46話 憑依体


「ちょうどいい具合の穴ができたな」


 すぐそばで、そう呟いたベレッタに気づいたレンピは、思わずその場から飛び起きた。ヴァンパイア・サンドワームの姿は既に跡形もなく、折檻バトルは終わっていた。

 魔物に貫かれた足はまだ痛んだが、ベレッタの仕置きが長引いたおかげで、普通に歩けるくらいには回復していた。

 偽装が得意な狐人族レンピは、その痛々しい傷口に魔法で処置を施す。ベレッタに余計な心配をかけぬよう(おそらく心配されることはないのだが)疑似再現魔法プランク・テクスチャーを使って、腕と足の傷を覆い隠した。そして、何食わぬ顔でベレッタの言葉に応じた。


「あの、ベレッタ様? なんだか少し卑猥な響きを持つ『具合のいい穴』とは、いったい何のことでしょう?」

「良く聞け、レンピ。追加設定だ。お前は兄のいるカリ・ユガへ向かうために、警備をやり過ごす抜け穴を掘っていた。それがヴァンパイア・サンドワームが開けたその穴だ」

「……なるほど、そのために魔物を!」

「だが、魔物と距離をとるためにゲートから少し遠ざかってしまった。その点を指摘された時の言い訳は、今から何か考えておけ」


 ここまで準備が整ってしまえば、もはやレンピに拒否権はない。気持ちを切り替えたレンピは、命令に従うことを決意した。


「了解しました、ベレッタ様!」


 その返事に、ベレッタが満足そうに笑う。

 だが、レンピにはまだ聞きたいことがあった。


「ですが、ベレッタ様。基本的なことをお聞きしますが、この林に山盛りのトラップが仕掛けられているのだとすれば、あの者たちはゲートに辿り着く前に死んでしまうのではないでしょうか?」


 そして、私も一緒にお亡くなりになるのでは?

 レンピは心配そうにベレッタの答えを待った。


「フフ、その点は心配ない。あのロボットの性能を考えれば、この程度のトラップおそらく問題にならんだろう。ここまでうまく誘導できれば、あとは奴らに任せてお前はつき従うだけでいい」


 そう聞いたレンピは、すっかり安心しながら言葉を返した。


「おお! ベレッタ様にそこまで言わせるとは、そのロボットなかなかに侮れませんね!」

「侮れんどころか、警戒を要する。何しろ神器を手に入れてから私が敗北した相手など、あのロボット以外記憶にないんだからな」

「ええっ!? ま、まさか、ベレッタ様……力を手に入れた代償に、記憶をなくしてしまわれたの――」


 ガンッ


 残像もおぼろ気に動かされたベレッタの右手が、レンピの頭部にコブを作っていた。


「何人記憶喪失を出すつもりだ? 似たような設定を重ねるわけがないだろう。別に覚えていないのではない。今のは単にそういう言い回しをしただけだ……などというセリフをよくも私に言わせてくれたな、レンピ」


 言い終えたベレッタは殺気立っていた。

 会話の中に何気に紛れ込んでいたカオス。それに対してウェルカム姿勢のレンピのせいで、カオスを忌避するベレッタにまで影響が及んだのだ。

 コブのできた頭を嬉しげに撫で擦るM体質のレンピには、反省の色などまるでない。それを見たベレッタの心を、またもや良くない感情が支配した。

 そこから導かれた思いつきは、レンピにとって取り返しのつかない可能性を含むものになった。


「レンピ。今回もし、お前がしくじったら、お前には奴隷が一番望むものを与える」

「……?」

「自由だ。今回しくじれば、お前には自由を与える。そして、私は2度とお前の前に姿を現わさない」


 ベレッタは、冷徹にそう言い放つ。

 ゲンコツというご褒美に気をとられ、ベレッタの心の変化を見逃していたレンピは、首を傾げたテヘペロ顔のまま、途端に青ざめた。

 スレイブ性能を限界近くまで極めたレンピにとって、主の喪失は生きる目的の喪失にも等しい。

 ベレッタがいなくなったところで、新たな主を探せば問題ないと普通は考えるところだが、ことベレッタに関してはそうはいかなかった。レンピにとってベレッタは、正に理想を具現化したような主だったからだ。


