34話 ミラバ邸へようこそ


 ミラバ・ゲッソの私邸は、外観こそ落ち着いた感じを基調としていたが、一歩入ったその中は、絢爛豪華けんらんごうかを絵に描いた贅の限りを尽くしたつくりになっていた。まさに正統派成金を地で行くような、そんな屋敷だったのである。

 なぜ、ミラバ・ゲッソはこんな片田舎に拠城を構えているのか?

 王都近郊は王族や貴族のテリトリーである。そこで派手に振る舞えば、目をつけられるのは必然である。たった一代で莫大な富を築き上げたミラバ・ゲッソは、そんな愚行を犯さない。都のような華やかさはないとはいえ、ここドノバンでなら領主さえ抱き込んでおけば、多少の無茶は許されるからである。

 そして、生きているうちに、もはや尽きることのないくらい膨らみに膨らんだ資産にものを言わせ、ミラバ・ゲッソは趣味に私財を投じる。

 その対象は収集。彼はその筋でも名立たるコレクターだった。


 その分野は多岐に渡り、違法であろうと厭わず手を染める。全ては金で解決できるというのが彼のもっとうであり、事実今まで彼が金の力で手に入れられなかったものは、ほとんどなかったのである。

 ロボットも当然、コレクティングアイテムの1つであり、所持している者の少なさも手伝って、今最も収集に力を入れているのがロボットだった。

 謂わば、ミラバ・ゲッソにとってロボットは、マイブームなのである。ゾッコンなのである。なのである。

 だからミラバ・ゲッソにしてみれば、ロボはどんな手段を使ってでも手に入れたい、いや手に入れてみせると心に誓う、珠玉の一品なのであった。

 しかし、その点に関してミラバ・ゲッソに不安はなかった。なぜなら、ロボと同じくミラバ・ゲッソもまた、ルカキスのあの表情を目にしていたからだ。


 ミラバ・ゲッソの趣味の1つに、与えることを前提に金貨の入った袋で顔を叩くという遊びがある。


 ミラバ・ゲッソは言う。

「どうだい、痛いかい?」

 すると叩かれた相手は、こう言葉を返す。

「もっと……もっと痛くしてください!」


 痛くするということはすなわち、金貨の量が増えるということ。痛みが懐に還元されるこのゲームは、される側の人間をたちどころにM属性に偏らせる。ドMに変えてしまう。

そこに陶酔した者は独特の表情をつくり、目には濁りが生じる。

 誰もがそうなってしまうわけではないが、誘惑の蜜は甘く抗える者は多くない。そして、その素養を持つ者をミラバ・ゲッソは熟知していた。

 だから、ミラバ・ゲッソは既に見切っていたのである。ルカキスのあの顔を見た瞬間、こいつを落とすのは造作もない。そう直感していたのだ。


 ミラバ・ゲッソは、屋敷内で最も贅を凝らした応接室にルカキスたちを招き入れる。陶酔感が覚めないように。その目に光が戻らないように。

 屋敷に着いた途端、着替えと称して奥に消えたミラバ・ゲッソに代わり、部屋に3人を案内したのは同じく3人の美姫。それもまた、相手の心変わりを妨げる1つの演出だった。


 煌びやかな屋内を美女の先導に従い歩くルカキスは、夢見心地で足どりも危なっかしい。しかし、目だけは光を取り戻していた。ただ、それが正常なものである筈もなかった。

 これ以上ないくらい見開かれた目に宿るのは、光というより炎。情欲に彩られた目に映り込んでいたのは、この世の官能を凝縮してつくったとしか思えない、色香溢れる豊やかな肉の膨らみ。

 先導する美女アントリッネが一歩、また一歩と歩くたびに、それは左右に振られ情欲の炎を煽り続ける。

 

 勘違いしている人もいないとは思うが、敢えてその名を言葉にしよう。

 それは『尻』だ。

 

 ルカキスが目を血走らせながら、今にも飛びかからんばかりにガン見しているのは、半端ないほどの肉感を誇りながら、見事なまでの均整を保ち、その存在感をアピールしてくるアントリッネの桃尻だった。

