11・銃と鎌と

「返せ。イラは、私を助けた」


 一言一言、選ぶようにゆっくりと、うさぎが白いブーツを覗かせて歩いてくる。その大きな両眼はイオルを見据えていた。


「私を、助けた。だから……返せ」


 彼女の大鎌が空を斬る。すると、その風圧だけでイラを囲んでいた生物たちが一掃された。

 身動きが取れるようになったイラはすぐさま立ち上がる。それと同時にうさぎが彼の前に立ち塞がった。小さな手のひらは、鎌の柄を強く握っている。


「フンッ……」


 イオルが嘲るように彼らを睨んだ。うさぎの爪先から頭のリボンまでを舐めるように見、口の端を痙攣させて言う。


「その少年は貴様のものではない、白兎。仕事も満足に出来ぬヤツが、偉くなったものだ……笑わせるなよ」


「では彼を、私の、あるじにしよう……主を返せ、イオル」


 うさぎの言葉は辿々しい。それでも語気は強く、怒りが入り混じっていた。


 その瞬間、部屋中がビリビリと肌に痺れが伝わるほどの殺気で覆われた。それはイオルが抱いた憎悪。

 感情が重く伸し掛かってくるようで、イラは思わず膝をついた。空気が圧迫されていく。蝋燭の炎が消え、酸素が薄くなったことを示している。


 イオルは脇にいた三毛猫を引っつかみ、白兎と対峙させた。


「三毛猫……殺せ」


 それが合図になったのか。閉じていた三毛猫の両眼が開き、鮮やかな空色の瞳が危なく光った。目にも留まらぬ速さでうさぎの真上へと飛ぶ。弾丸のように。

 うさぎは黙ったまま、天へと飛び上がった三毛猫を見上げていた。


「すまんのう、シロ……主の命令は、絶対じゃ」


 三毛猫が銃を抜くのが速いか、うさぎの振るう鎌が速いか。イオルには結果が見えていた。


 経験も実績も、断然上なのは三毛猫である。うさぎの獲物を狙う正確さと俊敏さは三毛猫を上回ることは承知だったが、彼女には判断力が欠けていた。巧妙な細工、器用さを得意とする三毛猫の方が圧倒的――目を細めて、行く末を見守る。


