17話 アクマイザー


 ルカキスの持つ記憶喪失シンドロームは、物心ついた時既に発症していた。幼少の頃より事あるごとに、アクマイザーはルカキスの記憶を奪っていたのだ。

 ある違和感をきっかけにそのことを自覚したルカキスは、記憶の喪失部分に関する手掛かりを得ようと、情報収集を試みるようになった。しかし、そのことごとくがアクマイザーに阻まれ、失敗に終わっていた。


 最初は失敗していることにすら気づかなかった。だが、あまりに執拗に詮索を続けるルカキスに、ある日アクマイザーは手掛かりを残した。


『失われた記憶は詮索するな。詮索すればお前の周りで不幸が起こる』


 それは、ルカキス自筆の走り書きだったが、当然ルカキスにそれを書いた記憶はない。しかし、それを見た瞬間、自分に何が起きているかをルカキスは知った。

 急にそっけなくなった人、自分に怯えるような態度をとる人、全く会わなくなった人。直近に於けるそれらは、すべて記憶の詮索に端を発していたからだ。


「熱っ!」


 そう思って見た右手は軽い火傷を負っていた。そして、手からは、思わず離した紙片がゆらゆらと舞いながら床に落ちる。

 それは自分が握っていたせいで焼け残った紙の断片。何が燃えたのかは考えるまでもなかった。先ほど見た走り書きが元あった場所にある筈もなく、代わりにそれが示していたのは、自分はその紙を手に持って火をつけ、それが目の前で燃えていたのに、その記憶が自分の中から完全に消されているという事実だった。


 その出来事を受け、ルカキスは自分の記憶を意図的に消している存在がいるのを知った。そして、もしかしたらその存在は自分の中にいて、記憶だけでなく体も自由に操れるのではないかと考えた。

 ルカキスを避けるようになった人の中には、誰かに殴られたような酷い怪我を負っている人もいた。そして、ルカキスの拳には、血が付いていたこともあったのだ。

 記憶の情報収集を妨害するために、暴力で口封じをしたのだとすれば? そして、それをやったのが自分だとすれば辻褄は合う。


 ルカキスはその考えに行き着いた途端、恐怖を覚えた。

 自分の中に、自分以外の存在がいることを知って、恐怖を覚えた。

 そして、その恐怖の主は、いかようにでも体も記憶も操れることを示しながら、詮索をやめさせようと警告してきたのである。


 その存在の能力はルカキスにとって最悪だった。どう足掻いても、その警告に従うより打つ手はないように思われた。

 だが、ルカキスは止まらなかった。警告を受け、真実を知ってさえ、なおルカキスは進むのを止めなかった。

 そんな存在が自分の中にいるのが我慢ならなかったからだ。


 しかし、方法は変えることにした。記憶の喪失理由は判明したので、それに関する詮索は必要なくなった。アクマイザーが粗暴で、悪魔のように無慈悲な存在と決めてかかっていたので、その情報を集めようとも思わなかった。

 ただ、自分の体から何とか悪魔(このころは悪魔と呼ばれていたので、以後はその名前の変遷通りに記載する)を追い出す方法はないものかと、日々考えを巡らしていた。


 ルカキスは昔から、なぜか危険な目に遭うことが多く、記憶の喪失は得てしてその時に起こっていた。そして、その事実からルカキスは自分の中の悪魔を追い出す方法を思いついた。

 それは、敢えて自分の身を自分で対処できない危険にさらすというものだった。

 

 悪魔は自分の体を使っている。それを失わないために、危険に遭うと人格を入れ替え体を守ろうとする。だが、いかに人格を入れ替えようとも、使う体に変わりがない以上、絶対に対処しきれない危険というのはある。

 そんな危険に遭遇すれば、悪魔はこの体を捨てて逃げ出すのではないか?

