うさぎの骸

小谷杏子

プロローグ

ある旅人の話

 夜更け。


 仕事終わりの男たちが集まる村唯一の酒場は今日も賑やかだった。

 あちこちで仕事や家庭の愚痴が飛び交っている。その蔓延る喧騒の中で、一人静かにジョッキを傾ける若者がいた。

 上等な外套マントで身を包み、あたかも装備を整えた姿は、忍んでいても明らかに周囲から浮いてしまうもの。

 それに気づかない若者は、眉間に皺を寄せて唸っていた。


「お前さん、旅人かい?」


 唐突に、隣で酒瓶を抱える老人が声を掛けた。意識を向けていなかったからか、若者は大仰に肩を震わせ驚いた。そして、じろりと相手を訝しげに見る。


「そんなに警戒せんでも良かろう」


 老人は酒に酔っているのか、彼の様子を豪快に笑い飛ばした。

 一方で若者は、小汚い老人のなりを見て緊張の糸を徐々に緩めていく。無精髭を生やした口を開いた。


「……いや、何。趣味の一つでね。七日前にここへ辿り着いたのさ」


「ほう。物好きな奴だな、ここへ来るなんて。なーんも無いだろう」


 そう言うと老人はまたもや豪快に笑い声を上げた。


「それで? 次はどこへ行くのかね。その身支度を見れば分かるよ」


 確かに彼は荷造りをしており、今にでも出発しそうな出で立ちだ。

 若者はカウンターに地図を広げ、北部に位置する大きな森を指した。


「次はこの森の奥へ向かおうと思っているのだが」


 そう得意げに言った。老人が目を丸くする。


「お前さん、正気かい?」


「あぁ」


「やめときな。そこは入らん方がいい」


「何故?」


 若者は眉をひそめた。老人が彼の肩に手を回し囁く。


「あすこにはな、おっかない『魔女』が住んでいるんだ」


「魔女?」


 問うと、老人は神妙に頷いた。


「それと魔女の手下が森に放たれている。森に入れば御陀仏さぁ。『首切りウサギ』にられっちまう……知ってるか? いや知らんだろうな。大きな鎌を持った凶暴で残忍な白兎さぁ。それに、魔女は『真実の瞳』を持っていると言うし……」


「真実の瞳?」


 若者はつい声を上げて聞いた。すかさず、老人が口元に人差し指を当てる。


「大声を出すな! 馬鹿め。ここらでその話は禁句なんだ。お前さんだから話すんだぞ。この世間知らずの若者め」


「世間知らずとは心外だな。俺だってもう一年以上危険と隣り合わせの旅をしているんだ」


「あぁ、そうかい」


 若者の反論に老人は無愛想に返した。


「しかし……その話は本当なのか? 『瞳』を持つ連中は既に絶滅したと聞いているが」


「それはそうさ。なんせ、この世で魔女一人だからな。それに村の者は外に出たことはない。外の人間がその話を知っているわけがないのさ」


――そうだろうとも。


 若者は薄ら笑った。

 それを愛想笑いに捉えた老人は、気を良くして話続ける。時折、酒の混じった吐息が鼻を突くので顔をしかめたが、老人はまったく気にしていなかった。


「今でも、この村では罪人を裁くために魔女の瞳が使われておる。嘘をつこうものならそいつは終わりだ。絶対に逃げられん。だからあすこには行くなよ。首繋がったまま旅がしたいならな」


