17・紅い雨、白い夢

 祭りの日は皆が催事場へ集まるので、村には一つも明かりがない。

 今夜は月が陰っており、雨雲が遠くの山から姿を現していた。


 暗がりの道を、息を潜めて動く影が三つ。時折、煉瓦の凹凸おうとつにつまづくも、なんとか村の中央部である噴水まで辿り着いた。


 リフは既に到着しており、石の囲みに腰掛けている。祈るように両手を握り、深刻な表情で三人を迎えた。


「イラ! 無事だったのね!」


 彼女は小さな叫びを上げ、大きく腕を広げるとイラに飛びついた。強く抱きしめられ、呼吸もままならない。


「息くらいつかせてやってくれ」


 見兼ねたジンが呆れ顔で窘めると、リフは慌てて離れた。喘ぐように息を整える。


「ええっと、リフが煙弾を投げてくれたんだよね。お陰で助かったよ、ありがとう」


「そんな、お礼なんて!」


 リフは眉を頼りなげに下げた。


「あたしはあなたの親友よ。イラが大変なら、助けるに決まってる!」


「リフ、あまり声を上げないでくれ。気持ちはよく分かるが」


 ジンが宥めすかす。彼はリフがいた場所に置いてあった鞄を引っ掴んだ。それを険しい顔つきでイラに渡す。

 いつも、イラが肩に掛けている古い鞄だが、何やら物がぎっしりと物が詰まっている。


「すぐに村から出るぞ。いずれ、俺とお前は村中のお尋ね者になるだろう」


 村中が敵に回るとなれば命がいくつあっても足りない。恐れていたことが、既に背後まで迫っている。


「今はどうも村長と学校長、魔女、あとはエボニーか。まともに相手は出来ん連中だ。それなら逃げたほうが早い」


 ジンは早口に言った。そして、ズボンのポケットに入れた村の地図を引っ張り出す。

 暗がりのせいでよくは見えないが、村のおおまかな地形図は頭には入っているので、ジンが指す方向に何があるか見当がつく。


「汽車はふもとと『太陽の丘』の境目にあるようだ。この村より別の場所は地図が手に入らなかったから追々どうにかする。とにかく村から離れねぇと……で、今朝から下見に行ってきたんだがな、農場を迂回して麓まで行けるようだ」


 牧草や作物の影に身を潜めることは確かに効果的だと思う。しかし、先程の襲撃が堪えており、不安は拭いきれない。


 時計塔の方面では、未だ爆音が鳴り止まない。

 十数人しかいないエボニーはそちらの処理に手こずっているのか。


「リフたちは?」


 困惑と不安に満ちた二人を見やり、慌ただしいジンに訊く。

 彼は地図をイラのズボンのポケットに突っ込みながら、後ろめたい声で唸った。


「それについては俺がどうにかする」


 二人がこの逃亡に加担していると知れたら、村民の矛先が向かうかもしれない。

 察するにリフとロイが独断で手を貸したのだろう。改めて、二人の思いに感謝する。


「そういうわけだから、お前は先に汽車の乗り場まで行くんだ」


 ジンはズボンの尻ポケットから鳥打帽を引っ張り出すと、それをイラの頭に置いた。

 ぶかぶかの帽子は、ジンのもの。イラはツバを持ち上げてジンを見た。彼はぎこちない笑みを向けている。


「何、心配するな。こっちにはがいる」


「心強い、味方……?」


 そう言えば、どうして気が付かなかったのか。あの白い少女がどこにもいないということに。ジンは彼女に何を言ったのか。それを探るにはあまりにも時間がない。


「二人は俺が無事に会場に送り届けるよ。その後……落ち合おう(もしかすると……これが最後に)