 ベレッタに会うまで、レンピは生きるのが楽しいと感じたことなどなかった。必然的に手にした適性のおかげでそこに苦痛はなかったが、人生がいつ終わりを迎えても構わない。心のうちにそんな思いを抱いていた。

 しかし、ベレッタとの出会いで全てが変わった。

『私がこの道を極めていたのは、この方にお仕えするためだったに違いない!』

 出会った瞬間そう直感したレンピは、ベレッタに尽くすことに生きがいを見出したのである。

 だが、意に添わなければ、力ずくでも意に添わす。そう考えるベレッタに奴隷は必要なかった。あらゆる存在をそれと大差なく認識していたからだ。

 そこをレンピが懇願し無理やり主従関係を結んだのだが、下される命令は奴隷の仕事というよりも、任務のようなものばかりだった。身の危険を伴う内容も多く、これまでレンピは幾度命の危機に瀕したか分からない。だが、それはレンピに難しい任務が課せられたからではなかった。


 特に成果を期待していなかったベレッタは、レンピに簡単な命令しか与えない。にもかかわらず、それがレンピに課せられると劇的に難易度が跳ね上がった。

 

 なぜ、あの命令で命を落としそうになるんだ?


 ベレッタはそんな疑念を抱きつつ、とんでもないイレギュラーを引き起こすレンピに、次第に興味を持つようになる。そんな関係性が続くうちに、レンピは幾度となくベレッタに命を救われ、その積み重ねがレンピの中にベレッタへの揺るがぬ信頼と執着を作り出した。


 そんな失敗を犯した時のお仕置きも、発端はレンピからの提案である。


「ベレッタ様! ミスした者を不問に処するとはなにごとですか!? 過ちを犯した者には罰が必要です! ささ、遠慮なさらず、ぜひ私めにきつ~いお仕置きを!」


 もとよりサディスティックな部分を持つベレッタも、そう持ちかけられればまんざらでもない。それが定着して今に至っているのである。

 更に、お仕置きの内容にも言及せねばならないだろう。

 ベレッタのお仕置きは、いつもレンピの考える僅かに上をゆく。お仕置きを受けている最中は「べ、ベレッタ様……や、やりす……ぎ……ガクッ」となるのだが、全てが終わったあと、手当てを受けながらレンピは気づくのだ。そのさじ加減が絶妙だったことに。

 そして、ベレッタはレンピに言葉をかける。


「早くよくなれよ、レンピ」


 手厚い看病もなく、ほったらかしで療養させられるレンピだったが、かけられた言葉の意味を自分で補完し、1人悦に入る。


「もっとイジめてやるから早くよくなれということですね、ベレッタ様! そして、全快した折りにはまた……はうっ」と悶絶し、傷を悪化させ、なかなか床を離れられない。

 ベレッタは獣人の割に傷の治りが遅いレンピを訝しむが、気休め程度にまた声をかけてやる。その悪循環のせいで、レンピの怪我はいつも長引いていた。

 

 そんなベレッタのS性能は、当然普段にも発揮される。レンピ好みであるところは、それが出し惜しみされるところにもあった。

 のべつまくなしにサディスティックに振る舞うのではなく、何なら時折ベレッタは意外な懐の深さを見せたりもする。警戒しながら踏み込んでも、何の反応も示さない。

 そこで、レンピがなんだと調子に乗った途端、一気に祭り上げられる。一気に上げられる。その緩急の幅がレンピにとっては極上過ぎたのだ。

 病みつきになり、クセになり、もうそれなしでは生きられない。レンピにそんな思いを抱かせるのだ。


 ベレッタに仕えるようになって以来、レンピは生きるのが楽しいと思うようになっていた。奴隷として過ごした無機質な日々を塗り替えるように、人生を謳歌していた。

 そこに来て、今ベレッタが口にした言葉は、レンピが人生に見出した光を奪い去る、非常に危険なものだったのだ。

 プレイの域を超えた発言と共に、目の前から消えてしまったベレッタ。その時襲った寂寥感せきりょうかんが言葉となって、ポツリとレンピの口を突いた。


「まさか、今のが最後に見るベレッタ様のお姿なんてことは……ないよね?」


 持ち前の明るさと言葉で取り繕うレンピだったが、ベレッタのお仕置きはレンピの想像の僅かに上をゆく。それを思い出した途端、レンピの不安は一気に増大した。


 やらなきゃ!


