8・冷たい三日月

 ランプの火が揺らめく。キラキラと瞬く一番星が窓を見下ろしている。

 スラリと鋭い輝きがイラの両目に映りこむ。弧を描いた切っ先のような光は、恐れを抱かせるも、目が眩むほどの美しさを備えていた。


 白い少女は、品定めするようにイラを見つめている。刃物から少女へと目線を戻し、イラは一呼吸置いた後、静かに言った。


「……君が前に何をしていたかは知らないよ。でもね、怪我をしている以上、それを見つけた以上、僕は君を助けなくちゃいけない……それが、僕なんだ」


 少女は目を見開いた。ここに来て初めて表情を変えたように思う。


「お前、変わってるな」


 少女が呟いた。理解が出来ない、とばかりに眉をひそめて首をかしげる。


「とても、変」


「そう……かな」


 イラは苦笑いして首筋を掻いた。改めて言われると、恥ずかしさがこみ上げる。


「それはそうと君、初めてまともに喋ってくれたね」


「……っ」


 少女は息を飲むと、不機嫌そうに顔をしかめた。白い頬が桃色に染まる。彼女のその姿にイラは驚いた。


 無機質で冷徹なイメージを今朝に植えつけられていたので、あまりにも人間らしい一面が妙に新鮮だった。不思議と全身が嬉しさで満たされる。


 思わず吹き出して、クスクス笑うと少女は怪訝な目をした。頬を膨らませ、不服な面持ちでストンとその場にしゃがむ。持っていた鎌を乱暴に床へ叩きつけたので、大きな衝撃音が部屋いっぱいに響いた。

 イラは「おっと」と慌てて口を塞いで咳払いをし、改めて彼女と向き合う。


「君、名前は?」


「……名は、ない」


 予想外の返答にどもってしまう。

 名がない、とは一体どういうことなのだろう。元いた場所はどれほどに苛酷なものだったのだろうか。

 見た所、自分よりも一回りも二回りも幼いであろう少女が、どうして傷だらけでいたのか。想像が出来ない。


白兎しろうさぎ、もしくはシロ……しかし、それは名ではない」


 少女は顔を髪の毛の中に埋めながら答えた。まだ、頬は桃色だ。


「そうなんだ……」


「変、なのか?」


 怪訝そうに彼女は訊く。イラは慌てて首を振った。


「い、いや……そういうわけじゃあ……」


 イラの慌てた素振りに、少女は俯く。何か気に障ることを言ったのだろうか。今度は不安になる。


「……じゃあ、僕は『うさぎ』って呼ぼうかな」 


 気まずさからつい口走り、「嫌だったら、別の呼び名でもいいんだけれど」と逃げ道を後で作った。


 そんな挙動不審な彼を少女は顔を上げて見つめる。何を考えているのかは分からない。精巧な蝋人形のように無感情。しかし、ゆっくりと瞬きをする様はやはり「生」を備えている。

 彼女はしばらく答えを模索すると、恥ずかしそうに小さな声で呟いた。


「それで、いい」


 上目遣いにこちらを見る。その瞳は相変わらず鋭かったが、暖かさを感じた。

吸い込まれそうな黒い瞳に、くるんとカールした長い睫毛が愛らしい。


 イラはうさぎに見つめられるうち、不思議な緊張感に襲われた。

 クラスの女の子やリフを相手にするのとでは全く違う。目を奪われる。こんなに綺麗な人を見た事がない。あの、出会いと同じ感覚が押し寄せてくる。夢見心地な空間はまさに平和そのもの。この時間が永遠に続けばどれだけ幸せだろうか……


