5・闇に生きる者

 ひしめく真っ黒な木々の集まりは上空から見下ろすと、広いドーム状である。

 不規則に根を張り、視界の邪魔をする太い幹が永遠と続くが、木々は何者の侵入を阻むことはない。

 しかし、一度足を踏み入れると脱出は困難を極める。見回すも辺りは同じ闇の景色だけ。


 もしも奥深くへと歩を進めれば、濃い霧に捕まることだろう。暗闇に浮かぶ細かな粒子は不快なほどにまとわりつく。土は水分を多く含み、地中の生物たちがその湿りに歓喜していた。


 霧の中、闇雲に走れば走るほど森の道は途絶える。


 もしも、冷たい金属が行き着く先で目に触れたら覚悟しなければならない。

 運が魔女が舌なめずりをし、出迎えてくれる。身体の一部を奪われ、森の中に葬られる。次第に虫や獣の餌食とされるだろう。



 魔女の棲家は鉄の門を潜った先にあるのだが、その形は屋敷というよりも塔をいくつも重ねた、酷く不恰好な建物だった。埃とかびが舞う屋敷内は冷たい鉄と少しの木材で造られている。


 その塔の一角、一番高い位置にある大部屋に魔女はいた。


 亜麻色の艶やかな頭髪は長く足元にまで及ぶ。その身は黒い外套マントで覆われ、闇と同化していた。

 獲物を狙う鷹のような鋭い目に、青白く血色の悪い肌、尖った鼻。皮と骨だけで形成されている長い指には、輝きを失った石がはめ込まれた指輪が三つ並んでいた。


「――それで?」


 腹の底が震えるような低い声。冷えきった抑揚のない声が、暗い部屋に響き渡る。


 肘掛け椅子と燭台、一本の蝋燭しかない部屋。青い炎だけが唯一の照明だ。

 大窓を抜けるとバルコニーがある。

 魔女の定位置は、その大窓付近に置いた肘掛け椅子だった。黒檀であしらえた重厚な椅子。

 最近は、何をするにもそこから離れることは滅多になかった。眠る時でさえ、肘掛け椅子に身をうずめている。


 肘をつき、こめかみを指で叩きながら、魔女は苛立ちを募らせていた。

 先ほど侵入した二つの「人」を仕留め損ねたことにより、抑えきれない湧き上がる怒りに震え、指の動きは速度を上げる。


「私は、侵入者を連れて来い、と言ったはずだ」


 魔女は背後にいる従者に言った。褐色の詰め襟服の青年が長い弓を片手に、魔女の冷たい叱責を受けている。何の反応も示さない彼に、魔女は我慢の限界がきていた。


「私は言った。言ったはずだよな? それが何だ? 小僧一匹も捕まえられないなど、愚かにも程がある。誰が逃がせと言ったのだ。勝手な行動をしおって……貴様、それでも従者か」


