7・ささくれ者と荒くれ者

 しばらくはジタバタと男を蹴飛ばしていたのだが、空腹と疲労には勝てなかった。

 緑の空地を抜け、ぽつぽつと点在する小屋を横切っていく。やがて、複雑に枝分かれした細道に出た。


「ここらは無駄な道が多い。だが、基本は真っ直ぐ行きゃいい。元々、適当に作ってあるんだから考えなくていいんだ」


 細道を早足で行きながら男は言う。


「あー、でもたまにがあるから気をつけろ。連中、動きは鈍いが道を塞ぎやがる。迷惑なもんだ」


「生きてる壁?」


 まったく理解が追いつかない。思わず訊けば男は「ああ」と軽快に返してくれる。


「よくあることだ。ここは魔法使いがいた場所なんだから」


 あっけらかんと、さも当然のよう。とは言え、魔法を使用する者が存在たというのは、学校でも話を聞いたことがあった。


「ただ、今は絶滅しかけている。魔法はもう古い。大昔の遺跡みてえなもんだ。それを回収している連中、叡智えいち学会が定期的にこの下層街へ来るから、気をつけろよ」


 男は息も上げずにつらつらと言葉を並べていく。だが、一息に言われても頭が働かないわけで、イラは「え?」やら「えっと」やら疑問の音ばかり上げていた。

 男は溜息を吐いた。


「お前、なんにも知らねえんだな……あ、お嬢ちゃん、ちょいと今から飛ぶけどついてこれるかー」


 背後では、うさぎがぴったりと着いてきていた。抱えられているイラからはその様子が真向かいにある。じっとりとした目が、なんだか恨めしく感じられ、目のやり場に困った。


 ひたすらに真っ直ぐ道を走れば、辺りはもう光と建物の群れと化していた。縦に長い建物が危なっかしく揺れている。上空に伸びた道にくっつけたような小屋も見えた。

 人通りも当然多くなる。そんな中、灰色の男に担がれた少年と後ろを走る白い少女はやはり目立っていた。

 屈強な物取りらしき者がニヤニヤと醜悪な笑みを向けてくるが、男の姿を認めるなり、慌てて目を逸らしていく。


「お嬢ちゃん、しっかりついてこいよー」


 小馬鹿に言いながら、男は足を思い切り踏み込む。地を叩き、揺らめく壁を蹴って上空の道まで駆け上がった。ぐらりと不安定に揺れ、イラは思わず息を飲む。一方、うさぎも遅れることなく飛び上がって難なく追いついてきた。

 男は上の道へ軽やかに足をつけると、今度は小屋の集まりを踏むように屋根を走る。


「よーし、もうすぐだ」


 彼は更にもう一つ飛び上がり、やはり枝分かれの道を真っ直ぐに突っ切った。

 イラは辺りの景色が今までよりも変わっていることに、ようやく気がついた。

 あの、光が連なる高台へと彼は向かっているのだ。先程よりも明らかに空が近く、光の量も増えている。建物も粗末な木材から石と煉瓦が積まれた頑丈なものが多く目につく。手入れが行き届いている場所のようだ。


 男は速度を緩めた。

 石の道は黒一色。そこにそびえ立つ建物は変わらず高いものばかりだが、小奇麗な装飾と光で彩られている。

 大きな道をしばらく行けば、彼は初めて方向を変えた。その曲がり角にも雑多な店が小道の脇に続いていたが、男の足は道の入口で止まる。そこには、ひっそりと小さな看板が扉に掛かっていた。


「さあ、着いた。俺の行きつけだ」


 イラを降ろし、男は嬉しそうに言った。よろめくイラだったが、なんとかふらついた足を地にしっかりつけてうさぎと顔を見合わせる。


 男は大仰な身振りで扉を開けた。すぐさまベルがチロリンと鳴る。

 深い黒みを帯びた赤を基調とした店と扉は小さく細い。訝しく不審に、看板をよく見てみる。


「え?」


 なんと、「喫飲店カルマ」と書かれていた。



 店の中は予想通り、細長い造りだった。一直線に奥へと伸びる、艶やかなカウンターに大小まばらな椅子。こじんまりと言うよりもただただ狭い店である。

 外の綺羅びやかな光は遮断され、薄暗い。どうやら高い天井から吊るされた油ランプだけの照明らしい。天へと伸びる壁は一面びっしりと何かを隠すような布が貼られており、螺旋状の階段と扉が上へと続いていた。