 若者は、豪快に笑う老人に合わせて笑いながら、カウンターの地図を仕舞った。

 魔女についての話は全く信じていなかった。ここの連中は村の外には出たことがない。だからいつまでもこんな馬鹿げた迷信を語るような発展に乏しい村のままなのだ、と。



***



 翌朝早く、若者は森の入口に立っていた。

 昨夜、気のいい老人がいかにも恐ろしげに語っていたあの森である。噂通り、人っ子一人通っていなかった。それが彼にとっては好都合だった。

 『首切りウサギ』なんかに興味は無かったが、一つだけ確かめたいことがあったのだ。


――真実の瞳……世間では「嘘見」と名目されているが、この村ではそう呼ばれている。本当に文献通りの能力ならば……


「一度はお目に掛かりたいものだな」


 若者は呟くと外套の襟を立て直し、意気揚々と森の中に足を踏み入れようとした。その時。


「――


 突然、背後から低く、唸るような声がした。直ぐさま振り返る。


「なんだ、あんたか……」


 若者は胸を撫で下ろした。昨夜、自分に話しかけてきたあの気さくな爺ではないか。肩の力を抜くと、若者は老人に言った。


「何の用だ。言っておくが、あんたの話なら信じていない。止めようたってそうはいかないぜ」


 しかし、老人は昨夜の陽気な雰囲気はどこへやら、不気味な程に無表情で若者を見つめている。


「何だよ……」

「――、嘘はつかん方が身の為だよ」


 ようやく口を開いた老人がしわがれた声で静かに言う。


「嘘?」


 若者はせせら笑った。


「何を言っているんだ、あんた。俺は嘘なんてついてないぞ」


 そう言いながら若者は懐に手を入れた。外套の裏にピストルを仕込んである。それを確認し、いつでも抜けるようにした。好都合にも老人はその様子に気づいてはいない。


「どうしても行くのかい?」


「あ、あぁ。行くさ。次の街へ行かなくてはいけないのでね。それじゃあ爺さん、さらばだ」


 若者は老人に背を向けた。引き止められるかと思っていたが、案外あっさりとしていた。


「なんだったんだよ……」


 森の中は薄暗く、気温も低かった。時折、けたたましい鳥の鳴き声がしたが、それしきの事で彼は怯まない。


 足早に森の中を進んでいくと、目線の先に何かキラリと光る物が見えてくる。同時にガサガサと何かが過ぎる音が――


「何だ?」


 立ち止まり、懐の銃を握る。


「……誰かいるのか?」


 若者は問いかけた。だが、何も返って来ない。

 しばらく周囲を睨み、動くものがないか探した。鳥の甲高い鳴き声、ざわめく木々の音が鼓膜を震わす。上空から舞い降りる風が頬を荒っぽく撫でる。外套の裾が流れるようになびいた。それ以外に動きはない。


 若者はそろそろと懐から手を抜くと、厳重に注意しながら、また歩を進めた。

 枯れ葉を踏み軋む音に合わせ、心臓が脈打っていく。

 ざわりざわりと身体の奥底が震えている感覚だった。恐怖ではない。それだけは頭の中で理解していた。


 次第に霧が濃くなり、視界を阻んでいく。藪を掻き分け、目を凝らし、若者は進む。湿気が強くなってきたのか、地面の泥濘ぬかるみが酷くなってきた。

 枯れ葉すら、地面にへばりついて土へと還ろうとしている。そんな足場の悪い中、やがて彼は前方に奇妙なものを見つけた。


「え?」


 思わず立ち止まり、声が漏れる。アーチ状の黒い何かが見えた。


「クソッ……霧が邪魔で……」


 若者はゆっくりと、泥濘んだ地面に沈んでいた靴底を引っ張りあげた。前へ前へと進み行き、両眼をしばたたかせる。


 その時、一際大きな風が吹いた。

 重たい霧が散り散りになっていく。若者は思わず右腕で顔を覆った。木の葉の竜巻が若者を覆う。


 唸りをあげた風が、徐々に引いていくと彼はようやく顔を上げた。今や霧はすっかり無くなり、視界の奥に広がったのは細長い鉄で象った扇状の門だった。ぬらりと怪しげに光が反射している。


「まさか!」


 彼は走った。蔦で覆われた鉄門まで無我夢中に走る。


「ついに……ついに見つけたぞ!」


 辿り着き、息を切らしてそれを見上げる。


「ようやく見つけた……やっぱりこの城はあったんだ! この、伝説の城は!」


 彼は喜びの声を上げた。とうとう、探し求めていたものが見つかった!


「兄さんは馬鹿にして取り合ってくれなかったが……やはり俺の言った通りだったんだ」


 くくっ、と短い笑い声を上げる。しかし、それだけでは収まりきれなかった。嬉しさのあまり、彼は両手を仰ぎ、こみ上げる喜びを盛大に響かせた。


 だから気付けなかった。



 彼の背後に近づく不気味な影に……

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