7・首切りウサギ

 夜が明け、朝日が昇る。

 牛乳配達に出掛けたジンはいつものように既にいない。イラは、固いソファからむくりと起き上がり、両目をこすった。

 時計を見上げると七時ちょうど。目覚まし無しで起きるのは珍しいことだった。


「……いたっ」


 固まった身体を動かす度に節々が痛む。思わず顔をしかめて、ゆっくりとソファを下りた。全身が重く、気怠さがじわじわ忍び寄ってくる。どうやら、深くは眠れなかったらしい。

 ぼんやりと欠伸をして、脇にある階段を目で辿った。


 怪我を負った少女を保護したのはもう一週間も前になる。昨日まで長く眠っていたので目を覚ましたことを喜んだのだが、それも一瞬のことだった。あれ以来結局顔を合わせることがなかったので、話をしようにも出来ず、もやもやが膨らむばかりで気持ちは晴れない。


《まぁ、警戒するのも無理はないさ。俺が行くと特に怖がらせてしまうだろうから、イラ、お前に任せるよ》


 ジンの言葉が頭を過ぎり、イラはため息をついた。


――朝食の準備をして、また様子を見に行こう。


 袖をまくりながら台所へ向かおうと階段から目を逸らす。すると、首筋に冷たく細い何かが当たっている感覚がした。



「……



 少女の声。しかし、それとは似つかわしくない殺気立った低音。





 首筋に当てられた何かは分からない。しかし、張り詰めた緊張感は背中から伝わる。幼い低音で紡ぐ言葉がゆるゆると脳内で変換され、やがて「死」という惨憺たる想像が全身を覆った。「死」への恐れが自然と自分を支配する。

 言う通り、微動だにせず目線だけを首元へ向けた。


 朝日を浴びて冷たい光を放つ、弧を描いた刃がそこにあった。まるで死神を思わせる大きな鎌。

 たちまち口内が渇き、呼吸が止まった。何が起きているか分からない。危険を察知した本能なのか、身体の機能が停止している。


「……おい」 


 少女の吐き出す息が背中に刺さった。小さな冷たい声は空気に触れて、言葉に変わった。


「一つだけ問う。お前はか?」


 首筋にあった刃の感触が少しだけ離れる。イラはごくりと息を飲み込むと、掠れた声で『否定』を示した。


「……違う」


 その答えを聞いても尚、少女はイラの首筋を睨みつけていた。

 ウソツキ? 思考が恐怖で塞き止められて上手く働かない。時はゆっくりと流れているように感じられ、兎にも角にも逃れる術がないか探した。


「ウソツキは『断罪』だ」


 低い、唸り声。威嚇した猛獣のようなその音に思わず震える。


「命令は絶対。ウソツキは私がしま……」


 少女は言葉を止めた。緊張感で圧迫された空間が少しだけ緩む。

 耳をそばだてると、外から靴を引きずるような音が聴こえた。間もなくして、玄関の戸板をドンドン叩く音が部屋に響く。


「イラ! いるんだろう。出てきなさい」


――ジョータだ。


 聞き慣れた威圧的な声はリフの父親だった。激しいノックに少女は眉をひそめ、獲物を仕留め損ねた獣のように恨めしく戸を見つめる。そして鎌を下ろすと、ゆっくりイラから離れた。


 唐突に解放されたイラは床に突っ伏して小さく咳込む。

 額に流れる冷や汗を拭い、自分に危害を加えた人物を見据えた。やはり白い少女だった。

 彼女は自分の背丈よりも長い大型の鎌を携えて、騒がしい戸板を睨みつけている。


「おい、イラ! 開けなさい!」


「は、はい。今すぐに……」


 起き上がって、玄関まで駆けると、少女は踵を返して二階へと続く階段を飛び上がった。その後姿をもどかしく見送り、玄関を開ける。

 開けるや否や、目の前に大きな影が出来上がった。


「おはよう」


「お、おはようございます……」


 威圧的な雰囲気をまとうリフの父親は、その声色と同じように顔をしかめていた。この表情は今までに何度も見たことがある。しかし、今は恐怖よりも安堵の方が強く、どうしても顔が緩んでしまった。