 確かにオッパイも捨て難いが、ルカキスはどちらかというと尻派だった。オッパイ星人というより、シリスキー博士だった。

 その理由は単純に嗜好と呼べるものだったのかもしれないが、本能的なものに影響を受けたのかもしれない。なぜなら尻は、オッパイより先んずる存在だからである。


 オッパイとは人が二足歩行を始めたことで、異性を惹きつける視線が上がったために女性が発達させたという経緯を持っている。

 だからといって、それを軽んじるつもりなど毛頭ないが、事実としてオッパイは後づけなのである。尻の後塵を拝する存在なのである。その先駆けとなるものが、尻なのである。

 先ず、尻ありき。尻があったからこそオッパイは誕生した。

 全ては尻から始まるストーリーなのである。


 別にオッパイを否定するつもりはないし、2番煎じが悪いとも思わない。

『パイオツカイデー』

『ビーチクロイクー』

 などの名言をこの世に生み出したオッパイの功績は果てしなく大きく、賞賛されて然るべきである。

 だが、人が原始より備える欲求の根底にあるのは間違いなく尻であり、全ての人が立ち返る場所が尻なのである。

 この揺るがぬ決定的要素があるがために、ルカキスは尻を愛し、シリスキーと称されるのを厭わない。そして、アントリッネの下半身に釘づけになっていたのである。


 匂いたつほどの質感、量感をたたえる肉の衝撃は、煽情的な装いも相まってルカキスの心を捕えて離さない。そんなルカキスの様子を、アントリッネは時折目の端で確認しながら、妖艶な笑みを浮かべて先導していたのだった。


 一方、カリューの前を歩くのは、うってかわって清廉、清楚、清潔感を集めて人型を模したような、こぼれる笑みを目にしただけで、心が洗われ清く正しく生きようと思うほどの、穢れとは無縁の美しい女性だった。

 さすがは経験豊かなミラバ・ゲッソである。カリューとは会話を交わしてさえいない筈なのに、生真面目なカリューに似合いともいえる適任者をあてがう手腕に思わず舌を巻く。

 その美女ハーネスを目にし、思わず笑みを返そうとしたカリューは、しかし次の瞬間には何かに気づいて驚きの表情を浮かべた。

 だが、それはハーネスも同じだったようで、その後2人は少し気まずい空気を引き連れながら、屋敷の奥へと進んで行った。


 3人目の美女は、少し危険な香りを漂わせていた。

 それは接客を生業にするには不釣合いなものだったが、そこには綺麗な花には棘があると言わんばかりの、間違いのない美しさが備わっていた。

 他の2人より年上に見えたが、代わりに経験に培われた熟成した魅力を持つ、そんな女性でもあった。


 その美女ベレッタは、ルカキスとカリューの2人が先導され奥へ歩いてゆくのをクールに見送ると、残されたロボに視線を向けた。

 ロボが目にしたその顔には薄い笑みが浮かべられていたが、それは歓迎を意味するとはとても思えない、どこか人を食ったような笑みでもあった。

 先に進んだ2人がそうだったように、ロボは先導が始まるのをその場で待つ。

しかし、ベレッタは一向に動く気配を見せなかった。4人は既に通路の先を曲がり姿が見えなくなったというのに、姿勢を違えずただ笑みを浮かべるばかりである。


 アレ? なんで先導を始めねーんだ?

 

そんな思いでベレッタを見たロボは、そこで思わずひっくり返りそうになった。


「えっっ!?」


 たまらず飛び出たロボの声にも動じることなく、ベレッタはなお笑みを崩そうとしない。

だが、その目は笑っていなかった。笑ってなどいなかった。

 眼力だけで相手を殺せるくらい、ベレッタの眼差しは強く鋭い。その目が語ることなくロボに行動を促していた。


『……行け』


 ベレッタはお前にかける言葉などないと言わんばかりに、威圧的な視線だけをロボに浴びせ続ける。


『……行け。殺すぞ』


 そんな穏やかでない言葉が飛び出そうな雰囲気に、ロボは怯みながらも自ら歩を進めないわけにはいかなかった。


「な、なんなんだよ、てめー! 行きゃーいいんだろうが、行きゃー! ったく……」


 口の中で、まだモゴモゴ文句を言いながら、ロボは4人が消えた廊下の先へと向かう。するとなぜかその後ろを、一緒にベレッタがついてきた。まるでロボの監視をするかのように。


 え、なんで?

