12・隠されてきた子

 意識的か無意識か、こじ開けるようにして視界が広がる。

 未覚醒の脳が、ようやく天井を認めてイラは自分が今どこにいるのかが分かった。ぼやけているせいか、見慣れているはずの家に温かみを感じる。


――そうだ……僕、魔女の城に行って……


 そこまで思い出し、慌てて起き上がった。


「うさぎ!」


 彼女は自分のすぐ右側で鎮座していた。辺りを見回す。

 椅子、テーブル、キッチン、ソファ……どれも変わった所はない。


――あれは、夢だったのか。


 しかし、チクチクと全身の痛みがまだ残っている事から、全て現実だったのだとすぐに思い直す。途端に、指先が震えだし背筋にぞわりとした寒気が走った。頭は重く、何か大きな物を乗せているかのようにぐらついてしまう。


「イラ、まだ起きるな」


 無愛想に咎めるようなうさぎの声。

 それに従って、ふらつく体を支えながらソファに背中を倒した。首だけ回して、うさぎを見上げる。


「……君が助けてくれたの?」


 その問いに、彼女はこくりと頷く。


「ありがとう」


 イラはうさぎに微笑んでみせた。しかし、顔の筋肉がつるようで、上手く笑えない。それでも、彼女の顔はいくらか和らいで見えた。


だ」


「え?」


「怪我した私を、イラが助けた。その


 うさぎの歪な言葉に、しばらく考えを巡らせる。その意味に気づき、イラは思わず吹き出した。まだ顔は痛いけれど、恐怖は徐々に解けてきたようだ。


「それを言うなら『恩返し』だよ。でも、僕、そんな大層なことしてないよ」


「おんがえし……恩返し、だ」


 初めて覚えた言葉らしく、彼女はずっと繰り返しては照れたように顔を髪の毛に埋める。そんな彼女の頭を撫でた。


 すると、目の前が少し陰った。その姿を現してきたのはジン。額に小さなかすり傷が見える。彼は心配そうにイラを見つめていた。


「イラ、大丈夫か」


「うん……なんとか」


 その髭面を見たら、涙腺が緩みそうになる。

 しかし、すぐに脳裏を駆け巡ったあのイオルの言葉に、イラの心臓は早鐘を打つように動きを早める。ドクドク、と不吉な音が響いてくるようで頭が痛くなる。



《君が知らないのは、至極当然。育ての親が隠していたのだよ》



 ジンが隠していること――それを、訊いたら教えてくれるだろうか。イラは毛布を被り、目元だけそっと覗かせた。


「この子から大体は聞いた。本当、無事で良かった……まったく、なんでこんなことに……」


 イラの胸中を察することなく、ジンは安堵した表情で床に座り込んだ。持っていた濡れタオルをイラの額に置く。ひんやりと心地よい冷たさが、疲れきった脳へと浸透していく感覚。ほんのり透き通ったハッカの香りが鼻の奥へ届く。


