3・無敗の好奇心

 午前の授業まで教室にリフの姿はなかった。


 昼食の時間には戻ってきたのだが、その目は真っ赤に腫れ上がっており、恐らく人気のない場所で泣いていたのだろう。

 しかし、リフがこうして癇癪を起こすのも日常茶飯事。誰も気にせず、むしろ腫れ物扱いである。


 そんな問題児の扱いに長けているのがイラだ。しかし、今のリフは無二の友人である彼とも一切口をきこうとしない。益々、孤立していくばかりだった。

 どんよりと陰鬱な空気が二人を覆う。


「リフ……あの……」


 そうやって、昼休みの間に何度も接触を図ったのだが結果は同じだった。

 仕方なしにイラは獣飼舎へ避難する。動物たちも昼食を待っているのでどのみち行かなくてはならなかったのだが、彼女を一人にするのは不安だった。しかし、どれが最善なのかも分からない。


「ねぇ、ロイ……」


 イラは暗い声で目の前にいるロイを呼ぶ。彼はお気に入りの子豚に構いきりで反応はなかった。しかし、近くにいるので聴こえているだろうと思い、構わず話し続ける。


「ロイ……女の子ってさ、難しいね」


「は? 何それ」


 ようやく口を開いたロイは、驚いた様子だった。

 藁と動物の匂いが充満するその隅で、小さく蹲るイラを物珍しそうに見る。いつも穏やかで、愛想のいい彼しか見たことがないロイは、その曇った表情に深妙な顔つきで返した。


「急にどうしたの?」


「いや……今朝のことなんだけれど……」


「リフ?」


「まぁ……」


 口数は少ないが察しの良さに、イラは感謝した。詰まりに詰まった言葉を吐き出そうと口を開く。


 しかし、外からバタバタと複数の慌ただしい足音が聴こえ、会話は中断された。程なくして、バタンッと戸が大きく開き、飛び込んで入ってきた二つの頭がロイの腹に激突する。


「うわぁっ!」


 あまりにも大きな衝撃にロイは小さな悲鳴を上げて、腕に抱いていた子豚を落とした。

 地面にばらまかれていた藁が空を跳ね、入ってきた二人を包むとたちまち子豚の喚く音と鶏の叫声でいっぱいになる。どうにか動物たちを落ち着かせてから、イラは来訪者の姿を見た。


