16・黒檀の自警団

 ロイの顔はさざなみを打っておらず、ただ安穏と何気なく告げられた言葉で、イラに偽りを知らせるものは何もなかった。確かにイザベラ教授が自分を呼んでいるのだと、信じて疑うわけもなく彼女の尖った頭を探して学舎までやって来た。


「……先生?」


 長机は外へ運び出しているので、今の教室はおろか、隣の教員室でさえ何もない空っぽの室と化している。ひょっこりと顔を覗かせても、誰もいない。


 壁の向こうでは賑やかな大宴会の音が聞こえるが、隔てられているせいか、教室の静けさと不釣り合いに思える。


 イラはひやりと胸の奥に冷たさを感じた。断定の出来ない、漠然とした嫌な予感。

 それがじわじわと忍び寄り、その場から逃げ出したくなる。ひと目でも良いからリフやジンの顔を見て、安心したい。


――戻ろう。


 足早に教員室を離れ、イラは外へと通じる出口を目指した。


「ちょっと、リフ。後片付けを手伝って頂戴よ。進まないでしょ!」


 広場の中心で、ハノンのヒステリックな叫びがこだます。リフがまた何かやらかしたのか、とそちらの心配も抱きながら、外へと飛び出した。


 そこに立ちふさがる黒い影。

 勢い良くぶつかり、イラは床へと尻もちをつく。


「まぁ、イラ。どうしたのですか、そんなに慌てて」


 顔を上げ、ぶつけた鼻を擦りながら見上げると、その声の正体が分かった。地味なブラウスとロングスカートの女性、尖った頭と顎は紛れもなく、


「イザベラ先生!」


「そんなに大声を出さなくてもいいでしょう。耳が痛くなってしまう。それに、女性にぶつかっておいて謝罪の言葉も無しではいけませんよ」


「はぁ……あ、ごめんなさい……」


 急いで立ち上がり、教授の顔色を窺った。しかし、差し込む夕陽のせいか、彼女の顔は影に隠れていた。


「あの、先生……」


「はい」


「その、僕のことを、呼びましたか?」


 イラはごくりと覚悟を飲み込み、ゆっくりと問いかけた。そんな彼の緊張を汲み取りもしないイザベラ教授は、きっぱりとすぐさま答えを返す。


「えぇ、呼びましたとも。教員室、ではなく時計塔に呼んだはずなのですけれどね。一体、ロイは何を聞いていたのやら……」


 その言葉に偽りは見当たらなかった。イラは思わず息を吐き出し、胸を撫で下ろした。ついでに顔が緩みきっていく。


「だから私はを探していたのですよ。後片付けについて少し、話をしましょう」


 そうして、教授はくるりと踵を返すと、顎で外へ出るよう促した。



 ***



「祭りは成功、と言っても良いかと思います。しかし、本来ならばイラが全てを取り仕切っていかなくてはならなかったのです。先代のリーダーもその前もそうでした。君には少し、自覚と自信が足りません。そのことをよく覚えておいでなさい」