 それがルカキスの立てた作戦だったのである。


 だが、お気づきの通り、この作戦には致命的な欠点がある。それほどの危険に遭遇して仮に悪魔が逃げ出したとしても、ルカキス本人が無事で済むのかという問題が残っているのだ。

 しかし、ルカキスはこれを決行した。後先考えずにこれを決行してしまったのだ。

 

 その頃はまだ13歳だったこともあり、ルカキスの考えた危険とは、自分の通う学校の番長にケンカを売ることだった。しかし、その発想はあながち的外れだったとは言えない。

 ルカキスの通う学校は通常15歳で卒業となる、主に一般教養を教える普通校だった。しかし、一部に軍事教練を取り入れた特別枠が存在し、そこからは兵士や傭兵、剣士、冒険者などが排出される。

 危険度を考慮して、その就学期間は普通科よりも3年長く、近隣の魔物討伐などに参加する16歳からは、校内での帯剣も許される。当然番長は最上級生であり、ルカキスから見れば完全な大人だった。

 上級生たちは、実際に魔物にとどめを刺す経験を持っており、殺すことに関して躊躇しない者が多い。校内で刃傷沙汰が起こるケースもあって、年に数名死人も出ていたのだ。


 ただ、力量差は本人たちも知るところで、基本的に普通科の生徒が目をつけられることはない。中途半端な売り方では、相手にしてもらえないのを理解していたルカキスは、絶対に相手がブチ切れる方法で番長を挑発した。近隣の畑でくすねた肥溜めの中身を、番長めがけてぶち撒けたのである。

 瞬時にしてルカキスは、番長の取り巻き数人に取り押さえられた。


「……逝く前に名前だけは聞いておいてやろう」


 剣を抜きながらルカキスに近づき、そう口にする番長。それは怒号ではなく、そんなものを遥かに通り越した先から放たれた、果てに至った者のみが出せる声音だった。そして、その落ち着いた口調は、これ以上ない冷徹な響きを併せ持つ。

 番長の言葉を、間違いなく両の耳で受け止めたルカキスは、その瞬間に気絶していた。小便を漏らしながら。


 その後、ルカキスが意識を取り戻したのは自分の部屋だった。

 飛び跳ねるように寝床を出ると、周りの状況と自分の体を確認する。だが、どこにも異常はなかった。ルカキスの体はかすり傷1つ負っていなかったのである。

 しかし、当然ながらルカキスにその時の記憶は残っていない。いったい何がどうなって今に繋がるのか、まったくもって分からなかったのだ。

 下校時にケンカを仕掛け、今は夕暮れ時。時間にして2時間ほどしか経っていない。その間に何が起こったのか、ルカキスなりに考察はしてみた。


 真っ先に思いついたのは悪魔が自分の体を乗っ取り、相手を返り討ちにしたという結論だった。

 あり得ない。しかし、ルカキスはその考えを即座に否定した。

 今までも大人相手に口封じは行われてきたし、記憶が失われた時に居合わせたのは、たいてい大人だった。従って口封じの対象も、そのほとんどが大人だった。

 その中にはそこそこ腕の立ちそうな相手もいたが、それでもやり方次第でやれない相手ではなかった。

 だが、今回ケンカを吹っかけた時は状況が全く違う。羽交い絞めされた自分の目の前には、確実に何人も人を殺していると噂の立つ『インジャン・ジョー』とあだ名される強面の番長が立つ。

 魔法でも使えれば打開策はあったかもしれないが、ルカキスに魔法は使えない。いかに悪魔が知恵を働かそうとも、何も打つ手はなかった筈なのである。


 返り討ちはあり得ないと判断したルカキスは、次に死刑執行日が1日順延されたのではないかと考えた。ルカキスの年齢を考慮して、肉親との別れを惜しむ時間が与えられたのではないかと。

 だが、あの溢れ出る殺意を隠そうともしなかった番長が、たった1日とはいえ、その猶予を与えようという心境になるだろうか? そう考えた時、その結論もまたあり得ないとルカキスは判断した。

 その後もいくつか候補は上がったが、どれも決定力に欠けていた。結局、結論の出ないまま、その日ルカキスは眠れぬ夜を過ごしたのだ。

 いや、正確には寝たし、晩ごはんも食べたのだが……


 翌朝、意を決して登校したルカキスは、俄かに昨日起こった出来事を理解した。

 校門内にずらりと列を作る番長グループの面々。そのあいだをインジャン・ジョーに促されルカキスは歩く。その日から、ルカキスは番長になっていた。いや、勝手に成らされてしまったのだ。