 ついてくんなら、てめーが前歩けよ!

 なんて勝手を知らないオレが、お前を先導してんだよ!


 心の中で不満を漏らしながらも、ロボがそれを口にすることはない。

後ろを歩くベレッタからは一切の疑問、反論を受けつけない。そんな威圧的なオーラが放たれていたからだ。

 しかし、ロボはこの屋敷の間取りを知らない。だからといって、レーダーで探知可能なロボが先に行った4人の居場所を見失うことはなかったが、そんなことは後ろを歩くベレッタの知るところではない。

 仮に道に迷った時、いったいどうするつもりなのか? 

そこが気になったロボは、試しに誤った方に進んでみようと足を踏み出した。すると、途端に目の前の廊下にナイフが突き刺さった。

 思わず振り返ったロボの目には、変わらず笑みを浮かべるベレッタが映っている。

だが、ロボには見えていた。道を誤った瞬間に浮かべられた悪魔のような形相。そして、残像もおぼろげに素早く動かされた手が、懐のナイフを掴みロボの背後から投げ放たれるところを。


『次、もし間違えたら…………殺すぞ?』


 そんな殺気が立ち込める中、ベレッタのあまりの理不尽さに、ロボは1人心の中で逆ギレしていた。


 いやいや、間取りも知らねーのに、普通は間違えるだろう?

 どんな、イジワル問題だよ!

 そこまで癇癪かんしゃく起こすんなら、なんでてめーが先導しねーんだよ!?


 不満はいくつも浮かんだが、しかしその言葉もまた声にして発せられることはなかった。口にしたところで聞き入れる相手でないことを、ロボは既に理解していたからだ。

 

 ルカキスといい、こいつといい、オレの周りにゃーまともな奴は寄ってこないのか?

そんな思いを抱きながら、ようやくロボも2人のいる応接室に辿り着いたのだった。


「全く……ひでー目にあったぜ――」


 先に着いていた2人にそう訴えながら、ロボはルカキスたちの腰かけるロングソファーのひじ掛けに手を伸ばす。しかし、次の瞬間、その体は思い切り床に突っ伏していた。


「ンガッ!」


 そんなまの抜けた声を上げて、フロアで腹ばいになるロボ。当然ソファーとの目測を誤ったのでも、つまずいたのでもなかった。ロボは足をかけられ突き飛ばされたのだ。

 ロボの体重を考えると、それが可能なのかという疑問もあったが、事実転ばされたロボは、即座に立ち上がると猛烈な勢いで抗議した。


「何しやがんでー!」


 無論、ロボを突き飛ばしたのはベレッタに決まっていた。

だが、ロボの抗議を受けたベレッタに怯む様子は全くない。それどころか、口元に笑みを浮かべながら、ロボの行くべき場所をアゴで指し示した。

 その場所とは、ルカキスたちの腰かけるソファーの後ろである。当然椅子などないただのフロアだった。

つまりベレッタは『お前はそこに突っ立ってろ』と、暗にそうロボに告げていたのだ。

 怒りの眼差しで睨みつけるロボに、ベレッタが氷の微笑で応じる。その目にはなお見下すような言葉が秘められていた。


『ロボットの分際で、何を1人前に座ろうとしてるんだ?……わきまえろ』


 その視線を受け止めた途端、ロボは思わず手が出そうになっていた。

 しかし、女には手を上げられねー。そう思い直して怒りを飲みこむと、ルカキスの後ろに立つついでに一発頭を張った。腹いせに。

 そこで、今度はルカキスからの反撃に備えたが、なぜかルカキスは声すら上げなかった。そして、ゆっくりロボに振り返ると、優しく諭すように言葉を口にした。


「ロボ、全てこの俺に任せておけ……」


 その声音を聞き表情を見た途端、ロボは恐怖を覚えた。

 なぜなら、ルカキスの目がイッちゃっていたから。

 遥か彼方の幻想世界へ旅立ってしまっていたから。

 そして、ロボの心の内には急速に不安が渦を巻く。


 おい……この状況、本当に大丈夫か?


