5・虚の塔

 窓の外は嵐だ。豪雨と突風は狂気的に村を巻き込む。暗雲と渦が立ち込めた外を、少女は鬱々と眺めていた。


「リフ。お父さんなら大丈夫よ」


 背後で母が柔らかな声音で宥めてくれるがあまり意味は成さない。

 父への心配も確かにあった。しかし、村を出ていったイラや、祭りの後から姿を消しているジンの安否が気になって仕方がない。


「俺が探しに行ってくる。必ず、二人を」


 父のジョータはそう言い残し、今朝から家を空けている。

 ジンはともかく、イラのことは言えなかった。言いたくても、ぐっと喉を押さえて我慢する。本当は助けを求めたい。イラを守って欲しい。不安で押し潰されそうになる。

 窓に張り付き、荒れ狂う外を眺めながらリフは唇を噛み締めた。


――トン、トン。


 突如、分厚い戸が音を鳴らす。母がすぐさま反応し、扉の鍵を解除した。

 リフはそれをぼうっと見つめておく。ふくよかな母の背が一向に動かないので、戸を鳴らしたのは父ではないと分かる。この大嵐にやって来る猛者は誰なのか。

 しばらくして、母は戸を閉めた。


「……リフ。今ね、サイアが教えてくれたんだけれど、雨が止んだら、亡くなった人たちの送り儀をするんですって」


「送り儀?」


 聞き慣れない言葉に、リフは小さく問う。母は娘の頬を触り、そのまま彼女の顔を自分の胸に埋めさせた。


「そうよ。あまりにも酷い死に方をしたんだもの。みんなでお空へ送るのよ」


「そう、なんだ……」


 母の胸の中で頷く。全員が顔見知りではあるけれど、不安に勝てるほどの悲しみは訪れない。


「ねぇ、ジンやイラのことは何か言ってた?」


 母の胸に顔を押し付けたまま訊く。しかし、母は悲しげに「いいえ」と返すだけで、期待はすぐに砕かれた。


***


 ザクザクと雨粒が地を穿つ。風に煽られて勢いを増した水粒は、深い森に建つ魔女の城にも容赦なく降り注いでいた。

 塔が幾重にも繋ぎあわされて作られた黒の城。

 その中枢に深くに位置する細く短い塔の中に、赤黒いものが転がっていた。まだ人の形であるそれは、赤髪の青年。腕や首には赤黒い染みがいくつもある。足はただれていたが、それも今では冷めきって固まっている。首や腕を捩じられ、足は何度か焼かれたから痕くらいは残ってしまうのだろう。


 それでも、生きている。死は許されない。そう創られているから、自ら死を選択することは出来ない。

 それに苦痛もないのだ。回復しているはずなのに、随分散々に痛めつけられたらしい。指一本動きやしない。

 時折飛んでいく意識。その端々に、白く美しい少女の姿を見た。

 だが、目を覚ませば景色は黒。虚ろな目で、天井を眺める。その繰り返し。この景色にも飽きがきている。どこまでも深い黒。見慣れているはずなのに、閉じ込められているというだけで、動けないというだけで気力が削られていく。


 唯一の出入り口である鉄の扉は厳重に鎖で封じられていた。窓のない部屋に閉じ込められては、時間の感覚も無くなってしまう。

 そもそも、この仕置きを受けるのは子供の時分からだ。あるじに背くことばかりしていたから、彼が特に仕打ちを受けていた。どうして言うことが聞けないのか。従順にいられないのか。彼自身も理解が出来なかった。


