13・その瞳に映るのは

 どんなに拒んでいても、必ず朝はやって来る。学校へ行かなくてはいけない。

 何かと理由をつけて休んでも良いのだが、人に迷惑をかけるのが苦手な性質ゆえにそわそわと落ち着かなかった。


「駄目だ」


 ジンは断固としてイラを家から出さなかった。


「でも、突然休むなんて不自然だろう?」


「それでも駄目だ。大人しくしていろ」


 ソファに押し込むように、イラを寝かせてジンは仕事へと出掛けた。

 言いつけを守るよう、うさぎまでもがイラを監視するべく横で鎮座しているので、今日はもう大人しくしていようと渋々諦める。


 息をひそめるようにイラは考えに耽った。

 夜明け前に聞かされたあの話をまとめるように脳内で整理する。


 確かに、魔女イオルの脅威は想像を絶するものだ。

 いや、あれよりももっと恐ろしいのだろう。ジン曰く、祭りの起源であるイビト狩りは他ならぬ魔女によるもの。紛れもなく首謀者だ。常軌を逸している。それらはもうこの目で充分に確かめた。


 この目で――


 イラは手のひらを自身の両目にあてがった。瞑った両目を強く押すように揉む。


「あの、変な幻覚はなんだったんだろう」


 イオルの目を見た瞬間に、脳裏を駆け巡ったあの凄惨たる情景。その場で見たような鮮明さ。

 途端に、吐き気を催すほどの不快感が空っぽな胃の中でのたうち回る。


――考えるな。何も考えるな。今は。


 自分を励まして、あてがった手を離した。そして、ぼんやりと浮いたような天井を眺めておく。しかし、すぐにまた暗い何かが捲くように忍び寄り、思わず毛布をかぶった。


――もしも、また村民が狂気を起こしたら、どうなると思う?


 自分もかつての彼らと同じように目を焼かれ、潰されてしまうのだろうか。泣き叫んでも、命乞いしても誰も聞いてくれない。狂った顔に睨まれながら殺されてしまうのだろうか。

 あぁ、それならもう家から出ないほうが確実にいいじゃないか。隠れてひっそりと生きていくほうがいい――



「イラ〜?」



 戸口から聴こえてくる声に、イラはハッと我に返った。うさぎが素早く立ち上がる。


「ねぇ、いるんでしょう? 開けて」


 またもコンコンと控えめなノックが部屋に渡るが、その音が心臓までもを叩いてくるようで、堪らずソファから飛び起きた。身体が硬直する。


「イラ。あたしよ。リフよ。お見舞いに来たんだけれど……」


 いつもの不躾な態度ではないが、その聞き慣れた高い声はまさしくリフだった。


 始業時間はとっくに過ぎているはず。また学校を抜け出したのだろうか。いや、今はそんなことどうでもいい。

 幼馴染の慣れ親しんだ声が心地良い反面、気を許しても良いか躊躇われる。しかし、リフの粘り強さをよく知っているイラは、返事をするまでずっと彼女は戸口に立ち尽くしているだろうと予想した。

 それに昨日のこともあり、無事かどうか直接確かめたい。


 そろりとソファから降りた。毛布を身体に巻き付けたまま、玄関へと向かう。すかさず、うさぎが立ちはだかった。


「――イラ」


「大丈夫だよ、うさぎ」


 説得力の欠ける「大丈夫」に自身で苦笑しながら、震える指先でうさぎの肩を掴んだ。そして、彼女を戸の前から退かす。うさぎは渋るように引き下がると、イラの背後で直立した。