 根っからの楽観主義レンピも、さすがに真剣にならざるを得ない。そんな思いでズッコケ三人組と合流したのだが、その努力は当たり前のようにカラ回りしていた。

 しかし、レンピがバカヅキだったのか、或いはそこにベレッタの深読みがあったのかは定かでないが、カリューという天然素材のおかげで、事態はレンピの望み通りに進んでいた。

 それほど怪しまれることなく(?)懐に入り込むことに成功した今、これ以後レンピにすべきことはない。あとは気楽につき従っているだけで任務は終わる……筈だったのだが、そこには1つの問題が生じていた。


「これ以上お前がついて来る必要もないが」


 ゲートに向かい林を進み始めた時、カリューにそんな言葉をかけられたレンピは「いえいえ! まだ何かお役に立てることがあるやもしれません! 是非、私もお供し、最後のお見送りをさせてください!」と返した。

 ここで置いて行かれれば、ベレッタに任務放棄と見なされる可能性がある。そう考えたレンピは、何とかその場を取り繕ったのである。

 しかし、こっそりあとをつけるという方法もなかったわけではない。ゲートに向かい始めて俄かに自分を襲った出来事に、レンピはそこに思い至らなかった自分の頭の悪さを珍しく悔やんでいた。


 レンピが視線を向けた一行の先頭には、ロボがいる。ロボは手早くトラップを解除しながら問題なく前を進んでいた。その手際はベレッタの言葉を裏づける確かなものであり、レンピはそこに感心していた。

 だが、そんな思いもたちどころに消え失せる。そうせざるを得ない状況がそこにあったからだ。

 

「それにしても、ものスゲー数のトラップだな」


 そんな感想を漏らしながら、緊張感の無い様子で歩くロボ。しかし、当然周りに張り巡らされたトラップの位置と数、効果などはすべて把握しており、木の影や草むらに巧妙に隠され罠も、左手のサイコガンで的確に破壊された。


「ああ、そうだな」


 そうロボに応じるカリューは、全ての対処をロボに任せているものの、自らも警戒を怠らない。鋭い視線を周囲に向けながら、あとに続いた。

 その後ろを歩くのがレンピ。だが、ここにはもう1人行動を共にしている者がいた。

 シンガリとしてレンピの後方を歩くその者は、ほとんどまばたきもせずに、カリュー同様鋭い視線をある1点に向けていた。

 レンピはそれがとても気になった。まとわりつくその視線は、周りを警戒するのではなく、レンピ本人に向けられていたからだ。


 見られて……いますよね。

 間違いなく。


 露出の多いショートパンツを身に付けてきたことを後悔しつつ、レンピは時折両手を後ろに回して、僅かな抵抗を試みる。

 しかし、その視線は指の隙間を掻い潜り、生地をすり抜け内側に浸透してくるような、そんなタチの悪い視線だった。

 端的に感想を述べるなら、不快以外のなにものでもない。見られることにさして抵抗を感じないレンピがそう思うのだから、相当なものである。

 

