8・不穏な風

 広大な光の都市に、陽の光が差すのは数時間だけ。太古の昔、自然を司る魔法使いが翼の民と争い、世界を半分に分けてしまったという。

 翼の民は陽の光を、魔法使いは地上を選んだ。その為に、この広大な地域には陽が差さない。厚い雲に隠されてしまったのだ。しかし、翼の民が空をあける時にのみ、太陽が地上の様子を窺うかの如く顔を覗かせる。


 今がその時間なのだろう。雲が開き、鈍色の光が建物に反射する。煌めく光と人工光の集合体が重なり合えば、人々は慣れない眩しさに目を背けてしまった。

 そんな上層と下層の中心にあるけやきの壁で、灰色のボロ布がぽつんと佇んでいる。レガは陽光を受けながら、壁に隔たれた各々の街を眺めていた。


 下層街ルンゴには、汚れの目立つ建物、出鱈目な作りの道、手入れの行き届かない荒れ地――陰気と腐臭と醜悪が漂っている。

 では、上層街コルトはどうか。同じ都市とは思えぬほど道も整備され、建物も皆同じ高さ。何もかもが均等である。こちらは白々しいくらいの清潔さだ。争いの起きぬ、法に縛られた安全地帯。


 ――果たして、どちらが生きやすいか。


 イラにとっては後者なのだろう。あの子供には穏やかで平和な場所が向いている。

 だが、レガの場合は前者だ。無法の地は選りすぐりの強者のみが生きるに相応しい。この地へ辿り着いてすぐに感じ取ったものだった。

 そんな遥かなる記憶に馳せようと、紫煙をくゆらせる。しかし、それは突風によって掻き消されてしまった。


「ん?」


 空を裂く硬い風。どうやら下層街の方から上ってきたらしい。レガは足の真下へ目を向けた。

 すぐに捉えたのは白。この薄汚く湿った灰色の街に似つかわしくない美しさだった。

 手を振ってみると、その白は壁を伝うように飛んだ。白いフリルが俊敏な動きで迫ってくる。


「よう」


 上がってきたうさぎに、レガは馴れ馴れしく声をかけた。

 そんな彼を冷ややかに見つめるうさぎは、背に括り付けていた大鎌に手を伸ばす。すらりと獲物を構えようとするので、彼は慌ててそれを止めるべく両手を振った。


「待て待て待て。お前はなんでそうすぐにやる気なんだよ。こないだ散々食わせてやったろうが」


「それは……」


 確かに先日、彼の働きで飯にありつけたわけだが……うさぎの疑心はそれでも晴れないらしい。渋面のまま、鎌を背中へと戻した。


「なぁ、イラの調子はどうだ?」


 壁に座り込んだレガが問う。うさぎは座らず、そのまま背筋を伸ばして彼を見下ろした。


「……イラは、よく話す。でも、元気じゃない」


 辿々しく、固く、うさぎは答えた。彼女の目から、イラはそう見えている。


 あれから数日、イラはシンクに頼み込み、店の手伝いをするようになった。寝床の確保くらいはしておきたかったからだが、あまり長居する気はないという。


「私は、イラを助ける。でも、イラはまだ助かっていない。それは、私が、きっと、何かが足りない……何せ、お前を倒せない、から」


「いやぁ、倒さなくていいんじゃないかぁ? 大体、シンクのジジイにはなんの反応もしなかったじぇねぇか。誰かれ構わず大鎌そいつをぶん回してるのかと思いきや」


 レガは苦笑交じりに言った。対し、うさぎはじっとりと睨みつける。


「お前は怪しい」


「敵意はないぜ」


「それでも、怪しい。嫌い」


 はっきりと言い、彼女はレガから離れた。もう話したくないとばかりに。

 くるりと翻るフリルと白髪の軌道を、レガは双眸で追いかける。


「ふーん? それは一体なんでかなぁ?」


 ねっとりとした不快な、如何にもわざとらしさを含んだ彼の声に、うさぎはピタリと足を止めた。白髪を振り、目を細めてじっと見据える。理由は明白だ。


「お前がカバンを盗ったから」


 返せば、レガは嘆くように頭を横に振る。そして、彼はぷかりと灰色の煙を浮かばせた。


「それだけじゃねぇだろ」


「……?」


 自然と眉は中央に寄った。そんなうさぎを、レガは小馬鹿に笑った。


「……どういう意味かまるでわかんねぇって顔だな」


 うさぎの表情に色はない。しかし、黙り込んでしまったことは肯とも捉えられる。

 レガは「ふふん」と機嫌良く鼻で笑うと、煙管パイプの中にあった灰を壁のへりに叩きつけて落とした。


「お前がどうして、俺のことだけが気に食わないのか、俺はその理由を


 言葉自体は不明瞭だが、声音は自信たっぷりなもの。うさぎは瞬き一つせず、レガを見つめた。黙ったままで疑問を投げる。


「いや何。ちょっと、ここらに不穏な風が流れてきていてな……お前たちが運んできたように思うんだが?」


 レガは笑っていた。しかし、その瞼の中にある灰色は鋭く冷たいものだった。光る刃物のような危なげな色に、うさぎは一歩後ずさる。咄嗟に背の鎌を握ろうと手を回したが、何故か急に動けなくなった。