 イラは心の緊張を緩め、ゆっくりと毛布から顔を出した。


「……リフは?」


「あぁ、リフならすぐに家へ送り届けたよ。気がついたら、お前もこの子もいねぇし、代わりにリフが倒れてるし、部屋はメチャクチャだし……あの男はなんなんだ」


 疲れきったように息をつくジンに、イラは何も言えずにただ黙り込む。

 すると、うさぎが低く唸った。


「イオルの従者、三毛猫」


「イオル……ってのは、なんだ。もしかして、魔女か」


 魔女、という言葉を耳にした瞬間、うさぎは少しだけ眉を寄せた。不機嫌そうな顔をする。


「あぁ、その通りだよ、ジン。僕は、魔女に捕まって……」


 あの冷酷な瞳を思い出すと、どうしても息が詰まってしまう。考えるだけで気分が悪くなった。

 またもや黙り込んだイラに、ジンは頭を抱え込む。こちらもどうやら何を言ったらいいか分からないようだ。


《君が知らないのは、至極当然。育ての親が――》


 頭に張り付いて剥がれないイオルの声。ジンが隠していることとはなんなのか。

 イラは目を瞑った。先ほど起こった出来事について考える。

 魔女のこと。両親のこと。村のこと。『真実の瞳』を持つという、自分のこと……一体、自分は何者なのか。


「――ねぇ、ジン」


 イラは浮かない顔をする育ての親を見据えた。


「僕に隠していることがあるだろう?」


 その言葉に、ジンの目が泳ぐ。迷ったように口ごもる彼に、イラは溜め息を向けた。


「話してよ。全部。僕のこと」


「いや……」


「確かに、僕は今まで不自由なかったし、両親がいなくても寂しくなかった。聞かなかったのもあるけれど……真実の瞳を持っているって、どういうこと?」 


 その言葉を発した時、ジンはイラの目を凝視した。何かに怯えるような目を向け、またすぐに逸らす。そして息を止めていたのか、喘ぐように口を開く。


「本当、なんでこんなことになったんだろうな……いや、もう最初から決まっていたのか……」


 そこには嘆くような響きがあり、ちらとうさぎに目をやった。そして、イラの額に乗せていた濡れタオルをつまみ上げ、居たたまれなくなったようにその場から離れた。

 思いつめるような、深刻な顔をさせたかったわけではないが、今はとにかく真実が知りたい。


 イラは毛布の中から、自分をジッと見つめるうさぎを見やった。彼女は依然として、置物のように動かない。静止した状態だった。白いフリルの衣装は、とても綺麗で眩しく思える。

 ふと、イラは気づいた。連れ去られる前、うさぎは確か三毛猫の攻撃で額と腹に穴を開けられていた。それなのに、どうして何事も無かったように無傷でいるのか。服も体も。


「もう、なんともないのかい?」


 イラは躊躇うように訊いた。

 彼女はこくりと頷くだけ。それ以上のことは何も口にせず、いや説明が出来ないのか、無表情を貫いている。


「君も僕も、一体なんなんだろうね。分からないや……」


 魔女の言葉を全て信じたわけではない。しかし、あの声が言葉が呪いのように染み付いていて、まるで操られているように疑わざるを得ないのだ。ジンを信じたくとも、彼が何かを隠しているのは見て取れる。


「イラ」


 額にまたもや、ひやりとした感触が。濡れタオルを新しいものに取り替えたらしいジンが、イラの目の上に大きな手のひらをかぶせた。その声音は、柔らかくて今にも崩れてしまいそう。


「お前に全部、話してやる……って言っても、多分、お前に嘘をついたら簡単に見破られそうだな」


 おどけるような口調。それなのに、彼の静かな言葉でイラの胸の中は不穏のもやが渦巻き始めた。


「休め、と言っても無理だろう。お前に話さないと、と常日頃思っていたが、俺には荷が重すぎた。そういうの、お前ならまぁ……分かってくれるんじゃと甘えていたのもあったんだが。本当に、悪かった」


 そう前置きをすると、ジンは息を吸い込む。イラは目に手をあてがわれたまま、固唾を飲んだ。


「まず、最初に。お前、真実の瞳については学校でも習ったと思うが……要するに、あれは嘘を見抜く瞳を持つ者を指している。知ってるな?」


「うん」


 学校では歴史の授業でそのことを学んでいた。昔話にもある。

 約百年前、魔女と呼ばれる者が「イビト」という人種を作り、世界を脅かしたこと。その「イビト」の性質の一つに「真実の瞳」というものがあること。深緑の村にも、そういった人が住んでいたこと。それらを断片的に、脳で思い浮かべる。


「俺が言えるのは、この目で見てきたことだけだ……俺は元々孤児で、とある優しい人に育てられた。それがお前の両親だったんだ」


 ぽつりぽつりと出てくるのは、少しばかり説明が雑で辿たどしさがある。彼なりに話をまとめてきたのだろう。不器用なジンの話を、イラは黙って聞いた。


「子供の頃はまだ、村も穏やかだった。森には魔女も住んでいたけど、今ほど危険はなかった。森にもすんなり入ることが出来たし……でも、お前が生まれてすぐ、村はとても変わってしまったんだ」


