒音と重なって、リフの甲高い声が薄い木の壁越しに聞こえてきた。イラは驚いたが目を瞑ったまま、動こうとはしない。

 しばらくして激しいノックから、ドスン、と重たい音に切り替わった。どうやらリフは、戸を叩くことに疲れたらしく今度は扉を蹴り始めたようだ。とんでもなく迷惑でお転婆な娘である。


「イラ! いるんでしょう? 開けなさいっ!」


 それでもイラは動かない。まだ脳が上手く働かず、眠りの中をふらふらしていた。

 このままやり過ごそう、なんて夢うつつに考えたのも束の間。リフは金具のノブを回して勝手に入ってきた。彼女のブーツで床板がカツカツと音を鳴らす。


――ジンってば、また鍵をかけないで出て行って……。


 毛布の中で丸まってイラはぼやく。そうこうする内に、リフが荒々しく毛布を剥ぎ取った。そして丸められた羊皮紙で殴られる。これが分厚く、意外に痛いのだ。


「起きなさい!」


 バコンッ!

 頭に命中し、紙筒の衝撃音が部屋中に響く。二度目の驚きで、ようやくイラは身体を動かした。


「イタッ! 痛いっ! リフ、やめろ!」


「うるさい! さっさと起きなさいよ、この寝坊助!」


 寝起きで怒鳴られるのは耳が辛いし、脳に響く。さすがに目が冴えたイラは渋々起き上がった。


「リフ……もうちょっと、大人しく出来ないのかい君は。新聞で殴るなんていくらなんでも非道いじゃないか」


「それだけ文句が言えるなら何も問題ないわね」


 リフは皮肉たっぷりに返してくる。


「誰のせいで……」


 言いかけて彼は口をつぐんだ。これ以上文句を言うとリフが怒る。

 彼女が怒ると面倒であることは十云年の間で嫌というほど学んでいるので、イラは自分から口出ししないことにしていた。それに朝から大声を上げるつもりも気分を下げるつもりも更々ない。咳払いして話を逸らす。


「……それより、一体どうしたの」


 イラの問いに、リフは丸めていた紙を広げて彼の目の前に突き出した。


「近い。リフ、近くて見えない」


 リフの手からそれをひったくる。羊皮紙には微量に刷ったと思しきインクの粒が連なっていた。

 新聞屋が丁寧に一枚一枚、紙に印字する村唯一の新聞だ。


 とりあえず一面からざっと斜め読みする。

 ふもと周辺にある森林伐採の告知、店の宣伝、催しの連絡、情報量の少ない隣町の近況報告、汽車の運行状況などなど……この村周辺の記事しか載っていない。変事や面白みのある記事は一向に見当たらなかった。


「……リフの親父さん、相変わらず穏やかな記事しか載せてないじゃないか」


「コラッ!」


 正直に感想を述べたのに怒られる。再び頭を叩かれた。


「イタッ! もう、何?」


「何、じゃない。ちゃんと読みなさいよ!」


 イラは頭を擦りながらもう一度、新聞に向き合った。細かく曲がりくねった字に目を凝らす。


「んん……?」


「ここよ! この記事!」


 しびれを切らしたリフが記事の一箇所を指す。それは、とても小さくて軽く眺めたら見逃すところにあった。


『森の北方面で変死体。《魔女》の仕業?』


「変死体?」


 イラは小さな文字を、指でなぞりながらその記事を凝視した。



『森の北方面で変死体。《魔女》の仕業?

 先日、森の北区で首無しの死体が見つかった。身元確認の末、村民ではなく旅行者ということだけは判明している。役場は森に厳戒態勢を敷くことで地域の安全対策を施している模様。近隣住民の方は、なるべく森には近づかず、不審者を見たらすぐに役場か自警団へ知らせてほしい。

 ところで、この森には昔から《魔女》が住んでいると云われているが、今回の事件と関係があるのか村長と自警団団長は森に住む《魔女》との接触を図った。しかし、現段階では確証がなく捜査は難航している』