 後に聞いた話によると、番長を筆頭にその下にいる四天王と、ルカキスを羽交い絞めにしていた数名は、応戦する暇も与えられず、あっという間にのされてしまったのだという。

 それを知ったルカキスは、1人こう呟いていた。


「やるなぁ悪魔……いや、アックマン!」


 悪魔→アックマンへと昇格(?)を果たした瞬間だった。

 それ以来、ルカキスは自分の中に存在するアックマンのことを、徐々に認めるようになっていった。

 何しろアックマンのおかげで、ルカキスには怖いものが何もなくなったのだから。


 それからというものルカキス率いる番長連合は、破竹の勢いで付近の学校を傘下におさめ、その勢力を拡大していった。それは勿論、アックマンの活躍の賜物なのだが、祭り上げられ褒め称えられるのはルカキスである。

 どんな戦いぶりなのか? また、特殊な能力を保有していることも分かっていたが、その間の記憶が無いルカキスに知ることはできなかったし、なぜか配下の者たちからその詳細を聞くことはできなかった。

 しかし、気分は悪くない。番長となったルカキスは、すべての頂点に君臨する支配者のような気分を味わっていたのだ。


 それをもたらしてくれるアックマンに、悪い感情を抱く筈もなく、その共存生活に慣れきったルカキスは、いつしかアックマンに身も心も許すようになっていた。

 アックマンの名前も、アックマン→アクマッち→アクマイケル→マイケルとその呼び名を変え「マイケル、あとは任せた!」の声と共に意識が入れ替わるなど、ルカキスがある程度主導的に、意識の入れ替えをコントロールするようにもなっていて、もはや完全なる共同生命体といえる関係性を築くに至っていた。


 しかし、そんな時、事件は起こった。

 それは家の前で、少女カナンとばったり出くわしたことから始まる。

 カナンはルカキスを見つけると、とても親しげに笑顔で話しかけてきた。だが、ルカキスはその少女を見ても初めは誰だか分からなかった。

 他愛のない会話を続けている内に、それが幼馴染のカナンだと思い出したが、2人の関係性は特に親密なものでもなく、単なる近所の顔なじみに過ぎなかった。

 番長連合にかまけるあまり、最近自宅には寝に戻るだけの生活を繰り返していたルカキスに「この間怖そうな人たちと一緒にいるのを見たけど、脅されたりしてない?」「最近あんまり会えないね……忙しいの?」などと、カナンはルカキスを質問責めにする。

 その会話にわずらわしさを感じたルカキスは、適当に話を切り上げ、早々に自宅へと引き上げてしまった。その時カナンが浮かべていた、とても哀しげな表情を省みることなく。

 だが、その少女カナンのことが、なぜか頭の片隅に引っかかったルカキスは、夕食後ふとそのことを考えてみた。するとそこに、驚愕の事実が見つかったのだ。


 ……いや、実際には無かったのである。

 ある筈のものが無かった。過去、彼女と交わした言葉も、一緒に過ごした日々も、その時に覚えたであろう感情の起伏も、ありとあらゆる思い出という想い出のすべてが、記憶の中から完全に抜け落ちていたのである。

 いや、残っていたものは確かにあった。それは、彼女の名前や家族構成、住んでいる家など。プロフィール的な、表面的な部分はすべて記憶に残っていた。まるで貼り付けられたニセの記憶のようにも感じられる、薄っぺらで空虚なものではあったが。

 

 だが、ルカキスは僅かに覚えていた。彼女と交わした、決して忘れてはならない大事な約束があったことを。しかし、それが何だったのかが思い出せない。どんなに思いを巡らしても、頭の中から出てこない。


 そんなわけがない……

 俺があれを……あの約束を忘れるわけがないっ!


