3・光の都市

 汽車は荒々しく揺れながら線路上を滑走する。外を覗けば、岩肌のようなゴツゴツとした凹凸のある壁が左右どちらの窓からも見えた。シモン曰く「あれは白壁の谷だ」とのこと。


「今は夜だから群青に染まっているが、晴れた日に見ると真っさらに輝く美しい白なんだ。随分と歴史のある谷だが……そう、この辺りがまだ水に浸かっていた時代もあったんだよ。数百年前の話だがね」


 彼は饒舌によく話す。その得意げな顔を、イラはまだ見ることが出来ていない。


「今夜は荒れるようだから窓は開けられないね。残念だ。私はよく、汽車に乗るんだが夜風にあたって本を読み耽るのが何より楽しくて……あぁ、勿論、話をするのも好きだよ。良いものが得られるからね。先程の一件も、見ようによっては良い経験なのかもしれないな」


「あの女が?」


 不思議に思ったのか、うさぎが問う。小さな口から発せられた声に、シモンは嬉しそうに頷いた。


「そうとも。何せ、私は物家ものかだから。今は架空書物が禁止されているから公には発表出来ないのだけれど、慈善事業の一環であらゆる地を周り、子どもに物かたりをするんだ」


 シモンはコートの内ポケットから小さな羽根ペンと、獣の革でこしらえた手帳(羊皮紙を束ねたようにしか見えない)を取り出した。


「経験というのは物語りをするのに十分な材料だ。身に起きた事柄を書き留めているのさ。忘れないようにね」


 俯き加減ではあるものの、彼の話はしっかりと聞いていたイラは、ちらりとその手帳を見やった。

 古びた革は深緑で、あちこちに綻びがある。ぐるぐると厳重に紐やベルトで縛られていた。それを紐解き手帳を広げると、シモンは素早く何かを走り書きした。


「何を書いた」


 うさぎは興味津々に身を乗り出して手帳の中を見る。

 シモンは隠しもせず、すんなりと答えた。


「あの女のことと君たちのことだよ」


「僕たちの?」


 ようやくイラが口を開くと、シモンは目を上げて嬉しそうに頷く。


「そうとも。勇気ある少年と白く美しい少女に出会った記念すべき日をね、記しておきたかったんだ。いけなかったかい?」


「あぁ、いえ……うーん……」


 追われている身であるのだから拒んでしまえばいいと一瞬、考えが脳裏を過ぎった。

 しかし、彼との縁も恐らくこの汽車の中だけだろう。イラは壁に背を埋めるようにくっつけた。

 その様子がやはり気にかかったのか、シモンは困ったように眉尻を下げた。


「ふむ、君はどこか具合が悪いのかい? なんだったら、非常食用のパンがあるんだが……食べるかな」


「いえ……お腹は空いてないので」


 すぐに断ると、同時に胃がきゅーっと音を鳴らす。イラではない。

 勿論、シモンでもなく、不思議そうに首を傾げている。

 音の根源はどうやらうさぎらしい。彼女はしおらしく顔を俯けた。


「なんだ、こっちのお嬢さんだったか。いいよ、君にあげよう」


 笑い声を上げながらシモンは、がま口の大カバンを開けた。小さな巾着から渇いたパンを出し、うさぎに手渡す。彼女は受け取るや否や、小さな口を開けてぱくんと食いつく。その食べっぷりに、シモンは微笑んだ。


「君たちはなんだか不思議な子どもだね。これまで出会った子の誰よりも不思議だ。まぁ……余計な詮索は無粋だからね、あまり聞かないでおくよ」


 その言葉に救われる。イラは張っていた肩の力を僅かに緩めた。


「あの」


 場が和んだせいか、口の動きも軽くなる。イラはシモンの顔をこわごわ見てみた。彼は柔らかな笑みを湛えている。

 悪意のない空気に、冷たく淀んでいた心までもがふわりと軽くなった。


「ええっと……光の都市って、どんなところですか」


 村の外に何があるのか、どんな世界なのか、まったく見当がつかないものでそれだけが知りたかった。特に、シモンは地理に詳しそうだ。


「ほう、光の都市へ行くんだね。私も光の都市まで行くんだよ。上層街までだが。君たちは、ええと、そこまで行くのだろうか」


 やや躊躇いがちに訊かれるが、その意味が分からない。


「いえ……あの、どんなところかまったく知らなくて。ただ、遠くに行けたらいいんです」


 繕うように返すと、シモンは少しだけ顔を曇らせた。何かまずいことを言っただろうか。軽くなった心がまたも不安で重くなっていく。僅かな感情の動きにいちいち怯えてしまう。