 その者は、ロボの後ろをその者が行き、レンピ、カリューと続くのが最も安全だというカリューの提案を頑なに拒んだ。

 ロボの後ろではなく、危険が生じる可能性のある最後尾を歩くことを強く主張し、カリューとのポジションチェンジを要求したのだ。

 しかし、その並びでは、万が一背後で何かがあった時の対応が遅れてしまう。トラップを解除するロボのトップ位置は動かせないため、ならばとカリューはこう提案した。


「では、お前の前を俺が歩こう」


 安全に留意しつつその者の主張を受け入れるため、カリューは、ロボ、レンピ、カリュー、そしてその者と続く並びを再度提案した。

 しかしその者は、その並びにも猛反発した。


『それでは、俺の目論見が台無しじゃないか!?』


 言葉でそう言いはしなかったが、それでは都合が悪かったのだろう。カリューを睨みつけながら、その者はロボとレンピの仲が良くない点を指摘した。

 カリューの再提案した並び順では、レンピがロボの後ろを歩くことになる。そうすると、話し相手がいないロボが可哀想だと主張したのだ。

 しかも、ただ主張するのではない。鼻にかけた声音で

「か~わ~い~そ~うぅ~! ロボッチナウ、か~わ~い~そ~うぅ~~!」と言うのだ。


 4人は連なって進むのであり、別にボッチ状態になるわけではないのだが、その者の押しつけがましい擁護には、さすがのロボも閉口した。

 ロボにとって順番など心底どうでもよかったが、安全に配慮したカリューの真面目な提案が無用な憐れみを被る要因となるなら、その言動を紡ぎ出す元凶のやりたいようにさせるのが、最もストレスがかからない。そう考えて、こう発言した。


「カリュー、別に安全面を気にする必要なんてねーぜ。真後ろにいようが、最後尾だろうが、オレの守備圏内から外れねー限り、危険が生じることはあり得ねー。だから、そいつのやりたいようにさせてやれよ」


 うんざりした口調でロボにそう諭されると、別段強硬にそれを押し通すつもりもなかったカリューは、納得の表情を浮かべた。

 こうしてその者は、悲願で懇願でもある念願のポジションを手に入れたのだ。


 もう既にみなさんお分かりのこととは思うが、その者とはズバリ、この物語のヒーローにして『利己神』とあだ名される、己の利益を追求することに命を懸けた男、ルカキスのことである。

 その中身はここまで物語を経ても一切変わることがなく、己の欲求に正直に従い続ける姿は、見ていて清々しさを感じるほどである。

 ミラバ邸でのアントリッネとの出会い以降、エロ属性という新しい扉を開いたルカキスは、クズッぷりに磨きをかけるべく、邪念への没頭に余念がない。最後尾を歩くのを希望したのも、そのためだった。

 だが、それが認められたことで、代わりにトバッチリを受けたのはレンピである。

 ルカキスは視線だけでなく、言葉でも度々レンピをイラつかせた。


「あ、その木、グッとお尻を突きだすように屈まないと危ないよ」

「狐人族って四つ足で歩かないんだ。1度そんな野性的な歩き方を見てみたいな、ハハハ」

「足元! 足元に凄いものが落ちてる! ねえ、よく見て! 膝を曲げず、地面に顔を近づけてよく見て!」


 時折ルカキスがレンピにかける言葉は、そんな何かを意図したくだらない発言ばかりだった。

 そして、レンピは抱く。珍しく殺意を抱く。

 いや、そんな思いを抱いたことなど、生まれてこの方1度もなかったのだ。

 しかし、今回は違った。ルカキスにもたらされた不快な思いは、もはや抑えきれないくらいレンピの中で大きくなりつつあった。


 レンピは時折振り返っては、ルカキスの様子を窺う。するとルカキスは、ガン見していた視線を慌てて取り繕い「こ、こちらの状況は、も、問題ない。ロボ、そっちは大丈夫か?」などと、先ほどまで見ていなかった周りに目を向け、警戒している風を装う。

 その姿を見たレンピは心の中で思う。


 死ねばいいのに……


 そう考えていた矢先に、思いを後押しするものをレンピは目にし、耳にし、全てを悟る。

 そんな悪意にルカキスが気づくことなく、惨劇が今幕を開けようとしていた。


「あの……ネオさん?」


 突然振り返って、そう話しかけてきたレンピに、ルカキスはドキリとした。

 先ほどまで何度声をかけてもスルーされ、足早にカリューのもとまで逃げられるのが常だったからだ。


 嫌われているのか……


 ならばと言葉をエスカレートさせ『なんなら無理やり躓かせてでも!』というところまで、思考が至りそうになっていた時にかかった声だった。

 しかも、はにかむようなレンピの表情に、ルカキスは勘違いしてしまう。

 

 声をかけるたびに逃げていたのは、恥ずかしかったからだったのか!

