23話 3年前-エルフside 勇者たち


 勇者は兄に、人間2人を加えた3人パーティだった。1人はルカキスという目つきの鋭い男。もう1人はセレナという、まだ16歳くらいの少女だった。

 久しぶりに目にした兄は見違えるようで、自信溢れる表情からも明らかに力量が上がっているのが見て取れた。それを目にした俺は、迷うことなく思いを告げようと決めていた。

 

「エルフがおかしな布陣を敷いてるってんで立ち寄ってみたんだが、まさか俺に会うために、お前が指図したんじゃねぇだろうな?」


 笑いながらそう話す兄の変わらぬ態度に顔をほころばせた俺は、勇者たちの進行を邪魔にしないよう、すかさず兄のもとへ駆け寄り手短に要件を伝えた。


「――そんなことはお前に言われるまでもない。俺だって考えてたことだ。心配すんな、カリュー。ゾーンバイエは俺が必ず説き伏せる。全部頼れる兄に任せておけ」


 告げるまでもなく俺と同じことを考えていた兄は、自信ありげにそんな返事を返してきた。


「それを聞いて安心しました。ゾーンバイエならきっと理性も備えています。根気強く説得すれば、きっと――」

「分かってるって。あいつは俺にとっても大事な幼馴染なんだ。俺が討伐しようと考えるわけがねぇだろうが?」


 そんな会話を交わす俺たち2人の間には、今から魔王の根城に乗り込むのが嘘のような、場違いな空気が流れていた。しかし、それにも気づかず俺は兄に頼もしさを感じ、笑みさえ浮かべていた。

 そんな語らいに水を差すように、ルカキスがその会話を鼻で笑う。ルカキスは人間でありながら、特殊で独特なオーラを持つ不気味な男だった。

 だが、兄がそれを黙って見過ごす筈もない。すぐ様ルカキスに向かって歩み出すと、そのまま食ってかかった。


「ルカキス!……お前今、鼻で笑いやがったな?」


 腕組みしながら木に背を預け、俺たちの会話が終わるのを待っていたルカキスは、兄の顔すら見ずに淡々と言葉を返した。


「できもしない約束をするからだ」

「何っ!」


 ルカキスの態度に胸ぐらを掴もうと手を伸ばした兄は、しかしひと睨みされただけで止まってしまう。その視線がゆっくり俺に向けられた。


「魔王とは知り合いなのか?」


 威圧感を備えるその問いかけは、なぜか強制力を伴うように感じられた。

 俺は誘導されるような心持ちで、その質問に答えていた。


「……親友だ」

「俺たち兄弟とゾーンバイエは幼い頃からずっと一緒だった。親友というより3人兄弟みたいなもんなんだよ!」


 3人の親密さをこと更アピールするように、兄がすかさず言葉をつけ加える。

 そんな俺たちを見比べたあと、ルカキスはふと疑問の言葉を口にした。


「お前たちは魔王を直接その目で見たわけではないのだろう? なぜ魔王になったのがそいつだと言い切れる?」

「そんなのは確認するまでもねぇ!」


 強気にそう言い切る兄を、今度は俺がフォローする。


「森に生息していた種族と魔王の適正。そして、瘴気濃度や牙城を築いている事実など様々な条件から考えて、十中八九魔王はゾーンバイエ以外にあり得ない」


 俺たちの返答を受け、暫し何かを考えていたルカキスは、唐突に振り返ると虚空に向かって声をかけた。


「ノエル、間違いないのか?」


 その呼び掛けに応じて、ノエルと呼ばれた者が忽然と姿を現す。

 それを目にした俺は、その瞬間に思わず息を呑んだ。いや、驚愕した。

 なぜなら、ノエルと呼ばれた存在は、先日俺の前で奇跡を起こし、兄を生き返らせた女神に他ならなかったからだ。


 な……なぜ、女神がここに!?