「どうしたの。シャロン、メイ」


 今朝の仕事を堂々と怠けていた双子の兄妹だった。まだ息を切らしており、起き上がって小屋の入口に座り込んでいる。

 双子はイラの姿を捉えるなり同時に声を上げた。


「イラ! なんでリフと一緒じゃなかったのっ?」


 どこまでも揃う双子の声がイラの耳をつんざく。

 本日四度目の質問に、イラは落ち込みつつもそろそろ嫌気が差していた。


「生憎、僕はリフ無しでも生きていけるんだけれどね」


「そんなこと言ってる場合じゃない!」


 双子は更に甲高く叫んだ。どうやらただ事ではない雰囲気に、イラは二人を見据える。


「何かあったの?」


「大変なんだ! リフが!」

「リフが、一人で森の方へ行っちゃった!」


 大声で喚く二人の声に、イラは血の気が引いた。



***



「イラなんか、もう知らないんだから!」


 イラの姿が教室から消えた直後、リフは学校を飛び出していた。まだ午後の授業が残っているのだが、行儀よく席について教科書と板書を眺めていられる気分ではない。


 他の子が何を言おうとどう思おうと彼女は気にしない質ではあるのだが、イラのいない空気に触れるのは苦手だった。

 だから、いつも後ろをついて回ってぺちゃくちゃと取り留めのない話をする。そんな自分に、彼はいつも困ったような態度をとりつつも応じてくれていた。


 それが最近どうだろう。彼は少し変わってしまった。

 人柄が良く、教師の目も優しいイラは今期に入って色々な仕事を任されるようになった。

 最高学年だから、というのもあるだろうが、今まで対等だったはずなのに急に手の届かない場所へ行ってしまったよう。リフは知らず知らずのうちに、寂しさを覚えていた。


「あーもう、謝ったって許さないわ。もう! 絶交よ、絶交!」


 頭を振り、鬱憤を空に轟かせる。すると、林でのんびりとさえずっていた小鳥たちが慌てて飛び去った。

 激しい羽音が耳に届き、リフは少しの申し訳なさを表情に浮かべてそそくさと林を抜けた。


 晴れない気持ちを抱えたまま、一本道に差し掛かる。

 歩調はゆっくりと重い。脳にもやがかかっているようで、思考は完全に停止状態だ。


 いつの間にか広場の近くまで来ていることに気が付いたのは、周囲に賑やかな大人たちの声が耳に届いてからだった。

 まだ、授業が残っているのに村をふらついていると目立ってしまう。リフは道を逸れて、狭い路地に入った。


 ここを抜けると寂れた廃屋があちこちに現れる。通称「裏側」。

 廃屋の中には怪しげなパブや気味の悪い品が置いてある雑貨屋、どこか遠い異国の輸入品を扱う店などがある。そして、その集まった店やぼろの廃屋が並ぶ舗装のない曲がりくねった道を辿ると、禁区域である森が見えてくるのだ。魔女が棲むと言われている森である。


 とても子供が通っていい場所ではないことは言われなくても分かっていた。

 禁域だと明言されているだけで想像力が掻き立てられ、恐ろしい何かを予感する。脳や心臓が脈打って、警告を促している。


――「入るな」と。


 しかし、彼女は前にも一度、この道を通ったことがあった。

 その時はイラも一緒で、確かジンの配達する荷車の中へ忍び込んだのだ。まだ五つか六つくらいの歳で、牛乳瓶に埋もれて隠れていたからジンも気づかなかったのだろう。イラもリフの悪戯に付き合って一緒に笑いあっていたものだ。


 無邪気だった幼少期を思い出すと、胸の奥を爪で引っ掻くような感覚に襲われる。自棄、という無鉄砲な感情が忍び寄ってくる。


——いっそのこと、このまま一人で森へ行こうかしら……。


 胸の中に棲みつく鬱を受け入れながら、彼女は路地を進んだ。

 日の差さない狭い場所故に、きちんと視界に集中していなかったので、彼女は小さな人影に気が付かなかった。


「ふぁっ!」


 唐突に腹の辺りで小さな衝撃に遭い、驚いて声が裏返る。

 慌てて口を手で押さえつけて、衝撃の犯人を見やった。自分よりも一回り小さい双子が額を痛そうにこすり、睨むような目つきで見上げてくる。


「うわっ、リフだ」


 露骨に嫌そうな声を上げたのは兄のシャロン。


「ぶつかって謝りもしないなんて、育ちが悪いのね」


 紙袋を手にして、腕を組んで睨みつけるのは妹のメイだ。


「……うるさいわね。そんなとこで突っ立っている方が悪いじゃないの」


 謝ろうと思ったのに先手を打たれ、つい口調を強めてしまう。


「あんたたち、ここで何をしているの?」


 リフの問いに双子は不機嫌そうに声を揃えた。


「そっちこそ何してるのさ」


「別になんだっていいでしょ。あんたたちこそ学校にも行かず、どうしてここにいるのよ」


「リフなんかに言われたくないね」


 メイがふてぶてしく言う。もっともな発言に言葉が詰まる。


「大体、学校なんてつまらないよ」

「そうよ。決まったことをやるだけで、なんにも面白くないわ」


「だから、ここで悪戯していた方がよほど楽しい、と。そういうことね」


 双子は学校でも村でも名の知れた悪戯名人だった。リフも悪目立ちはしているが、この双子には適わない。


「まぁ、その考えは否定しないわよ」


 鼻で笑うリフの意外な言葉に、双子は驚きつつもすぐにニヤニヤと悪巧みの笑みを浮かべた。


「ねぇ、リフ。僕たちの仲間になったら、いいものあげるよ」


 シャロンが言う。


「いいもの?」


「うん。とびきりの、ね」


 そう笑うメイは、持っていた紙袋からこぶし大の丸い物を取り出した。うっすらと火薬の匂いが鼻を通る。なんだか見覚えのあるものだった。


「これね、この間学校で見つけたの。誰かの鞄に入っていたものだけれど……」


「あぁーっ!」


 メイの声を遮るように、リフは大声を上げた。双子が顔をしかめて、耳に栓をする。


「何よぅ……大きな声出して……って、あっ!」


 リフは眉間に皺を寄せて、メイが見せびらかしていた丸い玉をもぎ取った。双子がぴょこぴょこと跳ね、リフから奪われたそれを取り戻そうとする。


「コラ! 返せ!」


「それはこっちのセリフよ! この花火弾、あたしのじゃない! あんたたちが盗んだのね!」


 それは球体にした火薬を薄い紙で覆った花火弾だった。些細な悪戯程度の玩具が売られている雑貨屋で購入したもので、以前、リフが広場の噴水に投げ込んで大爆発を起こした代物である。

