27話 3年前-エルフside 降りかかる災厄


「バカなっ!? それでお前はその提案に応じたというのか!?」


 王都で起こった出来事のすべてをアズールに話した俺は、アズールから激しい叱責を受けていた。


「いや、俺も即答する気はなかったんだ。できればアズールの意見も参考にしたいと思っていたから。でも、あの場で答えを引き延ばすことは到底できなかった……」


 俺の言葉に反論しようとしたアズールだったが、相手が神だということに思い至ったのか、言葉にはせず自らの内に飲み込んだようだった。

 女神が俺に持ちかけてきたのは、不穏な気配が感じられるある場所の調査だった。そこが今どんな状況にあるというより、平素よりそこがどんな状況なのか誰にも知ることはできない。

 その場所とは罪人が誘われると言われる流刑の地であり、兄が追放された場所カリ・ユガだったのだ。


「そんな場所に行かされて無事に戻れるわけがない! 女神はこの国に暮らすエルフを体よく排除するつもりなんじゃないのか!?」


 珍しく語気を荒げるアズールに俺も同意見だった。

 カリ・ユガにいるのは罪人だけじゃない。濃い瘴気に覆われた地は、凶悪な魔物が跋扈ばっこする危険な場所でもある。足を踏み入れて無事に帰れる保証はなかったからだ。

 なぜそんな場所を調査するのか? 女神はその理由をこう述べていた。

 自ら瘴気を放ち、この国に魔物を呼び寄せることができない偽ルカキスは、何らかの方法でカリ・ユガの魔物をエタリナに解き放とうと企んでいる。

 そして、それをカリ・ユガ側から手引きすべく、兄が不穏な動きを見せているというのだ。

 俺にとっては有り得ない、考えられない話だったが、カリ・ユガの状況など知りようもなかったし、女神の発言を無碍むげに否定するわけにもいかなかった。


 女神はその真偽を兄に問い正すため、近々調査団をカリ・ユガに差し向ける予定があると話した。そして、それにエルフも同行すれば、巷に溢れるエルフへの反感は鎮められると提案してきたのだ。

 仮に兄が偽ルカキスの企みに加担していないと証明できればそれでよし。そうでなかった場合でも、兄を捕えるために王国軍に協力すれば、エルフは一族の絆に囚われず、事の善悪を正しく見極め行動できる種族だと国民にアピールできる。

 いずれにせよ、国民の反感を払拭するまとない機会になるという女神の話に、しかし俺はまったく魅力を感じなかった。そもそも兄が裏切り、魔王に手を貸したという話自体、未だに信用していなかったからだ。

 ただ、カリ・ユガに赴き皆の前で兄の無実を証明できれば、女神が兄に下した処遇を覆せる可能性はあった。そして、カリ・ユガに行けば当然兄に会うこともできる。そんな思いもあって、俺はアズールにその是非を確認することにした。

 もっとも、アズールがその話を肯定的に受け止めるとは、露ほども思っていなかったが……


「今回の調査は、場所の危険性を踏まえ大規模なものとなっている。国から派遣される兵の数は2千人。そこに俺たちエルフから千人を加えて向かうことになる。この国に暮らすエルフの総数を考えると俺たちの負担は大きいが、そうでなければ国民の不満を払拭するのが難しい。代わりに調査団には国王の片腕と言われるロイヤルガーディアンのトライセンや、勇者からはルカキスとエミリアの参加もある。条件的には国からの負担も十分大きなものだし、俺たちエルフだけならまだしも、行軍に携わるすべての者の前で変な真似はできないと思うんだが……」


 そう話す俺の言葉に、アズールはまるで話にならないと肩をすくめた。


「そんな条件はまったく信用に値しない。相手は神だぞ? 俺たちエルフだけが取り残されることは十分考えられる。アグアの件も含めて、これは何かの謀略である可能性が高い。そんなものにお前を参加させるわけにはいかない」


 アズールの決意は固く、テコでも俺を行かせない。そう言っているように感じられた。


「ではどうするんだ、アズール? 一部には既に知れ渡っているが、偽ルカキスの存在は近く国民にも公表される。そして、その企みを未然に防ぐカリ・ユガ調査団にエルフが参加しないとなれば、俺たちの肩身はますますもって狭くなる。それを見越して女神は――」