 勇者選定の役を担う女神は、魔王を打ち倒す力を導き神器を授けたあとは、たとえ勇者でも会うのはおろか、姿を見ることもないと言われている。いや、言われている筈なんだが……

 しかし、ルカキスの横に現れ佇んでいる女神ノエルは、ここに自分がいるのがいかにも自然であるように振る舞っていた。

 そんなあり得ない状況に理解が追いつかないだけでなく、ルカキスの口調がまるで自分の女に話しかけるような砕けた物言いだったことが、更に俺を驚嘆させた。

 同じく、その口調に動揺していた兄も「よ、呼び捨てっ!?」と声を裏返らせながら目を丸くしていた。

 だが、女神ノエルは全くそれを意に介さず、まるで貞淑な妻が夫の質問に答えるように「魔王はゾーンバイエで間違いありませんわ、ルカキス」と笑顔で応じた。

 

 その一連の出来事に放心する俺と兄の目の前で、しかしルカキスは表情を硬くしながら、不意にその鋭い視線を俺へと向けてきた。


「やはり、魔王はお前たちの親友で間違いないらしい」

「あ、ああ……だろうな……」


 ようやく心を落ち着け、何とかそう返事を返した俺にルカキスは言葉を続けた。


「それは何としてでも救いたいだろう……だが、諦めろ」

「「――ッ!」」


 こちらの意図を汲み取るや否や、ルカキスは直ちにそれを言葉で切り捨てた。

 しかし、それを聞いた兄は、今度は有無を言わせずルカキスの胸ぐらを掴んでいた。


「貴様っ!」


 それを振りほどこうともせず、ルカキスはそのまま冷徹に言い放つ。


「……お前、本気でそいつを救えるとでも思っているのか?」


 兄の目を見て告げられたその衝撃の一言は、俺と兄を即座に冷静にさせる。


「そ、それは……」


 歯切れ悪くそう返した兄は、渋々掴んでいた両手をおろした。


「禁断の実は、それを口にしてなお生き長らえた者を、超人か魔王に変えると言われている。だが、同時に禁断の実は、致死率99%を誇る毒でもある。だとすれば、そいつは死を覚悟してその実を食べたことになる」

「なっ!?」


 ルカキスの言葉に思わず目を見開いた兄を無視して、ルカキスは続けた。


「それほど強い覚悟で禁断の実に手を出した相手を、お前はどうやって説き伏せるつもりなんだ?」

「いや、ちょっと待てよ、ルカキス。確かにそれほど強い決意なら、説得は難しいかもしれねぇ。だが、誰かの策略で、意思に反して実を食べた可能性だってあるかもしれねぇじゃねぇか!」


 そう反論する兄に、ルカキスは眉一つ動かさず言葉を返した。


「では、どんな策なら、死の危険性がある実を口にするというんだ?」

「そ、そりゃ、誰かに脅されて……」

「メリットを考えろよアグア。もし誰かが謀ったと仮定するなら、それを強要した側には何らかのメリットが生じなくてはならない。だが、禁断の実がもたらす結果は3種類しかない。そして、最も確率の高い死を望むとすれば、実を使うのは逆にリスクになる。たとえ1%でも、そこには死なない可能性が含まれているからだ。それに、殺すだけならもっと現実的な方法が他にいくらでもある。だとすれば、それを強要した者は、超人か魔王のどちらかを望んでいたということになるが……そんな存在が本当にいるのか?」


 このルカキスの問いかけには、兄も即答することができなかった。

 自分の意思でゾーンバイエが実を食べたとは到底考えられなかった俺と兄は、ルカキスの問いかけを聞くまで、そうせざるを得ない何らかの要因があると信じていた。

 だが、ルカキスが言うように、超人と魔王だけに結果を絞って考えれば、それを強要してメリットを得る存在を仮定するのは難しい。

 仮に今回ゾーンバイエが超人化を果たしていれば、その最大のメリットを受けるのは本人と狼人族、そして獣人以外にはない。

 ゾーンバイエが族長である以上、狼人族の誰かがそれを強要するのはあり得ないし、たとえ影響力の強い他種族の長でも無理強いはできない。だとすれば、そこにはゾーンバイエ自身の明確な意思があったといえる。

 逆に、今回果たせた魔王という結果を望む者がいたとしても、そんなことを企むのは、せいぜい魔王復活を信奉する邪教徒ぐらいしか思いつかない。

 だが、エタリナにそんな組織は無いし、サラの神木が世界中にある以上、わざわざこの国で敢行する必要はない。魔王が誕生したのは結果論だし、禁断の実がこの国で手に入る保障などどこにもなかったからだ。