 男が先を行き、カウンターの端に座る。促されるまま、イラとうさぎはその横へ並んで腰掛けた。


「ここの飯は美味いぞ」


 彼は上機嫌に言った。お墨付きであるのはともかく、ここはあの若紳士が尋ねると良いと教えてくれた店でもある。驚きのあまり、声は上手く出てこなかった。

 訊きたいことは山とある。しかし、どこから訊けば良いのやら……


「あ、そうだ。名前」


 ふと思いついて呟く。


「名前?」


 男は素っ頓狂な声を上げた。困ったように口を尖らせる。店に入っても尚、彼は頭に被った布を取らないので目線が分からない。


「誰の名だ」


「あなたの名だよ。聞いていなかったから」


「ほう。ようやく話が通じるようになったじゃねぇか」


 鼻で笑うと、彼は頭の布を親指で持ち上げた。ボサボサの前髪から、灰色の瞳が覗く。


「レガ、とでも呼べばいい」


「レガ……ね。それで、僕らと話をしようとしている、んだよね?」


 横のうさぎと目を合わせ、イラは慎重に訊く。彼は一度も嘘を言わないが、警戒だけはしておきたい。まぁ、ここまで連れて来られた以上、身動きは難しいのだが。

 灰色の男――レガは思案げに顎をさすった。


「うーん……でも、その前に飯にしようぜ。腹が減った」


 気が抜けるような返しだが、それは一理ある。


「ったく、あの老いぼれ、何やってんだか……おーい! ジジイ!」


 レガはカウンターを叩くと、天井に向かって吠えた。静まった店内に響く声に、うさぎはたちまち顔を顰める。

 だが、店主は姿を見せない。一体、どこにいるのか。まだ見ぬ店主に不安を覚えてしまう。


「ねぇ……あの、ここって、お店なんだよね?」


 恐る恐る問うと、レガは「そうだよ」とぶっきらぼう。どこかからか短い煙管を取り出して口に咥えた。


「まぁ、気まぐれなんだ。大概は居るんだがなぁ。外が嫌いだから」


「はぁ……」


「偏屈なジジイさ。何歳かは知らんが、この世界じゃ何百と生きる奴だっているし。ま、そんくらいだろ」


 そう言って小馬鹿に笑う。レガはカウンターからそろりと伸びる手に気づいていないようだった。皮と骨のような手が彼のまとうボロ布を思い切り引っ張っていく。


「だぁれが偏屈だぁ! この泥棒狼め!」


 引っ張った主がしわがれた声を荒げる。レガはカウンターの中へ引きずられそうになったが、どうにか踏ん張って布を引く。すると今度は、カウンターに禿げた老爺が引き上げられた。