 憧れの俺にとまどい正反対の行動をとっていたが、内心俺に恋焦がれていたのか!


 だった1つのはにかみ演出だけで全てをそこに繋げる、恐るべきポジティブ思考のルカキス。もしかすると、ストーキング行為はこのような思考の上に成り立つのではないかと感じる、貴重な考察でもあった。


「ネオさんとは、もしかして俺のことかい?」

「え? あの……名前、ネオさんじゃないのですか?」

「ああ、2人の呼び方の違いから、そこをチョイスしたのか。ハハッ、それじゃあ、まるで俺が苗字と名前を持っているように感じるな。だけど――」


 ルカキスの話は、かなり長くなりそうだった。

 だが、レンピはそれに興味がないだけでなく、ちんたら会話を続けるつもりなど毛頭ない。即座に話をぶった切りながら、行動を開始した。


「ああー! あれを見てください!」

 

 素早くルカキスのサイドに回り、腕に胸の膨らみを押しつけるように手を回したレンピは、もう片方の手で少し先にあった木の根本を指差した。そこには、真っ赤な一輪の花が咲いていた。

 とりわけ、どうということもない花だったが、ルカキスは話しを遮られたことに不満を覚えるどころか、指差された花を認識することすらできなかった。余計なことを考えている場合ではなかったからだ。

 ルカキスは今、柔らかいものが触れている自分の腕に全神経を注いでいた。研ぎ澄まされた感覚が、脳裏にまざまざと形状を浮かび上がらせる。代わりに他の情報は全てスルーされていた。

 そのリアクションに手応えを感じたレンピは、ルカキスから少し離れて前に出ると、振り返りながらもう1度その花を指差した。


「あんなところに綺麗な花が咲いてます!」


 腕から逃げていった感触のあまりの喪失感に、ルカキスは花ではなく、己の腕をじっと見つめる。


「ねえ、聞いてますか?」


 そのルカキスの顔を、レンピが下から覗き込んだ。

 そこで、ようやく話しかけられていることに気づいたルカキスは、慌てて言葉を取り繕った。


「ああ、ごめんごめん。ちょっと考えごとをしていたんだ。ところで、パイオツがいったいどうしたって?」

「パイオツ?」

「あ!? いやいや、違うんだ! 俺としたことが、会話が現実とごっちゃになってしまった……ハハッ」


 現実とごっちゃと言うからには、パイオツのことを考えていたと肯定することになるのだが、それには気づかず取り繕えたと思っているルカキス。

 しかし、そんなことは何とも思っていないレンピは、あっさりそれをスルーすると、もう1度花を指差した。


「あの赤い花を見てください。かわゆくないですか? かわゆいなぁ。もっと近くで眺めたいなぁ――チラチラ」


 ようやく正常な思考に戻ったルカキスは、言葉を正しく受け止め、花を正しく認識した。

 しかし、先ほども述べた通り、赤い花には取り立ててかわいいとか、かわゆいと評される要素はどこにもない。その事実がルカキスに疑念を抱かせた。


 あの花が、かわゆい?……どこが?


 そんな思いを抱いたものの、ルカキスは即座に思い直した。


 いや、だが、女子は独特の感性を持っている。あの花が一見何の変哲もない、ともすればグロい系に属すると感じるのは、俺が男の感性でものを見ているからかもしれない。

 でも、好都合じゃないか。この狐娘はあの花を欲しそうに俺にアピールして来ている。ここで俺が花をとってきてやれば、さっき以上にラッキーな出来事が起こるんじゃないか?


 そう考えたルカキスは、それが現実となった時のことを想像してみた。


 あの花を摘んできた俺は、彼女にそれを渡す。すると、彼女は満面の笑みで礼を述べ、そそくさと俺のもとを離れるんだ。

 おや? 花を採ってきてあげたのに、リアクション薄くない?