「そうか……あてもない旅をするとは、君、なかなかに無謀だね。いや、悪いわけではないんだが。まぁ、何かワケアリなんだろう」


 事情を察したのか、シモンは早口に言うと軽く咳払いをした。


「光の都市とは、この国で一番大きな場所だ。ゆえに治安も偏りがある。私が行く上層街は豊かでのどかな地だが、他はそうでもないんだよ。それに、上層街は門をくぐるだけでも金がかかる。これを見たことはあるかな?」


 シモンはごそごそとズボンのポケットを探り、金色の丸い硬貨を取り出した。


「これが金貨。一枚でイコルいちという。ただ、これが流通しているのは限られた地のみ。所によっては見たことがないという者もいる。どうだろう?」


 大きな金貨には無愛想な鉤鼻の男の肖像が彫られていた。こんなに艷やかでキレイな金貨は見たことがない。まじまじと見つめていると、その反応でシモンは判断したのか溜息を吐いた。


「この金貨が一人あたり五枚は必要なんだ。まったく、光の都市というのは身分が嫌というほどはっきりとしている。それはもう、不平等に」


 口ぶりから察するに、あまりいい場所ではないのだろう。だが、それすらも今までにない感覚だ。想像がつかない。ただ、彼の行く上層街へは行けないということは分かった。


「他にも、光の都市外に街や都がこの国にはあるんだ。私の生まれ育った地は『煤煙すすけむりの港』といってね、そこは名の通り煤煙が空を埋め尽くす地だ。海が近い。その大海を越えると『翡翠ひすいの島』がある。のんびりとした争いのない所だった。他にも緑豊かな深緑の村があるし、あの白壁の谷から上は『太陽の丘』と呼ばれ……あぁ、まどろっこしいな。地図を見せよう」


 そう言うとシモンはまたもがま口のカバンを探った。

 ちなみに、うさぎはまだパンを口の中でもぐもぐと噛んでいる。そんなに固いのだろうか。


「あった。これだ」


 がま口から筒状になった羊皮紙が取り出される。シモンはそれを膝の上で広げた。胸ポケットに突っ込んでいた眼鏡を出して鼻に引っ掛けると、地図に目を凝らす。


「さて、ここが白壁の谷。汽車もそろそろ谷を抜ける頃だろう。この細長い地を抜ければ、僅かに盛り上がった開けた土地を線路が走っていく。それを更に北へと進めば光の都市下層街、ルンゴの入り口だ。上層街はコルトと呼ばれ、ここは王都に近い。平べったく固い土地だよ。ここには今じゃ絶滅寸前の魔法使いもいるらしいが……あまり近寄らないほうがいいんだろう。書き物家の私としては一度はお目にかかりたいところだけれど」


 説明に頷きながらイラは彼の指を目で必死に辿った。


「ルンゴには私の知り合いがいるんだ。良かったらそこに行ってみるといい。この紙を渡そう。君も何か書き留めておくといいよ」


 言いながらシモンは手帳の紙を一枚、イラに渡した。


「あ、ありがとう、ございます。何から何まで……」


 ここまで親切にされるとは思わず、イラはとにかく拍子抜けだった。異端扱いされたばかりで信用するには心が萎縮しきっている。それでも、素直にシモンからの優しさは受け取っておいた。


「構わないよ、これくらい。私は嫌いな人間とは徹底して付き合わない質だが、好ましい人間とは末永く友好的でいたいんだ。君は正しい心を持っている。どうか、そのままでいて欲しいものだね」


 シモンは明朗に笑うと、「お古で良かったら」と持っていた羽ペンまで与えてくれた。それを大事に仕舞い、イラは小さく呟くように「ありがとう」を繰り返す。


 すると、なんだか段々と瞼が重くなってきた。横を見ると、うさぎはとっくにパンを食べ終えており、こちらもうつらうつらと目をこすっている。


 シモンは窓の外の白壁を眺めながら、苦笑を漏らした。


「もう夜も深い。都市へ着いたら起こしてあげるから、ゆっくりおやすみ」


 いつの間にか、雨はしとしとと柔らかくなっている。一定の音程で鳴る雨音は子守唄のよう。

 視界は狭くなっていき、意識は既に夢の中へと沈んだ。


***


 蒸気が甲高く鳴る頃、肩が揺さぶられた。

 深く闇を漂うような色のない夢を見ていたイラは、唐突に触れられた手のひらの感触に懐かしさを感じた。ぼんやりとした視界に、浮かぶのはランプの仄暗さにある若い紳士の顔。


「――君、そろそろ起きるといい」


 堅い口調だが優しげなシモンの声。それを聴いてようやく、今どこにいるのかを理解した。

 目尻が湿っている。それをごしごしと荒っぽくこすって取り除き、イラは傍らのうさぎを見やった。彼女はすでに目をぱっちり開いている。


「もう着くんですか?」


 窓を見やると、壁はなく広大な大地が流れるように過ぎていく。先に目をやれば、小屋を重ねたような大きな建物がそびえている。汽車はどうやらその場所へ向かっているらしい。