「おーい、イラ。夕飯できたぞ~!」


 階下からの野太い呼び声に我にかえる。慌ててうさぎから離れようと飛び上がると、反動でベッドの足に指をぶつけた。

 声にならない叫びが喉を通る。


「何をしてる」


「あぁ……いや、なんでも……大丈夫」


 背後でうさぎが抑揚のない声で呼びかけるも、イラは振り向かずに返した。


――何をしているんだ、僕は……


 擦り切れた靴の上から足をさすり、イラは火照りそうになる顔をどうにか鎮めようと躍起になった。うさぎの顔がまともに見られない。


 部屋を出ると、夜の冷たい空気が壁を通り抜けていた。熱冷ましには丁度良い。頬を撫でる冷気にしばらく晒し、鼓動がおさまると、イラはようやく振り返ってうさぎを見た。


「うさぎ、夕飯が出来たから一緒に……」


 しかし、その後を続けることは出来なかった。

 うさぎをまとう空気がピンと張り詰め、やけに険しい横顔が窺がえた。窓を睨む少女の姿は、今朝の獣じみた雰囲気が漂っている。 


「どうしたの?」


 あまりにも唐突な変容に驚くイラを、彼女は見向きもせず窓の外を睨む。


「……来る」


 しばらくして、少女は低く唸るように呟いた。


「危険。下がれ」


 言うや否やうさぎは、自分の背丈ほどもある大きな鎌の柄を両手で握り、振りかぶる格好で構えた。


 状況が読めないイラはその場で固まったまま、夜空しか見えない窓を眺める。

 曇ったガラスの奥はやはり、澄んだ星空しかなくて……こちらへ向かってくる角ばった拳大の何かを目で捉えるまでは危険を察知するなど到底出来なかった。


 群青が深くなった空から飛び出すように、何かが窓を破った。甲高い音を立ててガラスが割れる。粉々になった破片が二人に襲いかかり、イラは思わず声をあげた。


「うわっ!」


「だから、下がれ、と言ったのに」


 言葉を一つ一つ切る口調も、無感情な顔にも変化はない。しかし、彼女の殺気は強まる一方だった。割れたガラスを浴びて、ふっくらとした頬に傷がついている。点のように浮かぶ真っ赤な血液は夜空のせいで黒く見える。


「な、何? 今の」


 唐突な衝撃に理解が追いつかず、脳内は混乱で埋め尽くされた。後ずさるも廊下は狭く、背中は冷たい壁に張り付いたまま。


「……石」


 うさぎは床に散乱するガラスの破片を指した。その中に拳大の石が転がっている。


「石が、なんで……」


 イラは恐る恐る、割れた窓に近づいた。


「おい、動くな。危険だ」


 うさぎの忠告も聞かず、イラは窓辺に立って下を見た。

 そこにいたのは――


「リフ……」


 笑顔でこちらを見上げる少女、の姿がそこにあった。


「おい、イラ! どうしたんだ?」


 階段の下からジンの声がする。しかし、イラの目は外にいる少女に釘付けで、耳にも入っていなかった。


――今のは、リフが……?


 イラは振り返って、もう一度石を見た。うさぎも一緒に窓辺へと身を乗り出して、騒動の犯人を見据える。


「下がれ!」


 リフの姿を目にし、すぐさま、うさぎが声を上げた。全身を震わす、叫びにも似たその警告に思わず固まる。上手く反応が出来ず、足はすくむ。

 そうこうしているうちに、イラは誰かに口を封じられた。


 リフだ。リフが窓の外から割れた窓を潜り、イラを捕まえる。その鮮やかな身軽さは、とても人間離れしていた。


――なんでリフが……!


 脳が狼狽の叫びを上げる。

 逃れようと抵抗するも、力が強く、両腕を掴まれて身動きが取れない。姿形は紛れも無くリフなのに、中身が違うものに変わっているようだった。 


 うさぎが鎌を大きく振りかぶる。刃は一直線にリフの頭を狙っていた。

 リフはイラを捕まえたまま、その鋭い刃を軽々しくかわす。襲い来るうさぎからの攻撃をイラの盾で躱していく。


「……そいつを、放せ」


 幾度目か刃を振るった後、うさぎはリフを睨みつけて唸った。あの獣の唸りだ。かなりの運動量にも関わらず、息を切らす事無く少女と少女は睨み合う。

 小さな部屋で、大きな武器は不利だった。しかし、それでも辺りはうさぎが暴れた痕跡を残している。


――何か、変だ……。


 イラはリフの手を振りほどこうと身を捩ったが、あまり効果はなかった。それに、姿形はリフである故に下手な動きは出来ない。怪我をさせるかもしれない、という思いが強く、この期に及んでリフを優先させてしまうのだ。