 目の前に、レガの両眼が広がる。煙と獣と刃物のニオイが一気に鼻をつき、それは噎せるような悪臭。

 うさぎは目を瞠った。両手首を掴まれている。いつの間に、間を詰められたのか。瞬きの隙を突かれたのか。それでも、残像すら見えやしなかった。

 レガの無精髭が動く。


「俺は、お前らに危害は加えない。だが、この縄張りを荒らされちゃあ困る。幾年も費やして築き上げた俺の庭だ。だから、その手の内をいい加減に明かせ」


 彼の声音には、確かに敵意はない。軽薄な口調も変わらず。しかし、身にまとう空気は冷たい。

 それに触れても尚、うさぎは答えなかった。答えられるはずがない。イラの秘密は守らねばならない。彼に言われたことではないが、意を汲むくらいの意識は持ち合わせているのである。

 タガが外れてしまう以外は、主の言葉には忠実であるべきだと、かつての主にすり込まれた概念だ。


「――はぁ……ったく、相当に従順な飼いうさぎだぜ」


 レガは彼女の腕を離した。そして、トントンと後方へと飛んで距離を空ける。


「だったら、あののんびり坊やに聞くしかねぇな……めんどくせぇ」


「……イラに何かしたら、次こそ、殺す」


 うさぎは素早く獲物を構え、レガに向けた。威嚇の睨みに、レガはおどけるように肩を竦める。


「だーいじょうぶだって。あいつにはなんにもしねーよ。大体、あの気難しいジジイが雇うくらいなんだから、手なんか出せるもんか」


 そう言うとレガは眼下を覗くように身を乗り出す。そして、うさぎに向かって手を振った。


「じゃ、聞いてくるよ」


 言うなり、彼は空へ足を踏み出し、そのまま真っ逆さまに落ちた。灰色を追いかけようと、うさぎは直ぐさま壁を下る。


 レガの企みは何なのか。それに、あの言葉の意味は。

 うさぎは考えることが苦手だ。だが、今のイラに負担をかけるわけにはいかない。あの男の狙いを突き止めなくては。


 疾風が二つ。灰と白の風は、一歩の差で灰が勝つ。二つの風は混ざること無くただただ目的の地へと飛び、屋根を越え、人を踏み、光を弾く。

 レガは楽しげに先を行き、うさぎは殺気を張って追いかける。


「心配症な仔ウサギだなぁ!」


 煩わしいと言わんばかりに、彼は声を上げると光の粒が埋め込まれた人工大樹の枝へと潜り込んだ。その中は、光の粒が詰まった葉が茂っており、磨かれた枝は滑りやすくなっている。それを難なく足場にしていくレガは、ふと背後を見やった。

 果敢にも人工大樹に挑もうと足を踏み入れるうさぎに、ニヤリと挑発の笑みを向ける。それを見たうさぎは憤怒の形相で枝へと飛び移った。

 ズルリ。

 うさぎの白髪が揺らぐ。その繊維の先が上へと浮かんで傾く。バサバサと枝や葉にぶつかる音。きめ細かな肌を容赦なく打つ音。それに伴って枝葉が折れていく音。全てが重なって、下へと向かっていく。


「あーらら……わりぃな、お嬢ちゃん。お前は話し合いに向かねぇ」


 レガは苦笑を投げて、その場からすぐに離れた。


 ***


 喫飲店カルマへは、常人ならば鬱屈とした市場を通り抜けなければ行けない下層街ルンゴの高台にある。それを軽々と、壁や建物を伝って飛び上がるレガはものの数分で辿り着けてしまう。


 後を追いかけてくる者はない。黒い道を悠々と行き、彼は煙管パイプをふかしながら店の戸を開けた。


「よう! 来たぜ」


「ったく、また来やがったのか。呼んでねぇよ」


「ジジイにゃ用はねぇよ」


 今日は珍しく店のカウンターにいるシンクが一つ文句を投げたが、レガは適当にあしらってそのまま真っすぐ中へと入った。


「イラは?」


 この狭苦しく暗い店を見回すまでもなく、イラの姿はない。老爺は黙ったまま上を指差した。


「ふーん」


 奥へと向かい、示された通りに上へと続く階段を駆け上がる。ぐるりと螺旋状の階段を一気に上がれば、ドアと絵画、そして何かを隠したような布が現れる。その布の奥に、たくさんの古書があるのはこの店を利用した最初に知ったものだ。しかし、今回は古書にも用はない。