 その余りが盗まれていたのだが、まさかこの双子が犯人だったとは。


「返せ! それはもう僕らのだ!」


「おおっぴらに置いていたリフが悪いわ!」


 口々に勝手な言葉を浴びせてくる。リフは双子の手が届かないよう、さらに花火弾を高く掲げた。


「悔しかったら取り戻してみなさい」


「……リフなんか嫌いだ」


 口を揃えて双子はリフを睨みつけた。その目には憎悪が込められている。可愛げのかけらもない後輩二人を見下ろし、リフは鼻を鳴らした。


「結構よ。そして、あたしはあんたたちの仲間にもぜっっったいにならないわ」


 嫌味を含ませてリフは言い放つ。そして、一息つくと双子を押しのけ、路地の奥へ向かおうと歩を進めた。

 これ以上、ここで長居するのも良くない。大人たちから見つかる前にここを離れる。


「どこ行くんだよぅ」


「そっちは森があるのよ」


「うるさいわね。ついて来ないでよ」


 双子の声にリフは冷たく応えると、村の裏側へと消えた。




「……分かった。このことは誰にも言うなよ。僕、リフを探しに行ってくる」


 双子の話を聞き終えたイラは、その場にいる三人に言った。すぐにロイが口を開く。


「先生が来たらどうすればいいの?」


「急用で帰ったって言えばいいよ」


「信憑性は限りなくゼロね。イラが学校をさぼるなんて一度もないじゃない。なんだから」


「すぐに分かるさ。なんだから」


 皮肉たっぷりに「良い子」を強調する双子に苦笑を漏らす。

 しかし、いつまでもぐずぐずはしていられない。双子の頭をくしゃくしゃ撫でるとすぐに立ち上がった。


「絶対誰にも言っちゃダメだからな!」


 そう念を押し、イラは獣飼舎を飛び出した。動物の匂いが充満する中に、慌ただしく外の空気が混ざりこむ。

 取り残された三人はしばらくイラの背中を目で追っていたが、見えなくなった途端にメイが小さな笑い声を上げた。


「……ねぇ、シャロン?」


「何? メイ」


「絶対言うなって言われたら、言いたくなっちゃうと思わない?」


 双子の悪巧みに、すかさずロイが立ち上がる。


「おい、やめておけよ。事が重すぎる」


「うるさいなぁ、パンくずがついた顔のくせに。僕らに指図するな」

「そうよ。あんたはそこで豚と一緒に遊んでれば」


 底意地悪い笑顔でロイを突き飛ばすと双子は仲良く手を繋いで、舎から飛び出して行った。


「おい! やめろって!」


 藁に埋もれ、這い出て戸を開けようとするも一歩遅かった。押しても引いても戸は開かない。どうやら外から鍵をかけられている。ロイはしばらく戸を叩き、蹴り、脱出を試みたが結果は得られなかった。