 

 そう考えると、ゾーンバイエが自らの意思で禁断の実を食べたとする、ルカキスの見解が正しいようにも思えたが、だからといってそんな動機がゾーンバイエにあったとは到底思えない。

 どうやら兄も同じ思いだったようで、強い口調で反論していた。


「確かに、お前の言う通り、強要してメリットのある存在なんていないのは認めるよ。だが、ゾーンバイエ本人がその実を食べる理由だってどこにもねぇ! 死や魔王のリスクを背負ってまで、超人を目指す必要がどこにある? だったら、逆に聞くが、その根拠となる理由をお前は言えるのかよ!?」


 兄の言葉に、大仰に目を見開いたルカキスは、口元に笑みを浮かべた。


「フフッ、それは、エルフであるお前から出た言葉とは思えんな。そのほとんどが命を落とす危険な実であるにもかかわらず、禁断の実に手を出す者があとを絶たない理由。それを、お前たちが知らないとは言わせんぞ?」

「…………」

「あの実を食する最大の理由は、お前たちエルフの祖がそうだったと言われているように、超人化にこそある。その血統に超人の流れを汲むお前たちが、禁断の実に興味を持たないのは当然だ。度々、勇者に選出される優れた素養を、既にお前たちは持っているんだからな。その結果もたらされたエルフの繁栄と現在の地位。今あるお前たちの境遇を身近に感じる獣人が、それを羨んでいないと思っているのか? それだけでもゾーンバイエにとっては十分過ぎる理由になる。その力を有すれば人に蔑まされることも、お前たちに引け目を感じることもなくなるんだからな」

「引け目など!」


 このルカキスの言葉に、即座に反応したのは俺だった。

 獣人たちの抱く不満に配慮し、また抑圧されることのないよう人間社会との仲立ちをしていたのがエルフであり、最も俺がそれを自負していたからだ。

 その自負が俺の反発心を呼び起こし、ルカキスに反論の言葉を向けさせた。


「引け目など感じる筈がない! 俺たちエルフは森に暮らす獣人のことを常に考え、可能な限り最良の環境を整え暮らしてきた!……確かに瑣末な不満はあったかもしれない。だが、概ねその関係性は良好だった。森に暮らす者すべての間に差別などなかったし、もっとも懇意にしていた狼人族が不満や引け目を感じていたわけがない!」


 少し熱くなった俺の言葉に、しかしルカキスは失笑を返してきた。


「フフッ、そんなことはお前の立場では分からんよ。真の魔王となる器だったゾーンバイエが、お前たちエルフの庇護下に置かれ、何も感じずに日々を送っていたとは到底思えない。能力が高ければ高いほど、その環境に置かれた自分の立場が嫌というほど分かるものだからな。それに幼馴染のお前たちに相談なく今回の事態が起きているという事実が、すべてを物語ってるんじゃないのか?」

「…………」

「推測の域は出ないが、奴が現状の獣人の立場を憂いていたのは事実だ。そうでなければ、死を賭してまで禁断の実に手を出すことはない。そして、その選択枝に魔王を想定しないなどということもあり得ない。つまり奴はいいと思っていたんだ。たとえその身が魔王なろうとも、今ある状況を変える力が手に入るなら……とな」

「そんな……バカなっ!?」

「この世界に於ける神の支配は強力だ。よもや魔王になったからといって、世界をひっくり返そうとまでは考えていなかっただろう。だが、魔王の力があれば、この国の文明を破壊し尽くすくらいはできるかもしれない。そして、そうなれば人間はこの地を放棄する可能性もある。だとしたら、そこには人の脅威に怯えることなく獣人たちが自由に暮らす、そんな1つの理想の地が生まれる。それほど単純な話ではないし、そこには残された者たちの努力も必要だが、そのための大きな足掛かりを作れるのだとしたら、魔王という結果は、獣人にとってそれほど悪いものではなかったと結論づけることができる」