「俺が行こう」


 俺の言葉を遮ったアズールは、固い決意の眼差しでそう答えた。


「いや、待てアズール。この話は俺が持ちかけられたものだ。それに女神に何かの企みがあるのだとしたら、俺が参加しないことを女神が了承したりは――」

「数は王国軍と同じ2千人を用意する」

「――!?」

「それだけ用意すれば文句もない筈だ。別に国王自身が調査団に加わるわけではないのだろう? だったらこちらも、エルフの長であるお前が参加する必要はない」

「待て、アズール!? 何を言ってるんだ? 俺は長などではないし――」

「今さら、何を逃げ腰になっている? アグアが俺たちの長だった頃から、エルフを実質取り仕切ってきたのはお前ではないか?」

「バカを言うな、アズール。そんなわけが――」

「確かにお前はうまく立ち回っていた。可能な限り前面に出ないよう配慮しながら、周りの者にはアグアの指示で動いているように見せかけていたんだからな」

「そんなことは――」

「まあ聞け、カリュー」

「…………」

「別にアグアが長の器でなかったと言ってるのではない。奴はその力量に於いても、懐の深さや人徳に於いても、長足るにふさわしい素養を備えていた。だが、奴に細かい気配りは皆無だったし、感情が先走って周りが見えなくなるという欠点もあった。この国でエルフを取り仕切るということは、エルフと獣人そして人間3種族の関係性に留意し、配慮することが不可欠になってくる。そんな土地柄に於いて、今まで特に大きな諍いもなく共に繁栄を続けて来れたのは、一重にお前が影で動いていた功績が大きい」

「いや、待ってくれ、アズール。俺は別に――」


 アズールの言い分を素直に認めない俺に対して、アズールは片眉を吊り上げながらこう切り返した。


「なんだ、カリュー? では、お前は長の弟という立場を利用して、今日まで勝手気ままに振る舞い、女をはべらしながらの自堕落な日々を過ごして来たとでも言うのか?」

「いや、そんなわけ……というかアズール、少したとえが極端過ぎないか? もう少し中間的な立ち位置もあるだろう。……だが、そこまで言われると俺にも多少はエルフのため、兄を支えるために働いて来た自負はある。それが皆の目にどう映っているかなど考えたこともなかったが……」

「フフッ。人は見ていないようで見ているものだ。アグアに近しい者でなくても、今あるこの環境を支えてきたのがお前だと理解している者は多い。アグアがいなくなった今、その役を担えるのはお前しかいない。俺はそう思っている」


 アズールの言葉に俺は1つ大きく息を吐いた。


「そう言ってもらえるのは有り難いが、やはり俺では役不足だ。俺たちの世界で上に立つには力がいる。俺が今まで上手く立ち回れていたのも、兄という後ろ盾があってこそだ。兄の武はエルフにも獣人にも知れ渡っている。それが失われた今、俺の力だけですべての者をまとめるのは難しい」


 俺の意見に同意するように、アズールは首を縦に振った。


「確かに、そこは補わねばならない点ではある。意見とは時に力でねじ伏せてでも、まとめねばならない時があるからな。だが、それをお前が身に付けていないのは、今までお前がそれを必要としなかったからだ。そんなことを気にする必要はない。力など、どうとでもなる」

「だがアズール、兄のような強さは素質に依るところが大きい。それを持たない俺は――」

「フフッ、何を勘違いしている、カリュー? お前はたった1人で生きているわけではないんだぞ? 自分1人で何でもできてしまう奴がよく陥るミスだが、別に個人単体ですべてを備える必要などどこにもない。そんなことは不可能だし、また、その必要もない。足りないものは他で補えばいいんだからな。アグアがどれほど強かろうと、多勢に対して1人で勝ちきることなどできない。100人で無理なら200人、それでも無理なら千人でと数を増やしてゆけば、いずれアグアとて敗れる時が来る。アグア個人の力が手に入らなくても、そうして人を集めることでそれは同等の力を有するのと同じになる。お前の持つ正しさは、人を束ねまとめ上げる力を持っている。それを手に入れるのはそれほど難しい話ではない」


 アズールの言っていることは理解できた。そして、長としてその立場を担うなら、俺にはその方法をとる以外ないことも分かっていた。

 ただ、そこには重い責任が圧し掛かってくる。それが俺には問題だった。

 エルフにとって不穏な状況に陥っている今、判断の誤りは死や種族の滅びに直結する。

 果たして、それを俺が担いきれるのか?