 一方、リフは何も言わなかった。

 自分よりも少し背の低い、胡桃型の目が特徴的な幼馴染……しかし、その目は虚ろだった。口元は細い三日月のようで、つり上がっている。無感情な微笑みが不気味だった。


 本当に彼女なのか。リフに変装した誰かではないか。いいや、リフじゃない。自分の知る彼女ではない。

 言い聞かせようと必死に思考を働かせる。冷や汗が止まらない。


 次に、うさぎを見た。

 完全に動きを止めた白い少女は、長い髪の毛を逆立たせ、リフを睨み続けている。しかし、その表情が僅かながら苦々しく思えた。

 鎌の柄を両手で掴んだまま構え、ゆっくりと小さな唇を動かす。


「三毛猫……」


 呟きは静かな空間にふわりと浮かんだ。その言葉の意味は分かるはずもない。

 息遣いすらも許さない、緊迫した小部屋に突如、銃声が轟いた。そして、すぐにコツコツと階下から足音が聴こえてくる。

 不気味なまでに軽快なリズムを生み出すその音の方面へ、うさぎが瞬時に振り向いた。


「……お前の、しわざか。三毛猫」


「そのとーり!」


 うさぎの邪気を含んだ唸りに答えるようにして現れたのは、月色に染まったシャツををなびかせて薄ら笑う、痩身の男だった。細めた目が猫を思わせる。

 両手には拳銃。燻ぶる硝煙が銃口から細く伸びている。それを認めるなり、ジンに何かがあったことをすぐに悟った。


「さーすが、シロちゃん。よう分かったな」


 男は緩く、軽快な口ぶりでうさぎを賞賛した。銃を持った手で軽く拍手する。そんなふざけた態度の男を睨めつけるうさぎは、吐き捨てるように言葉を返した。


「お前のやり方は、いつも、同じだ」


 うさぎの目が益々険しくなる。一方、何がそんなに可笑しいのか男は声をあげて渇いた笑い声を響かせる。


「そんな怖い顔するなよぉ。仲間のよしみじゃろう?」


「……何が目的だ」


 うさぎが素早く男の背後へ回る。冷たい刃先を男の首元へ当てた。


「少女を操り、彼を捕まえた目的だ」


「おうおう、おっかないのう。もうちっと優しゅうせな、男に逃げられんぞぉ」


「ふざけるな」


 うさぎは男の喉元を鎌で裂く。


「おっと。危ない、危ない……」


 首を切り裂いたはずだった。それなのに、男はうさぎの背後に移動していた。その速さは肉眼で追いつけない。彼は三日月のように口の端をつり上げると、細めた両眼をようやく開いた。


「シロ、お前は何も知らんでいい……は、黙っとけ」


 ドンッ、と重たい銃声。


 うさぎは目を見開き、男へ刃を向けるも外した。ぐらりと上体が倒れ、少女は床へ突っ伏す。鎌がガランッと音を立てて、持ち主と一緒に床へ落ちる。しかし、すぐさま両腕で身体を支え、彼女は起き上がった。銃弾は紛れも無く、彼女の小さな身体を貫いているのに。

 息絶え絶えで、少女は唇を震わせながら男へ殺意の目を向けた。


「お、おまえ……よくも……」


「ほぉ〜、一発じゃ効かんのかい。なら、もう一発」


 銃から放たれる弾がうさぎの額を撃ち抜いた。

 イラはリフの手の間からそれを見た。男は懐から取り出した黒光りする銃を、彼女に向かって放った。

 何の躊躇いもなく。虫を踏み潰すような手軽さで。

 うさぎは崩れるように、床へ倒れこんだ。もう、彼女は動かない。


「さーてと、シロ。小僧はちょいと預かるぞ。イオルからの命令じゃからのう」


 そう言うと男はパチンと指を鳴らした。リフの身体が急に軽くなる。力が抜けたように、リフは倒れた。同時に、イラも跪く格好で床に投げ出される。


「な、何を……」


 ゆっくりと向かってくる男に、イラは立ち上がりながら震える声で訊いた。しかし男は答えない。キュッと目を細めて、人懐っこい笑みを浮かべるだけ。


「すまんのう。お前には、ちいと用があるんじゃ」


 その瞬間、グルンっと宙を舞う感覚がして、イラは天井を見上げていた。

 足を取られたと気づいた時にはもう遅い。激しく頭を打ち、意識が遠のいていった。

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