 そう言い切るルカキスに、俺と兄は反論できなかった。 

 ゾーンバイエならルカキスの話にあったように考え、そう判断をくだしてもおかしくなかったからだ。

 だが、そうだとしたら、俺や兄さんは幻想を抱いていたことになる。

 俺たちエルフがこの国で築いていたものは、所詮俺たちが考えた枠から出ることはない。そこに獣人たちへの配慮があったとしても、それが獣人たちにとって本当に満足のいく状態だったとは言えないのだ。

 それはやはり、この世界に於ける獣人の立場の低さが招いていたが、そこは簡単に改善できるものではなかったし、ゾーンバイエが俺たちにそれを打ち明けられた筈もない。人とも良好な関係を築く俺たちエルフが、必ずしも獣人と同じ立場に立つとは限らなかったのだから……


 その時俺は、ルカキスがまだ鋭い視線を俺に向けているのに気づいた。


「悪いが話はまだ終わっていない。状況が理解できたところで、お前にはもう1つ分かっておかねばならないことがあるからだ」


 言いながらルカキスは笑みを浮かべる。それを見た俺は胸騒ぎを覚えた。


「人の思いを変えるのは簡単ではないが、それでもそれは不可能ではない。心とは変わるし移ろうものだからだ。だが、魔王の抱く思いは命まで賭した強い思いだ。それを覆そうとするならば、少なくとも同質の強い思いをもって臨まねばならない。即ち、命を賭してでも説き伏せる覚悟がいるということだ」


 話は急にその矛先を変えていた。そして、ルカキスの視線が俺の心拍数を上昇させる。ルカキスは俺から目をそらさずに続けた。


「命とはお前の命ではない。その思いを託した、お前の兄アグアの命だ」

「――ッ!?」

「アグア自身がそう思うのは勝手だろう。自分の命だ、どう使おうが他人の干渉を受ける謂れはない。だが、お前は違う。当事者でないお前が思いを託した時、お前は魔王を救う代わりにアグアが命を落としてもいいと……そう思っていたことになる」


 その言葉が耳に入った途端、俺は全身から血の気が引くのを感じた。


「お前はなめているのかもしれんが、魔王とは自らの命を対価にこの世に生み出される存在だ。そんな相手を侮る要素など、どこにもない。過去、勇者が敗れたことが幾度かあったが、別に女神が勇者の選定を誤ったわけではない。それらの者が神の見立てを上回る強い思いを抱いていただけのことだ。だが、所詮神には勝てない。魔王とはそのような存在だからな。だから魔王は、後任の勇者にわけもなく倒される。ふんだんに神の加護を受けた勇者によってな。ゾーンバイエがどれほど強い決意のもとその実を食べたのかは知りようもないが、お前の兄を含めた俺たち全員が無事生還する保証など、ハナからどこにも有りはしない。お前はその状況をより過酷にする、そんな思いを兄に託したということだ」


 ルカキスの言葉は俺に圧し掛かり、俺はそれに押しつぶされそうになっていた。


 な、なめていた……俺が!?

 つい先日、兄を窮地に立たせたばかりだというのに、俺は性懲りもなく、また同じ過ちを繰り返そうとしていたのか!?


 俺は返す言葉も持たず、ルカキスの言葉にただ打ちのめされていた。

 ルカキスに突きつけられた事実は、俺にも分かっていたことだった。俺も最初はただ兄が無事戻ることだけを考えていたからだ。

 だが、兄が神に命を救われた事実は俺の甘さを助長した。俺の正義を後押しした。神の強い加護を確信した俺はそれ以上に欲をかいてしまったのだ。

 しかし、ルカキスの言う通りそれが確実な保証となる根拠などどこにもない。

 そして、俺の知るゾーンバイエが自ら決断し禁断の実を食べたのだとしたら、たとえ命を懸けてもその思いが簡単に変わるとは思えない。

 兄の性格を考えれば、それでも俺が託し兄もまた自らの中で出したその決意を、中途半端に成し遂げようとする筈もない。だとすれば最悪のケースは、ゾーンバイエも救えず兄が命を落とすことも十分起こり得た。

 それほど重大なことだと考えることもなく、またぞろ無思慮にも俺は、兄を危険にさらそうとしていた。逆にそれを諫め、止めなくなくてはならない立場にありながら!