 穏やかな村の変貌。そこで起きた事件――その忌まわしさが、彼の手のひらにこもる熱のせいでこちらにまで伝播していく。せっかく冷えたタオルが知らぬ間に温もっていた。


「魔女だ。諸悪の根源は魔女なんだ。あいつがあの森にいるから、おかしくなってしまったんだ……ただ、これには確たる証拠っていうもんはない。俺の勝手な思いだ。十三年前のこの時期、イビト狩りという酷く恐ろしい事が起きた。それまで、どうやら隠れて村に住んでいたらしい、イビトが……その……」


「僕の両親だった?」


 口ごもっていくジンの言葉を掬い上げるように、イラが素早く言う。ジンは彼にかざしていた手のひらを少しだけ浮かせた。


「いや、お前の両親だけじゃねぇ。他にも数人はいたんだ。俺は知らなかった。だって、普通の人間と変わりなかったんだ。それなのに……村のヤツらは気が狂ったように、特に村長を含む老人がそうだった。あいつらは、イビトたちを捕まえて……殺したんだ」


 イオルが言っていた、村民の狂気とはこのことだろう。あの、話は嘘ではない。嘘ではないことに、イラは絶望を感じた。

 じわじわと侵食する気持ち悪さに、内臓のどこかが痛む。気管が蓋をしてしまったような息苦しさに、思わず両眼を閉じた。


「酷かった。とても口で話せるようなことじゃねぇ。思い出したくもない……あんなもの。俺は昔から、目玉焼きが嫌いだ。それは……」


 どんなに瞼を閉じても、魔女の城で見たあの凄惨な光景が蘇ってしまった。

 ジンの声は震えて、今ではもう顔を両手で覆っている。頭を抱え込むようにして俯く彼の姿を、イラは直視することが出来なかった。


――イビトの目を焼いた。それが祭りの起源なのだ。イオルはそう言っていた。


「本当に……」


 だから、ジンはあの祭りが嫌いなのだ。嫌い、という言葉で片付けてはいけない。恐れ憎んでいる、と言った方がもはや正しい。みなまで言われずとも、彼の様子で痛いほど伝わった。


「僕の……両親は、いい人だった?」


 この問を、いつしようかと数年はもう躊躇ってきた。口にするきっかけがなかったのもあるが、ジンを困らせてしまう気がしていたのだ。

 固く閉ざしていたのに、疲労かショックか口はいとも簡単に緩くなっている。


 ジンは鼻をすすると、しばらくして「あぁ」と呟いた。


「優しい人だった。お前の母さんは厳しいとこもあったけどな……とてもいい人だったよ。本当に」


「そ、っか……」


 喉元にどうしても声が引っかかる。


 言葉だけでは、どうにも自分の両親の歴史を見ることは出来ない。感じることも思うことも。

 例え、それが自分のせいではないにしても、ジンと思いを共有出来ないことに腹立たしささえ覚えていた。


「お前は、これまでずっと隠されていた。それが両親の願いで、俺の意志だ。だから、お前にさえも隠してきたんだよ……」


 隠されていないと、生きられなかった。そう言われているようで、イラは毛布を固く握った。


 事実を知った今、自分は怯えながら生活をしなくてはいけなくなる。村民の狂気がいつ繰り返されるか分からない。それに――


「魔女、が……僕を……」


「魔女がどうした」


 咄嗟に出てきた言葉を、ジンが素早く拾う。


「魔女が僕に、城に住めと言ってきたんだ」


 言うと、ジンは眉間にシワを寄せて唸った。

 背後のうさぎが僅かに姿勢を崩したように見えたが、イラはそれを目の端で認めるだけ。今は、魔女と村民への恐怖だけで頭が一杯だ。次第に、イラは自分の呼吸が乱れているのに気がついた。


「……イラ、休め」


 ジンが言う。それでも、不安の塊は増殖していくばかりで安心は出来ない。


「とにかく休め。今は」


 再度、急かすように言われる。素直に頷き、目を瞑る。

 しかし、頭の中は悪い妄想で埋められていた。


「なんとかする。お前を村や魔女に引き渡したりはしない。絶対に」


 その強い言葉が殺気を帯びているのに気がつくも、ジンがこれからどうするのかは皆目分からずにいた。

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