 そんな強い思いが、1つの記憶を手繰り寄せる。そしてそれに触れ、それを掴んだと思った瞬間、それは泡のように弾け、今度こそ頭の中から完全に失われてしまった。

 掴んだ瞬間消えてしまったそこにあったものは、思慕と恋慕、そしていたわりや慈しみの念で織り成された、とても暖かく、とても優しい感情だった。

 ルカキスの年齢から考えても、それはまだ幼く、脆く、儚いものだったかもしれない。しかしとても大切に、そして大事にしまい込まれていたその想いは、確かにそこに存在していたのだ。


 だがそれは、触れると同時に霧散し、そして跡形もなくルカキスの中から失われた。

 それが自分の中から絶対に失われてはいけないものだと、ルカキス自身理解していたのに。そう心の中で強く誓った約束だと、分かっていた筈なのに。


 ルカキスは気づかず、自分が涙していることを知った。だが、ルカキスはその涙を必至で止めようとした。溢れ出るその想いを必死にこらえようとした。

 ルカキスの心はたとえ涙であろうと、もうこれ以上自分の持っているものを何も失いたくない。そんな思いで満たされていたから。


 でも、涙は止まらなかった。

 止めることができなかった……


 そして、悲しみは即座に怒りへと転化する。当然その矛先は、自分の中に巣食う悪魔に向けられていた。

 ルカキスは自分の出せる、あらん限りの声で悪魔の名を叫んでいた。


「マァァァァァァイィィィケェェェェェェルゥゥゥゥ――ッッッ!」


 その名がマイケルだったことは、少し残念だったが、しかしそれは仕方がない。彼が悪魔のことをマイケルと呼んでいたのは、事実だったのだから。

 但し、それがあったせいで俄かにマイケル→悪魔へと降格(?)の憂き目を見たので、以後記載は悪魔とする。


 ルカキスは彼の知るあらん限りの言葉で悪魔を罵倒し、自分の記憶を戻すよう繰り返し命じた。だが、悪魔がそれに応じる筈もなく、ルカキスは喉がかれるまで叫び続けたあと、おもむろに走り出し窓から飛び降りた。


 ルカキスの家は2階建てであり、彼の自室は2階にあった。自殺するつもりで飛び降りたのだが、その高さで死ねる保証はなかった。

 それでもルカキスは飛び降りた。この肉体さえ失えば、悪魔と別れ自分の自由と尊厳を取り戻せると信じて。

 しかし、窓から飛び降りたルカキスが着地したのは、ルカキスの使う寝具の上だった。


 なぜそうなったのか?


 ルカキスはその答えを一瞬で理解した。そして、それを理解した途端、笑い出した。腹の底からおかしさが込み上げてきて、寝具の上で1人笑い転げていた。あまりにも自分が無力で、それがとても滑稽に感じられたから。

 ひとしきり笑ったあと、それが治まると今度は無性に悲しくなった。そして、また怒りが湧いた。

 力任せに家の壁を殴ってみた。今度は邪魔されなかった。しかし、手が少し痛かった。どこかを切ってしまったのか、拳から血も流れていた。

 それでもルカキスは自分の意思で壁を殴り、そのせいで手を傷め、そしてその痛みを感じることに、それらすべてを自分が覚えていることに、愛しさを感じていた。


 翌日からルカキスは学校を休んだ。とても何かをできる精神状態になれなかったからだ。

 ルカキスは部屋で寝転んだまま、何もせずに過ごしていた。腹が減っても、食事すら取らなかった。

 そんな日々が数日続き、このままいけば餓死して死ねるんじゃないか? そんな思いが頭を過ぎった次の瞬間、ルカキスは自分の腹が膨れていることに気づいた。膨れているどころではない。吐きそうなほどの満腹状態だった。

 どうやら悪魔に食べなかった時の分も合わせて、たらふく詰め込まれたようだった。

 一瞬すべて吐き出してやろうと考えたが、報復されるのは目に見えていたので、気持ち悪いほどに満腹だったが我慢することにした。


 それから数日が経ち、ルカキスはまた学校に登校するようになっていた。

 死んだような状態ではなく、外見上ルカキスはわりと普通に見えた。学友とも普通に会話ができるくらい、精神的にも回復していた。僅かに陰りは見えるものの、概ね全快と言っていいぐらいの状態に戻っていたのだ。

 

 ルカキスを回復させるのは、悪魔にとって簡単なことだった。ルカキスが絶望し、怒り狂い、死を決意したあの日の出来事を記憶から消せば、それですべては解決するからである。