 怒りに任せてまくしたて、肘掛けにドンッと拳を落とすと椅子を反転させる。反応のない従者の様子を見ると、案の定、褐色の従者は弓に張った弦を楽しそうに弾いていた。

 まだ若い従者は、魔女の声ではなく怒りの圧に反応した。


「どうかしましたかい」


「どうかしたか、ではない! 一体何をしている!」


 あまりにもとぼけた声に魔女はとうとう声を荒げた。しかし、それでも従者は態度を改めない。「あぁ」と軽く手を打つと、大事そうに弓を撫でた。


「どうも最近、調子が悪くて。コイツもなんですよねぇ……あ、うん? 違うなぁ……えっと、なんです。そして、俺もくったくた」


 トントン、と肩を叩いて疲れをアピールする。どこまでもふざけた従者の態度に、魔女は立ち上がった。


「偉そうな事を抜かすな! 貴様、近頃怠慢なのではないか?」


 素早く外套を翻し、従者に近づくと彼の首に手をかける。しかし、そんな魔女の爆発も、怒りも、癇癪も全て従者には響くことがない。

 彼は魔女の罵声に慣れすぎていた。首を握られ凄まれても、間延びした口調で言い返す。


「その言い方はないです。いくら万能な俺だって、辛いしとても疲れる。一人でやるなんて、えーっと……むり? ……いや、むちゃ? ですよぅ」


「黙れ! 従者なら、主の命令を聞いて当たり前であろう!」


「でも……」


「ろくに言葉も知らんくせに、口答えをするな!」


 魔女は肩で息をし、従者の口を封じた。

 感情を吐き散らすと同時に、体力も放出されていく。首を掴んでいた手を離すと、魔女は肘掛け椅子に戻り、ゆっくりと背にもたれた。椅子を大窓に向け直す。


「――なぁ、紅鴉べにがらす


 落ち着きを取り戻した魔女は外套に顔をうずめながら言った。「紅鴉」と呼ばれた従者の青年は大して反応せず、呆けた顔で椅子の背を見つめる。


「貴様、一人と言ったな?」


「『俺』は一人しかいないです。他にいたらソイツは偽物」


 紅鴉の答えに魔女は深い溜息を吐き出した。話すのに苦労する。


「もう良い。お前はもう喋るな」


 すっかり疲弊した魔女は苛立つことにも諦め、静かな口調になった。その声は相変わらず低いのだが、微かに抑揚がある。


「――三毛猫みけねこはどうした?」


 その名を聞いた紅鴉は眉間に皺を寄せ、露骨に嫌な顔をしてみせた。


「猫なら仕事中に消えましたぜ。どうせまた、昼寝でもしてんじゃないですか?」


「フン……あやつの自由さには、ほとほと呆れるな」


 魔女の「三毛猫」と呼ぶその声には、苛立ちが一切含まれない。紅鴉は両手に拳を作ると強く握った。しかし、そんな従者に気づくことなく、魔女はこめかみを指で揉みほぐして外を眺める。


 見えるのは黒、黒、黒。


 風の音も、空気の色も、季節の匂いも、この森には存在しない。魔女は見飽きた景色に目を瞑った。


「まったく……どうしてこうも役立たずばかりなのか……」


 諦めが言葉を紡ぐ。「役立たず」という単語に、紅鴉は眉をひそめた。


「――『うさぎ』を追い出さなきゃ良かったんだ」


 思わず、呟く。

 そして声に出してしまったことにすぐさま気づき、口を結んだ。だが、遅かった。


 鋭利な何かが青い灯りに反射し、紅鴉の鼻先へ向かって飛ぶ。それを瞬時に見定めると彼は、右手で掴んだ。

 見ると、手の平へ収まったそれは短剣。細長い刃が紅鴉の指と手の平の肉に食い込んでいる。途端に鮮血が溢れ出てきた。滴り落ちる真っ赤な液体が埃まみれの床に染み付く。


 しかし、彼は怪我に慌てふためくことはなく、魔女の姿だけを見つめていた。

 外套が小刻みに震えている。椅子からゆらりと立ち上がると、魔女は紅鴉を睨んだ。ギラついた瞳が二つ、狂気の色を宿している。紅鴉はその殺気に身を固めた。


「……聞きたくない」


 魔女の唸りが全身に響く。


「その名を口にするな」


「じょ、じょーだんですよぉ、じょーだん! 俺は何も別に……」


 しかし、その先を続けることは出来なかった。大きな風圧が紅鴉の脇を掠める。

 唸り声と共に巻き起こる風は勢いを増し、やがて複数の竜巻を創り出した。

 怒気を孕んだ竜巻が部屋を荒らす。大窓が圧に耐え切れず、甲高い音を悲鳴を上げて割れる。椅子が宙を舞う。

 紅鴉は迫りくる竜巻に捕まらないよう、飛び退いて回避した。


「二度と言うな。その命が惜しくば、二度と私の前でその名を口にするでない」


 黒く、濃く染められた声の色が風に乗って視えてくる。紅鴉は息を潜め目を凝らした。


 怒り。


 絶望。


 痛み。


 それらが全て混ざり合い、彼の硝子体に映し出される。


「……分かりました」


 深々と頭を下げ、精一杯の敬意を示す。それだけしか、今の紅鴉に出来ることはなかった。


 それにより、魔女の風は徐々に引いていった。


 荒れ狂った部屋は蝋の火が掻き消え、闇に飲まれている。肘掛け椅子が床に投げ出され、大窓の曇ったガラスは粉々になっていた。


 風が収束していくと、魔女はようやく我にかえった。辺りを見回し、魔女は面倒そうに手の平を二回叩く。

 すると、転がるように部屋の中へ入ってきた無数の生物が、魔女の足元まで来た。


 それらは小動物にも似ているが、劣悪なほどに醜い生き物である。顔のパーツは四肢一帯にばらけており、本来あるべき場所にはない。手足もちぐはぐで、バランスが取れない者は床を這う。骨が浮き出たもの、脳がむき出しになったもの、臓器を垂れ流しているもの、様々だ。