 そんな中、部屋の奥にあった扉が開き、ようやくミラバ・ゲッソが姿を現した。


「お待たせして申し訳ない」


 外出時の質素な装いとは打って変わり、ミラバ・ゲッソは光り輝く装飾品と豪華な衣装を身に纏って現れた。それに気づいたルカキスは即座に立ち上がると、手を伸ばして握手を求めた。

 ミラバ・ゲッソがそれに応じ、2人が手を握り交わしたところで、ルカキスの方から挨拶の言葉を述べた。


「本日はお招きいただき、恐悦至極に存じます。お噂はかねてより聞き及んでおりましたが、まさか直接お会いできる今日という日が迎えられるとは! 感動のあまり言葉も出ないとはまさにこのことです! ささ、立ち話もなんですし、どうぞ、そちらの席にごゆるりとおかけください!」


 着席を促すルカキスに、ミラバ・ゲッソがまたもや蔑んだ視線を返した。


「……君のワードセンスは私にはよく分からんね。まあ、ともかくここは私の家だ。言われるまでもなく勝手に座らせてもらうよ」


 言いながら横柄に歩き、自分専用の豪華な1人掛けソファーに腰を降ろすミラバ・ゲッソ。そういえば、言葉づかいも少し横柄なものに変わっているようだ。

 だが、そんな態度を目にしながらも、ルカキスがそれを気に留める様子はない。それどころか、揉み手で笑顔を浮かべる様は、逆にルカキスの方が商人ではないかと疑うものだった。

 ミラバ・ゲッソが腰掛けるのを見届けたあと、ルカキスもソファーに腰を降ろす。すると俄かに、隣に座るカリューがルカキスに耳打ちした。


「ルカキス……急を要する大事な話がある」


 真剣な顔で、そう訴えかけるカリュー。

 実は、カリューは先ほども話を切り出そうとしたのだが、ロボが騒がしくしたせいで、語る間もなく今に至っていた。

 しかし、このまま交渉に入ってしまえば話す機会を得られない。カリューはやむなくルカキスに耳打ちして、その機会を作ろうと動いたのである。

 だが、呼び掛けに振り向いたルカキスの胡乱うろんな目を見た瞬間、カリューは動揺のあまり言葉を口にできなくなった。


「カリュー、話はあとだ。大丈夫。全部俺に任せておけ……」


 そして、まるで心のこもらない、誰に向けてるのかも分からない返事を聞いて、要件を伝えるのを諦めたった。

ほどもなく、ミラバ・ゲッソが言葉を紡ぎ始める。途端にそちらに向き直ったルカキスは、パブロフの犬よろしく条件反射で笑顔を浮かべ、揉み手に力を込めるのであった。


「私のコレクションの中でも選りすぐりの者に案内させたが、どうだったかね? 昔は接客の定番だったが、最近では専らロボットに案内させることが多くなっていた。しかし、さすがに自立思考回路を備えたロボットを持つ君に、私の保有する拙いロボットたちを披露するわけにはいかない。急遽昔のスタイルに戻してみたが、その様子なら、私の配慮は気に入ってもらえたように思うが――」


 そう話すミラバ・ゲッソに、ルカキスが嬉々として答えた。


「おっしゃる通りにございます! この部屋に着くまで、たっぷりと目の保養をさせていただきました。美女を複数抱えて暮らすこのような生活、私にはまるで夢のようで……羨ましい限りでございます!」

「ホッホッホッ、そうかねそうかね」

「特に、私を案内した美女などは、思わず手が出そうになるほど私好みの女性でして、零れ落ちそうになる涎を留めるのに必死でございました!」

 

 それを聞いたミラバ・ゲッソは、僅かに驚いて見せた。


「おお、それは好都合だ。実は君を案内させたアントリッネの方も、ことのほか君を気に入ったようでね」

「えっ?」

「君さえ良ければ、彼女を譲り渡すことを条件に加えたいと考えていたんだ」

「ええっ!?」

「なあに、遠慮することはない。しかも、それはただのオプションに過ぎん。ロボットを貰い受ける対価は、そんなものとは比較にならない額と待遇を用意させてもらうつもりだ」

「なっ……なっ……」


 ――なんですって!?――

 

 ルカキスは心の中で飛び上がらんばかりに驚き、今にも失禁、或いは昇天してしまいそうになっていた。


 あ、あ、あの、先ほど俺を案内した、身体の全てがエロスで構成されているとしか思えない、エロスの極ボディを身にまとった……あの女が!