「話がある」


「えぇ……なんでしょう」


 イラの心底安心しきった態度に、ジョータは面食らうもすぐに表情を戻した。


「うちの娘から聞いたのだが。昨日、君はリフと森に行ったそうだね? 言っておくが、嘘は通用しない。正直に言うんだ」


「あぁ……はい……すみません」


 単刀直入な問いについて行けず、戸惑いを見せながらあっさりと頷く。躊躇いのないその返事に、ジョータもまた言い淀んだ。


「……悪びれる様子がないな」


「えぇっ? いいえ、そんなことは!」


 ようやく頭が働いたのか、イラは肩を震わせてジョータの顔色を窺った。眉間に深い皺が刻まれており、アイロンを掛けたとしても頑固に残りそうである。ジョータはずいっと顔を近づけると、イラの頭を鷲掴みにした。


「いいか? ようく聞けよ。確かに、うちの娘は世間知らずで我儘で、強情だ。私も言って聞かせている。今回は罰も与えた。非は充分にある。でもな、君は男だろう。つるむ分には構わない。寧ろ、有り難いと思っている。だが、一緒に森へ行くことはなかったはずだ。そうだろう?」


「お、仰るとおりです……」


「何故、止められなかった? 男なら、強い意思と力を備えなさい。でないと、君にうちの娘は預けられない」


 厳しい言葉に、イラは目を逸らしてしまう。しかし、ジョータはそれを許さない。イラの頬を掴むと、無理矢理に目を合わせようとした。


「ご、ごめんなさい……気をつけます」


 昔から、何かと説教を受けるのはジンよりもジョータだった。「リフが悪いのに」と理不尽さを呟くも、教訓としては心に響いている。だから、ジンもイラもジョータを責めることはない。

 もっとも、責めたとしたら負けず嫌いの頑固者であるジョータが更に憤慨すること間違いなしなのだが。


 逃げずにジョータの目を見つめ返すと、彼はふぅ、とため息をついた。微量のヤニも一緒に吐き出される。

 そして、鷲掴みにしていたイラの頭を軽く叩くと、ジョータは肩を回した。それから大きな欠伸を一つ。よく見ると、彼の目元にはクマが浮かんでいた。どうも徹夜でリフを説教していたに違いない。