 それを確認してノブを回し、小さく戸を開ける。すると、大きな胡桃型の片目がひょっこり覗いた。


「ジンおじさんから聞いたわ。今日、学校お休みするって……だからあたし、心配で来たの」


 すぐに声を掛けてくる彼女に、どう話をしたらいいか。舌が絡まったように上手くまとまらない。


「イラ、どうしたの。病気?」


「――リフ……君は、?」


 ようやく出たのはその問いだった。

 昨夜、自分の部屋に飛び込んできた少女のぼんやりと淀んだ目を思い出してしまったばかりに、言葉は疑いの空気を帯びている。

 自分でもおかしな質問だと気づいたが咄嗟に出てきてしまったもので、弁解はしなかった。リフもやはり怪訝そうに目を歪ませる。


「何をお馬鹿なことを……当たり前じゃない」


「――そうか」


 透き通ったオリーブ色の大きな瞳を認め、イラはゆっくりと戸を開けた。

 目に馴染んだおさげの少女が、大きなバスケットを抱えて心配の色を浮かべている。体の不調などどこにもない元気そうな姿に、イラは思わず鼻をすすった。


「うん、そうだよね。ごめん」


「ちょっ……どうしたの? イラ、あなた本当に大丈夫なの?」


 毛布にくるまり、その中で顔を埋める幼馴染の情けない姿に、リフは驚きと困惑の声を上げた。

 バスケットを地面に置き、少しだけ背伸びして彼の肩に両手で触れる。ふっくらと柔らかなリフの温度に、イラは唇を噛んだ。


「あ、あのね! 母さんがニンジンのケーキを焼いてくれたのよ。だから、ね? お願いだから泣かないで、イラ」


 よしよし、とあやすように背を擦ってくれる少女の手が、怯えた心に染み渡っていく。リフの華奢な肩に、重たくなった頭を乗せるといくらか気持ちは安らいだ。


「ごめん、リフ。僕……ちょっと色々あって」


「そうね。なんとなく分かるわ。ずっと一緒にいるんだから分かるもの」


「うん」


 状況を知らずとも言い切ってくれる。それだけで、今はもう充分だった。

 居場所があるのだと、彼女の横ならばまだ自分の居場所があるのだと希望が芽生えていく。


「――それでね、ええっと……イラ。あの子はどちら様?」


 耳元でリフの戸惑いがちな声がする。イラはようやく彼女の肩から頭を剥がすと、背後に立つうさぎを振り返った。


「説明出来ることが、少しだけならある」


 イラは掠れた喉を整えようと咳払いし、戸を開け放してリフを中へ招き入れた。



 ダイニングにリフを座らせ、自分は台所に立ってケーキを皿に乗せる。脇ではミルクを温めるため、鍋を火にかけて。

 ある程度ぼ用意が済んだら木彫りのカップをテーブルに並べて、ケーキを切り分けていく。その間で、イラは簡潔にうさぎの話を始めた。


「少し前に、怪我をしているのを見つけて、しばらく看病してたんだ。名前が分からないから『うさぎ』って呼んでるけど」


 テーブルの横に立ったまま、そのうさぎはリフをじっと見つめている。人形のような生気のなさに、リフは僅かに恐れを抱いた。時折、まばたきをするうさぎに、目を開かせて身震いする。


「あと、僕はしばらく学校に行けないんだ」


「え? どういうこと?」


 リフはイラへと視線を移した。ケーキの小皿を受け取りつつも、引きつった顔色を浮かばせて彼の淡々とした作業を見る。


「ねぇ、イラ。一体何が起きてるの? あたしが森に行ったせいなの?」


「いいや。リフのせいじゃないさ。どっちにしろ、こうなることは決まっていたのかもしれないから」


 遅かれ早かれ、過去を自覚する時は来るはずだったろう。

 例え、森へ足を踏み入れたことがきっかけだったとしても。それでも、彼女を責めたくはない。

 一方のリフは、釈然としない様子で頬杖をついていた。


「うーん……なんだか気味が悪いわね。はっきりしなきゃ、あたし、美味しくケーキを食べられないわ」


 フォークを三角の端に突き刺しながら口を尖らせる。その無邪気な仕草に、イラは小さく吹き出した。


「リフの家のケーキなんて、何年ぶりだろう……しばらく家に行ってないから、なんだか懐かしいなぁ」


「そうやってはぐらかすのね……まぁ、いいわ。遠慮なく食べてちょうだい」


 言いながら、リフは横に立つうさぎへと顔を向ける。


「あなたも一緒に食べましょうよ。そこにお座りなさい」


 フォークで突き刺したままのケーキで、空いた椅子を指し示す。だが、優しく毅然と促してもうさぎは微動だにしなかった。

 それにより、イラが苦笑を漏らす。


「うさぎ。君もおいで。お腹が空いただろう」


 リフが示した椅子を引き、木の背もたれを指で軽く叩くと彼女は揺らぐように動いた。長い銀色の髪の毛がなびく。

 素直に椅子へとおさまると、今度はオレンジ色の尖った三角を凝視した。


「――イラの言うことは聞くのね。あたし、そういう子が一番嫌いだわ」


「はっきり言うなよ……」


 イラはため息混じりに、むくれたリフを宥めすかすように言い、たっぷりとミルクを注いだカップに口をつけた。



 それからは、三人でケーキを食べていた。

 鮮やかなオレンジ色のニンジンケーキは、ふわりとした程よい弾力のある生地で、噛めば口の中でほどけていくような優しい食感だ。頬が緩みそうなくらい甘さたっぷりで、食べ続けていたら舌が麻痺してしまいそうだ。元が甘い糖蜜人参だが、蜂蜜によって甘みが倍増されているのも特徴的。

