第死話

死ノ壱


 暁は『夜』に、飴屋からこの国のあらましを聞かされた。飴屋は煙管を吸いながら、響きの良い声で滔々と語った。けっして日が昇らないこの国にも、夜はある。住民は16時になると早々と店を閉め、店舗奥の住居に引きこもり、なるべく出歩かないようにしている。夜は、神々の時間だからと。

〈常夜ノ国〉の夜は、異様とも思えるほどに静かであった。

 しじまの中に、飴屋の話は殷々と響いているようだった。

 異様な話だと、暁は思った。残った片目を大事にしたくて、暁はろくに本を読まずに育ったが、それでも「誰かが書いた伝奇のようだ」と思わずにはいられなかった。それに、どこでどう知ったのか、九尾の狐のことも記憶にあった。とにかくものすごく悪い妖怪という印象を持っていたが、それもクロギツネの仕業だったというのか。

 この国にはそんな化け狐がいて、狐の子たちがいる。

 飴屋も、鍵屋も、人形屋も、みんな白い狐面を壁に掲げていた。きっと鍋屋も。だから……そういうことだ。彼らはシロギツネの力を継いだ眷属たち。

 暁は翌日、飴屋の店舗に入ると、狐面をじっと見つめた。

 祭りの露店で売られているような安物ではない。恐らく木彫りの一点もの。〈良い眼鏡屋〉の狐面が真っ黒になっていたのを思い出してしまう。どんな化粧が施されていたのかもわからず、ただ、壁の色をそのまま通すだけの、ふたつの虚ろな目出し孔が開いていた。

 どうしてクーパーや仕立て屋が、「暁に組合の仕事を手伝わせる」という飴屋と鍵屋の考えに納得いかない様子だったのか、今なら理由がわかる。

〈組合〉に入っているのは町でも特に強い力を持つ者だけ。その仕事は、ニシ町の脅威を退けること。戦争中とはいえ、ヒガシ町の住民は元来平和を好み、日々善行を心がけているためか、自ら仕掛けることはない。降り掛かる火の粉を払うだけだ。

 ニシ町の住民はまったくお構いなしだ。無軌道に、ときには用意周到に、ヒガシ町に襲撃をかける。

 最近は襲撃が頻繁になってきていた。組合の仕事は増えるばかりだという。

 いつどこからクロギツネの眷属が襲ってくるかわからない。だから、暁はひとりでは出歩かないほうがいいというのだ。

 暫があればなんとかなりそうな気がしていたが、飴屋たちの仕事を増やすのは気が引ける。暁はひとり歩きはしないと飴屋に約束した。飴屋たちも、暁の護衛は苦ではないと言っていた。仮に飴屋たち組合員の手が回らなくても、クーパーがいる。

 暁が飴屋の狐面を見つめていると、そのクーパーがやってきた。

「おはようさん。たこ焼き食うかー?」

 またたこ焼き片手だ。しかも暁にすすめてきたパックの中にはもう3個しか入っていない。

「おはよう。さっき朝ごはん食べたばっかりだから、わたしはいらない」

「さよか? ほんなら俺ぜんぶ食うで」

 ものすごく嬉しそうに、クーパーはたこ焼きを1個口の中に入れた。

 暁は、出入り口の前に停まっているミニ・クーパーを見た。

「!」

 つかつかと大股で店を出て、緑色の車に近づく。

 やはりだ。ぴかぴかの車体に、爪痕がいくつかついていた。昨日の〈悪い眼鏡屋〉が放ったわけのわからないものが、しがみつこうとしていた証。

「どないした急に」

「傷がついてる」

「ああ、昨日爪立てられたからなあ」

 他人事のように呑気な答えが返ってきた。暁はそれが意外だった。クーパーはミニ・クーパーであることに誇りを持っているようだったし、車体は顔が映るくらいぴかぴかなのだから、傷がついたら落ち込むだろうと思っていた。