「次はないぞ。ようく肝に銘じなさい」


「はい。すみませんでした」


 踵を返して丘を降りていくジョータの後ろ姿を見送り、イラはゆっくりと扉を閉める。そして、背後の視線に気付いた。



「……君に話があるんだけれど」


 白い少女は物騒な刃を構えて、イラを睨みつけていた。



***



 午前八時を回った頃。

 慌ただしく学校へ向かったイラはいつものように獣飼舎へ足を運んだのだが、ロイの他に佇む先客に目を留め、驚きの声を上げた。


「あれ? リフ?」


「イラ……」


 真っ赤に腫れあがった目でリフは振り返る。


「今朝、君の父さんジョータが家に来たんだ」


「やっぱりそうなのね……」


 しおらしいリフの態度が物珍しい。イラは調子が狂ってしまい、気まずそうに頬を掻いた。


「怒られたの?」


 申し訳なさを一杯に抱えるリフの声。その小さな問いに、イラは苦笑いで返した。


「うん……でも、まぁ大丈夫だったよ。いつものことさ」


 しかし、それでもリフの顔は晴れない。どれほど怒鳴られたのだろう。

 父親にいくら怒られても翌日にはあっけらかんとしている彼女が、ここまで引きずっている。

 イラは気を取り直すべく、会話を続けようと口を開いた。


「それにしても、どうして知られてたんだろうね……誰にも言ってないはずなんだけれど」


「あたしなんか、家に帰るなりすぐに怒鳴られたわ」


 まるで見当がつかない二人に、それまで苛立ち紛れにも黙っていたロイがとうとう口を挟んだ。


「――あのさ」


 子豚を抱えて眉をつり上げるロイは、不機嫌そのもので二人を見やった。


「そんなの決まってるじゃないか。まったく、君たちっておめでたいよね」


「え?」


 ロイの口ぶりは皮肉がたっぷり詰まっていた。しかし、その意味が理解できず首をかしげるイラとリフ。

 ロイは今度は深い溜息を投げつけた。


「腹が立つから言うけどさ。、あいつらが先生に言ったんだ」


「えぇ?」


 イラは驚きの声を上げた。


「でも僕、昨日君たちに言っただろう? 誰にも言うなって……」


 問うとロイはこれみよがしに呆れた顔をしてみせた。


「そんなバカ正直に、あいつらが言うこと聞くわけないだろう?」


「ごもっともね」


 リフも納得したように息をつき、肩を落とす。


「あたしが花火弾を取り上げたから、その腹いせに告げ口したんだわ」


「それもある。先生に言えば、すぐ親へ話が通るしね。あいつらは性悪だから、告げ口も悪戯感覚なのさ。僕も昨日、ここに閉じ込められたし……」


「そうなの?」


 イラの驚愕めいた声色に、ロイは益々不機嫌な態度を示し、鼻を鳴らした。


「本当、イラってばお人好しだよ」


「うーん……」


 自分の認知が浅かったのか、それとも双子が悪いのか。それよりもリフが森へ行きさえしなければ……そんな考えが渦巻き、気分は落ち込む一方だった。


 すると何ともタイミング悪く、例の双子が仲良く手を繋いで現れた。


「あらあら、まぁまぁ。森に入った悪い子がいるわ」


「本当だ。森に入ったわるぅい子だ。リフ、パパに目一杯怒られたかい?」


 意地の悪い笑みを投げつけられ、リフは真っ赤な目で睨んだ。


「シャロン、メイ。なんで告げ口したんだよ」


 イラが詰問する。しかし、まったく効果がなく、二人は顔を見合わせるとキョトンとした顔でイラを見上げた。


「告げ口じゃないわ。報告よ。ほ・う・こ・く」


「そうそう。だって、学校でも森には行くなと言われているし、リフが森で死んだら僕達も怒られるじゃないか」


 二人の言い分は皮肉にも正しい。「誰にも言うな」と言ったのは、こちらだけの都合なのだ。

 しかし、どうにも腑に落ちない。


 イラは言葉が見つからず、黙ってしまった。ロイは馬鹿馬鹿しいとばかりに作業を再開させている。リフは歯痒い思いを表情に出してイラと双子を交互に見ていた。

 そんな不穏な状況を楽しむかのように、双子は益々調子に乗る。


「でも、凄いじゃない? あの森へ行くなんて」


「あそこは魔女のせいで、かなり危険地帯になっているからね」


「『首切りウサギ』は見た?」


「え? なんだって?」


 イラは思わず訊き返した。その食いつきように双子はニヤニヤ笑う。


「首切りウサギ。知らないの? 森の奥に住む、魔女の衛兵だよ。全身、真っ白でとても美しいんだけれど、その手にはを持っているんだって」


「そして森に入った奴を容赦なく狩るんだよ。凶暴で残忍な白ウサギなんだって。パパが言ってたの聞いたんだ」


「凶暴で、残忍な……」


 イラは顔が青ざめていくのが分かった。


――あの子は……



***



 教授にも一日中こっぴどく叱られ、任された仕事を終えると既に外は群青と星空で埋め尽くされていた。

 もうすぐ、春恒例の「目玉焼き祭り」が広場で開催される。


 昔は儀式めいた禍々しいものだったらしいが、今では家畜の繁栄と一年の豊作を願った村全体の大切な祭事となっている。

 それに、一昨年前から、昼の部として子どものみの「目玉焼き祭り」を行っているので、毎年、最年長が行事のリーダーを任されていた。今年はイラがその役を担っている。

 初めは荷が重いと最初は拒んで気乗りしていなかったのだが、祭りが目前となった今では気負う余裕すらない程忙しかった。


 夜道は危ないから、という理由でイラから離れなかったリフを無理やり家へ帰し、一人で作業をすること二時間余り。さすがの教授も帰宅命令を下し、残りの仕事は明日に残すこととした。



「ただいま」


「おう、遅かったな」


 玄関を開けると、夕飯の支度をしていたジンがひょっこり顔を出す。


「うん。もうすぐ目玉焼き祭りがあるからね。その話し合いで……」


「ふうん」


 祭りの名前を出した途端、ジンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 彼は昔から村の行事には参加しない。理由を問うと「面倒だから」だの「くだらない」だの、とにかく後ろ向きな答えしか返ってこず、イラの参加も快くは思っていない様子だった。

 ここはあまり話題を広げず、さらりと流せば良いのだとここ十年で学んだ結果である。


「あ、そういえばジン。置き手紙は見た?」


 鞄をソファに放り投げ、イラは大きな声でキッチンにいるジンへ呼びかける。


「おう」


「大丈夫だった? ある程度の説明はしてあったんだけれど……」


「別に、問題はなかったぞ」


 今朝の騒動を簡単にまとめた置き手紙で、ジンがどこまで理解したかは分からなかったが、あの殺伐とした空気が感じられないところを見ると、少女はジンに危害を加えていないのだと察した。