「――分かった」


 ぼやけていくジンの声に、イラはしっかりと頷いた。それから、未だに不安顕わな友人を見やる。


「イラ!」


 リフがイラをもう一度抱きしめた。首に両腕を回すと、彼の頬に口づけをする。


「私、あなたが大好きよ。こんなことで……本当はお別れなんてしたくない……」


「リフ、ロイ、君たちは僕のこと……知ってたの?」


 訊くとリフは首を横に振った。イラの服を掴むロイも下を向いたまま。


「あんまりよく分かってないけれど、でも、今はあなたが危ないってことだけはよく分かるわ」


「イラ、ごめんね……僕、その、君をなんだか知らないうちに騙してたみたいで……」


 もごもごと口ごもるロイだが、イラは何のことなかさっぱりだった。しかし、その答えを聞くことも今は許されない。ジンが二人の頭に手を置いた。

 彼らは名残惜しそうにも従い、イラから一歩ずつ離れる。リフの大きな目には涙が溢れていた。ロイは鼻をすすっている。


 ジンは二人の頭を撫でながら、イラに溜息を投げた。


「すまない。本当に。こんなことになるなんて……どうなるか分からねぇから、これだけは先に言っとくぞ。俺はいつだってお前を大事に思ってる」


「ありがとう、ジン」


 まるで、別れの言葉のように聞こえるそれには、一欠片も誤魔化しや嘘がない。

 イラは地図を握りしめて、三人からゆっくりと遠ざかった。噴水から枝分かれした道、その先へと歩を進める。


「ねぇ!」


 リフの声。イラはそれを背中で受け止めた。


「また、会えるわよね……?」


 その言葉には、軽々しく頷けない。でも、希望くらいは託してもいいはずだ。

 イラは地図を更に握りしめると、涙を堪えて言った。


「必ず……会いに、行く」


 それだけ告げると、もう彼らから目を背けて煉瓦道を蹴った。




 とにかく逃げなくては。見つかれば魔女の餌食にされるか、殺されるか。学校長のあの殺意は尋常ではない。彼女の目に触れれば、どんな酷い仕打ちを受けるか。


 イラは背の高い牧草が広がる開けた場所を進んだ。

 足取りは良くない。荷物が重いことも含むが、エボニーに拘束された時に全身のあちこちを強打したようで、じわじわと綻びを感じる。緊張を張り巡らせているせいか、心拍数も上がっている。いつもは暖かく心地良いはずの夜風が、ぬるりと頬を撫でるようで不快だった。


 草を掻き分け、低姿勢を保ちながら農場の奥にある畑まで進む。催事場とは反対方向の場所ゆえに、状況の確認が難しい。


「う、わっ!」


 背後を気にしながら進んでいたので、すぐ真下にある細長い用水路へ片足を突っ込んだ。濡れた重い靴を引き上げて、用水路を飛び越える。


 もうすぐ畑が見えてくるはずだが、鬱蒼と茂った牧草のせいで視界が悪い。


 逸る気持ちのせいで、どんどん胸の鼓動が早くなり、呼吸が荒れていた。比例して徐々に歩幅も速度も落ちてきてしまい、不安と恐怖は募る一方。


 イラは叫び出したくなる気持ちを抑え、震える膝を叩いて先へと進んだ。


――もうすぐだ。


 自身を励ます。脳内に刷り込むように。


 牧草地と畑を隔てる小道を横切ると、柔らかな新芽が伸びる広大な縦縞の地がようやく現れた。


 風は静かで、不気味な温さに恐怖を煽られる。肩に掛けた鞄のベルトを握りしめて、イラはゆっくりと周囲に耳を傾けた。風の向こうに何者かの気配がないか調べる。ざわざわと牧草が葉を鳴らすも、そこに荒々しさはない。


 誰もいないことを確認し、ズボンのポケットに突っ込んでいた地図を引っ張り出した。畑と牧草の境目であるということは、もうすぐ林が見えるはずだ。そこに辿り着くまではまだ気が抜けない。