――俺は、もしかすると、出来損ないなのかも……


 不完全だと、あの黒が囁いてくるようだ。


 コトン……。


 壁の向こう側から音が聴こえた。

 音に触れるのは、いつぶりだろう。いや、本当はそう時間が経っていないのかも。


「……っ」


 息を吸ってみる。体の内側のどこかに砂埃が入り込む。思わず噎せ返った。


 コトン……。


 それが誰の足音か、分かってはいたが起き上がれやしない。ゆっくりと首を傾けることしか出来ない。

 彼の淀んだ瞳が壁を見る。すると、その視線に気が付いたのか足音が止まった。壁と扉に隔たれて見えないはずなのに、見透かすような。

 その音の主は、快活に大きな声を扉に向けた。


「よう。久しぶりじゃのう、紅鴉べにがらす


 紅鴉の耳に不快な音が流れ込む。三毛猫の双眼が牢の小窓からひょっこりと覗き、思わず目が合った。


「うひゃあ〜、ざまぁないのう」


 紅鴉の疲弊した顔を見るなり、三毛猫は楽しそうに言う。


「おぉ、こわ。目が死んどる……よしよし、辛かったのぅ。ご苦労さん」


 心無い言葉を吐き、三毛猫はもう我慢せずにけたたましく笑った。その不快極まりない態度に、紅鴉の全身に熱が戻る。腕を起こし、地を這いながら牢の扉へ向かうと、干上がった喉を酷使するように勢いに任せて唸った。


