10・真実の瞳

「この森へ追いやられて数十年、私は何度か脱出を試みようとしたが、世界や歴史は私を許さなかった。私はこの森に長い間、幽閉されているのだ。何故だか分かるかね?」


 ぼやけた蝋燭の灯りしかない空間に、魔女――イオルの声が浮かぶ。

 イラは首を振り、挙動不審に目線をあちらこちらへ動かした。緊張と恐怖で固まっていたのもあったが、その問いに答えなど見いだせるはずがない。


 ふと、イオルの背後を見やると、三毛猫が直立してこちらを見つめていた。蝋燭の灯りで彼の目玉がギラついて見える。

 イラは身震いしながら、イオルへと視線を戻した。


「私はでは『魔女』と呼ばれているが、魔術や呪いが使えるわけではない……いや、簡単な術なら私でも扱えるが。それでも術師より劣る。あるのは膨大な科学の知識のみ。だが、私は魔法や驚異的な力に憧れを抱いていたのだ」


 息をゆっくりとのむ。

 イラは自分が教えられていた魔女の姿とかけ離れていることに、ただただ驚いた。

 同時に、話しの最中、イオルはカップの中の茶を細長い指でクルクルとかき混ぜているのだが、その異様な作業にも思わず目を向けてしまう。

 しかし、イオルはそんな彼の視線には構わず淡々と話を進めた。


「私は驚異的な力を欲し、あらゆる研究をした。しかし、ある禁を犯してしまい、私は不死の身体となった。死を奪われたのだ。私は罪を償う為に、罪人を裁く道具になった……嘘を見抜く目を使って」


 紅茶を混ぜる指が早くなる。声音は冷めているのに、指の回転は勢いを増す。


「イオル……」


 ようやく、三毛猫が口を挟んだ。その、たしなめようとする響きに、イオルの手はピタリと止まった。どうやら無意識に行っていたらしく、不思議そうにカップの中にある指を見下ろしている。


「ふむ……この癖はどうにも治らんらしいな――さて、どこまで話したか……あぁ」


 カップの中の指はそのままに、イオルは目の前で震える少年に視線を戻した。


「しかし、ここ十年程で目は使。この能力には限りがあるようで、罪人を見極めることが不自由になったのだ。そこで私は探すこととした。能力を持った人間を。しかし、事はそう簡単に上手くはいかない。まだまだ罪人を裁かなくては、私の罪は拭えぬというのに……私は森から出られない呪いに苛まれた。そんな時だ」


 一息に言うと、彼はカップから指を引き抜いた。火傷をしているのか、茶に突っ込んでいた部分だけが赤く、ただれている。そのただれた指先をスッと伸ばし、こちらを真っ直ぐに指してきた。


。うっかりとこの地に足を踏み入れてしまったようだが……私にとってこれほど幸運なことはない」


 初めて彼から感情が現れる。嬉々とした吐息が漏れており、その口元はつり上がっていた。

 イオルはゆっくりと指を下ろし、またカップの中に突っ込んだ。今度はただれていない中指を。


「真実の瞳……世間ではそう言われているが、それはこの地に幸をもたらし、害を招いた恐るべき力。偽りを正すべく、争いを抹殺するべく、和平を重んじ均衡と均等と平等を任された神の技。それが君に秘められた力だ」


