第二章・虚実の旅路

1・七十年前の悲劇

 この村は、一度だけ災厄に見舞われた。苛虐的でかつ暴力的に、あらゆる悪意にまみれたものだ。


 あれはまだ、世界に魔法が密やかに生きていた頃のこと。同時にイビトが権力を握っていた頃のこと。

 深緑の村は魔法とイビトに虐げられていた。村民に自由がなかった暗闇の時代。


 草木も眠る寒さ厳しき季節に突如、村を覆うほどの大火災が起きた。家々は炭と化し、人々もまた炎の渦によって多くが死に、沈下するのに丸三日を要した。


 何故このような災いが起きたのだろう。


 国と、それに等しく絶大な力を持っていた叡智えいち学会から、この災厄に関する行いを徹底して調査するように、との通達が舞い込んできた。

 どうやら、同時刻に村外の地でも騒動が起きていたらしく、そこには魔法と科学だけでは計れない何かが潜んでいると考えられた。


 要は、騒動の主犯を差し出し、見せしめに殺せということだ。

 そうしなければ、世界の均衡は保たれない。世界の秤が一方に傾くことは許されない。

 国というのは人よりも強く、非情で傲慢だ。だが、人ありきの国であることを、その立場が取って代わられていることを誰も気づけなかった。


 当時、村の権力者と言えば村長よりも発言力があった、審判役のガレンという男。

 三日三晩寝ずに消火に勤しんでいた村民を集めるなり、犯人探しという名目で苦痛を伴う尋問を行った。彼は、を持つ者がゆえに審判役という最高職に就いていた。


 そこで、何故か、いち村民であるただの農夫が大火災の主犯として持ち上がった。

 ガレン曰く、その目で農夫の嘘を見抜いたという。農夫は無実を証明しようと何度も、何度も、何度も叫んだ。


 だが、真実の瞳の力を前に、声は誰の耳にも届くことはなかった。犯人とされた農夫、テルモはガレンの命により村民たちの手で斬首されることとなる。


 そのテルモが無実であると村民が知ったのは、わずか数ヶ月後のことだった。




「――それが、七十年前に起きた悲劇。悪夢。私の目は虚言を映すことは出来ないけれど、しかし、卑劣な悪意は見えていた。えぇ、見えていましたとも。自分の父親が大罪人であるなど、信じるわけがないのですから。もう少し早く、貴方が来てくれたのなら私は、こうも強い憎しみを抱えることはなかったでしょう。それは貴方が一番よくお分かりだと思いますよ。ねぇ、イオル」


 校舎に避難したのは、ロノマだけだった。花火弾の影響で散り散りになった村長やエボニーすらも避け、彼女だけが冷たい教室で静かに佇む。外の喧騒に目もくれずに、まるで冥界のような黒い床板に立っていた。


 いや、彼女だけでない。その背後にはイオルがいる。魔女と呼ばれる彼は、外套の奥で口元を引きつらせた。


「復讐は済んだ、と十三年前に聞いていたのだが……よくも裏切ってくれたな、ロノマ」


「あらあら。そんな、裏切っただなんて人聞き悪いわ。貴方の飼い猫は優秀だと聞いていたのに、何をどう間違えて貴方に報告したのでしょう。それとも、あの駄猫はやはり猫だから頭が悪いのでしょうね。おまけに目も悪いのかしら」


「戯言はそこまでにしてもらおう。ロノマ、貴様は用済みだ。結果、あの子供を逃したのだから、その代償は払ってもらわねばなるまい」


 ロノマに向けられた声には怒りだけが込められていた。癇癪を起こす子供のような、ただただ己の機嫌を損ねただけの怒り。それは理不尽で横暴。

 かつての陰惨な事件を思い起こしたロノマの両眼には、七十年前の炎がちらついて見えた。


「代償、ですか。えぇ、そうですね。結果的にはこうなってしまいましたから、仕方ないでしょう。しかし、私を殺すことで貴方の怒りが収まるとは到底思えません。私の死後、貴方は更に感情的に村民を襲うでしょうからそれだけは避けたいところです」