「……な、に……きた」


 三毛猫には掠れた音しか聴こえない。

 だが、彼は悟ったようにニンマリ笑うと、わざとらしくとぼける。


「きこえーん。なーんも聴こえんよー……ぶっくくくくっ」


「っるせぇ!」


 足で戸を蹴飛ばせば、さすがの三毛猫も笑いを引っ込めた。

 ポタリと、地に赤が滴る。やわな皮膚が破けたらしい。それでも痛みはなく、寧ろ煩わしいだけだった。


「おっと。何しに来たかって、言ったんじゃろ。ちょいとからかっただけじゃ」


 冗談が通じんのう、と三毛猫は呆れる。それを紅鴉はただ睨みつけるしか出来なかった。上手く声が出せない。


「うん、元気そうじゃな」


 一体、どこを確認したらそう思えたのか。

 三毛猫はひとしきりからかうと、ようやく扉を開け放した。黴の臭いが鼻をつく。城の臭いだ。


「ほれ、仕事じゃ」


 三毛猫は紅鴉の弓矢を放り投げる。慌てて受け取ろうとするも、手は掠めていく。

 黴の臭いを一気に吸ったからか、それとも急に動いたからか瞼が重い。途端に意識が朦朧としてきた。三毛猫の姿がぼやけて遠のく。


「えぇ? あれぇー? カラスー……あーらまぁ。やれやれ」


 ズルズルと壁にもたれて地に落ちていく紅鴉を見下ろしながら、三毛猫は困惑するように首筋を掻いた。


「まったく、イオルもここまでせんで良かったろうに……」


「それは、こやつが悪いからに決まっておろう。あれらを逃がしたのだからな。私の目の前で」


 背後で低い声が響いた。驚いて振り向く。


「――三毛猫」


 その声を合図に、三毛猫は気怠そうに銃を出すと、紅鴉の額に照準を合わせた。

 弾丸が額を打ち抜く。すると、その衝撃で紅鴉は両瞼を開いた。


「よーし、よし。いい子じゃ」


 紅鴉の頬を叩けば、虚ろな目が段々と光を戻していく。


「いっ……てぇ……」


 額に開いた穴に手をあてがい、紅鴉は呻いた。じわりと侵食する痛みに襲われている。

 三毛猫の痺れ弾は効果が強い。どんな拷問に耐え抜く身体ですら、無様に神経を操作されてしまう。

 疼く痛みに目を瞬かせ、紅鴉は目の前に立つ黒の外套に気が付いた。


「イオル……」


 外套から覗く冷めた瞳に、思わず身を竦める。そんな紅鴉とは対照に、三毛猫はあっけらかんと主人に問いかけた。


「で、我が主様。俺らは何をすればいい?」


「――捜せ」


 イオルは外套の奥で短く告げる。


「あの子供と、白兎を」


「所在の宛てはあるんかのう」


 だらしなく頭をもたげて首を回す三毛猫。やる気は見られない態度だが、イオルは腹を立てることなく静かに返した。


「言わせるな。貴様の方が、私よりも先に分かっておろう」


「はいはい、そうでした」


 こちらも冗談が通じない、と踏んだのか三毛猫は背筋を伸ばした。態度をようやく改める。


「分かった。それじゃあ行くとしようかのう、紅鴉」


 三毛猫は紅鴉の首元を鷲掴んだ。無理やり立たされ、思わず足がもつれたが三毛猫は気に留めない。


 イオルはくるりと踵を返した。そして、振り向かずに一言だけ――


「……紅鴉、しくじるなよ」


 一瞥もない。そして、音も立てずに階段へ消えていく。

 その姿を見送り、従者たちはそろりと互いに顔を見合わせた。


「――しくじるなよ、じゃて」


「聴こえてらぁ」


 三毛猫のからかう口調に、紅鴉はピシャリと言う。皮肉にも神経に届く痛みのせいで、調子が戻ってきている。

 紅鴉は手のひらを三毛猫に向けた。意図の分からない三毛猫は不思議そうに首を傾げる。


「む?」


「何か持ってきてんだろ? 出せ」


 紅鴉は手のひらを更に大きく広げた。

 そのふてぶてしい態度に、三毛猫は不服そうにも、ポケットから小麦を固めたものをボロボロと地面へ落とす。


「……これだけ?」


 落ちた小麦の塊を搔き集めながらも、紅鴉はやはり不満そうだ。


「文句言うなら、食べんでよし!」


「いや、だって、これだけはないだろ……」


「よーし、文句言うたな。もうやらん」


 だが、掠め取られる前に紅鴉はそれを全て口に放り込んだ。それを三毛猫は呆れ眼でじっとりと見やる。


「まったく、意地汚いカラスじゃ……」


「うるせー」


 モゴモゴと言い返す。三毛猫は不快そうに口元を引きつらせた。そして、何やら思い出したのか「あ」と声を上げる。暗い塔に音が反響した。


「そういや、昔もあったなぁ。お前、よくここに入れられよったからのう。俺がいつも食いもん持ってきよったんじゃ」


「あー……あん時のほうが、お前、優しかったよな」


「はぁ? 今もじゃろうが。たわけ」


 非情な言葉に憤ったのか、三毛猫は紅鴉の背中を思い切り殴った。思わず前のめりに倒れる。ゴホゴホと大げさに噎せる紅鴉を尻目に、三毛猫は白けた様子で抑揚なく口走った。


「――シロの居場所が分かったんよ」


 その言葉に、紅鴉は光が戻った瞳で三毛猫を見た。


「ほんとかよ」


「あぁ、ほんとじゃ。どっちみち、ヤツに打ち込んだこいつを辿ればいいだけじゃしのう」


 三毛猫は銃をちらつかせながら言った。なるほど。先程に打ち込まれたものと同じ、ではないのだろうか。何度か食らってはいるが、目覚ましに使われたのは初めてだ。用途が豊富なのだろう。