 一瞬そんな思いにかられる俺の目の前で、何でもない風を装いながら彼女のご褒美タイムが始まるんだ。


『あれ~なんだかかゆい。虫に刺されちゃったのかなあ?』

 

 言いながらショートパンツの片方を捲り上げた彼女は、背を反らしながら振り返るようにして、かゆみを感じる部分に目を向ける。だが、そのポーズのおかげで、俺の目には彼女の真っ白な半ケツが飛び込んでくる。


 な、何!?


 驚きながらも、そこに視線を向けてしまう俺。だが、彼女はそれに構うことなく、反対側にも手を伸ばしてゆく。


『あん、なんだかこっちも、とってもかゆい~』


 ショートパンツは彼女の両手で限界まで引き上げられ、もはやTバック状態になった尻が、俺の前に突き出すように晒される。

 

『ね~、ネオたん? どこがかゆいか分からないから、ネオたんもかゆいところを探すの手伝って❤』


 オ~マイ、ガッ! グッ、グフゥゥ―――ッ!(鼻血放出)


 そんな展開を夢想し確信しながら、実際わずかに伝った鼻血を拭ったルカキスは、意気揚々とレンピに応じた。


「ちょっと待ってろ」


 告げると共に、ルカキスは花に向かって踏み出していった。

 それを見たレンピは、思わず顔がほころびそうになるのを必死で我慢していた。


『その辺りにはマジックトラップじゃなく、本物の落とし穴が掘ってある。お前ら注意して進んで来いよ』


 少し前にロボが促した警告は、当然3人に聞こえる声音で伝えられていた。

 だが、その時ルカキスは、視姦行為に没頭するあまり、意識をただ目だけに集中させていた。透視能力が発現してもおかしくない驚異の集中のせいで、ロボが発した忠告をシャットアウトしてしまったのだ。

 その事実に気づいた者が、そこには1人だけいた。

 生け贄となっていたレンピは、ルカキスが忠告を聞き逃したのを、不快極まりない視線で知ると共に、危険と思われる一帯に目をやった。そして、そこに自分の中に生まれた閃きを実現する『赤い花』を見つけた。

 その瞬間、レンピは思った。人の運命は決まっているのだと。

 ルカキスの下劣な行為にイラつく自分と、訪れた状況。それらが、まるで最初から仕組まれていたことのように、レンピにはどこにも不自然なく感じられたからだ。

 そして今、まるで運命に導かれるように、ルカキスは死に向かって歩いている。

 その後ろ姿を見つめながら、レンピはその背に死神を見た気がしていた。


 レンピが指差した真っ赤な花は、ロボが切り開いた安全圏から少しだけ外れた先に咲いていた。だが、警告を聞き逃したルカキスは、花が危険域に咲いている事実に気づかない。なんなら周辺がトラップ地帯だということすら忘れていた。

 そんなルカキスの足元が突然崩れた。

 無警戒に歩いていたルカキスがそれに反応できる筈もなく、バカみたいに両手を上げ、白目を剥きながら「ノ~~~~ン!」と叫んで穴に吸い込まれた。

 穴の壁面はこれ以上ないツルツル加工。穴の底には『少しズレても逃がしません!』という黄金比で、鋭い槍が配置されていた。

 落ちれば間違いなく死あるのみという状況で、しかしルカキスが下まで落ちることはなかった。

『あれ~』と伸ばした手を、うまい具合にカリューが掴んでいたからだ。


「何をやってるんだ! しっかり、掴まれ!」


 足下を見てゾッとしながら、必死で腕にしがみつくルカキス。カリューがそれをなんとか引っ張り上げた。

 こうしてルカキスは、命を落としてもおかしくない危機を免れたのだった。


「ロボがさっき忠告したのが、聞こえなかったのか!?」

「…………」

「まあ、無事で良かったが。フフッ」


 そう言って笑うカリューを見て、ルカキスは激しい後悔にかられた。女のことしか考えていないと思われたカリューが、ちゃんと窮地に気づいて駆けつけてくれたからだ。

 そして、ルカキスはカリューの人物像に訂正を加えた。

 