 俺の考える正しさに間違いはないのか?

 そんな疑問が、重責を背負うことを俺に躊躇わせる。

 確かに今までも、俺は俺の正義のもと一族の舵取りに携わってきたし、時には兄を説得して、その意見を覆してまで俺の意志を貫いたこともあった。

 だが、そんな俺のやり方が招いた先にあったのは兄の死だった。そして、俺の判断ミスがなければ、ゾーンバイエが禁断の実に手を出すのを防げたかもしれないのだ。

 そんな誤った判断を下す者が、人の上に立つべきではない。俺にはそう思えてならなかった。

 その時、俺の考えを見越したような質問をアズールがぶつけてきた。


「1つ聞きたいことがある。パルナに向かう際、お前は頑なに俺の同行を拒んだ。……あれは一体なぜだったんだ?」


 その突然の問いかけに、俺は言葉を詰まらせた。


「い、いや、あれは……」

「確かに今回の件はお前の兄アグアに端を発したものだ。だが、アグアはこの国のエルフの長だ。よもや個人的な問題で済む話でないのは、いかなお前といえども理解していただろう。にもかかわらずあの態度。それ以上の何かがあったように俺には見受けられたが?」

「…………」

「まさか、お前が犯した何かのミスが原因で、今の状況に陥っていると思っているのではないだろうな?」

「いや、そこまでは……。だが、もしかすると……」


 言いながら考え込む俺の様子を見て、アズールが破顔した。


「ハッハッハッハ、何がもしかするとだ? お前が犯したミスごときで、俺たちエルフがこうも追い詰められるわけがないだろう。今回の件はそれほど単純なものではない。魔王の誕生が既に仕組まれたものだった可能性もある――」

「なんだって!?」

「だが、それはいい。今問題なのはお前の態度だ」

「…………」

「俺にはお前が何かを挽回しようと躍起になっているように見える。そして、それは1人で担わなければならない。お前がそう考えているように思える」


 アズールはいつも鋭い着眼で物事を見極める。

 隠し通せるとは思っていなかったが、アズール相手に、俺の態度は少し露骨だったかもしれない。

 

「だがな、カリュー。世界はお前の、お前1人だけの意志でどうとでもなる世界なのか?」

「…………」

「そうではないだろう。お前の働きかけで誰かが道を踏み外したのだとしても、その誰かにもまた意思はある。お前の思惑通り事が運び、たとえその者が不幸に見舞われても、その決定を下したのはお前ではないのだ。そこにお前の責任がないとは言わない。だが、それはお前1人が背負うべきものでもない。カリュー、過ちは誰にでもあるものだ。たとえ悪意がなかったとしても、それは必ず起きてしまう。未来の見えない我らにとってそれは回避できないものであり、また、乗り越えねばならないものでもある。その罪に押し潰されそこで立ち止まってしまえば、それは本当にただの過ちになるからだ」

「…………」

「だが、我らは時の流れの中に生きている。そして、時の流れはその時点での失敗を、先の未来で覆すチャンスを与えてくれる。そうして後に得るものに自分が納得できれば、その失敗は失敗ではなくなる。そうやって、失敗を経てからでないと手に入らないものはある。そうとらえて生きていれば、そこに恐れを抱く必要など何もない」


 俺はアズールの話を聞きながら、ルカキスに指摘され思い至ったゾーンバイエの決意を思い出していた。

 あの事件は、俺の知らない様々な要因が絡んで起こったように思えた。

 そこには俺の過失も含まれていたが、だとしても最後にその決断を下したのはゾーンバイエだ。最終的にそう理解して俺はそれを受けとめた。

 では、兄の死もそうだというのか?

 確かに兄が本気で俺を置いて行こうと思えば、兄にはそれができた。あの森で引き離されれば、俺に兄を追うことはできなかったからだ。

 そして、兄が自分の身を守ることを第一に考えていたら、逆に死んでいたのは俺の方だ。そう考えれば兄は自らの判断で俺を連れて行き、そして命を投げ出したことになる。だとすれば、そこには兄の負う責任もあったということだが……

 

 しかし、本当にそれで俺は納得できるのか?

