9・狙われた少年

「……ほれ、小僧。起きろ」


 どのくらい時間が経ったのか。頬を叩かれて気がつく。ゆっくりと瞼をこじ開けると、そこは暗闇だった。飲み込まれそうに真っ黒で、身が竦む。


「ここは……」


 視覚が遮られたのか分からず、闇雲に辺りを見回す。ザラザラとした砂のような感触が手のひらに張り付いた。触れる空気が湿っぽく肌寒い。目を凝らし、暗闇に浮かぶ何か――窓や天井、扉がないか探す。

 すると突然、背後から肩を叩かれた。


「うわっ!」


 振り返ると、細められた目と三日月型の口、ボサボサの少し長い髪の毛がそこにいて、思わず驚きの声を上げる。あの、すらりとした痩身の男が、暗闇に慣れてきた目に浮かび上がるようにしてはっきり映る。


「そんな驚かんでもええじゃろう」


「な、なんなんですか、一体! ここは……!」


 そう叫ぶと、男は両耳に指を突っ込んでうるさそうな顔をして呟いた。


「やかましいのぅ……どっかのアホ鴉を思い出す……」


 辺りを見回すも、黒、黒、黒で塗り固められた部屋。カビ臭く、埃が積もった絨毯しかないこの空間を目の当たりにし、冷静な判断が出来るはずなかった。

 慌てて立ち上がるも、くらりと身体が揺れた。頭蓋骨が悲鳴を上げるように痛み、全身の動きがままならない。

 そんなイラの様子を男はしげしげ眺めると、愉快そうな笑みを浮かべて言った。


「まぁまぁ、そう慌てない。お前さんら、昨日森に入ったじゃろ? ここはその森の中央部にあるじゃ」


「し、ろ……?」


 男の大雑把な説明に、イラは痛む頭を揉みながら訊く。


「城……森の、中央に……ある?」


「おう。森の番人イオルの城じゃ……うんにゃ、お前たちと呼んどるんやったかのう」


「魔女の城……」


 ようやく言語変換が出来上がり、イラは青ざめた。頭痛など気にしていられない。もつれる足をどうにか動かし、大きな部屋の出入り口を探した。

 壁を触っても、取っ手らしきものは見つからない。暗闇の中で唯一肉眼で認められるのは、慌てふためく自分と退屈そうに欠伸をする男だけだった。


のヒトは皆、意地悪じゃからのう。大昔、イオルはこの村の森に追放されたらしいんじゃ」


 男がポリポリと顎を掻く。そして大欠伸を二つ放つと、埃まみれの床にごろりと寝そべった。


「……あなたは誰ですか」


「お?」


 動きを止めて問うイラに、男は少し嬉しそうな反応をする。


「あぁあぁ、言っとらんかったのう。俺は三毛猫じゃ。三色の毛を持つ猫。よろしゅう」


 部屋に漂う不気味さとは裏腹に、男――三毛猫は明朗に答えた。あまりにも状況にそぐわない態度に拍子抜けしてしまう。

 イラはとりあえず、落ち着きを取り戻そうと、黙って事の顛末を思い出した。


――確か、うさぎと話している時にリフが窓から飛んで来て……それで、この三毛猫が入ってきて……


 うさぎが鎌を振り回す。

 月明かりに舞う白い猛獣がそこにいた。

 いつもと違う、幼馴染み。

 虚ろな目、素早い動き、凍りつくような笑み。

 銃声。

 ジンは一体どうなった? リフは? うさぎは……?


 ぐるぐると目まぐるしく、曖昧な記憶を辿る。断片的なシーンが繋がった時、ようやくすべてを思い出したイラは三毛猫を睨んだ。


「……みんなに何をしたんだ」


 一方、彼はキョトンとした顔でイラを見る。そして、思い出したかのように手を打ち、さらりと答えた。


「あぁ、大丈夫じゃ。あれはただの痺れ弾。身体の自由が一時的に効かんくなるんじゃよ。特に、ヒトは操ることが可能じゃからのう。あの小娘は扱いやすかったわぁ」


「なんでリフを……ジンまで……!」


「だーかーら! お前たち、昨日森に来たじゃろ? その時、既にお前たちの匂いは森に染み付いたんじゃ。あとは匂いを辿れば一発。娘を見つけてさらに一発、おデコにパーン! 見事命中! っちゅうわけじゃ。で、娘使って、お前ん家に辿り着いたんじゃな。あぁ、あの大男はただ単に邪魔だったから撃っただけ。そんだけよ」