「う……すみません」


 外へ出てから、イザベラ教授はくどくどとしつこい。三日前にも同じことを言っていたが、こうした説教をするのは彼女の癖でもあった。

 嘘偽りなく言いたいことだけを全て言うので、身構えることなく話に耳を傾けていたのだが、こうも繰り返し説教をされては頭が痛くなってくる。


 それに、どうも時計塔までの進みが悪いように思える。いや、教授の足が僅かに遅いのか。


「いいですね。くれぐれも、他の人の迷惑になるようなことはさせないこと。祭りと言えど、羽目を外してはいけません。いえ、楽しむなとは言ってはいないのです」


「あぁ、はい……」


 訝る暇もなく、話が終わることはなかった。時計塔まで足を踏み入れても、彼女の尖った口は止まることがない。


「あの、先生……」


「なんです」


「あー……いや、後片付けをそろそろしたいかなーっと……」


 イラは苦笑を浮かべて見せた。しかし、彼女はその顔を見せようとはしなかった。イラの前を歩き、暗闇に染まる時計塔の中心で足を止める。


「えぇ、そうですね」


「それじゃあ……僕、そろそろ行きますね」


 イラはイザベラ教授の表に回り、その顔色を窺おうと足を一歩踏み出した。


 その時、彼女は顔を隠すように腕を上に上げた。素早い動きに驚くも、彼女の顔が隠れる瞬間にイラはその目で気づく。


 教授の顔が見えないのは、影のせいではなかった。イラには、本当にのだ。


「せ、先生……どうして、顔を隠すんですか?」


 後方へ右足を送りながら、じりじりと教授から離れる。


「見られたくない理由、が……あるんですか」


 彼女は何も答えなかった。その静けさが異様であるのは、既に気がついている。


……


 口に出しておかないと、恐怖で竦み上がった心を抑えることが出来なかった。息を止め、教授から距離を取る。

 一方で、彼女はじっと動きを見せない。その代わり、腕の向こうから息を吸い込む音が聴こえた。


「おや? 私が嘘をついているなんて、どうして分かるのです? 私は嘘が大嫌いなんですよ」


「えぇ、知ってます。だって、本当のことしか言わない……でも、僕にはあなたの顔が見えないんです」


 嘘をついた者の顔にはさざなみが現れる。

 イザベラ教授の顔面は今や、ぐにゃりと曲がった気味の悪い模様を浮かべていた。


「それに、イザベラ先生は『君』なんて言葉は使わない。あなたはイザベラ先生ではない……誰ですか」


 身なりや姿形はイザベラ教授。しかし、それは偽りの姿であるのだと、イラのには見えている。

 教授ではないその誰かは、顔にあてがっていた腕を下ろした。そして、長く息を吐き出すと喉の調子を整えるように「こほん」と、一つの咳払い。


「イラ。君は知っていますか? この世には魔法というものが古くから存在します。しかし、それは今では一つの知識として利用されているのです」


 コツン、と足音。長いスカートの中から靴の爪先が覗く。


「例えば、ことの出来る、『写しの灰』を用いることも、との繋がりをもってすれば可能なこと……」


 ゆっくりと振り返る。イザベラ教授の後ろ姿が、振り返られると共に縮んでいき、さざなみを打っていた顔は、波紋を浮かべて滑らかさを取り戻していく。その瞳に、よく知った老婆の顔が映し出された。


「ロノマ、学校長……」


「あぁ、とても嫌だわ、本当に……大嫌いよ、その


 穏やかさを湛えたその言葉に、一つも嘘はなかった。


「学校長先生、が、どうして……」


「あら、私だけではないのですよ。そうねぇ……この間、イオルからしらせを受けて、あちこちを探したのです。だから、ここに君を呼んだのよ。分かるかしら? 分かるわよね。君はもうイオルともお会いしたのでしょう?」


 イオルの名が、学校長の口から出てくるとは思わなかった。

 いや、彼女が彼を知っていてもおかしくはないのだ。ロノマ学校長は村でも長命にあたる。当然、十三年前のことも知っているはずだ。


 迂闊だった、と後を悔いても意味はない。

 イラは歯を食いしばり、とにかく背後にある扉までにじり寄った。


「そう簡単には逃がしませんよ。いえ、私ではなく、彼らが」


 扉が閉まる。その不吉な蝶番の音に、背筋に沿って悪寒が走る。


 時計塔は円形である。壁には螺旋状の石段がぐるりと囲むようにあり、その全てに目がついているように周囲から視線を感じる。

 暗がりでよく見えないが、その黒を纏う者には覚えがある。円錐形の制帽、詰め襟から外套マント、全てが黒一色の彼らは黒檀の自警団エボニーだ。


「捕らえなさい。彼は、許されない存在、いえ、赦さない存在なのだから」


 その冷酷なしゃがれ声に、すぐさま彼らは従った。そこには一切の情はない。

 逃げ場はどこにもない。窓は高い位置にしかない。何も出来ないうちに、両腕を拘束され、地面に頭を押し付けられる。悲鳴すら許されない。足をばたつかせ、蹴ろうとするも無意味だった。誰かから腹を蹴られ、呻きながら蹲る。

 すると、その背中に誰かが座った。


「そう焦るな、ローナ」


 喧騒の中でのほほんとした老爺の声が聴こえてくる。顔を地面に押し付けられているので誰なのか確認は出来ないが、学校長を愛称で呼ぶのは同年であるレトウ村長以外にいない。