「そっか。良かった……」


「まぁ、お前に任せるって言ったからな」


 大鍋を両手で運びながらジンはあっけらかんと言う。

 オリーブと香ばしい肉の匂いが漂った。今日はどうやら燻製羊肉マトンのオリーブ煮だろう。ジンの得意料理の一つである。


「とりあえず、まだ一度も顔を合わせてないから……イラ、様子を見てこい」


「うん」


 言われずとも、自分の部屋に置き去りにしていた少女の様子を一刻も早く確かめたかった。

 今朝はどうやら彼女も動揺していたらしく、簡単な説明を施すとばったり倒れてしまったのだ。死んだように眠り、動かない少女をどうにか部屋へ押し戻し、ジンに書き置きを残したままだった。


 階段に置いていた手持ちのオイルランプに火を灯し、暗い二階へ駆け上がる。小さく狭い廊下に、並んだ扉が二つ。右側は小さな物置で、左側がイラの本来の部屋だ。


 左側の薄い扉を軽く三回ノックしてみる。

 返事はない。


 勝手に入っても良いか躊躇うも、手は勝手にノブを触っていた。ゆっくり扉を開け、細い隙間から様子を窺う。

 真っ暗で冷たい部屋の中。白く輝く幾重もの糸が床板を覆っている。


「入るよ……」


 囁くように声をかけ、扉を全開にする。と、部屋の中央で人形のように座っていた少女がこちらを向いた。


「なんだ。起きていたんだね。大丈夫かい?」


 そう優しく問いかける。少女はゆっくりと顔を上げてイラの姿を捉えると無言で頷いた。今朝のような荒々しさはない。殺伐とした空気もなく、寧ろ柔らかくなっている。イラはホッと胸を撫で下ろし、彼女の横に座った。


「そうか。怪我も大分治ったし、元気そうで何よりだよ」


 しかし、彼女の手元を見て固まった。

 可愛らしい容姿に似つかわしくない、大きな鎌が膝の上に鎮座している。冷たく光る刃物が禍々しく、思わず身震いした。目を逸らして少女の顔を見る。そして、精一杯の笑顔を向けようと努力した。しかし、声色までは操作出来ず、どうしてもぎこちなさが浮き彫りになる。


「け、今朝は騒々しくて悪かったね。昨日、ちょっと森で色々あったから」


 森、という言葉に、少女は僅かな反応を示した。刃物を磨こうとしていた手がピタリと止まる。そんな彼女に気づくことなく、イラは話を進めた。


「それで……変な噂を聞いたんだ。森にが出るって話」


 言葉を放ってすぐ、思わず口を閉じる。今は、この質問をするべきではないのだと、帰り道で散々悩んだばかりだったのだ。しかし、悶々と考えが渦巻き、少女の正体について知りたい欲は充分に溜まっていた。


 安堵から思わず口が滑るのも悪い癖だ、とイラは反省した。

 しかし、ここまで言ってしまった以上、問うしかない。不思議そうに自分を見つめる少女に向かって、イラは小さく深呼吸した。


「その、疑うつもりはないんだけど……君、あの森にいたりしたのかな……?」


 その質問を聞くや、すぐさま少女は鎌を掴み無言で立ち上がった。そしてイラを見向きもせず窓の側へ移動する。コツコツ、と固いブーツの音が静かな空間に響いた。


「どうしたの?」


 少女の不審な行動に思わず問う。すると、少女は振り向きもせずに吐息をついた。


「何故……」


「え?」


「何故、私を助けた?」


 小さく儚い声。そこには今朝のような獣じみた唸りは一切ない。


「何故って……怪我をしている人を、放っておくなんて出来ないよ」


「見知らぬ者でも?」


「あぁ」


――当たり前だ。


「助けた相手が、どんな者でも?」

「うん」


――そんなの分かりきっていることだ。


「例え、その者が人殺しでも?」


 少女はくるりと振り向くと、大きな瞳でイラを真っ直ぐに見つめた。

 彼女の表情は、全く変わらない。イラは言葉を失い、双子が言っていたあの言葉を思い出した。


《知らないの? 森の奥に住む、魔女の遣いだよ。全身、真っ白でとても美しいんだけれど、その手にはを持っているんだって》

《そして森に入った奴を容赦なく狩るんだよ。凶暴で残忍な白ウサギさ》


 少女の持つ大きな鎌を見やった。冷たく月明かりを浴びて輝く刃物は、やはり恐ろしい。


――本当にこの子が……?

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