10・カルマの冒険譚

これを幻想と呼ぶか、現実と呼ぶか、その境界は風の向き次第で変わるだろう。

少年少女よ、見定めよ。

己が目で見定めよ。

この世界は広くも狭い。まことうろがつり合ってつくられている。

見えた地点が始まりで、定めた境界が終わりとなる。それを決めるのはやはり己であるのだ――


■■■



 カルマの冒険譚を開けば、まず目に飛び込んできたのはこの冒頭だ。


「これは君の役に立つはずだ」


 薄荷ジュースを飲み、その口当たりの良さに唸りながらシモンは言った。


「どんな教書、現代書物よりも優れた書物だ。架空書物の類だと言われているがね、私は古代書物――学問書と捉えている」


「ほほう、お前さんはそう捉えるか。それにある通り、見定めるのは読み解いた人間。どう思い、捉えるかはそいつ次第さ」


 老店主はニヤリと不気味な笑みを見せる。イラは二人を交互に見、またカルマの冒険譚に目を落とした。


 次のページは世界を紐解く扉のよう。恐る恐る手を伸ばす。

 爽やかな薄荷で通りが良くなった喉に、ぬるい唾を流し込んだ。ごくりと飲み、開く――……一陣の風がイラの体を通り抜けた。



■■■


――この世は、かつて魔法と共にあった。

魔法を扱う者、すなわち地の民。そして、魔法と翼を持つ翼の民。

魔法とは、人智を超えた力のことであり、または磨かれし古代学問である。地の民は磨くことで魔法を手にし、力とした。翼の民は磨かずとも生まれたその時から魔法を手にしていた。翼の民は地の民よりも優れた者である。

地の民は翼の民に憧れた。そうして己を磨き、才能を開花させ、魔法を後世へと残し続けた。

これを《魔導学》と呼ぶ。

神秘を重んじ、天と地全ての力を以って統制を図る。己を磨くことで、誰しも学を得ることが出来るのだ。


(〜中略〜)


やがて、彼らは魔導学に差をつけた。

まず最初に鍛える学問。良いものと悪いものを選りすぐる視神経、音の質で状態を知る聴神経、創造、構造の設計を促す触神経といった神経学問。

次に鍛えるは星や天候を司る天を知る為の星候学、地形と地界を知る為の地道学、地上界に蔓延る力を知る為の動力学といった力学問。

次に鍛えるは天空の動きを見て悟る占星術、人体の感覚を駆使し思考を読み取る読心術、術法や呪術を用いて物を生みだす錬金術、人の生き死にを操作する蘇生術といった魔術学問。

地の民は皆、これらを手にし磨き上げていった。


しかし、この行いに異を唱える者が現れる。勤勉に魔法を磨くことを怠ける者が現れる。

彼らは魔法を捨てたのだ。学問を捨てた。己を磨くことを《やめた》。

我らの祖はこれにあり。魔法を忘れた《末裔》なのだ。

末裔たちの一部は、魔法なくとも文明を発展させることに専念した。そして、人智を超えた力があるなら創ることも可能だと考えた。

人智を超えた力――それは、翼の民と同等の「完全なる者」を生み出すことである。

錬金術と似通っている。魔法を捨てた者の中には、かつて優秀だった魔法使いもいたのだ。

錬金と蘇生は、ことを間違えば禁術となり得るという。彼らは禁術を使い、「完全なる者」をつくりだした。

この人智を超えた力を生み出すことを「優彩ゆうさいの力」と呼び、力を磨く勤勉な魔法を「無色なしいろの力」と呼び蔑んだ。


また、この頃には翼の民が地に落ちたとされる人物も各地に存在していたと言われた。

一人はノワと呼ばれる少女。彼女が翼の民と同等と考えられる。彼女については、後々語るとしよう。


さて、「完全なる者」とは、翼の民の持つ異能を持った者のことである。また、それらは磨けば手に出来る魔法の類でもある。

《真実を見る目》、《善悪を探る耳》、《すべてを癒やす手》。これらを持った人種が生み出された――


■■■


 