「……二人に何かあったら僕が許さないからな」


「ないない。何もないって。そろそろ薬も切れる頃じゃろ。もうピンピンしとるよ〜」


 三毛猫が笑い飛ばすように言う。それでもイラは信用出来なかった。


「うさぎは……」


 白く、美しい少女の姿を思い浮かべる。大きな鎌を操り、荒々しくも自分を守ろうとしてくれた。あの小さな少女……。


「うさぎ……あぁ、シロね」


 イラの睨みに、三毛猫は薄ら笑う。


は気にせんでいいよぉ。もう忘れりぃ」


「なっ……」


 手のひらを振って、話を投げる三毛猫。イラは我慢ならず、三毛猫の近くまで寄った。


「あの子は大怪我をしていたんだ。それなのに、あの子を……」


 ぬらりと月夜に浮かぶ血だまり。白く輝く少女の腹と額に空いた穴。凄まじい弾丸。大きく見開いたガラス玉のような目。


 そのどれもが脳裏にこびりついて離れない。思い出すだけで全身が震える。恐怖と怒りが混在し、胃の中の物がせり上がってくる感覚が襲った。

 言葉が出なくなったイラを、三毛猫は薄目で見つめる。そして、盛大な溜息を吐くと、彼はまた軽薄な笑みを浮かべた。


「あいつはなぁ、お前たちみたいなじゃない。頑丈で壊れない。お前たちみたいに脆くはないんじゃよ」


「そんなの……!」


「だから」


 反論の言葉を遮られる。三毛猫の表情は、彼の紅茶色の髪の毛で隠され窺えない。


「だから、気にせんでいい……それよりもお前さん、他人ひとの心配よりも自分の心配をした方がええんじゃないかのぅ?」


 唐突に指摘され、イラは固まる。

 そういえばそうだ。色んな事が一気に起こりすぎている。

 自分は一体、どうなっているのだろう。


 どうして。何故、自分はここに連れてこられたのだろう。


「……あの、なんで、僕はここに連れてこられたのでしょうか?」


 不安になったイラは、丁寧な口調に戻して問う。男は不思議そうな顔をした。


「あら? んー……言うとらんかったかのう」


「言ってませんよ!」


「ありゃりゃ……」


 三毛猫は情けなく笑う。気が抜けるような笑顔に、イラは何も言えなくなった。


「……イオルがなぁ、お前に会いたがっとるんじゃ」


「は?」


――ギ、ギギギギギィ……


 唐突に背後から不吉な音を立てて、扉が開く。


「三毛猫、余計なことを言うな」


 地の底から響くような低い声が聴こえる。扉の向こうに見えたのは黒い外套マントを羽織り、不気味な空気と冷たさを纏う姿だった。


「おや、イオル! 今から部屋に向かおうと思っとったんよ。なんじゃ、出迎えなんて良かったのに」


「貴様の出迎えなんぞするか。待ちくたびれたのだよ」


 三毛猫の大袈裟な身振りに苛立つ声の主がゆっくりと近づいてきた。


 コツ、コツと静かな足音がイラの耳に届く。鈍く、重たい身体を引きずるように、動きは危うい。

 揺らめく動作は「魔女」というにはあまりにも弱々しい。あまりにも似つかわしくない、低く雄々しい声。


 噂に聞いていた魔女の姿とはかけ離れていた。


「実に、待ちくたびれた……」


 暗闇に溶けこむように儚い存在が、イラの前で立ち止まる。

 その人物がフードを脱いだ。亜麻色の長い髪の毛が、サラサラと零れる。

中から現れた紫色の冷たい瞳に思わず身がすくむ。


 それが町で恐れられる魔女、イオルの姿だった。

 



 城というより屋敷に近いこの空間は、森の中同様どこも暗く湿っぽかった。

 大きなホールでまず最初に目につくのは、真ん中に鎮座する螺旋階段。掃除が行き届いていないのか、灰色の綿埃が積もっている。


――ここが、魔女の城……


 イラは緊張から生唾をのむ。

 やがて奥の応接間に通された。部屋は数本の蝋燭で灯された明かりだけで、分厚いカーテンが外界を遮っている。

 怪しく、不気味に光るイオルの顔。先程とは打って変わって大人しくなった三毛猫の異様さに、イラは不安で押し潰されそうだった。


「……君、名前を何て言ったかな」


 イオルが口を開いた。同時に、ソファへ座るよう促される。イラは警戒しながらも、その埃だらけのソファへ腰を下ろした。


「……」

「ふむ。挨拶もろくに出来ないとは……この村の大人は無能なのだな」


 肘掛け椅子に、ふんぞり返って座るイオルは嘲笑う。

 恐怖で声が出ないわけではなかった。名前を教えるのはあまりにも愚かな行為なのでは、と本能が叫んでいた。イラはイオルの嘆くような言葉を無視し、思い切って身を乗り出す。


「あのっ……なんで僕はここに……」


「挨拶もせずに質問はする……無礼極まりないが、まぁ良い」


 イラの言葉を遮るように、イオルが手で制す。


「三毛猫」


 後ろにいる三毛猫に命令した。彼はスッと消えると、黙って陶器のポットとカップを持ってくる。


「話は、茶でも飲みながら」


 イオルの差し出すカップには、蝋燭の灯で黄金色に輝く液体が注がれていた。

自然に手を伸ばすも、イラはそれに口をつけようとはしない。


――これを飲んではダメだ……


 どこか、思考の奥でそう警告している。


「……飲まぬのか。随分と失礼な子だ」


 イオルはしつこく強要しなかった。仕方なしに、自分だけ茶を飲む。

 立ち上る甘い柑橘のような香りと渋みが混ざった湯気が鼻の奥へと潜りこみ、そそられる。嗅いだことのない不思議な香りだったが、頭を振って気を紛らわせた。


「さて、どこから話そうか」


 年齢不詳の彼の表情からは何も読み取れない。だが、目を逸らさないとイラは決めていた。


「質問しても、いいですか?」


 声を震わせないように気をつける。すると、イオルは少し意外そうに眉を動かした。


「いいだろう。訊いてみたまえ」


「……な、何故、僕はここに連れてこられたんでしょうか?」


 その問いに、イオルの薄い唇が真横へと伸び上がった。

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