 その全てがで、寄り集まって出来ただけの生物は、何の音を発することなく魔女に従った。

 床に散らばるガラスを拾い集め、部屋を元通りにしていく。その様子を、紅鴉はただ黙って見つめていた。


「――紅鴉」


 静かな声音だった。先ほどの怒りが嘘のよう。


「あの子供を捕らえろ」


「は?」


 何の脈絡もない言葉に、紅鴉は意味が分からず首をかしげる。魔女はゆっくりと従者の元へ歩いてきた。そして彼の前までたどり着くと、その訝しむ目を指の腹でさわる。皮膚がれ、ざらざらとした感触が紅鴉の瞳を撫でる。


「お前が見た、あの少年だ。彼はいい材料になる。一目で分かったのだ」


「はぁ……」


「良いか? 言うことを聞け。お前は私が生かしている。そのために働かなくてはいけない。そうだろう?」


「はい……」


「あのとはわけが違う。お前は選ばれてここにいる」


 魔女の囁くような声に、紅鴉は醜い生物を一瞥した。


「はい……」


「良い子だ。あと、三毛猫にも伝えろ。お前たちであの少年を見つけ出すのだ」


「えぇっ? でも、イ……」


「黙れ」


 魔女は紅鴉の口を手で遮った。呼吸が出来ずにもがく紅鴉をしばらく見据える。


でやるんだ。良いな?」


 否定させないその威圧に、紅鴉は激しく頷く。それを認めると、魔女はニヤリと口の端をつり上げて、彼の口から手を離した。むせる紅鴉を尻目に、踵をかえす。そして、元の位置に戻った肘掛け椅子へ腰を下ろした。

 魔女の視線が逸れるなり、紅鴉は顔をしかめて不満をあらわにする。


「紅鴉よ、次はしくじったら容赦しないぞ」


 念を押して言う魔女に、紅鴉は巡っていた負の感情を仕方なく抑えつけた。


「……分かりましたよ、


 感情を漏らさないよう努め、魔女の名を呼ぶ。そして恭しく頭を垂れると、振り返ることなく部屋を出た。

 蝶番が不協和音を奏で、重たい扉を閉じる。

 その音が止まないうちに、紅鴉は廊下の開いていた窓から身を乗り出し、そのまま上空へ飛んだ。



 ***



「それにしても、めんどくさいなぁ……」


 一番高い木の天辺。そこが彼の定位置だった。

 森の暗さとは対照的な、白く、明るい世界が上空に広がっている。

 ひとっ飛びでそこまで登り、眼下に広がる森や村を見渡していた。細い枝をもろともせず、器用に爪先だけでバランスを取って立つ。


「ったく、捕らえろって……小僧の居場所なんざ見当もつかねぇし。イオルもおかしなこと言うよなぁ……」


 ブツブツと不満を垂れ流す紅鴉。既に心には飽きが来ていた。


「大体、森から出たらなんて皆一緒じゃねぇか。そうそう見つかるかっての」


「ええい、やかましいカラスじゃのう……少しは大人しくしい」


 唐突に、足元から寝ぼけた声が聞こえてきた。

 耳に不快感を与える犯人に、ふつふつと嫌悪感が募る。紅鴉は葉を掻き分けて、声の主を探した。

 上から三段は下の太い幹に寝そべって、大欠伸を掻くのは柔らかい紅茶色の髪の毛に、細い目をした青年。腰元まで伸びきったシャツをだらしなく着崩し、眩しそうにこちらへ顔を向けていた。