 だが、悪魔はそうしなかった。ルカキスを救ったのは、悪魔ではなく鬼だった。ルカキスの中に同居する、天邪鬼という基本性能がルカキスを救ったのだ。


 通常、あのような現実に直面すれば、長期間その精神ダメージは回復せず、或いは一生心に深い傷を負った状態で、生ける屍になってもおかしくはなかった。

 だが、ルカキスはそれを嫌った。誰もがそうなっても、それが許される王道を歩くのを、天邪鬼な精神が拒んだのである。


 拒みたくても普通はそうなってしまうから王道なのだが、ルカキスの持つ鬼は、そんじょそこらの鬼ではなかった。ひねくれ界のプリンスと呼ばれてもおかしくない、類稀なる、由緒正しき天邪鬼だった。

 そんな素養を内に秘めていたルカキスは、絶望の淵から僅か一週間足らずで復帰を果たす。ただ、ルカキスに元あった日常を継続するつもりはなかった。


 番長連合からは脱退し、もう無茶なことをするのは止めた。一般生徒と同じように、普通の学校生活を送ることにしたのだ。

 悪魔とは完全に決別していた。決別したといっても悪魔がルカキスから出ていく筈もなく、それはルカキスの意識内だけの問題だった。

 ルカキスはあの一件で、悪魔の持つ恐ろしい力に気づいたのだ。

 それは、記憶を奪う能力。

 勿論ルカキスは、悪魔が記憶を消す力を持つのは知っていた。しかし、悪魔の能力は、ルカキスが思うより、もっと恐ろしいものだと気づいたのである。


 あの後、カナン以外のことについても、過去の記憶の検証を試みたルカキスは、予想していた通り、かなりの記憶が消失している事実に気づいた。

 整合性を保つため、必要な固有名詞の知識は残っていた。しかし、そのバックボーンのほとんどが白紙に近い状態だった。10歳以前の記憶は、ほぼ無いに等しいと言えた。

 自宅で死んだように暮らしていた間に、様々なことを考えたルカキスは、その原因についても概ね誤りでないと思える見解を得ていた。

 つい最近まで、これほど膨大な記憶の消失を意識したことはなかった。しかし、今現在その記憶は失われている。その間に起こった出来事といえば、ルカキスが番長連合に入り、かなり頻繁に悪魔を呼び出し、肉体の行使を許していたことだった。

 そのことから、悪魔に体を乗っ取られている間は、過去の記憶が失われるのではないか? そんな予測を立てたのである。


 悪魔に体の行使を許していた間の記憶が無いのは、ルカキスにも分かっていた。

 ただ、意識がない時の記憶が無いのは当然のことだし、それぐらいのリスクなら、悪魔を自由にさせるメリットの方が上回る。ルカキスはそう考えていた。

 しかし、違った。

 実際は、悪魔が覚醒している間の記憶が無いのは前提条件であり、その活動時間が延びれば延びるほど、過去の記憶が失われてしまう。 

 人の記憶を貪り食い、それを糧に活動する。悪魔はそんな存在なのではないかという結論に達したのだ。

 そんなことも知らずに、自分は何と愚かな行動をこれまで繰り返していたのか?

 ルカキスは自分の無思慮で浅はかな行動を反省し、そして悪魔との決別を決めたのである。


 決別といっても、悪魔を体から追い出すことはできない。ルカキスは悪魔の存在を極力意識しないようにし、自分は記憶喪失シンドロームという病にかかっていると、思い込むことにした。

 その後も記憶の喪失は幾度かあったが、その喪失量も極めて少なく、意識的に病の一種と受け止めることで、ルカキスはさほど気にせず過ごせるようになっていた。

 それと入れ替わりに一躍脚光を浴びることになったのが、絶望の淵からルカキスを救い、見事立ち直らせた特殊性能、天邪鬼スキルだった。


 言い方はおかしいかもしれないが、ルカキスはこの天邪鬼に傾倒していった。それこそが自分を自分たらしめる唯一のよりどころであり、記憶の喪失に左右されないアイデンティティー確保のため、一層それに磨きをかけることに励んだ。

 そうして誕生したのが、ロボを驚嘆せしめるほどに強烈な天邪鬼性能を保持する、今のルカキスなのである。もっとも、世界大会で優勝していないところを見ると、上には上がいるということなのだが……