「ったく、そんなとこにいやがったか、ジジイ」


「ジジイ言うな」


 そんな応酬を、イラとうさぎは壁に背をつけて見ていた。全身を強張らせる。うさぎに至っては目をぱちくりさせている。それに構わず、争いは続いた。


「なんだい、賞金首。お前、変なものを拾ってきたな。言っとくが、うちは人肉だけは使わねえぞ。他を当たれい」


「馬鹿野郎。んなわけねぇだろ。こんな貧相なガキ、食っても腹の足しにならん」


 物騒な会話に、イラは目を丸くさせる。うさぎは目を細める。しかし、どちらも声は発しなかった。


「なぁ、ジイさん。腹減った。何かくれ」


 ひとしきり争って、レガは不躾に言った。すると、老爺はカウンターの下へ引っ込んだ。何やらゴソゴソと物音を立てている。


「はぁー……うちは飲み屋なんだがなあ。いつの間にか野良の休憩場所に成り下がっちまった」


 ズルズルと床を引きずる何か。そして、ぼってりと大きな肉塊を持ち上げて、乱暴にまな板へ叩きつけた。


「本当、参る、よ、な!」


 大きな包丁を肉の塊へと振り上げ、雑に切る。ぶつぶつと喧しくぼやきながら。ガチャガチャと危なかしい音が響きはじめ、イラは思わずカウンターの下を覗いた。


「おい、こら、ボウズ。火の加減が出来ねえからよ、鼻が焦げても知らんぞ」


 肉を一口大に切り終え、鉄鍋に放り込みながら老店主は無愛想に言った。慌てて引っ込めると、横でレガがケタケタと笑う。

 殺伐とも穏やかでもない不思議な空気に慣れないイラは、何も言えずに戸惑うばかり。それを汲み取るわけでもないレガは、呑気に老店主の紹介を始めた。


「やつぁ、シンクって呼ばれてる。荒くれ者って意味だ。口は悪いが根はいいジジイだぜ」


「おめえが言うと嘘っぽいからな! 信用すんなよー」


 老店主も軽口を叩く。その言葉の違和に、イラは思わず口走った。


「でも、レガに嘘は見え……」


 すぐに口をつぐんだが、肉の焼ける音で聴こえなかったのだろうか、何も反応がなかった。


 次第にオリーブと肉の油が鼻を通り抜ける。煙と火の粉にまぎれて黒焦げた香辛料が飛び散る。シンクはよたよたと鍋を持ち上げてこれもまた危なげにカウンターへ置いた。

 不要になった火に、バケツの水を思い切りぶちまける。カウンターの下から水が漏れ出し、イラもうさぎも足を上げて回避した。


「ふぅ。さぁてと……ほら、残飯でも食っときな」


 鍋の肉を皿に載せるなりシンクが言う。すぐさまレガが皿を取ろうとしたが、その手は木べらで殴られた。


「馬鹿め。おめぇの客だろ。先に取ってどうする」


「客……客っていうのか、そういうの」


 思わぬ叱責に戸惑うような言い方で、レガは唇を尖らせた。そして、不機嫌に鼻を鳴らす。


「まぁいいけど。じゃあ、お先にどうぞ、腹ペコども」


 大皿に盛られた茶色の肉塊。辛味の効いた香辛料と、とろみのあるオリーブが肉を彩っている。


「適当なありあわせだがな」


 シンクの言葉通り、他に具材はないがこれだけでも充分に食欲はそそられ、口の中には唾液で溢れていた。フォークを手にし、二人は恐る恐る肉へと手を伸ばす。ぱくっと、口に運べばピリリと痺れる。その後を追いかけるオリーブの香りが広がっていき、サラリとした肉汁が噛むたびに味を変えた。一口、二口、段々と手は止まらなくなる。

 うさぎはフォークに肉を刺し、また刺し、もう一つ刺して一気に口に運んでいた。


「あぁー……俺の分が……」


 レガの惜しむような声は届かない。イラも食べる手を段々と速めていった。一気にかき込んだせいか、胃が痛んでも食べる。水だけでは補えない痺れにも臆せず、口に突っ込んでいく。何故だろう。香辛料とオリーブの他に塩辛いものを感じる。


「お、パンもあったぞ。おい、ボウズ。これも食っとけ」


 シンクがどこからか細長いパンを取り出し、押しやってきた。イラは黙って受け取ると、頭からかじって貪った。帽子で目を隠し、絶対に顔を見せようとはしなかった。霞んで前が見えなくなっても、夢中で口に押し込んでいく。胃の中がまた重たくなる。途端、耐えきれずに腹が疼いても、それでも食べた。


「おいおい、泣くほど不味いのかよ」


 ようやく冷やかしの声が上がる。イラはもごもごと言い返した。


「不味いわけない」


「ふふん。そいつぁ、結構」


 レガは嬉しそうに笑った。しかし、すぐに口を曲げて頬を掻く。


「あー……俺の分、残しといてくれよ、頼むから」


 あまりの食べっぷりに気圧されているようだ。ほとんど諦めの声音だった。


「それで? どこで拾ってきたんだよ。ワケアリな臭いがプンプンするぜ……どこの誰なんだい」


 シンクも二人の食欲に引いた目を向けながら、ようやく疑問を口にした。


「んー、なんだろ、とにかく三日前くらいに見つけたんだよ。どっちも普通のガキじゃなさそうだが」


「ふーん……まぁ、そっちの嬢ちゃんはただもんじゃないのは分かる」


 レガとシンクがボソボソと話をし始めたので、ようやくイラも手を緩めた。うさぎは興味がないのか、ひたすらにもぐもぐと肉を噛んでいる。

 イラはごくりと肉を飲み込むと、二人の間に加わった。


「あまりワケは話したくないんだけど、それでもいいなら」


 言うと彼らは、困ったように眉を顰めた。


「まぁ、人それぞれ事情ってもんはあるけどよ……とにかく、どっか別の場所から流れ着いた、ってのは察するぜ」


 レガの言葉にイラは慎重に頷いておく。


「そんで右も左も分からず、飢え死にしかけていたと」


「いや、それは……」


 すぐに反論しようと口を開いたが、夢中で貪っていた後に説得力はないと早々に諦めた。顔を俯けてしまう。


「なるほど。だが、よくこんな光だらけの汚え街に来ようと思ったよなぁ……命知らずめ」


 シンクが呆れたように言った。それは自分でも分かっている。ただ、あの村から逃げるためだけにやって来たのだから、まさかこの下層街までもが生きるに難しい場所とは思いもよらなかった。想像がつかない時点で、自身の愚かしさと浅はかな考えを恨めしく思ってしまう。