 イラは呼吸を忘れていた。顔を上げると、水から這い上がったように息を吸い込む。そして目を見開き、シンクを見やる。彼はニヤニヤと笑い、イラの反応を面白そうに見ていた。


「なかなか興味を持ってくれて嬉しいねぇ」


「おや、御大にも照れというものがあったのだね。ぶっきらぼうな仏頂面が満面の笑みとなる日が来ようとは。これまた珍しいものが見られたね」


 シモンの軽口に、老店主は鼻を鳴らすだけだった。

 イラは渇いてしまった喉に薄荷ジュースを流し込んだ。そして、双方に問いかける。


「あの、これ、この《末裔》っていうのが、叡智学会? そして《完全なる者》は……」


「イビトだ。まったく、その通りだよ。叡智学会というのはすなわち、魔法を捨てたものの中でも優れた者たちのこと……おっと、優れたは口が滑った。御大が不機嫌になってしまう」


 シモンはちらりと老店主を見やった。確かに眉間が険しくなっているシンクの様子が窺え、イラは思わず肩を竦める。


「……しかし、私は叡智学会の彼らも優れていると考えているのだよ。魔法を学ぶことを捨てたとしてもだ。確かに、彼らのやり方は決して良いものではないが」


「それが分かっているならいいさ。書き手が読み手にああだこうだと言う筋合いはねぇ」


 そう言うものの、シンクは不機嫌顕わである。若紳士は苦笑し、再びイラと向き合った。


「しかし、この冒険譚は王都の禁書に指定されているものだから、見つかると大変なことになってしまうんだよ」


「禁書……つまり、もう出回ってないということ?」


「そういうこった。ったく、叡智学会のやつらは頭が固くて仕方ねぇ。折角書いたものを全部回収しやがるんだ」


 嘆くようなシンクの声。シモンも遺憾な様子で頷く。


「私もこの書物を守るためにあれこれと策を練ったのさ。今はどこをほっつき歩いてるか知らないが、私の弟もこの書物を狙っててね……うまく隠し通したものだよ」


 イラは書物を閉じた。持っていると大変なのだろう。カウンターの上に置いた。


「おや、もういいのかい」


「……なんだか怖くなっちゃって」


「しかし、知識とはなにものにも代えがたい財産だ。常に蓄えていかなくてはならないのだよ。私らの祖先が勤勉を捨てたことは愚かしい。だが、その愚かしさによって生み出されたものも確かにある」


「そう。だから、これは戒めとしても後世に残しておかなくちゃいけねぇんだ。おい、紳士。こいつにこの書物を渡してやれ」


 唐突にシンクが提案を投げてくる。それまで老人の言葉には全て頷いていたシモンだったが、途端に慌てふためいた。


「ちょ、それは……いや、それは、あの……いやぁ……」


「なんだい、おすましな面がぶっ壊れてるぞ」


「誰のせいだろうね! いや、あの、カルマ……いや、シンクさん。これだけは私の宝というか、なんというか……弟にさえ渡さなかった大事な……」


 あの落ち着き払った若紳士は今やしどろもどろに顔を引きつらせている。カウンターに置いた書物に指を伸ばす。それをシンクが引き寄せた。


「お前さんはもう空で言えるほど覚えてんだろ。いい加減、譲りやがれ。これは書き手からの命令だ」


 横暴な老店主――書き物家の言葉に、シモンは蒼白だった。手放したくないほどに大事なのだろう。それが分かれば、イラは尻込みしてしまう。


「あの、大丈夫です……僕、この書物を守れるかも不安だし……」


「いいや、きちんと読んだほうがいい。俺も全部は忘れっちまったし、話すのも面倒くせぇ。読んだほうが早いんだ。それに、色んなやつの手に渡ったほうがいいに決まってる。そうだろう?」