 ジンは大丈夫だろうか。

 無我夢中でここまで来たが、背後から一向に姿を現してくれないジンのことも気がかりであった。


――もしかすると、本当にこのまま……。


 不安をぐっと噛み殺し、イラは痛む足を擦りながら再び歩き始めた。

 耕された土はふっくらとしており、靴底はいくらか穏やかだった。音が土に吸収されるので忍ぶには最適だが、それは他の人間や獣も同じこと。警戒心は増す。

 牧草が遠ざかるにつれて、イラは数歩に一度は後ろを振り返っていた。


 ジンはおろか、誰の姿も見当たらない。視線もない。ただ静かに夜を待つ空間。追手の気配が一切ないことは不可解だが、この好機を逃すわけにはいかない。


 そろそろ、林が見えてきた。土を踏みしめる足の指が疲労を訴えている。それでもあの林を抜けなければ、まだ安全とは言い切れない。


 柔らかな土を抜けると、樹木がぽつぽつと立ち並ぶ場所に入った。そこから先は濃紺の林道である。陽があるうちは、穏やかで長閑な木のトンネルであるのに、暗く寒々しい姿へ変えていた。あの森の入り口を彷彿とさせる。

 しかし、今は暗がりよりも、殺される方が余程恐ろしい。


 道を外れて、木が立ち並ぶ腐葉土に足を踏み入れた。木の根元で息を潜めながらそろりと移動していく。慎重に、隠れながらただひたすらに南を目指した。


 獣ですら通らないのか、なだらかな斜面となる地には硬い草木が生えている。ガサガサと掻き分けていると、ふと、それ以外の音が耳に届いた。


 誰かが、いる。


 はっきりとは分からないが直感した。背後の視線を。

 細やかに、軽やかに、木の葉を蹴る音が一定のリズムで近づいている。


 息を殺して、歩を進めるも硬い草に阻まれた。随分と身体を酷使したせいか、なかなか思うように踏み出せない。次第に重くなる足を忌々しく思いながら、イラは林を抜けるべく急いだ。


 来る。


 もうすぐ側まで迫っている。


 追いつかれてしまう――


「待て」


 涼やかな、冷たい声がした。そこには決して甘さはなく、低く暗い音であるのに幼い少女の色を含ませている。

 イラはすぐさま動きを止めた。心臓までもがその機能を停止しかける。


「まさか……」


 振り返るまで生きた心地がしなかったが、その正体に覚えがあると確信した。目の前にいる人影に思わず声を投げる。


「君、うさぎだろう? どうして、ここに……」


 白く長い髪の毛を垂らし、草木を小さな手で押し退けながらこちらへ向かってくる者――紛れもなくうさぎだった。


「あの……大男の、


 彼女は辿々しく問いに答えてくれた。だが、上手く頭が回らずに首を傾げてしまう。今はもう、ただただ疲労に支配されていた。


「大男って、誰?」


「知らない……いや、お前の知っているヒト、だ。あの、大きな男」


「……もしかして、ジン?」


 ようやく彼女の言葉を理解し口に出すと、うさぎはこくこくと頷いた。

 なるほど。ジンが言っていた「強い味方」というのは、やはり彼女のことだったらしい。

 彼女の活躍をジンがどこまで知り得ていたのかは分からないが、確かにあの大鎌は強い武器となるだろう。


 うさぎはイラの元まで素早く近寄ると、彼の手を労るように取った。小さな温もりが触れると切り傷に沁み、顔をしかめてしまう。だが、張り詰めていた心は僅かに緩んだ。


「イオルは。とても、悪い。ここを出ても見つかる。それに、は信用出来ない、と言われた」


「ジンにそう言われたのかい? 確かに、君が居てくれたら心強い、けど……」


 彼女を巻き込んでもいいのだろうか。魔女イオルとうさぎの関係はまだはっきりとは知らない。彼女も危ない目に遭うのではないだろうか。

 あの月夜のことを脳裏に浮かべると、そんな思いが膨らんでいく。


 イラは躊躇いがちにうさぎを見やった。その白い少女は静かに首を横へ振る。


「私はイラを守る。そう誓った。私を助けたから」


「そんな……大したことはしてな」


「私は、イラを守るよう、んだ。私はそれを、嫌だとは言わなかった」


 強い口調で言う彼女は、小さな手のひらで鎌の柄を握り、その先端を地面に突き刺した。


「私の主は、イラだ」


 ちぐはぐな言葉。それでも、必死に訴える少女の姿を無下にすることは出来ない。しかし、困惑が胸中を占めていき、上手く言葉を返せない。邪魔な迷いのせいで更に疲労が押し寄せる。