 レガは古めかしい木材の扉を躊躇いなく開けた。


「よう、来たぜ」


 開け放てば、すぐ真ん前にイラがいた。ブラシで床を磨いている。袖をまくれば、細い腕が露わになっていた。

 そんな一生懸命な彼を見て、レガは囃し立てるように「ヒュー」と口笛を吹く。


「ジジイにこき使われてんなぁ」


「……僕から言ったからね。お金ないから、せめて手伝いだけでもって」


「もうそのまま住み着けばいいじゃねぇか。うさぎに聞いたぜ。もうすぐ出ていくってさ」


「まぁね……あまり長居は出来ないよ」


 イラはそっけなく答えた。レガの登場に手を止めていたが、すぐに再開させる。あまりつれない態度に、レガは「うーん」と心もとなく唸る。


「いや、しかし」


 彼はドアの背にもたれ掛かって言う。


「お前らは変な生き方をしているな。あのジジイも言っていたが、深緑の村で何があったんだか……あの村って確か、他との接触を避けてるだろ。村の外にも出たことがない連中ばかりだ。それなのに、どうしてそこから逃げてきたんだ?」


 イラはブラシの手を止めた。レガの足が邪魔で掃除の手が止まってしまう。


「……言いたくないよ」


 頑なに口を閉ざしておく。知られることが怖い。だが、そんな心情をレガは一切汲み取ることはない。


「よーし、分かった。だったら俺が当ててやる」


「え? 何を……」


「お前、んだろう?」


 その言葉には、辺りを凍りつかせるに充分な威力があった。イラは自分の周囲だけの温度が急激に冷えたように思った。全身が凍りつく。動けない。喉の奥や声帯までが固まっている。


 イラの蒼白な顔に、レガは拍子抜けし、更には引きつった笑みを向けた。


「あぁー……嘘がつけないってのは苦労するなぁ」


「………」


 何故、魔女の存在を知るのか。いや、知ってて当然なのか。シンクもあの村については何か知るようだった。自分よりも。

 一体、今まで過ごしてきたあの平和な村はなんだったのだろう。イラの中で巡る疑念は様々な色と混ざり合い、やがてどす黒い赤へと変化した。その色が身体の内に溜めていく。吐き出すことも出来ず、ただただ堪えるしかない。


 レガはイラの表情に、再び「うーん」と悩ましく唸った。


「何故、魔女に狙われているかは知らねーよ。だが、お前らがここへ来てから、どうにも不穏な風が下層街ルンゴに流れてきている。俺の鼻はそういうのに敏感なんだ」


 うさぎにも言ったものと同じ。それをイラにも伝えると、彼はようやく意識の彼方から戻ってきた。ブラシを強く握りしめ、レガを見る。


「どうして、魔女を知ってるの?」


 愚問かもしれない。しかし、問わずにはいられない。

 レガは無精髭を撫でながら答えを考えていた。


「うーん……まぁ、俺も魔女とは色々あってなぁ……だから、叡智えいち学会に追われてるってのもあるんだが」


 サラリと白状する彼には、やはり嘘がない。イラは信じたくない気持ちと信じざるを得ないことのせめぎ合いで、頭が上手く回らなかった。何を言えばいいのかも分からない。


 すると、階下でドアが大きく開く音が響いてきた。すぐさまシンクの「丁寧に開けやがれ!」という怒鳴り声が上がる。しかし、乱暴な音の主はシンクを無視したのかカツカツと階段を駆け上がってきた。

 白髪に光の葉と枝を絡ませて、頬に擦り傷を作った少女がレガの後ろから現れる。あまりの熱を帯びた殺気に、レガ思わず飛び退いて部屋に入った。


「……殺す」


「待て待て待て! 悪かった! さっきは悪かったって! あぶねーからやめろ!」


 うさぎは大鎌を振りかぶろうとした。レガは早口に必死な謝罪を繰り返す。しかし、それだけでうさぎの気が収まるわけがない。

 それにここで暴れられたら困るのは、レガだけではない。イラは慌てて二人の間に割って入った。


「うさぎ!」


 抑制の声に、彼女は血走った目をイラに向けた。


「……お、落ち着こう、うさぎ……落ち着いて、今は」


「今はってなんだ」


 すかさずレガが邪険に訊くが、イラは構わずに彼女の髪の毛から枝を引き抜きにかかる。


「――ったく……そのウサギ、どうにか大人しく飼い慣らせよ。怖いぜ、ほんと」


「レガの態度が悪いからだろ」


 イラはレガの言い方が気に食わなかった。飼い慣らす、なんて言葉を使ってほしくはない。だが、それを言ったところでレガは鼻で笑い飛ばすのだろう。


 イラは大きく溜息を吐き出すと、ようやく落ち着いたうさぎをベッドに座らせ、改めてレガと向き合った。


「……色々と聞きたいことがあるんだ。僕もちゃんと話すから、教えてくれる? 深緑の村と魔女のこと」


 真っ直ぐに、灰色の目を見つめる。すると、レガは「ふふん」と機嫌よく笑ってイラの頭に手を置いた。

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