 窓を見つめていると、一緒にシモンもそれを見た。


「あぁ。もうすぐ光の都市、ルンゴ駅へ到着だ」


「なんか、まだ朝がきていないみたいな……」


 外は未だ薄群青で、陽の光が見当たらない。雨は上がっているようだが、窓を開ければ夜風が刺すように入り込んできた。思わず身震いする。その様子にシモンは愉快そうに笑った。


「いや、もう既に夜は明けているよ。時刻はそうだな……九時、か。光の都市ここはどこよりも昼が短いんだ。いつだって薄暗い。ゆえに、光を灯す。煌びやかな光だらけの街というわけだよ」


 それが光の都市と呼ばれる由縁という。

 徐々に汽車はあの建物の近くまで迫っていた。改めてよく見ると、子供がデタラメに重ねて置いたような危なっかしい小屋の集まりに思えた。ルンゴの入り口、光の凱旋門である。小屋にはあらゆるランプや電球が無数に繋げられており、これもまた大小デタラメだった。

 初めて見る、油ランプ以外の光にイラは目を奪われた。それを追うように眺めていたが、汽車は門を潜れば暗いトンネルへと入ってしまう。車体はさらに揺れを増し、線路を擦る甲高い耳障りな摩擦音を響かせる。


「さぁ、到着だ」


 到着のベルと同時に、シモンが楽しげに言った。イラも初めて目にする世界に僅かな高揚感があった。カバンをしっかりと持ち、うさぎと目を合わせる。

 彼女は変わらず表情を見せなかったが、イラを見るとゆっくり頷いた。


「……シモンさん」


 汽車の速度がどんどん落ちていく。その緩やかな流れを感じながら、イラは親切な若紳士に向き合った。しっかりと彼の目を見て。


「ありがとうございました。本当に……」


「いやいや。礼を言うのはこちらの方。心配ごとは無くなったのかな?」


「いえ……むしろ、これから心配は増えていきそうだけど……でも、あなたに会えて良かったと思います」


 きっぱりと言う。すると、シモンは嬉しそうに笑った。


「それは実に名誉なことだ。またどこかで会えたら、美味しい飲み物でもご馳走しよう……しかし、最後に一つだけ願いを聞いてもらえるかい?」


 汽車が停まる。蒸気が音を立てると、他の乗客が慌ただしく小部屋を出て行く様子が見える。


「なんですか」


 訊くとシモンは頰を掻きながら照れ臭そうに息を漏らした。そして躊躇うように口を開く。


「名前だけでも教えてくれないか。次に会った時、困るだろう? 嫌ならいいんだけれど」


 気を使ってくれているのだろうか。その控えめな声に、イラは戸惑いを見せた。名を明かすのは、やはり気が引ける。口が重くなる。だが、ここまで共に旅をした彼の願いを無下にすることは出来ない。


「イラ、といいます。こっちはうさぎ」


 小さく囁くように、名を告げる。シモンの顔が途端に華やいだ。


「ありがとう、イラくん。また会おう」


「はい、また……」


 手を振り、イラは鳥打帽を目深にかぶると、うさぎと共に汽車を降りた。



 そこはとても固い石のような地で、足をつけると靴底からひやりとした冷たさが伝った。氷の上に立つような感覚だ。

 駅の中は丸い電球が点々とあるだけで仄暗い。汽車が体を休めるように蒸気を噴射させていたが、そろそろ発車するのかジリジリとけたたましいベルが鳴り響く。

 イラは白い汽車をぼんやりと見つめた。車体がゆっくりと動き出す。


「ねぇ、うさぎ」


 ごうごうと音を立てて走り出す。それを見送りながら、イラはぽつりと呟いた。


「頼りない僕だけど、改めて……よろしくね」


「ん」


 うさぎは素直に反射的に唸った。彼女もイラと一緒に、汽車を見つめている。


「これから、ここでしばらく頑張らなきゃいけないんだ」


「あぁ」


「どうなるか、分からないけど」


「………」


 不安は山積みだった。どんどん伸し掛ってくるように思え、イラはシャツの裾をぎゅっときつく握った。


 その瞬間。

 急に、肩が軽くなった。同時に、引っ張られる感覚。いや、引っ張られたのだ。よろけたイラは冷たく固い床に突っ伏した。うさぎがすぐさま辺りを睨みつけ、持っていた大鎌で威嚇する。

 イラは何が起きたのか分からなかった。


「かばん……」


 前に立ちふさがったうさぎが唸る。


「かばん?」


 確かに、肩に掛けていたカバンがない。


「あいつに、とられた」


 うさぎが指す方向――駅の高い屋根を支える鉄の細い骨組みに、ボロ布のような何かが引っかかっていた。


「あれが、かばんをとった」


 彼女の言う通り、それはボロ布ではなく、それをまとった何者かだった。


 うさぎの鎌が白い光を放つ。フリルが上空を切り裂いた。

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