――考えるのはよそう。


 頭を使うと、脳内を脈打つ痛みが巡る。眉間を揉みながら、イラはうさぎの手を取った。


「麓まで急ごう」


 しかし、うさぎはまったく話を聴いておらず、周囲を忙しなく気にし始めた。この様子には見覚えがある。イラは悪い予感を過ぎらせた。


 次第に林の向こうが騒がしくなってくる。農場から畑の辺りに揺らめく光が見えた。そして、無数の松明を持った人影が浮かび上がる。


「いたぞ!」


 荒々しい、鋭い声が刺さる。がやがやと集まるそれらは、熱を帯びてぎらついた真っ黒な詰襟集団だった。

 一気に押し寄せてくる。

 麓へ走ろうにも、硬い雑草と枝が立ち塞いでいる。


な」


 傍らのうさぎがぼそりと言った。そして、イラの手を離すと、彼女は得物を両手で握りしめて走る。疾風の如き速さで、黒檀の中へ飛び込んでいく。


「うさぎ!」


 呼び止めるも遅く、白いフリルの塊は上空へ飛び上がると、黒光りする刃物を振りかぶった。


 空を切り裂く。ふわりと浮き上がる長い白髪しろかみ。揺らめく毛束の隙間から、松明の炎が散り散りとなる様が窺える。


 静かで野蛮な目つきの少女が、エボニーたちの動きを止めた。

 圧倒的な力の差に恐れ慄く彼らの目には、首を刈り取られた幾人の姿が映っている。生気のない虚ろな表情がごろごろと地面を滑っていく。絶句。その場にいた全ての息が止まった。


 軽やかに地へ足をつけたうさぎは、得物を持ち直して構える。彼女の肌や髪の毛には、真っ赤な液体がまとわりついていた。どろりと滴り落ちるものをもろともせず、彼女は再び鎌を奮う。

 その猛威を止める者はいない。出来ない。悲鳴と怒号が渦巻く中に、白い少女の獣じみた顔が薄ら笑う。


 イラはこの光景を目の当たりにし、立ち竦んでいた。全身の機能を奪われたようにただただ呆然とする。


 刃が最後の悲鳴を切り裂いた時、ようやく彼女は動きを止めた。

 柔らかな腐葉土一面に、首なしの胴体と刈り取られた頭部が転がっている。鬱蒼と生い茂った草木には黒くぬったりとした惨状の後。


「う、うさ……ぎっ」


 イラは嗚咽を漏らしながら、その場にくずおれた。

 目の前には白髪を揺らめかせ、顔面を滑る血をぺろりと舌で掬い取るうさぎ。爛々と光る獣の目がイラを捉える。


「なん、て、ことを……」


 あまりの衝撃に、声が喉の奥でつっかえるもなんとか絞り出す。

 うさぎの爪先が、こちらを向いた。


「犠牲無しで、イラは助からない」


 無情な響きが、イラの喉をますます締め付ける。


「イラは助かりたいから逃げる。でも、犠牲はいらない……なんて。それは、とても変だ」


 足元に転がる、エボニーの顔を踏みながらうさぎはイラの元へ歩み寄った。

 彼女の目は儚げな色に戻っている。それでも、血に濡れたその顔は異常を示していた。

 十数人の大人を、たった一人で全て殺めてしまったという事実を処理するなど、疲労困憊の脳では不可能である。


 イラはもう考えることを、やめた。


「あめ……」


 うさぎは顔を上げて天を眺めた。彼女が切り拓いた木々の上には濁った雲が蠢いており、微かな湿り気を帯びている。そして、ぽたりと一つ落ちてくると、やがては灰色の雫が降り注いだ。

 うさぎの、真っ赤に染まった身体へと染み込み、元の色を取り戻していく。


 彼女は小さな手のひらをこちらへ伸ばした。


ここを出よう、イラ。それが、ジンあのヒトの願いだ」


 イラは意識を置き去りにしたまま、その手を取った。小さな温もりに触れる。


 灰色の雨に打たれる少女の凛とした姿が視界を埋め尽くす。いつかの白い夢が脳裏を掠めていた。



《第二章へ続く》

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