 種族の垣根など関係なく、俺たちとゾーンバイエは堅い友情で結ばれている。だから諭せばきっとゾーンバイエの気持ちは変えられる。そんな未熟な一方的な思い上がりから、もう少しで俺は今度こそ本当に兄を失うかもしれなかった。

 その事実に気づいた途端、俺は涙を流しながら激しく自分を責め立てた。

 

「もとより俺はその心積もりだった。俺は自分の命を失ってでも、必ずゾーンバイエを助けてみせる!」


 俺の思いも知らず、能天気にもそんなことを言う兄をルカキスが一蹴する。


「綺麗ごとを言うな」

「何!」

「既に魔王となった者を救えるかも定かでないのに、命を張ってどうする。それにお前が命を投げうつことで、仮にそいつが元通りの状態で戻ったとしても、それが本当に望む結果だったと言えるのか?」

「俺はそれでも――」

「兄さんっ!……そんなつもりで、俺はそんなつもりで言ったんじゃない!」


 涙を流しながら俺は言葉を続けた。


「兄さん、ルカキスの言う通り、おそらくゾーンバイエは自分の意志で禁断の実を食べたんだ。それは命を失うリスクも、魔王になることも、全部承知して自ら決めたことだったんだ!」

「……そんなことは俺も分かってる! だが、たとえそうだったとしても、その選択を間違うこともあるだろう!? それを救ってやるのが親友ってもんだろうが!」

「兄さん、逆です……そこが俺たちの間違っていた所なんです。獣人たちは確かに俺たちエルフの庇護下にありましたが、それぞれには人格も、尊重されるべき意思だってあります。ゾーンバイエが失敗して魔王になった時、俺たちに助けてもらおうなんて、甘い考えを持っていたと思いますか?」

「…………」

「ゾーンバイエにそんな甘さはない。それなのに、もしゾーンバイエを救おうとして兄さんが命を落とすようなことになれば、それはゾーンバイエの自立した意思を認めず、それを無視した行為になります!」

「…………」

「それでも助けることができるのなら、そうなるに越したことはありません。でも、そのために兄さんが命を張る必要があるのなら、俺はゾーンバイエが救われることなんて望まない! 兄さん、ゾーンバイエはもし魔王になれば、討伐されることも、兄さんが勇者に選ばれる可能性だって分かっていた筈です。それでもゾーンバイエは禁断の実に手を出すことを選んだ。その時点でゾーンバイエは、俺たちとの決別を決めていたんです! そのゾーンバイエの覚悟を兄さんにも分かっていて欲しい……」


 俺の言葉にしばらく無言を貫いた兄は、絞り出すように言葉を紡いだ。


「……分かったよ。あいつとは、魔王とは手加減なしで全力で戦う」


 兄の言葉に頷きを返した俺に、兄は言葉を続けた。


「だが、やっぱり俺は可能な限りあいつを救う方法を考えながら戦う。結局殺しちまうことになるかも知れねぇが、その思いを俺の中から完全に消すことはできそうにねぇからな……」

「分かりました。俺だってさっきルカキスの話を聞くまでは、何とかしてゾーンバイエを救いたいと考えていたんです。すぐには切り替えられない兄さんの気持ちだって分かります。ただ、必ず生きて帰ってくることだけ、それだけは俺と約束してください」

「……分かった。それは約束する。あいつを救うことよりも、俺は俺の命を優先するよ、カリュー」


 その返事に安心した俺だったが、兄を無事生還させるために俺はあと一言だけつけ加えた。


「ただ、それでもゾーンバイエに現実を突きつけ、そうなるように仕向けた奴がいるのは確かです。俺は兄さんの帰りを待ちながら、できる限りその情報を集めてみようと思います」


 俺の言葉に、兄はその事実を忘れていたと言わんばかりに声を荒げた。


「そうだった! 俺は生きて帰って必ずそいつを見つけ出し、八つ裂きにしなくちゃならねぇんだった! もし、ゾーンバイエを救えなくても、その相手の名前だけは俺が絶対に聞き出してみせるぜ!」