「彼は魔女に差し出す、とそう約束したではないか。そうでないと、どうなるか分からん。無闇に手荒な真似は……」


「あら、君は知っているはずですよ。私が、あの瞳を大嫌いなことを……殺したいくらいに、とてもとても大嫌いだってことを」


「あぁ、それはよう知っておる。しかしな、約束は守らねばならん」


「構うもんですか。レトウ、君は魔女が怖いのですね。まったく、臆病者は次に嫌いよ」


 村長はロノマの言葉に、狼狽を見せた。出掛かった言葉を飲み込み、感嘆を漏らすと灯りをつける。


 時計塔内部は、赤い色で満たされた。


「……諸君。準備はいいかね? さぁ、これから、本物の祭りを始めよう」


「おいおいおい! ちょっと待ちぃ」


 すぐ上で声が轟いた。イラは首を回そうと力を込める。目の端から姿を捉えると、どうやらそれはイラの背に座り、両腕を拘束している男が発したものらしい。


「黙って見てりゃ勝手なことしおって。ほんと、ヒトっちゅーもんは勝手な生き物じゃなぁ。約束は守らないかん。そんなん、猫にだって分かるもんじゃ。なぁ?」


 陽気に笑うその三日月の口――それは確かに三毛猫だった。エボニーの制服を着ている。

 イラだけでなく、周囲の人間もざわつき、どうやら彼は密かに紛れていたのだと思われる。


「……魔女の衛兵、ね。あぁもう。イオルったら、何もかもお見通しってことね、流石だわ」


「褒めてもなーんも出らんよ、ばーさん。こいつはイオルのもんじゃ。あんたの好きにはさせられん」


 そうして、三毛猫は外套の下から拳銃を素早く抜いた。その銃口を真っ直ぐ、ロノマに当てる。


「貴様! 何をする!」


 口々に叫ぶエボニーたち。しかし、彼らは近づこうとはしなかった。ロノマが手を上げ、彼らを制したからだ。

 三毛猫は目を細めたままで、ロノマに笑みを向けている。村長は息を殺して、双方を見やっていた。


「君の仕事は、確か、ロイを操作することのはずですよ」


「あぁ、後はあんたが勝手なことせんように見張る仕事じゃな。なら、別んとこで晴らしてくれい」


 彼はそう言いながら、銃の撃鉄を起こした。その不吉な音に、身の毛がよだつ。


 イラは掴まれた腕をどうにか振りほどこうと、動く指先で三毛猫の手を引っ掻いた。

 すかさず、チチッと短い舌打ちが聴こえる。


「おっと、やめときぃ。あんまし動くとうっかり、腕折るかもしれんよぉ(そんなことは出来んけどなぁ)……っとと、嘘はいかんな」


 ケラケラと笑う三毛猫。その声は静かな塔で反響し、周囲の息をも止める力を持っていた。


「さーてと、あんたらの仕事はもう終いじゃ。ご苦労さん。あとは祭りでも楽しんどけ」


 三毛猫の声はどこまでも楽観的で、この張り詰めた空気にそぐわない。現に、ロノマ学校長も村長も黙り込んでいる。

 重く伸し掛るのは、恐らく三毛猫の体重だけではないだろう。

 イラは、とにかくここからの脱出しか頭になかった。


「コラ、暴れんじゃあない。まーったく、見かけによらず――……っ!」


 言葉が途絶えた。それはあまりにも唐突で、異変だと気づくのに時間は要さない。

 三毛猫は上空を睨んでいた。時計塔の硝子窓をじっと睨む。つられてエボニーも村長も、ロノマ学校長でさえその方向へと視線を上げた。


「伏せろ!」


 その警告がイラの耳に届いた時には、硝子窓の割れる軋んだ甲高い音が時計塔内部を掻き鳴らしていた。

 爆音と突風が一斉に襲う。周囲は煙と火花で埋め尽くされ、悲鳴が轟く。割れた硝子が、松明と煙の中へ吸い込まれて煌めいていた。


「学校長、村長、避難を!」

「全員、外に出ろ!」


 声が飛び交い、階段を駆け下りるエボニーたちは煙の向こうで慌ただしく足音を響かせる。


 三毛猫は煙から逃れようと、イラの服を掴んで飛び上がった。

 しかし、掴んだものがあまりにも軽いことに気がついた時、既に彼は割れた窓の縁に立っていた。手にした鳥打帽を睨むように、細めた目を開かせて舌を打つ。


 制帽を鬱陶しげに脱ぐと、三毛猫は外の闇へとその姿を隠した。




 イラは混乱に紛れて、エボニーが開いた扉から素早く脱出していた。

 時計塔から左手に行けば、獣飼舎がある。煙は、扉が開かれたことにより、外にまで手を伸ばしていた。

 獣飼舎の裏手へと一目散に走り、エボニーの目からは見えない茂みへと転がりこむ。


 口の中が痛い。どうやら、三毛猫に取り押さえられた時に口内を切ったようだ。そのじわりとした痛みに顔を顰め、茂みに身を潜めたまま、林の中へ隠れた。


 時計塔付近では未だ、バチバチと火花の弾ける音が止まない。

 あれはだと、今ならすぐに思い当たる。絶望的な状況であったにも関わらず、妙に頭は冴えていた。


――ジンかリフが近くにいるはずだ。


 花火弾を投げたのがリフであるのは間違いない。イラはその確証のない希望を抱き、時計塔の様子を今一度窺った。

 大きな爆音の中に、またも硝子が割れる音。時計塔は灰色の煙に巻かれ、一層の不穏を漂わせていた。



「……イラ!」


 背後から緊張のこもった囁きが突き刺す。息を止めてすぐさま振り返ると、イラの目に飛び込んできたのはジンとロイだった。二人はイラから少し離れた場所で、こちらに手招きしている。


「早く!」


 音を立てるのも厭わず、イラは無我夢中で二人の元へ飛び込んだ。


「ジン! ロイ!」


「良かった。無事……ってわけじゃねぇな。大丈夫か?」


 全身泥だらけのイラの肩を掴み、ジンが心配そうに覗き込む。傍らのロイも冷や汗を浮かべていた。


「あぁ、なんとか……まだ、動けるくらいには大丈夫。リフは?」


「今、また花火弾を時計塔に投げたところだよ。広場の噴水で落ち合う手筈さ」


「あぁ。とにかく急ぐぞ。イラ、走れるか」


 早口で説明をするロイに、割り込むジンの声。

 まだ油断は出来ない。あちこちについた痛みを無視して、イラはジンの心配を跳ね除けるように頷いてみせた。

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