 この甘味はリフの好みである。母の作るニンジンケーキはリフの好物であり、また、イラが家に遊びに来た時や寝込んでしまった時によく作ってもらっていた。


 そんな少しばかり遠のいた思い出を振り返りながら、一口一口ゆっくりとたいらげる。

 うさぎは始終無言だが、食べる手を止めない。

 ケーキに添えた白いふかふかのクリームをフォークで突きながら、リフも口に運んでいる。


「それじゃあ、明日も学校へ行かないのね。いつまでお休みするのよ。お祭りだってもうすぐなのに……」


 切り分けられたケーキを食べ終えて、もう一欠片を皿に乗せながらリフがぽつりと言った。「お祭り」というその言葉に、イラはフォークを持つ手を緩めてしまう。テーブルへと落ちていった。


「もう、何やってるのよ」


 転がったフォークを目で追いながらリフが眉をひそめる。イラは「あはは」と渇いた笑いをわざとらしくこぼし、フォークを捕まえた。


「手元が狂っちゃって」


「ふうん?」


 探るような目を向けられると、勝手に心臓が狼狽してしまう。気を落ち着かせようと、イラはケーキを頬張った。濃厚な甘みでいくらか緩和されるが、気まずい思いまでは消し去ってくれない。


「そうだね……僕もはっきりといつまでって言えないけれど、お祭りは気になるなぁ。何せ、僕は実行役だしね」


「リーダーがいないお祭りなんて、寂しくってつまらないわよ」


「うん……」


 あけすけなリフの声が、どうにも今は重たく感じる。

 確かに、目玉焼き祭りのリーダーを任されているので、仕事をきちんとやり遂げたい気持ちはある。学校のまとめ役として、祭りを成功させなければいけない。

 だが、今はそんな自信などほとんど失せていた。まったくもって乗り気ではない。


 押し黙っていると、リフは気を取り直すように言葉を紡いだ。


「それに、あたしの宿題もどうなるのよ。イラがいないと、宿題がどんどん溜まっていくじゃない」


「うん……それは自分でどうにかして欲しいかな」


 その返しに、口の周りにクリームをつけたリフが機嫌悪そうに鼻を鳴らした。


「いいじゃない。丸写しなんてしない(する)し。人助けって思えば」


 そのサラリとした言葉に、引っかかるものがあった。思わず「え?」と声を滑り込ませる。


「今、なんて言った?」


「だから、丸写しなんてしない(する)し、これは人助けだと……」


 リフの怪訝な顔が、小さくさざなみを打った。それに、言葉が一部分だけ二重で耳に伝う。

 イラは目を擦って彼女の顔を見直した。見間違いだったのだろうか。いや、耳でもはっきり聴こえた。


 リフの小さな小さなが。


「イラ? やっぱりあなた、どうかしてるわ。ケーキ、置いて帰るから、全部食べて早く元気になってよ」


 言葉を失っている彼の様子がやはり挙動不審で、さすがのリフも気を落としていた。弱々しい声音に、今度は嘘が含まれていない。

 彼女はミルクを一気に飲み干すと、口元を拭った。


「そして、ゆっくり眠った方がいいわ。あったかくして、ようく眠るのよ。いいわね」


 ピシャリと言い、リフはイラを真っ直ぐに見ながら眉を吊り上げる。

 それから、残ったケーキの欠片を口に放り込むと「それじゃあ、お休みの邪魔をしちゃ悪いから」と早々に席を立つ。

 イラもその後を追うように、椅子をひいて立ち上がった。


「あの、リフ……」


 玄関の戸口で躊躇いがちに声をかけると、長くふっくらとしたおさげが振り返る。


「ケーキ、ありがとう。美味しかった。リオにも『美味しかった』って伝えてくれる?」


「勿論」


 得意げに笑うリフを見て、イラはホッと胸を撫で下ろした。


「あ、あと、学校には行くんだよ。君は成績が酷いから、ちゃんと出席しないと……」


「分かってるわよ。ちゃんと行く(行かない)から」


 うるさそうに言う彼女の顔を見て、イラは上手く返事が出来なかった。

 そんな彼の異変に気づくことはなく、リフは「またね」と名残惜しそうに家を出ていく。



――もしかして、が……



 見えてしまったもの。

 その正体が何なのか悟ってしまったイラは、戸に額を押し当てた。


 言葉を続けるのが難しくなってしまう。話すことが怖くなる。

 今まで、気付かないでいた「どうでもいいこと」がはっきりと可視化されていくことに、イラの心は竦んでいくばかりだった。

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