 あらゆる男を前かがみに変える特殊能力を、パッシブスキルとして備える……あの女が!


 普通に生きていれば絶対に手に入れることなどできない、官能を具現化して欲望でかき回したあとに、快楽をトッピングしたような……あの女が!


 ――俺のものになるだと!?――


 しかも、それがただのオプションでしかないなんてっ!?

 こ、これは本当に現実なのか!?


 ルカキスは、思わず天に召されそうになる心を、思考を切り換え何とか繋ぎ止めた。


 ……いや。だが、指を切りつけて現実を確認する必要は、今の俺にはない。なぜなら、それだけの幸福を得る下地を、俺はこれまでの波乱に満ちた人生で、既に築き上げてきたからだ!


 アクマイザー……

今となってはお前との死闘も良い思い出だ。

 

ドナ……

悪魔のような女と思っていたが、実はお前は天使だったんだな。ごめんよ、今まで気づかなくって。そして、ありがとう。俺にロボを授けてくれて。


 俺、幸せになるよ……

 みんな……そして、今日までの日々よ……ありがとう……

 本当にありがとう!


 ルカキスは1人幸福に包まれていた。その表情は至福に満たされ、あらゆるものを慈しむ優しい眼差しが浮かんでいた。


 人には満たされる瞬間というものがある。そこにいる間は非常に穏やかな心持ちになり、誰にでも優しくしてあげよう。そんな思いを抱きさえする。

 だが、その心持ちがいつまでも持続することはなかった。

 ことルカキスに関しては私欲の果てに至った境地であり、欲の本質には果てがない。

得たことの満足など俄かに掻き消え触手を蠢かす『欲』は、次なる獲物にその手を伸ばし始める。

 その対象となるものが身近にあったのも、ルカキスの満足感をわずかな時間で取り去る要因になったのだろう。

 ミラバ・ゲッソが出す、ロボを売り渡した時の数々の条件提示を受けながら、いつの間にかルカキスはその胸中に、その態度に、不遜なものを覗かせ始めていた。


「――なるほど、よく分かりました。あなたは僕のロボットに対して、その程度の価値しか抱かなかった。そう考えればいいということですね?」


 ルカキスがそう返事を口にした途端、ミラバ・ゲッソは僅かに眉根を寄せた。ミラバ・ゲッソの提示したものは、決して低いとは言えない、破格とさえ言える好条件だったからだ。


 金銭だけでも、かつてルカキスが手にしたティファールより得た額の、100倍以上の提示があった。

 それ以外にも、オプションとしてアントリッネを譲り受けるのはもとより、身の回りの雑用や力仕事もこなす、新発売になったばかりのアンドロイドを3体。

 エタリナで全国展開しているミラバ・ゲッソの組織、クララグループが経営するホテルやレストランなどを無料で利用できるチケット。

 更に、世界中の男性に絶大な人気を誇る、常夏の国ビーチプリンデル20日間の旅、無料往復ペア旅行券などなど。

 至れり尽くせりの内容に、普通の者なら舞い上がってしまい、正常な思考もできぬまま首を縦に振ってもおかしくない申し出だった。

 当然、ミラバ・ゲッソもそれを狙っての畳み掛けるような条件提示だったのだが、ルカキスは先ほど頭の中で絶頂を迎えてしまっていた。アントリッネを得たことで、欲望を吐き出したあとのような気分になっていた。そのせいで今は急速に頭を冷やし、冷静さを取り戻していたのだ。


 ――男の生理ってすごいっ!――


 そして、ルカキスは狡猾な目つきで、出方をどうするか吟味する。

 悪い顔で。

『俺だよ! カキスだよ!』

 と言わんばかりに、悪に染まってしまった心で……


 こいつのロボに対する評価は相当なものだ。だが、まだ頭打ちに達してはいない。

確かに望外の金額提示ではあったが、贅沢な暮らしはできても遊んで暮らせるほどではない。しかし、こいつなら出せる筈だ。

 アントリッネほどの上玉を手放しても、こいつは痛みどころか痒みすら感じていない。最低でも提示額のあと10倍はいける!

 フフッ、ミラバ・ゲッソ。若造と舐めてかかっているようだが、見せてやるぜ……俺の本意気はここからだ!