「貴様……」


 しかし、言葉は後に続かない。怒りのあまり、口がきけなくなったのか。それとも、事の判断が出来るくらいには頭が冷えたのか。

 イオルはそれ以上に何も言わなかった。代わりに、ロノマが口を開く。


「では、私は村長に話をしてきます。混乱を沈めるためには準備をしなければならないのです。本当の裏切り者が誰か、それを貴方に教えましょう。そうすれば、あとは煮るなり焼くなりなんなりと。最期まで貴方に付き従いますわ、イオル」


――それが、七十年前に交わした約束ですもの。


 彼女は小さく呟いた。その声はイオルには届かなかったが、廊下で忍ぶように立っていた三毛猫には聴こえていた。イオルの横をゆっくりと、足を引きずって歩く老女の姿を目で追う。

 一方、イオルは湧き上がる感情を抑えるように腕を強く、潰すように握っていた。


「……ロノマよ」


 教室から出て行く彼女を、イオルはふと呼び止めた。しかし、彼女は振り返ることはない。暗い虚空を見つめて、無感情な背中を見せるだけ。


「何かしら」


「貴様の方が相応しいのではないか。魔女、という名は」


 端々に怒りが滲み出ている。言葉には侮蔑も含まれていた。それを鮮明に聞き取った彼女は、小さく息を吐く。


「いいえ。それは違いますよ、イオル。『魔女』というのは高尚で高貴で高潔な存在ですから、私なんかが軽々しく名乗れるものではありません。復讐に溺れた哀れな俗人だわ」


 そして、彼女は静かに足を踏み出した。


***


 広場は今や騒ぎが大きくなっており、止まらぬ花火弾の威力に大人たちはてんやわんやだった。


 ともかく、子供らは安全な川辺へと避難し、そこにはどこからともなく現れたジン、リフ、ロイがいた。

 イザベラが子供たちを避難させていた丁度だったので、彼女のヒステリックな声が橋下を轟かせる。


「あなた達、一体、今までどこに……あぁ、でも、イラがいないわ。ジン、何か知らないの?」


 いつもの沈着な態度は消え去り、柄にもなく狼狽える教授にリフとロイは黙り込むだけで、ジンは面倒そうに息をつく。


「俺が探してくるから、お前は子供たちを守れ。いいな、ベラ。お前にしか出来ねぇことだ。何があっても守ってくれよ」


 その言葉に、イザベラはきょとんと目を丸くさせた。だが、すぐに調子を取り戻したようで、彼の太い腕を思い切り叩く。


「当然です。あなたになんか言われずとも、子供たちは私が責任を持って守り通します」


「助かる……ベラ、本当に頼むぞ」


 そう言い投げると、ジンは振り返らずにまっすぐ時計塔の方向へ走った。

 リフとロイには分かっていたが、恐らく彼はイラの後を追ったに違いない。


「どうか、無事でいて……」


 リフのその願いは声にはならず、細かい息となって空気に溶けた。


***


 花火弾による騒ぎに、村民は混乱していたがどうにか事を収めたのはジョータの指揮によるものだった。

 自警団が一人もいないという異変にはさすがの酔っぱらいでも気がついたらしく、また酔いがさめるような爆音だったもので事なきを得ようとしていた。


 ジンは催事場へは戻らなかった。

 うさぎにイラを託したものの、やはり彼らが心配で、追いかけたら間に合うかもしれないと僅かな希望を持っていた。


 催事場の反対側にある林を抜けると、そこは村長の家があるのだが、今の時間に戻っていることはないだろう。学校と時計塔には屈強な男たちが集まっているため避けなくてはならない。


 ジンは人気のない場所を探して、身を隠しながら足早に麓まで向かった。農場を突っ切るのも手だが、林に入ってしまえばもしかすると――


 思案する中、どこからともなく悲鳴が耳をつんざいた。


「な、なんだ……」


 途切れ途切れの叫び声。それはどうやら複数のようだ。びりりと肌が痺れるような、恐怖に満ちた悲鳴に足は竦んでしまう。思わず耳を塞ぎたくなり、ジンはその場でただ呆然と立ち尽くしていた。