 カリュー、やはりお前はいい奴だったんだな。

 最初からそれは知っていた筈なのに、女に対する手癖の悪さがお前の良さを殺し、俺の中に虚像を作り上げていた。

 だが、安心しろカリュー。俺たちは仲間だ。お前の心の悪しき部分。それすらもひっくるめて俺はお前を受け入れる。

 さあ、行こう。あの娘が待ってる。次はお前のターンなんだから……


 そんな思いで笑顔を返したルカキスは、カリューと熱い握手を交わし、ロボの作った安全なルートへと戻った。

 隊列はロボを先頭に、レンピ、カリュー、ルカキスと続く順番に変わっていた。しかし、この並びは、ロボのボッチ状態を訴えていたルカキスから提案されたものなのである。

 ルカキスがカリューに命を救われた時、ロボは危機に駆けつけるどころか、黙々とトラップの除去作業を続けていた。そんなロボの無関心に対する制裁として、ルカキスは順番を変えることを決めたのだ。

 そして、ルカキスはカリューにこう言葉をかけた。


「どうだカリュー、最高の眺めだろう?」


 ルカキスが何のことを言っているのか分からず、カリューはただ苦笑いを返す。

 順番を譲ると言いつつも、ルカキスはほとんどカリューと横並びで歩いていた。自分も視姦行為を続けながら、愉悦を分かち合うように時折カリューに話しかけていたのだ。

 結局、状況が変わらないレンピは不快感を募らせつつ、しかし先ほど完全にパターンに入っていたルカキスが、命を落とさなかったことを訝しんでいた。


 レンピがルカキスに話しかけた時、ロボとカリューは少し厄介なトラップの対処に当たっていた。


「ロボ、こっちにもリンクが張られているぞ」

「わーてるよ。だが、こっちの大元から処理しねーと、別のリンクが起動する仕組みになってる。さすがにここまで接近すると、手の込んだトラップがボロボロ出てきやがるな」


 そんな2人が交わす会話から、レンピはこちらに気づかれることは絶対にないと確信していた。しかし、実際にはカリューが現場に駆けつけたのだ。

 あの鉄板の状況を覆す何かを、エロ以外に取り柄のなさそうなこの男が、持っているのだろうか?

 そんな思いで、レンピは後ろを歩く2人の会話に意識を向けていた。


「カリュー。相手の番の時はサポートに徹するお前の姿勢。俺はお前を見直したよ」

「……サポート? いったい何のことだ、ルカキス?」


 その返事を聞いたルカキスは、笑顔でカリューの背中を叩いた。


「カリュー、何を言ってるんだ? 俺が気兼ねなく集中できるよう、周りに危険がないかお前はチェックしてくれてたんだろう? そこまでの気配り、俺にはとても真似できない。女の扱いにも慣れているわけだ」

「……ルカキス。お前が何を言っているのか、全く分からないんだが?」


 困惑するカリューにとり合おうとせず、ルカキスは続けた。


「カリュー、俺にまで隠す必要など……ん? もしかして、お前わざとなのか? ハハハッ。まあ、ムッツリにはムッツリの良さがあるのは認める。誰にも知られぬよう秘匿すれば、凝縮されて密度が濃くなる感じがあるからな。だが、それを仲間と分かち合うのは、また別物だぞ? 俺は大丈夫だカリュー。俺はお前のそういう部分も理解して、お前を仲間と認めてるんだからな」

「…………」


 カリューはルカキスの言っていることがまるで理解できなかったが、それ以上は追及せずに話題を変えることにした。


「そんなことより、俺がお前のもとに駆けつけられたのも、ロボが周辺のトラップを解除してくれていたおかげだ。ロボにも感謝すべきだと俺は思うが?」


 そう告げてきたカリューに、ルカキスは能面のような表情を返した。


「あいつはダメだ。偉そうなことを言いながら、俺の窮地にロボは駆けつけてくれなかった」

「だが、あの時は複雑なトラップを処理していたんだ。横にいた俺もそこに集中していたし、本来なら――」

「待て、カリュー。多忙にかまけ、ロボの忠告を聞き逃した俺に咎があるのは十分承知している。だが、それでもお前は来てくれた。そして、ロボは来なかった。俺が言いたいのは、そこなんだよ」