 イラは震える腕を手のひらで押さえた。

 その様子を品定めするイオル。

 恐れ、怯える目を向けられることに快を感じて面白がっているのだが、それを見抜けないイラは声を出すのもままならない。


「何か言いたまえ。私ばかり話していては会話にならん。何か言いたいことはあるかね」


 そう言うとイオルは口を閉じてしまった。

 問われたら応えるしかない。イラは震えを止めようと手の甲をつねりながら口を開いた。


「――えっと、あの、その、僕……」


 出てきたのは戸惑いだけだった。

 何か、と言われても何を言えば正解なのか皆目分からないのだ。

 そんな少年に、イオルは声を上げて笑う。からかわれているのだ、とイラが気づいたのはまさに今、この時だった。


「言っている意味が分からない、といった声音だな。それは致し方ない。君に自覚がないことは理解している」


 イオルは何もかも見透かす様なでイラを見つめる。

 背中に寒気が走り、イラはやはり黙っていた。

 そして、ようやく自身の頭の中が疼く不快感に気付いた。打った箇所ではなく、もっと脳の奥深くだ。どうにか頭痛を紛らわせようと、手の甲を更につねる。


 そんな彼を見てイオルは唇を捲ると、ニヤリと笑みを零す口を隠すように長い髪の中へ埋めた。


「君は最近、人間の嘘がすぐに分かることがないかね? 何か、信号のような……合図のような、なんでもいい。彼らヒトの発する嘘が分かるようなことを」


 囁きが、耳元をすり抜ける。その空気は冷たく、全身を凍結するには充分だった。少年の強ばった表情に、イオルはますます愉快そうに声を弾ませる。


「どうやら思い当たるらしい」


 そう満足気に一息つく。イオルはカップを古ぼけたガラステーブルに置き、立ち上る煙のようにゆらりと立ち上がった。


「君には、私の手伝いをしてもらいたいのだ」


 ただれた指と、まだ正常な細い指を絡ませ、イラの上に声を落とす。


「この三毛猫のように、私の手元で暮らすのだ。勿論、他の者よりも待遇を良くしよう。利口にしていれば望むもの全てを与えよう。どうかね? 悪い話ではないと思うが」


 圧のせいで息苦しい。しかし、ここで黙っていては流されてしまう。

 イラは手の甲を一際強くつねり、口を開かせた。


「――そんな……僕は……『真実の瞳』なんか持ってない」


 ようやく出した言葉は、掠れていてガサガサとした雑音が混じってしまう。咳払いをし、もう一度言う。


「持ってないんです……何かの間違いだ」


「動揺するのも無理はない」


「そんなんじゃ……っ!」


 思わず弾かれたように勢いよく立ち上がった。テーブルが揺れ、カップの中身が零れる。琥珀色の模様がガラスの上を滑っていく。


 同時に三毛猫の足が動いた。すぐさまイオルに制され、行き場のない足が固まる。

 その一連に、イラは肩が竦む思いを抱いたが、拳を握って彼らを見上げる。そしてイオルよりも先に口を開く。


「僕には、真実の瞳なんかない……ちょっと勘がいいだけで、別に大して成績も良くないし、弱いし、臆病だし、こんな僕なんかに……」


 イオルの暗い瞳を見ないように、イラは早口に言った。抑えていた恐怖が舞い戻り、言葉は拙く、どもってしまう。


「だ、大体、僕がその瞳を持っているなら、何故、僕は何も知らないんですか?」


「君が知らないのは、至極当然。育ての親が隠していたのだよ」


 その言葉に心臓が跳ね返る。胸の奥が早鐘を打つように、鼓動がうるさい。イラは目を泳がせながら思わず呟いた。


「ジン、が……」


「そう。彼が隠していたのだ。しかし、それも至極当然。何故だろうな」


 何故、というその声にはいやに確信めいている。イラは唾を飲み込み、ゆっくりと問た。


「貴方は……知っているんですか?」


 緊張に押しつぶされそうだ。

 無意識に呼吸を止めて、イオルの返事を待つ。彼は手元にあった蝋燭の炎をただれた指で弄んでいた。薄暗い灯りに照らされたその濡れた瞳は不気味な光を宿している。


「知っているとも――そう答えたら、君は乞うのだろうな。『教えてほしい』と」


 そう言い、ゆらりと立ち上がる。イオルの黒い影が薄暗い中に蠢き、イラは短い悲鳴を漏らした。

 素早くその顔が近づき、冷たい息が全身に降りかかる。


「無垢とは罪深いもの。問えば教えてもらえるなど思わないことだ。何の見返りもなく無償で何かを得るなど、甘い考えだ。君は賢いと思っていたのに……残念だよ」


 未知の力を前にしては為す術もない。イラは目の前に迫る真っ黒な瞳に、全身が縛り上げられた感覚にとらわれていた。