 いつの間にかその音が消え去ると、代わりにぽつぽつと地面にシミが出来ていく。それが雨だと気づくのに、随分と時間を要した。


「なんだったんだ、今のは……」


 よろけながら歩を進め、ジンはやっと林へ辿り着いた。草木を掻き分け、道ではない土を踏む。


 途端、鼻の奥を何かどろりと生暖かい悪臭が通った。顔をしかめてしまうほど、気味の悪い臭い。その正体は何なのか、すぐに思い当たるも思考が行く手を阻んでしまう。ジンは胸の動悸を抑えながら進んだ。


 すると、何かが爪先に当たる。柔らかい肉の塊のような、植物ではないもの。


「……っ」


 全身が硬直した。力が抜け、その場に座り込めば尻にぬるりとした液状の何かを感じる。見ずとも分かる。

 そこらに転がっている死体と、切り離された首と、ぶち撒けられた血だ。それらが雨に晒されている。


――これは、まさか……。


 何が起きていたのか分かるわけもないのに、どうして思い当たってしまうのだろう。あの、白い少女が持っていた大鎌が脳裏に浮かんで愕然とした。


「おい、そこに誰かいるのか」


 前方に光が見えてくる。村民か。あの悲鳴が農場からでも聴こえたのだから、時計塔の近くにいた彼らが気づかないはずがない。光に当てられてしまえばどこにも逃げ場はなかった。


 明るみになっていくエボニーの死体。村民の目に映っていけば、皆が嗚咽を漏らし、苦痛の顔を見せる。背を向けてしまう者や蹲る者、卒倒する者もいる。この悲惨な状況を前に、誰もが正気ではいられないだろう。


 ジンは息を潜めた。しかし、それは無駄な抵抗だった。


「じ、ジン? お前、大丈夫か! 何があったんだ、ここで」


 駆け寄ってくる者が誰なのか、すぐには分からなかったが顔を見て誰だったかゆっくりと思い出される。ジョータだった。


「何があったんだよ、おい、返事をしろ」


「い、いや……俺が来た時にはもう……」


 気の利いた言葉など出て来るはずもなく、頭の回転は更に悪くなる一方だ。しかし、ジョータも言葉を失っている。誰もが何も声を発することは出来ないはず――だった。


「あぁ、もう。おどきなさい……全く、一体、どうしてこうなったのでしょう」


 ただ一人、老女の凛々しい声だけが雨の中を掻い潜ってくる。


「学校長……」


 ロノマが現れたことに、皆が驚きの声を上げた。そんな男たちを押しやるように退かし、ゆっくりと足を引きずって死体の群れの中に彼女は立つ。


「誰がどうして、というのは後々審判することにしましょう。起きてしまったものはどうしようもないのだから。ジョータ、貴方はこの子たちをきちんと弔う準備をしなさい。いいわね。貴方たちも手伝うの。いつまで突っ立っているのです」


 きびきびと険しく指示を促す老女に、一同はようやく動きを見せた。

 ただ、一人を除いて。


「あぁ、そうだわ。貴方はいたほうがいいですね、ジン」


 村民が働く中、ジンだけがロノマを睨みつけていた。

 それを彼女はしっかりと受け止める。ジンの元まで歩み寄ると、強くなる雨の中ではっきりと言った。


「貴方にはお話することがたくさんあるのです。そうね……まずは、十三年前のことについて、たっぷりとお窺いしたいわ」


 死体の回収が進む中、林の奥になびく黒い外套がある。ロノマの後ろにあるそれに、気づいてしまえばもう、あの淡く抱いた希望は掻き消えた。


 ジンは天を仰ぐように首をもたげる。雨は醒めるように冷たくどこまでも非情だ。


――ごめんな、イラ。やっぱりもう、会えそうにないらしい。

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