「直さなくていいの?」

「お。なんや心配してくれてんのか?」

 クーパーはまた嬉しそうな顔をして、右腕の袖をまくり上げた。

 白い肌に、赤い傷がくっきり刻み込まれていた。

「こんなもんそのうち直るわ」

「え。勝手に?」

「せや、俺妖怪やからな! まあ、ほったらかしても直るんはキズとかヘコミくらいやけど。エンジンルームの中身いわしたら、さすがに直さんとあかん。お前もハラワタおかしなったら、自分で治さんと病院行くやろ?」

「…………。そう。よかった」

「お前は?」

「わたしは大丈夫。どこもケガしてない」

「ほうか。飴屋もおったけど、お前ほんま強いんやなあ」

 暁はクーパーの笑顔から目をそらした。なんだか照れくさかった。男からは、かわいい、美人だと言われるより、強いと言われたほうが嬉しかった。

 飴屋はヒガシ町で最も強い力を持っているらしい。だからこその組合長だ。組合組合とみんな言っているが、活動内容のことを考えると、軍隊と言ったほうが正しい気がする。飴屋は隊長といったところだ。

 そんな組合の仕事は、本来、女がやるべきことではない。しかし暁は、「女は男に護られるもの」「女だてらに」「女のくせに」――その手の扱われ方が大嫌いだった。

 自分の身は自分で守る。そのためには、男より強くならねばならない。

 さすがに戦いのプロの男にはかなわないだろう。軍人だとか、格闘家だとか。しかし、そんじょそこらのろくに鍛えもしていない男よりは、強くなったつもりだ。

 クーパーから目をそらした先には、飴屋がいた。なぜか面白そうににやにやしている。

「パーやん。今朝もちょっと軽く送ってくれないか?」

「かまへんよ。どこ行くんや?」

「無線屋だ。昨日行く予定だったが、眼鏡屋の件で流れちまっただろう?」

「ああ、せやったな。ほんなら暁も乗れ」

 ぱくっ、とドアが2つ開いた。

 飴屋はすっと後部座席に乗り込んだ。昨日は助手席だったが、今日はそういう気分なのだろうか。暁は助手席に乗ってシートベルトを締めた。

 町の様子を眺める。昨日の混乱が嘘のように、誰もかれも平然としている。店先をほうきで掃き、店内から品物を出して、今日の商売を始めようとしている。昨日の朝も見た光景だ。

〈良い無線屋〉の店までは、5分くらいだっただろうか。この町はさほど広くはないようだ。半日あれば表立った通りを歩き通せるかもしれない。暁はジョギングでひとまわりしてみたくなったが、ひとりで出歩くのを実質的に禁じられているので、あきらめるしかなかった。さすがにジョギングには誰も付き合いたくないだろう。

 無線屋の店は、店舗の中は電器屋によく似た雰囲気だった。しかし店の外には、電器屋にはない――と言うより他のどの店にもない――大きな特徴があった。裏に手作り感あふれる大きな鉄塔がそびえ立っているのだ。高さは12、3メートル。日本の電柱くらいだろうか。

 はしごがついており、てっぺんには粗末な足場と屋根がある。そして、大きなスピーカーが3つもついていた。物見櫓かもしれない。裸電球が櫓を照らしている。

 暁たちが車から降り、飴屋を先頭にして店内に入ると、

「あ゛あああぁぁぁああああああ飴屋あぁぁぁあ!!」

 店の奥からものすごい勢いで男が突進してきた。

 話に聞くニシ町の住民が襲ってきたのか、と暁は身構えてしまったが――その男は、額を叩き割りそうな勢いで飴屋に土下座した。

「ごべんなさい! ずいばぜん! おれがばかだったばかでじだばかだっだああっ」

「おいおい、無線屋」

「飴屋っほんとすまんっおれがっおれが寝てたからっこのばかっばかっ」

「落ち着け。ほら飴でも舐めて」

「飴だっ」

 暁は顔を引きつらせて無線屋を見下ろしていたが、そのうちクーパーと顔を見合わせてしまった。クーパーも顔が引きつっている。飴屋の様子を見るかぎりだと、これがいつもの無線屋のようだが。