「化け猫……」


「誰が化け猫じゃい。、言うとるじゃろ」


 すかさず訂正を促すその青年は、魔女が最も信頼を寄せている三毛猫だった。紅鴉の表情が険しくなる。


「似たようなもんだろ。化け猫、バカ猫、アホ猫、クソ猫!」


「やかましい。あー! やかましい! カラスはうるさくて好かん……とまぁ、そんなことはどうでもええんじゃ。なぁ、カラス。イオルは何て言ってた?」


 自分から吹っかけておいて、サラリと話を変える。そのやり口も全て気に食わない。紅鴉は鼻を鳴らすと、わざと大声を張り上げた。


「ちゃあんと報告してやったさ。途中で消えたって。そしたらイオルは、お前を殺せって言ってたぜ」


 刺々しい言葉をもろともせず、三毛猫は耳の中を爪で掻く。


「そうかぁ。『少年を捕らえろ』かぁ……我らがあるじ様も変なモン欲しがるよなぁ」


「聞いてたんじゃねぇか!」


 紅鴉の声に、三毛猫は今度は両耳に人差し指を突っ込んだ。迷惑そうに目じりをつり上げる。


「猫は耳が良いんじゃ」


「それじゃあ何だ? お前、あん時、イオルの部屋にいたって事か! いつからいやがった!」


「お前がを出して、イオルにガミガミ言われとるとこ、くらいかな。暇つぶしに見物しとったんじゃ~」


 三毛猫はあくまで自由だった。「にゃはは」と浮かれた笑い声が紅鴉の癪に障る。


「……もう、あっち行け。シッシッ」


 手で追い払う仕草を見せるも、三毛猫は動かなかった。腕を突き上げ、大きく伸びをし、幹の上で胡坐を掻く。


「なぁ、お前さん、さっきから何を探しとるんじゃ?」


「あぁ? 見りゃ分かんだろ」


「つれない奴じゃのう~」


 幹や葉を掻い潜って聴こえる声に、紅鴉の苛立ちは募った。


「さては、小僧を探しとるわけやないなぁ?」


 そのとぼけた声に、紅鴉は動きをピタリと止める。三毛猫の声が耳にまとわりつく。


「やめときい。はただの裏切り者じゃ。探してどうする。連れ戻したって、イオルが許すわけな……」


 三毛猫はサッと身を翻した。脇を見ると、細長い矢が幹を貫いている。


「ははぁ……図星か」


 見上げると紅鴉は冷たい目を向け、弓を構えていた。三毛猫を射抜こうと狙いを定める。しかし、それでも三毛猫の顔色は変わらず、嘲笑を浮かべていた。


「やめとけ、やめとけ。もうアイツには関わらんほうが身のためじゃ。イオルに殺されても俺は知ら……」


「黙れっ!」


 咆哮し、弦を弾く。

 細長い矢は枝も、葉も、空気さえ射止めた。殺意が風に乗り、三毛猫の顔面を狙う。怒りに任せ、とめどなく射る。命中させる自信はあった。

 しかし、それは大きく覆される。弾いた矢のむせび泣くような音に重ねて、乾いた銃声が轟いた。


「――遅い」


 黒光りする拳銃の下から三毛猫の顔が窺がえる。いつも閉じられた瞼が見開き、濡れた黒い瞳孔を晒している。口許には不適な笑みを浮かべていた。

 ちらりと、紅鴉の右手を見やる。手当てのされていない短剣の傷跡を捉えた。


「カラスのくせに頭が悪い……俺に勝てんことをまだ学習しとらんらしいなぁ」


 放った矢が芯の真ん中で裂かれており、はらはらと地面に落ちていく。

 銃弾は紅鴉の頬を掠っていた。一筋に流れる血を拭い、もう一度弓を構える。


「『うさぎ』がいなくなった今、お前がイオルのお気に入りになったんだ……」


 目を光らせ、三毛猫を見下ろす。その一言一言に憎悪を込めて、紅鴉は言葉を吐き出した。


「さぞいい思いしてんだろう? いつもいつも俺をやがって!」


「それを言うなら『見下す』じゃろう? なんじゃい、嫉妬かい?」


「うるさいっ! お前の方が、出て行けば良かったんだ。『うさぎ』よりも、お前がっ! お前なんか要らない!」


 一方的に怒りをぶつけられ、三毛猫はやれやれと溜め息をつく。


「やめろ、言うとるのが分からんようじゃなぁ……」


 弦が弾かれ、一斉に鋭い雨が三毛猫の頭上へ降り注ぐ。

 ヒラリと脇へ飛ぶと、三毛猫は踊るようにかわした。幹を飛び移り、軽やかに足を踏む。

 次々と浮かぶ残像に、紅鴉は弓を引く手を僅かに迷わせた。


 瞬間。


 視界が遮られ、三毛猫のさらりとした髪の毛先が目に留まる。気がつけば、あっという間に三毛猫から前を取られていた。彼の大きな瞳孔に、全身の筋肉が強張る。


「ネンネンコロリ、はい、さようなら」


 言葉とは裏腹に、低く静かな声が風に乗って耳に届いた。 

 額に冷たい感触が伝わったと思いきや、二度目の銃声が森に木霊する。

 手の平から足の爪先まで込めていた力が一気に放出され、弓矢が幹にぶつかり落下する。


「――くっ…そぉ…っ」


 開いた目は三毛猫の嘲笑を映していた。バランスを失い、体が弧を描いて傾く。

 紅鴉は顔を歪ませ、深い森の中へ消えた。

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