 動けない。呼吸さえも許されない。イオルの目を見てしまえば、暗闇に捕まったも同然だ。


「……そう怯えるな。私はこうも無力であるのに、何故、怯える必要がある? 世間知らずな子供に礼儀を教えてやろうとしていただけなのに」


 顔が離れ、イラはむせ返りながら息を吐き出した。そして大きく吸い込む。かびが肺に入り込み、またも咳き込んでしまう。


「――さて」


 いつの間にかイオルはソファに腰掛けてカップを持っていた。胸を押さえるイラを、長い髪の毛の奥から冷たく見つめ、淡々と口を開く。


「少しだけ君に知恵を与えよう」


「……知恵?」


 訊き返すと、イオルは静かに頷く。


「君は、間もなく始まるを知っているだろうか? 知らぬだろうな。村の大人共は無能だと先程に理解したところだった」


 嘲るような言い方。しかし、それを非難する余裕などない。

 イオルの言う「祭り」とは、恐らく「目玉焼き祭り」のことだろう。それくらいしか判断が出来なかった。


「あの祭りはそもそも、真実の瞳を持つ者を滅ぼさんとする村民の狂気なのだ。君が生まれた後かその前だかに、村で大きな争いがあった。瞳を持つ者はそれまで、私のように罪人を裁く審判を担っていたのだよ。しかし、その驚異的な力に恐れを抱いた哀れな愚民が徒党を組んだのだ」


 彼がゆっくりと話す度に、イラの頭は疼く。それが今では視神経にまで及び、目を開くのは困難を極めていた。思わず俯き、どうにか癒そうと眉間を揉む。

 しかし、それは許されなかった。


「逸らすな! 私を見ろ!」


 ヒステリックな声を浴び、体が反射的に飛び上がる。怒りに歪むイオルの顔をイラは凝視した。


「……民は審判の目を焼いた。多くの犠牲者が出た。私は森の中にいたから知らぬが、それが祭りの起源だという」


 打って変わって静かな声。

 そんな中で、イラはその淡々とした言葉から漏れる何かを見つけた。


 イオルの声が遠のき、彼の顔がさざなみのようにぼやけてくる。ズキズキと痛む脳を放置して、イラは目を凝らした。

 ぼやけた中にちらつく映像。

 それが今、目の前で流れているのか頭の中で繰り広げられているのか判断がつかない。


 とにかく、そこにあったのは森の入口で黒いマントを翻すイオルの姿が、炎に包まれている人々を恍惚とした表情で眺めている様子だった。


 炎が人々の手足を舐めていく。

 肉塊が焼け焦げていく。

 苦痛に歪む、人々の叫び。

 焼けただれて流れ落ちていく目。


「……うっ」


 胃の中が気持ち悪く、何かがせり上がってくるようだ。イラは思わず埃まみれの床に膝をついてくずおれていた。


――今のは、なんだ……


 瞬きをし、イオルを見る。

 もう彼の顔はぼやけてはおらず、視界は正常だった。真っ暗な部屋の中で、床に突っ伏して荒い呼吸を繰り返している自分に気づくも、まだ混乱状態だ。恐怖よりも不快感が全身を占めている。


「――少年」


 イオルが口を開く。


な?」


 亜麻色の髪の毛がうねり、両眼からは狂気が放たれる。口元は裂けたように捲れ、笑っている。彼は手のひらを合わせるように二回叩いた。


 その瞬間。


 イラの周りに何かが転がり込んでくる。蝋燭の薄灯りで見えづらかったが、もぞもぞと蠢く物体に血の気が引く。逃げる間もなくそれらに取り囲まれ、腕や足を掴まれた。


「――さて」


 異形の生物に飛びかかられ、動きを封じられたイラの元へと足を踏み出すイオル。

 彼の声は冷たいままだが、上機嫌の様子を醸し出していた。またも嬉々を隠しきれていない。


「君がであることは証明された。後は大人しく私に付き従えばそれで良い。私に尽くすと誓うのだ……」


「イオル!」


 それまで黙って直立していた三毛猫が、鋭い声でイオルとイラの間を遮った。


 直後。


 ガラス窓を突き破る何かが部屋に飛び込んできた。部屋を覆う暗幕が風で揺れる。月明かりの逆光の中、白い糸がちらついた。イラは無数の腕や足の間からそれを見る。


 ふんわりとしたフリルがあしらわれたワンピースに、頭上をしなやかに揺れるリボン、細く長い滑らかな糸のような髪。


――あれは


「……うさぎ?」


 月の光がその姿を照らし、鮮明に映し出す。


「手を、出すな」


 コツコツと硬いブーツを鳴らして近づいてくる。


「返せ、イオル」


 白いフリルを身に纏ったうさぎが、大型の鎌を片手にイオルを睨みつけていた。

 途端にイオルの口元が引きつる。そして、沸々と煮えた低い声で彼女を呼んだ。


「白兎……」

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