 兄の死は、兄の招いたものだったと割り切ることができるのか?

 ……いや、ダメだ!

 俺はそう考えられない!

 俺は説得すれば兄がそれを断れないのを知っていた。断れないようわざと煽って会話を誘導したんだ。

 そして、俺に危険が迫れば、兄が身を呈して俺を守ろうとすることなど想像しなくても分かったことだ。

 あの一件に関しては、俺にすべての責任があったとしか俺には考えられない……

 

 その時、深く考え込む俺を見て、アズールが苦笑した。


「フフッ。真面目だな、カリュー。今の説明だけでは納得できなかったのか? 俺は何も罪に対して無責任でいろと言ったのではない。ただ、すべてを背負い込み、身動きが取れなくなってしまわないよう忠告として、そう話しただけだ。その比重はともかくとして罪の意識を持つ必要はある。そうでなければ、それが起こった意味を成さないからだ。自分が犯した罪を罪と認識することで、人は成長できる。そう認識すれば、同じことを繰り返そうとは思わないからだ。そして、お前はそれを乗り越えようとしている。1人で王都へ向かったのがその証拠だろう。だが、それは本当にたった1人で成せるほど簡単なことなのか?」

「…………」

「お前の罪への向き合い方は、本当にその罪を乗り越えることにはならない。お前は同じ罪を犯さないために、他人を巻き込むまいとしている。だが、それは背負うべき責任から目を背け、犯した罪から逃げる行為でもある」

「俺が……逃げている!?」

「何の責任も意識せず、個で生きるのは楽なものだ。中には自分の尻すら拭かない甘い生き方をしている奴もいるが、委ねることの意味を理解していないと手痛いツケを払うのは自分なのだが……まあ、それはいいだろう。お前が俺に話を持ち帰ったことからも、これが1人で対処できない問題だと考えているのは分かる。だが、まさか今更個の立場で生きられるなどとは思っていないだろうな?」

「…………」

「俺に報告を上げ、一兵卒としてカリ・ユガに向かうつもりだったのか? 今まで一族を束ねてきた立場を俺に丸投げし、すべてを放り投げてあとは知らん顔か? そして、カリ・ユガで身動き取れなくなったとすれば、これ幸いとその責任を神にでも押しつけて、悠々自適にそこで暮らすつもりか?」

「待て、アズール! 俺はそんなつもりで――」


 アズールは俺の反論を片手で制しながら続けた。


「お前がそんな考えを持っていないのは分かっている。カリ・ユガはおそらくそんな生ぬるい場所でもない。知る限りに於いて、果てなく続く精神的、肉体的苦痛に苛まれることになるだろう。だが、たとえそうだとしても、お前はそっちの方が楽だと感じてるんじゃないのか? 一族すべての責任を背負うことに比べればとな」

「…………」

「一族の長になるということは、末端すべての者の責任を背負うことだ。無責任に長の座に就く者もいるかもしれないが、そんな組織は正しく機能しないし、いずれ瓦解する。真に上に立つ者は組織すべてを自らの手足のように感じ、それが失われた時、自らの手足がもがれる苦しみを感じる。そこまでの想いで責任を背負い組織を率いたならば、その組織は本当に自らの手足のように動くものとなる。真面目なお前ならそれができるし、それを理解しているからこそ責任を回避したくもなったのだろう。だが、その痛みから逃げるな。目を背けるな。お前がどんなミスを犯したのかは知らんが、そのミスを取り戻すつもりがあるのなら、お前はそこで苦しみ、その中で答えを見つけ出すしか方法はない。そして、一族すべての命を自身のものととらえることができるお前は、指導者に向いている。アグアはああ見えて、そのへんのことは良く理解していた。だからこそ我らはアグアについて来たし、兄弟であるお前はそこが兄と似ている。そんなお前が長を引き継ぐからこそ、俺は快くカリ・ユガへ向かうことを決意したのだ」


 アズールの言葉は、俺の真意を見事に言い当てていた。

 兄を死に追いやった事実は、俺を責任ある立場から遠ざけようとしていたのだ。

 それは苦しみから逃れるためのものであり、それを俺に指摘したアズールは、さらなる苦しみを俺に突きつける。長を引き継ぎ、死地にも等しい場所にアズールや他のエルフを送り出すのを、俺に見届けろというのだ。