***



 一方、森の入口まで到達していたリフは、ざわめく大きな木々を見上げていた。


「うわぁ……」


 思わず口が開いてしまい、惚けた声が漏れ出てくる。

 溜まった憂鬱がいつの間にか消化されていく。彼女の心は、僅かな恐れと湧き上がる高揚感で満たされていた。


「すごいわ……遠くからしか見たことなかったけれど、こんなにも大きいのね」


 そう考えると、今までの自分がいかに小さくて狭い視野であったかを思い知る。

 リフは空から視線を変え、今度は風が唸る森の中を見つめた。真っ暗だ。


 まだ太陽は高い位置にあるのに、この森の中は日を通さないのだろう。同じ村中であるのに別世界に思えた。


「……よし」


 ブラウスの袖をまくり、意気込む。森の中へ一歩を踏み出そうと足を上げた瞬間だった。


「リフ!」


 名を呼ぶ鋭い声に、リフは肩を震わせて振り返った。曲がりくねった道の向こうから馴染みのある少年の姿が見える。


「イ、イラ?」


「何やってるんだよ、こんなところで!」


 ようやくリフに追いついたイラが詰め寄る。面食らったリフは目を逸らして口ごもった。


「えぇっと〜……あ、ほら! 課題よ」


「……どんな課題さ」


 声だけで分かる。イラは今までになく焦りと怒りをリフにぶつけていた。そんなに真剣な態度を向けられると、かえってふざけたくなるらしい。


「そうね……事件の真相を解明する課題っていうのはどう?」


 早口で言うリフ。取り繕うようなその微笑に、イラは気が遠くなった。


「心配させないでくれよ、もう……ほら、帰ろう」


 手を差し伸べる。しかし、リフはその手を取ろうとはしなかった。


「嫌よ」


「リフ!」


「だって、せっかくここまで来たのに!」


「だからって……ダメに決まってるだろう。いい加減に……」


 しかし、リフが俯いてしまい、その先を続けることは出来なかった。

 また今朝のように泣かせてしまう気がして言葉が喉につっかえてしまう。イラは彼女のその仕草がどうも弱かった。

 額から滴る汗を拭い、気を落ち着かせようと大きく深呼吸する。そして、なるだけ優しく訊いた。


「君をそこまでさせる森の魅力が、僕にはいまいち分からないよ。危険を冒してまで森の中へ行こうとは到底思えない。何の為に森へ行こうって言うんだい?」


 すると、リフはパッと顔を上げた。懇願するように眉を下げ、潤んだ瞳を向けてくる。

 その表情を見下ろして、イラはハッとした。心に隙間風が吹いた気がする。


 いつの間に視線が合わなくなったのだろう。こうしてきちんと見つめ合ったのはいつぶりだったろうか。


 そのことに気付いて、唇を噛み締めた。ゆっくりとリフの言葉を待つ。

 やがて、彼女は両目を潤ませてようやく口を開いた。


「……あたし、父さんみたいな記者になりたい」


 その声には震えが混じっていた。息を吐き出すように彼女は続ける。


「父さんは勇敢な人よ。皆が臆するような仕事も難なくこなしていく。イラも知っているでしょう?」


 思わず気持ちが揺らぐ。それにとどめを刺すかのごとく、リフは深々と頭を下げた。


「だから少しだけでいいの! お願い、イラ。確かに、強引だったかもしれない。でも、この気持ちはあたしにも止められないの。気が済めばすぐに終わらせるから……危険を感じたらやめるから……」


 確かに、彼女は自分の父親に憧れている。

 幼い時から「父さんみたいな記者になる」と宣言していた。だから、いつも彼女について行き、いろいろな場所を調査して遊んでいた。同年代から変人呼ばわりされても、彼女が変わることはなかった。


 そんな幼馴染の姿を知っているからこそ、イラは迷ってしまう。

 リフは真剣なのだ。どんなに父親から叱られようが、その姿勢を崩すことはない。そんな彼女に臆病な自分が憧れていたことも嘘ではないのだ。


「……少しだけ」


 喉元につっかえていた言葉とはまったく逆の台詞が口から飛び出す。


「本当に少しだけだよ。入ったとしても入り口付近のみ。それだけなら付き合うよ」


 リフの顔がたちまち笑顔になる。イラはその表情に、心の奥が安堵した気がして思わず頭を振った。

 しかし、そんな彼の心情もお構いなしにリフは、勢い良くイラを抱きしめる。


「ありがとう!」


「う、うん……」


 あまりの喜びように呆然としてしまう。

 一方、はしゃぐリフはすぐにイラの手を握ると、森の方向へくるりと足を向けた。


「さぁ、行こう!」


 元気よく号令をかける。その現金な姿に思わず疑念を抱いてしまうのも無理はない。先程の真に迫る表情は一体なんだったのだろうか。


――僕も、相当甘いよなぁ……。


 イラはリフに手を引かれながら、やはり後悔した。



***



『侵入者、二名。北区B地点ニリ』


 森の奥深く。

 上空から二人の侵入者を見つけた従者の報告が、魔女の耳に届いた。

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