 内心そう意気込みながらも、すました表情を浮かべるルカキスは、ミラバ・ゲッソの態度にスッと席を立った。


「さて、じゃあ僕たちはこれで失礼させていただきます」


 言いながら歩き出したルカキスを、ミラバ・ゲッソが顔をしかめながら言葉で引き止める。


「……待て! ちょっと待ってくれ!」


 そう声がかかった瞬間、ルカキスはピタリと止まる。まるで声がかかるのを待ち構えていたように。


「フフッ。君の歳では見たことも、手にしたこともない額と待遇を提示したつもりだったんだが――」

「ええ、確かに。これまで手にしたことも、この先手にできるかも分からない。あなたが提示したものは、僕にとってそれほど破格なものでしたよ。でも、だからといって、それが僕の持つロボットの価値と釣り合うとは限らない」

「フッフッフッフ、言うじゃないか。さっきまで、そのロボットの価値を知りもしなかった若造が」

「ええ、確かに。だけど今は知っている。それ以上に何が必要なんですか?」


 とぼけた口調でそう返すルカキスに、ミラバ・ゲッソは吊り上がりそうになる眉根を必死に抑え込んでいた。


「……君がそのロボットをどう評価しているかは知らんが、私ほどの条件を提示できる者は私以外にはいない。この機会を逃すと損をするのは君の方だよ?」

「いいえ。僕は全く損などしません。このロボットは非常に有能なだけでなく、ボディガードとして使える戦闘力も備えている。もとより僕は手放す気なんて――」

「なっ!……バカな!? そのロボットは戦闘が可能なのか!?」


 ルカキスが漏らした言葉に、ミラバ・ゲッソは思わずソファーから立ち上がった。


「……だ、だが、戦闘ができるロボットを民間人が所有するのは、国が認めてない筈だ! それに、そのロボットの外観は、もはや市場にもあまり出回っていない旧式の――」

 

 興奮気味にそう話すミラバ・ゲッソを制して、ルカキスが言葉を割り込ませる。


「俄かに受け入れられない気持ちは分かりますが、だったら旧式のロボットにはAIが搭載されていて、人と同じような声音で話したというんですか?」

「ぐっ……」

「見た目は関係ないでしょう。むしろ、カムフラージュに他のタイプを模したとも考えられる。重要なのは中身だ。僕のロボットは世界でも類を見ないAIという革新的な機能を備え、肉声と違わぬ声音で人と同じように会話する。そんなロボットに戦闘能力が備わっていることが、それほどおかしなことなんですか?」

「……き、君はいったい、そのロボットを何処で……」


 そう問いかけるミラバ・ゲッソに、今度はルカキスが眉根を寄せる番だった。


「そんなことが、本当にあなたの知りたいことなんですか?」

「い、いや済まなかった。入手ルートは別にどうでもいい。私だって法に触れた経験がないわけではないからな……ハハッ」

「ハハッって、一緒にしてもらっては困りますね。僕は法を犯すようなことなんて、何にもしちゃあいません」

「ああ、分かった分かった。そういうことにしておこう」

「…………」


 ミラバ・ゲッソが何かを勘違いしているのはルカキスにも分かっていたが、だからといって詳細な説明はできなかった。勝手にロボがついて来た事実を知られれば、所有権の正当性について突っ込まれる可能性があったからだ。

 ルカキスはそれ以上そこには触れず、会話を流すことにした。

 代わりにミラバ・ゲッソが続けた。


「どうやら私は君という人間を見誤っていたようだ。先ほどまでに提示した条件は、全て撤回することにしよう」


 ロボに新たな価値を見出し、ルカキスの強かさを理解したたミラバ・ゲッソは、態度を改め商売としての正当な交渉を初めからやり直すつもりのようだった。

 しかし、その対応に焦ったのはルカキスである。条件を撤回されては困るのだ。

 何しろ、アントリッネを手に入れた満足感があったからこそ、ルカキスは心に余裕を持つことができた。そして、より多くの金銭が必要と考えたのも、アントリッネとの未来を見据えてのものだった。

 それほどまでにルカキスは、アントリッネにご執心だったのである。

 条件を撤回させないために、ルカキスは即座に言葉を切り返す。相手にそれを悟られぬようポーカーフェイスも忘れない。


「いや、条件は撤回しなくて結構。問題なのは金額だけですから。そこをあと少し上乗せいただければ、僕に異論はありません。あなたの知らない付加価値が新たに判明したんだ。別に難しい話ではないでしょう?」