「……結局、何も分からないんじゃないか」


 読み終えたイラは、新聞をソファに放った。そんな彼の反応にリフも先程の威勢はどこへやら、頼りなさそうに眉を下げて溜め息をつく。


「でもまぁ、物騒な話でしょう? 最近は魔女の話すら話題に上がらない程、犯罪者もいなかったから」


「確かに、そうだね」


 イラは苦笑交じりで、放った新聞紙を見つめた。


「で、すごいでしょう? この記事、父さんが書いたのよ」


「うーん……まぁ、ね」


 暗いニュースとは対象的にリフは隠し切れていない嬉々とした顔でイラを見た。得意気に鼻を鳴らす始末だ。この神経の図太さと能天気さはある意味見習うべきかもしれない。

 ソファからようやく腰を上げ、欠伸を噛み殺しながらイラは寝ぐせの酷い頭を掻いた。


「それで? 君は、親父さんの偉業をわざわざ朝早くから僕に自慢しにきたのかい?」


「それだけじゃないわよ。ここからが本題なんだけれどね……うふふ」


 そう言ってリフは不気味な笑い声を上げる。途端にイラの顔が引きつった。嫌な予感しかしない。

 彼女はゆっくりとイラに近寄ると、彼の両手を取って満面の笑みを見せた。



「嫌だ」


 イラは速攻で返した。リフのキラキラした目が一気に冷めていく。


「……行こうよ」


「嫌だ」


「いいじゃない! ついて来てよ!」


「嫌だってば! この十数年、君について行って良い事があった試しがない!」


 イラはそう一喝すると、頬を膨らまして睨むリフの横を通り過ぎた。しかし、彼女は雛鳥のように後をついてくる。


「……ねぇ、イラ。貴方は本当に頭がいいのよ。それに男の子がいれば安心だし、腕っ節も頼りになるし、貴方が必要なのよ」


「リフ、僕の前で嘘は通じないぞ」


 イラは棚に置いた木材のたらいまで行くと、入れてあった水で顔を洗う。冷たく言い放つと、リフも負けじと子供のように駄々をね始めた。


「行こうったら行こう~! なんで嫌なの?」


「危険な場所だから! 新聞それにも書いてあるじゃないか。絶対行かない!」


 すると、リフは眉をつり上げた。


「分かったわ。貴方が行くと言うまで絶対に帰らない!」


「もう、リフ。言うことを聞いてくれよ」


 呆れと困惑を顕に、イラは大きな溜息を吐いた。濡れた顔を袖で拭い、くるりとリフに向き直るや否や、ビシっと人差し指を突きつける。


「君はいつも僕の言うことを聞きゃしない。この間も広場で騒ぎを起こしたばかりじゃないか。あの場にいたのが優しいミルおばさんだったから許されたかもしれないけれど、普通なら自警団から大目玉を喰らうものだった。花火弾を噴水に投げたらそりゃあ大惨事に決まってる」


 その鋭い言葉は頑固な我儘娘でも堪えるものらしい。リフは声を詰まらせた。

 その隙を突くようにイラは更に目くじらを立てる。


「それでどうだ。案の定、君の親父さんに僕まで怒られた。確かに、あの時止められなかった僕にも責任はあるよ。でもね、巻き込まれるこっちの身にもなってくれ。森に入って、また親父さんにばれたら今度こそ勘当されるぞ」


「そんなのばれてから考えればいいじゃない! ほんと、イラってば男のくせに意気地なしね!」


 くどくどと言われ続けたリフは憤慨した。地団駄を踏んで突きつけられた指を手で叩く。その態度にイラは脳のどこかでカチンという音を聞いた。


「リフ、ちょっと」


 イラはリフを押しのけるように背中を押した。そして、自分はキッチンの横にある小さな脱衣所の扉を開けた。


「逃がすもんですか」


 閉めようとした扉をリフが掴む。


「おい、リフ! 危ないだろ!」


「嫌よ! 行くって言うまでは絶対に……」


 リフは全身を使って、閉まる扉を潜った。それを追い出そうとイラも彼女の肩を掴んで押しやる。しかし、リフは頑固に扉で踏ん張った。


「出てってよ」


「いーやーっ! 絶対に出て行かない〜っ!」


 しばらく二人は「行こう」「嫌だ」を繰り返し、揉めた。両者、一向に譲らない。リフも強情だが、イラも怒れば頑固だった。


 しかし、躍起になって扉を掴むリフの指を一本一本剥がす作業に疲れたイラは、とうとう溜息を吐いて、呆れた目で彼女を見やった。こうなったら、力よりも言葉で説き伏せたほうが早い。


「何よ。やっと行く気になった?」


「いや、まったく。いつまでもこんな不毛なことしてられないからね。リフ、着替えるから出て行って」


 その言葉でリフは大人しくなった。あれだけ踏ん張っていた全身が軽くなり、片手で押しやれる。

 扉が閉まる音がパタン、と呆気ない。


 体よく追い払われたことに気がついたリフは、顔を真赤にさせて扉を思い切り蹴飛ばした。


「バカ!」



***




 森の奥深く。


 霧が立ち込める中、彷徨うと見えてくるのは蔦に覆われた屋敷。

 屋敷と言っても、塔を重ねたような造りであって、とかく棲み辛そうではあるのだが、そこには住んでいる。


 さて――魔女が最近、首切りウサギを野に放したという噂が風に乗って村を徘徊し始めていた。

 木々がざわつき、野鳥はけたたましく鳴き、小動物たちは恐怖に怯え、震えている。

 魔女は亜麻色の長髪をなびかせ、森を見渡した。在るのは暗闇だけ。ウサギの姿などもう何処にもない。噛み締めた唇から、どろりとした鉄の味が口内にしみ込んだ。


――もう遅い。全て遅いのだ。


 羽織っていた外套マントを翻し、は森を一瞥して塔の奥へと身を沈めた。



「森に近づくことなかれ。さすれば、迷子の諸君らは首切りの餌食にされ、二度とこの地に帰って来れぬぞ……」



 低く唸る、魔女の声が開け放たれた大窓を通り、風に吹かれる。

 それはどこか、哀を漂わせていた。

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