 銃声と、鎌を振り下ろす音が重なった。


 双方、睨み合い、微動だにしない。時間に換算して、わずか数秒。

 そこでイオルは目を見張った。荒れ狂っていた感情が一気に冷め落ちていく。途端、圧迫した空気が抜けた。


「ありゃまあ……」


 先に、素っ頓狂な声を上げたのは三毛猫だった。うさぎは未だ、動きを見せない。しかし、彼女も何かしら不思議な空気を感じていた。


「あーあ。弾が、途中で割れた。まったく、興ざめじゃ」


 そう言って三毛猫は、コロコロと転がる鉛弾を見つめる。それを追うようにうさぎも。

 確かに、弾はだった。それも見事に半分に割れている。断面が滑らかなそれを拾おうと、三毛猫は軽やかに宙を飛んだ。

 うさぎも元の立ち位置へと居直る。そして、蹲ったまま事の成り行きを見守っていたイラの様子をチラリと窺った。


「イオル、ちょいと邪魔が入ったわ……ほれ」


 その三毛猫の声にはいくらかの呆れがあった。頭を掻き、スッと人差し指を向ける。

 見るとそこには、黒塗りの壁に突き刺さった鋭く長い矢。

 イオルは忌々しくその矢を睨むと、喉から絞り出すように声を吐いた。


「……


「当ったり〜!」


 天井の、灯りのない古ぼけたシャンデリアの上。そこからケラケラとした笑い声が響き渡り、うさぎは目を光らせた。同時に三毛猫が短い溜息を吐き出す。

 イラは何が起きたのか全く把握出来ていなかった。しかし、三毛猫の指した矢には、どこか見覚えがある。今の彼にはそれだけしか分からなかった。


「貴様……っ!」


 イオルが怒気を孕んだ声で唸る。しかし、人影は物怖じしない素振りでシャンデリアからふわりと舞うように降りてきた。壁に刺さった矢を軽々しく抜く。

 紅鴉の登場で、場の空気が変わった。三毛猫もうさぎもとうに殺気が失せており、得物を降ろしている。


「おいおい。なぁに、皆して遊んでんだよぉ。俺も混ぜてくれりゃあ良かったのに」


 そんな呑気な声を全員に向ける紅鴉は、矢を弄びながらうさぎと三毛猫の間に立った。その間、怒りを静かに蓄えるイオルには目もくれない。


「カラス……何やっとんのじゃ、お前」


「お前こそ、どうかしてんじゃねぇか。シロは仲間だろ」


「元、じゃ。紅鴉。そいつはもう仲間やのうて、敵じゃ」


 うんざりとした言い方の三毛猫。イオルの目を盗んで窘めるような響きもある。しかし、それに構うことなく紅鴉は三毛猫を押しのけて言い返した。


「ふーん。でもまぁ、お前がそう言おうがなんだろうが、俺にはそうは思えねぇし……シロ、逃げろ!」


 紅鴉の声で、うさぎは弾かれたように素早く動いた。イラを抱えて走る。小さな身体のどこにそんな力があるのかと侮ってしまう腕力と脚力で、彼女はイオルを見もせずに、三毛猫に気を向けることもなく、白いフリルを翻らせた。そして、自分が割った窓に向かって一目散に飛ぶ。

 三毛猫は「あっ」と口を開いたきりで固まっていた。森へ目を向けても、あの白い姿は闇に溶け込んでいる。


「さーて。これから、どうすっかな……」


 紅鴉の呟きは後悔と安堵がある。彼の引きつった笑みが、イオルへとゆっくり傾いた時、三毛猫は愚者な弟分を無感情に見た。


***


 真っ暗な森の中へ舞い降りたうさぎは、イラを地面に降ろすなり、彼の手を引いて飛ぶように走った。


「急いで! 三毛猫が来る前に!」


 森を駆けるうさぎの後ろを走る。昨日、リフと走ったあの道を思い出しながら。向かってくる風が頬を切るようで痛い。彼女に手を引かれるだけで不思議と自分の足も速くなっていく。息をつく間もなく、二人は森を駆け抜けた。

 行く手を阻む樹木や草を、うさぎが鎌を振るって刻んでいく。


「森を出たら、大丈夫。それまでガマン」


 静かながらも励ますような言葉。そこには息を切らした気配がまったくない。

 永遠に続くような闇。森の外も夜なのだから、当然、光は見えない。

 森の出口はまだか、まだかと脳が叫びを上げている。


――このまま、村へ戻れなかったら……


 しかし、その不安はすぐに解消された。ようやく広い場所へ抜け出て、その明るさに目を見張った。森の中とは大違いの、月明かりが眩しい群青の世界に驚く。満点の星が二人を見下ろすように輝いていた。

 うさぎがようやく足を止めたと同時に、急に止まった反動でイラはそのまま地面へうつ伏せに倒れてしまった。顔面をぶつけ、痛みに呻く。


「立って」


「う、うん……」


 厳しいうさぎの言葉。しかし、今は彼女の言うことを聞くしか出来ない。頭が働かない。とにかく、あの数時間のせいで恐怖が全身を支配していた。

 森の奥を見つめるうさぎは、息を殺して大鎌とイラの手のひらを握っていた。そして、無言のまま森の奥を睨んでいる。


「……道を作ってしまった。でも、仕方がなかった」


 小さな悔いの声。そして、彼女はチラリと目の端でイラを見た。


「もう動けるか」


「え? う、うん……多分……」


 膝はまだ震えを残しているが、体を支えられる程には気力があるらしい。殺気立つうさぎを、そろそろと見つめた。


「イラ、ここはキケンだ。イオルは強い。そして悪い。とても悪い。だから……」


 言いかけた彼女の小さな耳が僅かに動く。うさぎは森ではなく、村の中心地へと続く道を辿るように見た。そして、月夜に光る得物を構える。


「おーい、イラぁ!」


 遠くの道から、聞き覚えのある声がイラの耳にも届いた。


――ジンだ。良かった。生きていた。


 その思いがすぐに湧き出て、冷めきった体をじんわりと温めていく。

 しかし、イラの前をうさぎが阻むように立った。


「うさぎ、大丈夫だよ。彼なら安心できる。敵じゃない」


 近づいてくる大柄な男を、うさぎは黙ったまま睨みつけていた。そんな彼女の肩に手を触れる。


「大丈夫だよ」


 それは自身にも言い聞かせるようだった。「もう大丈夫だ」と言葉にしなければ、段々、息をつくのもままらない。恐怖と気力でここまで乗り越えたが、精神はもう限界だった。安堵のせいで力が抜けていく。


「だいじょう、ぶだから……うさぎ、もう、だいじょう……」


 全身が綻びを持ったように痛みが回る。ズルズルと足が地面へと崩れていき、イラは向かってくるジンの姿を薄目で見上げながら、意識を暗い闇へと落としていった。

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