 シンクは容赦なく赤い革の書物をイラへと手渡した。シモンをちらりと見る。彼はもう諦めたように溜息を吐いていた。


「御大の言う事ならもう逆らえないよ……イラくんには恩もある。それにこれ以上の失態は見せられないからね」


 やせ我慢をしているように見える。そんな彼はイラの耳元へこっそり囁いた。


「御大は少々、自意識過剰でね……自作の書物が一番だと思っているのが玉にきずなんだ……」


 それはなんとなく分かる。イラは吹き出すのを堪え、再び渡ってきた書物を見やった。赤い革の表紙を手のひらで撫でる。


「上手く使うといい。そうすれば、この世の在り方が分かるはずだ。ここには全てが記されているからね。そして、見定めるといい」


 シモンは穏やかな声音でそう言った。イラは深く頷いた。


「……あぁ、でも、やはりその書物を譲るのは惜しいから、読んだらそのうち返してくれるかい?」


 優しげではあるが、シモンの表情は僅かに固い。イラはまたも深く頷いた。


「必ず」


「それなら良かった。まぁ、再会を約束することも叶ったことだから、これは等価交換と捉えるほかない……あぁ、問題はないな」


 シモンは自身を納得させるかのようにブツブツと言う。イラは嬉しいやら申し訳ないやらで複雑な気持ちを抱いたが、譲られた書物だけは大事にしようと決めた。


「お前さんも諦めが悪いなぁ……」


 カウンターから、老店主の呆れ声が溜息と共に吐き出される。

 それを聞いたシモンはようやくふっきれたらしく、残っていた薄荷ジュースを一気に飲み干した。


「ごちそうさま。それではそろそろ私は暇しよう。明日は黒薔薇ノワの園へ行く予定なんだ。あそこがそろそろ叡智学会の手に堕ちると聞きつけたものでね。最後にひと目見たかったんだ」


 言いながらシモンは、コートのポケットから銀貨を二枚取り出す。カウンターに置くと、大きなガマ口カバンを持った。


「あぁ、あそこがもう無くなるのか……とうとう魔法一門が折れたんだな」


 しみじみと呟く老店主。イラは呟くように訊いた。


「魔法一門?」


「王都に仕える魔法使いの集団さ。彼らは古代遺跡を守るために叡智学会と争いを続けている……それがとうとう負けてしまったらしい。黒薔薇の園については、その冒険譚の三十四頁目にある『長い夜』という話を読むといい」


 シモンが手短に説明をする。

 詳しくはやはり冒険譚に記されているのだ。これは読み込んだほうが良さそうだ。それまで学校の学問書しか読んだことがなかったので、分厚い読み物に怖気づいていた。だが、知りたいことは山とある。イラは冒険譚を大事に握りしめた。


「では、私は失礼するよ。イラくん、会えて嬉しかった。次に会ったその時は……返してくれたまえ」


 それじゃあ、とシモンは片手を上げて狭い店から一歩ずつ離れて行く。扉が閉まるまで、彼はこちらに笑みを向けて手を振っていた。


「……イラ」


 シモンが完全に姿を消した後、老店主が低い声で名を呼ぶ。


「はい?」


「薄々感じていたんだが……お前は、イビトなんだろう?」


 問いにはすぐに答えることも出来ず、イラは目を瞠った。シンクは眉間に皺を寄せていたが、そこに厳しいものはない。


「大丈夫。実は、イビトはまだあちこちに生き残ってるからな。そう珍しかねぇよ。まぁ、昔に比べちゃ数は減ったが……それを読めば、全部が分かる。黒薔薇の園は特に動きやすい場所でもあるし、隠れるところもある。それを上にいるあの馬鹿たちに伝えてこい」


 シンクの声はそれまでとは大違いに静かで穏やかさを浮かべていた。それがイラの警戒をすんなりと解いてしまう。イラはゆっくりと頷いた。


「いい子だ……はぁ、ったく、とんだ災難背負っちまったなぁ、お前も。だが、なってしまったもんはどうしようもねぇ。受け入れるしかねぇ。それでも腐って染まっちゃいけねぇ。いいな?」


「はい」


 シンクという老店主――その正体は各地を旅し、世界を見定めた者、冒険者カルマ。


「分からんことがあればまた頼ればいい。レガ曰く、ここは『安全地帯』だからな」


 そう言ってカウンターから身を乗り出すと、皺だらけの大きな手のひらを伸ばしてイラの頭をくしゃくしゃ撫でた。

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