 紅鴉は珍しく冴えていると我ながら感心した。小麦を飲み込むと、すぐさま問う。


「そんで、ヤツらは今どこに?」


 紅鴉が真剣な顔で訊く。

 それまで細めていた三毛猫の目が、ゆっくりと開いた。そして、鋭い瞳に色が宿る。


「光の都市。そこに居る。じゃがなぁ……」


 自信たっぷりに言うが、三毛猫の目はどこか別の考えを持つようだった。迷うように色を濁らせている。


「それじゃと、村の外に出にゃならん。その間、あの主のをするヤツがおらんじゃろう?」


 そこが問題なのだと、三毛猫は妙に懸念の顔を見せた。




 それから二人はすぐに大広間へ向かった。

 肘掛椅子に座ったイオルが、闇の中でその輪郭を浮かばせる。


「なぁ、イオルはどうするつもりじゃ」


 三毛猫がすぐさま詰め寄る。未だ身体の調子が悪い紅鴉は、首をさすりながら黙って後をついていくだけ。

 一方、イオルは聴こえていないのか反応がない。三毛猫は眉を顰めた。


「俺らが村を出た後、イオルはどうするつもりじゃ。罪人だってまだ殺していない。牢に入れたままじゃろう」


「罪人?」


「あぁ、そうじゃ。お前がぐうたらしとる間に、一匹捕まえたんじゃよ」


 うるさそうに言う三毛猫。紅鴉は興味なく「ふうん」とだけ返した。


「なんじゃ、イオルよ。やけに楽しそうじゃのう」


 確かにその通りだった。イオルは椅子を揺らして肘掛で指を弄ぶ。

 機嫌のいい主を見るのは久方ぶりで、そのおかげで塔から出してもらえたようにも思える。紅鴉は不穏を浮かばせる三毛猫と、呑気な主を交互に見た。


 やがて、外套の奥からくぐもった笑いが湧き出し、三毛猫と紅鴉は息を止めた。


「ふむ……そうだな。ここまでの高揚は随分と久しい」


 イオルは細く華奢な指を宙に漂わせた。


「罪人を捕らえたこともまた久しい。実に愉快だな……しかし、お前の言う通りだ、三毛猫」


 思案げに唸るも、その音も機嫌がいい。イオルは従者の存在も忘れたかのように考えあぐねた。


「さて、どうしたものか……」


 しばらくの逡巡。本当に宛てがないのか疑わしいほどの焦れ。三毛猫も紅鴉も押し黙ったまま。

 主の背中は怒りよりも悦びの方が、危なく冷たいものだ。その冷酷さは空気を震わせ、肌を舐めるような不快を誘う。


「あぁ、そうだ」


 彼の指が閃きを表した。宙を這う動きがピタリと止まる。


「三毛猫、を使おう」


 突然の提案に、紅鴉は怪訝に三毛猫を窺った。目はいつものように細められたままだが、笑みが一切ない。イオルの機嫌に比例するかのように、冷たさが浮かんでいた。


***


 雨季ではないこの時期に、大雨が降り続くのはここ近年滅多になかった。長雨のせいで遅れていた故人の送り儀を催事場で行う。


 その日を迎えても、ジンの消息は途絶えていた。

 しかし、記者を生業とするジョータに掴めない情報はない。いくらせがんでも「分からない」と繰り返す父に、リフは落ち込むどころかそろそろ業を煮やしていた。


 送り儀により、ようやく外へ出ることを両親に許された彼女は、催事場の隅にある切り株に座って大人たちの話を聞いていた。密やかな囁きは耳に入るのだが、言葉までは認識出来ない。

 頬杖をついてぼんやりと、その様子を眺めておく。


「あ、イザベラ先生」


 変わらぬ黒の服に尖った顎と頭が目に留まった。苦手な教師だが、あの橋での出来事を思い返せば幾らか信用が出来る。


 リフは立ち上がると、スカートを叩きながらイザベラ教授の元へ駆け寄った。だが、すぐに足を止めた。

 教授の眼鏡の奥にある真っ赤に腫れた目を見てしまえば、たちどころに身体は動きを止める。


 送り儀は死者を弔うための大事な儀だ。悲しみに思いを馳せなくてはならない。それなのに、ジンやイラのことが気がかりで落ち着かないリフは自身の非情さに気づき、息を詰まらせた。

 黒檀の自警団全員の亡骸を見ることも出来ず、また彼らの家族が泣き叫ぶ姿にも目を伏せてしまい、彼女はふらりと催事場を出ていく。


「……リフ」


 送り儀の参列から抜け出してきたロイが声をかけるまで、彼女は無意識に歩いていた。


「ねぇ、待って」


 手を引かれ、びくりと肩を震わせる。ロイの心配そうな顔に、リフは目を泳がせた。


「ロイ。あたし……駄目だわ。酷い子なの。悲しいはずなのに、涙が出てこない……それどころか、イラやジンが心配で心配で、堪らないの」


 喉が震え、声は情けなく音にばらつきが出てしまう。すると、ロイは首を横に振って俯いた。


「何故だろうね。僕だって、そうだもの……でも、だからって、森に行くのは危険だよ」


「え?」


 思わぬ言葉に目を瞠る。リフは辺りを見回した。その無意識さにロイは呆れの息をつく。


「森に行くつもりなのかと思ってた」


「……どうしてかしら。あたし、頭の中がぐちゃぐちゃでよく分からなくって」


 恐らく、足は森へ向かっていたのだろう。確信はないのに、ジンが魔女に捕まったと思えて仕方がない。


 助けに行きたい。行かなくちゃ。みんなが行かないなら、自分が行くしか――


 突如、森の方面から一斉に黒い鳥が羽ばたいた。

 無数の羽音が遠くからでも聴こえてくる。空を覆い尽くすような黒がはためき、二人は身を竦ませた。


「リフ……危ないことは、しないでね」


 祈るようなロイの呟きは、リフの耳には届いていなかった。

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