 ルカキスはにこやかに相手にそう告げる。

 対するミラバ・ゲッソは苦虫を噛むような表情を見せたあと、渋々といった感じで重そうな口を開いた。


「……いくらなら君は満足するのかね?」


 その言葉を待っていたと言わんばかりに、ルカキスが満面の笑みを浮かべた。


「では、あなたの提示した金額の……100倍で手を打ちましょう」

「ひ、100倍!? バカなっ!? 気は確かか!?」

「無論、冗談ではありません。僕がロボットを失うのは、僕の人生における甚大な痛手です。あなたが無傷では割に合わない。相応の痛みをあなたにも負ってもらわねば――」

「何を言うか! 私にロボットを紹介した君の口ぶりの、いったいどこに痛手があるというんだ!」


 このミラバ・ゲッソの反論は、ルカキスにとって痛恨だった。普段からロボを邪険に扱っていたツケが、こんなところで出てしまったのである。

 くだらないことを覚えてやがる……

 ルカキスは軽く舌打ちしながら、すぐにもそれを言葉で取り繕った。


「あ、あれはあなたを欺くミスリードです。ロボットの価値を知られないために、僕はそんな風に装うのを常としているのです」

「とぼけるな! そのロボットの価値をついさっき知った君が、あの時点で私を欺く必要性などない!」

「ぐっ……」


 さすがに、この指摘はルカキスを黙らせた。嘘に嘘を重ねると、いつかはその整合性が破綻してしまう。それが露呈した瞬間だった。

 感情に流されない大人であり、利に聡い商人でもあるミラバ・ゲッソは、論理の綻びを見逃さない。そこにルカキスは焦りを感じていた。


 お、俺が押されている……だと!?


 しかし、こうなれば開き直るのがルカキスである。そして、それができるだけのイニシアチブを、ルカキスはまだ持っていた。


「そ、そんなのは水かけ論だ! 互いに意見を主張して、結論の出ない問答をしても――」

水かけ論なんだ!? 答えは出ているじゃないか! 君がありもしない痛みを主張するのは、ただ単に、ロボットの金額を吊り上げたい――」

「シャ~ラ~ップ!」


 甲高い声でそう叫ぶと、ルカキスは片手を突き出してミラバ・ゲッソを黙らせた。


「少し興奮し過ぎです。もうちょっと穏やかに話しましょう」

「……誰が興奮させているか、分かっているのかね?」


 問いかけるミラバ・ゲッソに、ルカキスはただ笑顔を返すだけだった。

 仕切り直すように、ルカキスが切り出した。


「理由なんて関係ない。とにかく、最初の提示額では承服できない。僕が言いたいのはそれだけです」

「…………」

「100倍が無理なら、いくらなら出せるのか? それを再度ご提示いただきたい。但し! 再提示できるチャンスは1度きりとします。そして、僕にはロボットを手放す気なんてなく、この話が流れても全く支障はない。そこをよく理解した上でご提示いただけなければ、後悔するのはあなただということをお忘れなきように」

「ぐっ、ぐぐぅ……」


 ミラバ・ゲッソに返す言葉はなかった。

 傲慢な語り口だったが、ロボットに戦闘能力があるという新たな事実は、ことさらミラバ・ゲッソの収集欲を刺激していたからだ。

 ただでさえ、AIという未知の機能を備えているのに、そんなロボットの持つ戦闘力が些末なものであるわけがない。なんなら、他にも有用な性能を備えている可能性だってある。

 そんな想像で夢を膨らませ、モチベーションを高めきっていたミラバ・ゲッソは、どれほど無茶な要求を突きつけられても、もはや断ることができなくなっていたのだ。

 それが分かっていたルカキスは、自分の想定よりかなり上回った金額提示があることを確信し、内心ほくそ笑んでいたのである。


 だが、そんなルカキスのわき腹をツンツンする者があった。

 交渉の行方を不安げに見守っていたカリューが、もう一度ルカキスに合図を送ってきたのである。

 それに気づいたルカキスは、自分の中に確かな苛立ちを覚えるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る