 そんな過去を経て、今のルカキスが形成されているのだが、名前の秘密を明かす際、別人格の存在を含めた、ある程度のことは2人にも話さなければならない。

 それはルカキスにとってトラウマでもあるし、認めたくないことでもあったが、この秘密を語る上でもう1点気になることがあった。

 それは過去、記憶の詮索をしていた時に行われた、アクマイザーによる妨害行為である。

 

 ルカキスはそれがあるために、自分でそれを語るのは勿論、そこに他人が干渉しないよう、極力配慮してきた。だが、秘密を打ち明けるのなら、2人に危害が及ぶのは避けられない。そこにルカキスは不安を感じたのだ。

 だが、ルカキスは考えた。それは昼間に起きたドナとの一件である。

 ドナは悪い女だった。ルカキスにとって非常に悪い、性悪女だった。しかし、そうだとしても、アクマイザーとドナを対面させるべきではない。ルカキスはそう思っていた。

 アクマイザーはあの悪名高き、インジャン・ジョーと恐れられた番長を、触れさせもせず倒してしまう特殊能力を身につけている。(俺の体を使って俺の使えない能力を、なぜアクマイザーが使えるんだ? という疑問はルカキスの中にあったが、記憶を奪う能力のように、アクマイザーはオリジナルの付随能力を持っているということで、納得していた)

 悪女とはいえ、ドナをアクマイザーと対峙させ、被害を受けさせるのはさすがに忍びない。それなりに顔も整っているし、女という観点からもそうすべきではない。

 そう判断したルカキスは、自分のおかしかった行動を取り繕う風を装い、話題を逸らしたつもりだった。

 しかし、ドナは乗って来なかった。それどころか、ドナは指摘してきた。行動の不審な点を追求してきたのだ。


 その時、ルカキスは、自分から火に飛び込んで来るのなら仕方ないと判断した。しかし、それと同時に違和感も覚えていた。なぜなら、自分が記憶していない出来事について、他人から指摘を受けたことなど、今まで1度もなかったからだ。

 もしかしたらアクマイザーは、自分の中にその存在があることを、今ではそれほど隠し立てしてないんじゃないか? その時ルカキスはそう思った。

 よくよく考えてみると、強い妨害を受けていたのも警告を受けるまでで、ルカキスがアクマイザーを認識して以降は、隠し立てする必要もない。番町連合から詳細な情報を聞き出せなかった事実もあったが、それでもルカキスは、にごす感じである程度ドナに説明することを決めたのだ。


 その説明を聞いたドナは、それ以上を追求して来なかった。そのことから、何らかの警告があった可能性を感じたが、その後は記憶の喪失も起こらず、従ってアクマイザーが出てくることもなかった。そこにルカキスは、アクマイザーによる強い秘匿の意志はないと感じていた。

 更に今回真相を打ち明けるカリューに関しては、アクマイザーとの面識を匂わせてもいる。ならば、ある程度深い部分まで説明しても、問題無いかもしれない。そうも思われた。

 そんな精神的葛藤を経て、遂にルカキスは全てをあきらかにすることを決意した。

 しかめっ面で、しばし考え込んだ表情を浮かべたあと、ルカキスは2人に決意の眼差しを向ける。そして、ようやくその重い口を開こうとしていたのだ。


 ……え?

 え~、番組の途中ですが、ここで緊急速報をお伝えします。どうやら、読者から複数のクレームが入ったようなのである。

 その内容は『悪魔の名前が、アクマイザーに変わった経緯が語られていないじゃないか! 謀ったのか!?』というものだった。

 この質問に誠心誠意答えるとするならば、私は謀ったりなどしていない。事実ルカキスは、今現在悪魔のことをアクマイザーと呼んでいるからである……密かに。

 ただ、それは密やかな事実であるだけに、その変遷の過程を公にすることは許されない。誰にでも秘密にしていることはあり、たとえ主人公でも、そのプライバシーは守られるべきだと私は考えるからだ。

 いつ変わったのか? なぜ変わったのか? その辺りの経緯については、各々が自分の想像で補完してもらいたい。

 何よりそのくだりを出すことができなかった事実に、1番驚いているのは、斯く言う私なのだから。


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