「確かにそれはそうだが……」


 そう応じながらも、カリューは少し思案してから言葉を返した。


「もしかすると、ロボはお前の憑依体がお前を救うと考えたんじゃないのか?」


 カリューが憑依体という言葉を持ち出した途端、ルカキスは眉根を寄せながら食ってかかった。


「何を言ってるんだ、カリュー? 今アクマイザーはライブ活動を無期限休止中なんだ。それはロボが指摘したことなんだぞ? あの時、アクマイザーが現れる気配なんて微塵もなかったし、俺も同意したアクマイザー引退説は疑いようのない状況だった。あそこで、もし、お前が間に合ってなければ……そう考えるだけで、今でも俺はゾッとする!」

「待ってくれ、ルカキス。確かに俺はお前のもとに駆けつけたが、あの時俺とロボは複雑なトラップに集中していて、お前を気にかける余裕などなかった。それなのに、俺はお前が呼ぶ声を聞いた気がしたんだ」

「……なんだと!?」

「だから俺は、お前が危険域に踏み込もうとしているのに気づいたし、間に合うタイミングで駆けつけることができた。俺に危険を知らせたのがお前の憑依体だったとすれば納得がいく。表層にこそ現れないが、お前は今でも守られている。俺にはそう思えるがな」


 それは素直にルカキスが受け入れられる話ではなかった。

 だが、真面目なカリューが嘘をついているとは思えない。その事実を自分の中で消化しきれなかったルカキスは、悔しげに言葉を吐き捨てた。


「くそぅっ、アクマイザーめ! ちょこざいな。だが、そんなことで俺は誤魔化されんぞ!」


 そう罵倒したものの、ルカキスの心は揺れていた。

 ルカキスがアクマイザーに命を救われるのは、何も今回が初めてではない。

 だが、今までそれが記憶に残ることはなく、死を身近に感じることすらなく全ては終わっていた。今回のように意識ある状態で、死の恐怖をその身で受け止め、救われた経験はほとんどなかったのだ。

 間接的ではあったが、そこにアクマイザーの関与があったという事実は、ルカキスの心を動かした。いや、ままならない状態で、なおアクマイザーは可能な限りの行動を起こした。そこが何ともルカキスには健気に感じられた。

 当然、アクマイザーの持つ意図は明確であり、単に共有する肉体を守ろうと動いたに過ぎない。そう理解しながらも、ルカキスはアクマイザーがもしかするといい奴なのではないか? 少しそう思ってしまったのだ。


 それほど好きでない男子の、むしろ嫌っていた筈の男子から受けた、さりげない優しさ。

 その裏にあるかもしれない下心を理解しながら、それでも心は動いてしまう。

 

 嘘よ……そんなの嘘!

 私、あの人のことなんて、なんとも思ってないんだから!


 自らの考えを否定しつつも、胸が高鳴るのを止められれない。

 そんな女子のような気持ちで、ルカキスはツンデレモードを発動させていた。


 因みに、ロボがルカキスの動きに気づかなかったなどということはない。カリューの動きを計算し、それが間に合うと判断できたから、ロボは救出をカリューに委ねたのだ。

 もちろん最悪の事態も想定しており、仮にカリューの助けが間に合わなければ、転送弾でトラップ自体を消失させる準備もできていた。だからロボは、ルカキスのもとに駆けつけなかったのである。


 一方、2人の会話を盗み聞いていたレンピは、会話の中に出てきたある言葉に、引っ掛かりを感じていた。


 憑依体?

 どこかでそんな話を聞いたことがあるような……


 記憶の欠片を手繰り寄せようと、レンピは必死に思い悩む。

 だが、その時レンピが答えに辿り着くことはなかったのだった。

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