 それを受けとめ受け入れるには、今俺が抱いている個の意識をもっと大きく、一族すべてに広げねばならない。それは諭されて俄かにできることじゃないが、長として一族を率いるのなら、そうしなければならなかった。

 それは責任と同時に大きな苦しみを伴うが、もしそれが手に入ったら、その時初めて俺は兄の死を招いた自分の愚かさと、正面から向き合える強さを手に入れらるような気がした。

 そして、俺は逃げてはならない。アズールの言葉は俺にそれを理解させた。


「……分かったよ、アズール。どこまでできるか分からないが、長は俺が引き継ごう」

「フフッ。まあ、納得しなくても、無理やり継がせるつもりだったがな」


 その返事に苦笑いを浮かべながら、俺は1つの疑問をアズールにぶつけた。


「長を俺が引き継ぐことに異論はない。だが、アズール。お前に諭されねば決意できない俺のような未熟者でなく、お前が長を引き継いだ方がいいんじゃないのか?」


 俺の問いに、アズールは間髪入れずにこう答えた。


「ああ、それは全くもってナンセンスな回答だ。頭で理解するのと実践するのでは、そこには雲泥の差が生まれる。俺は確かに優れたエルフだが、長の器ではない。何しろ身贔屓みびいきが酷いからな。お前やアグア、それにカノンなどはかわいがるが、他のエルフや獣人などには実際それほど関心がない」

「えっ!?」

「森長という今の立場にあるのも、お前やアグアがいればこそだ。サブに留まるのが順当といったところだろう」

「……そう……なのか?」


 俺はそう呟いたが、それがアズールの本心だとは思っていなかった。

 アズールはこれまでもエルフの指針について、時折俺が相談を持ちかけていた識者だ。先ほどはめずらしく感情を荒げはしたが、普段はほとんどその起伏を見せず終始クールであり、俺と共に兄が治めるこの森の内政に関わり、支えてくれた存在でもある。

 その言葉は意図を持って語られることが多く、そのためならば平気で嘘をつく。だが、人を陥れるようなことはなく、何かに気づかせたり、導いたりするのに敢えてそうしているのがほとんどだった。

 全部ではなくほとんどという表現なのは、約1名その虚言で被害に合っている人物を俺が知っているからだ。その人物とは兄なのだが、もしかするとそれも兄のことを考えてのことなのかも知れなかったが……

 

 ただ1つ言えるのは、先ほどの言葉にあったように、他のエルフや獣人のことをアズールが考えていないなどということは無いということだ。

 この国に暮らす種族の在り方について、アズールから有益な意見がもたらされたことは過去幾度もあった。そして、それは真剣にそこへと思いを馳せねば出ない、貴重な意見でもあった。

 しかし、アズールには俺から見てもドライに見える部分がないわけでもない。

 果たしてどこまで本当のことを話しているのか?

 それを問うて答えが得られたとしても、それが本心かどうかは俺には分からない。だから俺は、それ以上を語るのを止めた。


「さてと。では、人数を揃えねばならないな」


 既に思考を切り替えていたアズールは、カリ・ユガへ向かう準備にとりかかるつもりのようだった。

 だが、簡単には切り替えられない俺の胸に、アズールの言葉が重く圧し掛かる。


「アズール。カリ・ユガのことだが……本当にいいのか?」


 俺の問いに、アズールは何を今さらと言わんばかりの表情を浮かべた。


「末端の者だけを向かわせるわけにはいかないだろう? 俺のことが女神に知られているとは限らんが、それなりに立場ある者が同行しなくては、同数の人数を揃えたとしても、さすがに了承を取りつけるのは難しい」

「確かにそうかもしれないが……」

「なあに、心配するな。お前があとを継ぐとなれば、皆の賛同は得られる。それに俺の能力は知っているだろう? それがあれば、どこで暮らそうと俺に変わりはない。本当にアグアがいるのなら、会えるのも楽しみだしな」


 言いながら笑顔を浮かべるアズールに、もう俺がかける言葉はなかった。

 それにアズールの持つ能力があれば、カリ・ユガの苦痛もいくらか和らぐのは事実だ。俺はそこに、僅かな救いを感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る