「ふうむ。売られてこっちに来たわけじゃあない、とすれば、ここを勧めたボンクラは都市外の奴だろう。ここから遠い辺境と言ったら、白壁の谷か深緑の村……おっと、深緑の村から来たのか。どうりで」


 シンクはぷっくりと頬を上げて笑った。禿げ上がった頭がランプの灯りでキラリと光る。レガは唸りながら煙管を蒸かし始めた。もくもくと煙に隠れていく。


「あの村はちょいとばかし特殊だからなぁ……時代遅れなんて言われちゃいるが、そもそも時が七十年前くらいで止まってるようなもんだ。今じゃ、国は魔法が廃れて、街が死に絶えようとしているってのに……んじゃあ、叡智学会の連中も知るまいな?」


「叡智学会……?」


 確か、ここへ来る途中にレガも言っていた。それはどういうものなのか。見当もつかない。首を捻っていると、シンクは腕を組み、何やら言い淀んだ。


「んー……なんと言ったらいいのか……」


「まぁ、危険な連中だよ。それくらいしか簡単には言えんだろ」


 レガの楽観的な言葉が煙の向こうから飛び出す。だが、シンクは不機嫌に鼻息を落とした。


「ざっくり言うな。ここに来たらまずはそっからの説明だろ。まぁ、簡単に言えばそうだろうが」


 そして、身を乗り出すとしわがれ声を低める。


「奴らは、魔法を取り締まる組織なんだよ。都市を二つに分けたのも奴らだ。なんでも、魔法と同等の力を人工的に作り出そうっていう……定期で視察に来るから気ぃつけろよ」


「気をつけるって……どうして……」


 理解に苦しむ。あまり細々と言われても頭は働かず、混乱してしまう。まぁ、レガもシンクも「気をつけろ」と言うだけ、危険な組織なのだろうが。

 曖昧な認識でいると、レガも低い声で言った。


「まぁ、なんだ。奴らは、平気で人を拐う……帰ってきたやつはいねぇよ」


 その言葉に、イラはごくりと唾を飲んだ。口に残っていた香辛料が喉を刺激する。思わず顔を顰めた。


 すぐに脳裏に浮かんだのは魔女の森。似たようなことが起きるのだ、この広い街でも。逃げてきた場所を間違えたのかもしれない。この三日、平気で外をうろついていたのでさえおぞましく感じる。


「だから、こういう場所が必要なわけだ。カルマはある意味、避難所だ。上層街に近いから視察対象にもならないし」


 レガはケタケタと肩を震わせて笑った。カウンターではシンクがじっとりとした目で睨んでいる。


「レガは賞金首だからなぁ。おめぇさんら、とんでもないものに好かれたよ……お互い、苦労するなぁ」


 しみじみ言う始末だ。

 恐らく、ここにいる限り危険ではないのだろう。イラは肩に入れていた力を僅かに落とした。


「それはそうと名前はなんだ。いい加減、教えな。まぁ、覚えておくかはさておきだが」


 不格好なカップに水を荒っぽく注ぎながらシンクが問う。三人分の水が再びカウンターに並び、レガとうさぎはすぐに手を伸ばした。

 一方、イラは水を取らなかった。躊躇うように口をまごつかせながら、シンクの顔をゆっくりと見る。


「えっと……イラ、です。こっちはうさぎ」


 逡巡の末、ボソボソと名を明かすと、シンクは僅かに目を開いた。驚きが混ざったような。だが、それはすぐに無愛想の中へ隠れてしまう。


「そうかい。とりあえずは、まぁよろしくと言っておこうか」


 顎でしゃくって水を勧めてくる。イラは促されるまま、水を喉に流し込んだ。痛みがあった食道を和らげてくれる。しっかり飲み干すと、ほっと一息ついた。


「それで、飯はどうだった? 不味かったろう(美味かったろう)?」


 ぶっきらぼうな嘘。思わず吹き出してしまう。奇妙で愉快な嘘を見たのは初めてだ。


 すると、唐突にカチンカチンとフォークで皿を鳴らす音が横から響いてきた。


「ん」


 うさぎが空の皿をシンクに向ける。


「あー! てめぇ、全部食いやがったな! ジジイ、おかわりだ! 俺の分を作れ!」


 諦めの悪いレガの横暴な声が、高い天井を震わせた。

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