「兄さん……絶対なんて言ったら、無事帰って来られなくなります。情報は俺が集めますから、兄さんはあまり余計なことを考えないでください」

「なんだよカリュー。俺が不器用で、1つのことしかできねぇとでも思ってるんじゃ――」

「いつまでぐだぐだと話してるんだ」


 その時、俺と兄の話が続いている間、女神と何やら会話を交わしていたルカキスが俺たちの話に加わってきた。


「あまりゆっくりしている時間はない。仲良し劇場はそのぐらいで切り上げて、さっさと出発するぞ」

「何だと!?」

「――兄さん!」


 ルカキスの挑発に即座に反応する兄を、咄嗟に俺が宥める。

 だが、意地の悪い笑みを浮かべたルカキスは、更に言葉で兄を追い詰めてきた。


「アグア、1つ忠告しておいてやるが、果たせぬ責任を取らない言葉に意味などない。そんな薄っぺらい言葉なら、紡がない方がまだマシだ。だが、言葉を裏切らず、口にしたことを実践し続けることができれば、いずれ言葉は力を持つようになる。そうして得た力は形あるものであり、それを手にすれば、あと一歩及ばぬ時に自分を後押ししてくれる本当の力となる――」

「偉そうなことぬかすんじゃねぇ! お前だって、セレナを絶対に守ってやるとか、格好つけた言葉吐いてたじゃねぇかっ!」


 即座に反論する兄に対し、しかしルカキスは不敵な笑みを浮かべた。


「フフッ、それは事実だからな。俺は自分が口にした言葉を違えたりしない。魔王討伐までセレナを守ると俺が言ったのなら……


 その言葉尻の強い響きが耳に入った途端、俺は全身に思わず鳥肌が立つのを感じた。ルカキスの放った言葉は、それほど力の籠った揺るぎないものだったからだ。

 この男の言葉には想いが、魂が込められている。その信念があるからこそルカキスの言葉は重く、そして力を持っている。先ほどから強制力を感じていたのは、それが原因だったことがその時改めて理解できた。

 

 おそらく、兄もその言葉の力を感じ取ったのだろう。何も言い返さずに、そっぽを向いてしまったから。

 だが、それを聞いて、ルカキスの腕に飛びついて来たものがあった。満面の笑みを浮かべたセレナが、跳ねるようにしてルカキスに抱きついたのだ。


「あ~ん、ルカキス❤ 魔王討伐までじゃなくて、ずっと私を守ってくれてもいいんだよ!」

 

 それを咎めることなく、ルカキスは笑いながら言葉を口にした。


「フフッ、お前の素直さを見習わせたい奴に、1人心当たりがあるんだがな」

「えっ!? 誰それ?……もしかして、女!?」


 途端に嫉妬の表情を浮かべるセレナ。

 しかし、それをはぐらかすように、ルカキスはとぼけた返事を返した。


「さあどうかな。いずれ会う機会もあるだろうから、楽しみに待っておけ」


 そう言うとセレナを置いて、ルカキスは1人森の奥へ向かってゆく。


「あ、ちょっと待ってよ、ルカキス~❤」

 

 それを追うようにセレナも慌てて駆けてゆく。遅れぬよう目配せしながらあとに続いた兄に手を振った俺は、心の中で皆の無事を祈りながら勇者たち一行を見送った。

 だが、この時俺は、誰もが無事帰還するのを心の中で確信していた。俺にそう思わせたのは、ルカキスに他ならなかった。

 ルカキスは思慮深さだけでなく、底の知れない何か特別な力を持っているような気がした。そして、ルカキスがいる限り、勇者の誰かか傷つくことさえ想像できない。俺はルカキスに対して、そんな強い信頼を抱いていた。


 しかし、それとは別に少し気になったこともあった。それは、セレナがルカキスに抱きついた時のことだった。

 何の気なしに女神を見ていた俺は、その瞬間浮かべられた女神の表情に、思わず声を上げそうになった。ルカキスの腕に抱きついたセレナを凝視した女神の眼光が、背筋が寒くなるほどに強く鋭いものだったからだ。

 周りに他の目があることに気づいてか、それは瞬間的に掻き消され、もとの穏やかな表情に戻ったが、俺の記憶に深く刻み込まれ、忘れられない思い出の1つになったのだった。


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