 飴屋が差し出した大きな青い飴を口の中に入れ、無線屋は半べその状態で立ち上がった。

 と同時に初めて暁の存在に気づいたらしく、かっと目を見開いた。

「あわばっ!? あっ、あ、あまてらっあっ」

「飴を呑んじまうぞ」

「っ、天照っ」

 無線屋は、今まで暁が出会ったヒガシ町の住民の中で、いちばん若いように見えた。とは言っても、20代なかばといったところだが。

 時計屋と同じく、白人男性だ。はっきり言ってしまえば……時計屋よりも……無線屋のほうが小汚い。顎には無精髭の剃り残しがある。ぎょろっとした大きな目は、黄色のような緑色のような不思議な色――ヘーゼルだ。身体は痩せていてちょっと貧弱なうえ、かなり猫背だった。

 態度も完全に挙動不審だが、なぜか憎めない。それに、悪いやつではなさそうという雰囲気をひしひしと感じる。

「火野坂暁です。よろしく」

「むっ、む、無線屋だ。〈良い無線屋〉。無線売ってる。あと機械いじりできる、電器屋と同じくらい得意だ。な、なんかこ、壊れたら持ってきな。飴といっしょに」

「飴好きなんですか?」

「け、けえごいらない」

「飴好きなの?」

「飴屋のブルーハワイ味」

 無線屋はぱかっと口を開けた。真っ青な大玉の飴が舌の上にあった。

「さっきなんで謝ってたの?」

「う。おれが、ね、寝てたのが悪いんだ」

 暁は入れてはいけないスイッチを入れてしまったらしい。無線屋の目がみるみるうちに真っ赤になっていった。飴屋がすかさず、彼のかわりに説明を始めてくれた。

「店の裏に鉄塔があっただろう。あれはサイレンなんだ。物見櫓としても使えるが。こいつは立ち回りは不得手だが、クロギツネの子の『気配』を無線で傍受できるんだ。だから襲撃を前もって察知したときは、サイレンを鳴らして知らせてくれる」

「でも寝てたんだっ、き、きのうは朝まで起きてて、そのせいで寝るの遅くなって、だ、だから寝てるうちにニシ町のやつらが」

「おまえさんひとりがずうっと寝ずの番をするのは無理な話だ。寝るのは当たり前だし、仕方ないだろう。クーパーだって寝るんだぜ? おれは怒ってないし、誰も責めないさ」

「うう……でも……でも……」

「そんなことよりおれがこまっているのは、おまえさんが今月分の組合費を払ってないことだ」

「うそぉお!? おれ払ってなかったぁあ!? うわああごめん! すいませんすいません!」

 無線屋はいろいろなものにつまずきながらカウンターの裏にまわり、くしゃくしゃの札を3枚持ってきて、飴屋に渡した。確かに、と飴屋は微笑みながら袖の中に収める。

 カウンターの奥の壁には、白い狐面がかかっている。波長グラフに似た化粧が施されていた。ちょっとななめに傾いている。

 ブルーハワイ味の飴を転がしながら、無線屋はちらちらと暁を見ていたが、意を決したように口を開いた。

「あ、暁。あんたあの世から、き、来たんだよな」

「そういうことになるみたい」

「じ、じゃあ、その、〈ドーン・コーラス〉聞いたことないか?」

「ドーン……なに?」

「ドーン・コーラス」

 無線屋は真剣な眼差しで暁を見つめてくる。まばたきをしたあとの彼の目の色が、くっきりとした金色に変わった。飴屋はちょっと苦笑いしていた。

「よ、夜明けになると、無線から、と、鳥のさえずり、みたいな音が聞こえるらしい。でもそれ、と、鳥じゃないんだ。星の……太陽の……う、宇宙の音なんだ、それは、か、科学的に証明されてる、聞こえるって。ドーン・コーラス。よ、夜明けそのものの合唱。おれは、それ聞きたいんだ。でもここは、ここは、よ、夜しかないから無理なんだ」

「そんな現象があるんだ。不思議ね」

「き、聞いたこと、ないか?」

「無線は今まで見たことすらなかったし……。ごめん」

 暁がかぶりを振ると、無線屋は心底残念そうに目を伏せた。

「こいつは今まで出会った天照全員に同じ質問をしてるんだよ。でも、全敗なのさ」

「お、女は、無線に興味、ないもんな。しかたない」

「そうね、そんな話初めて聞いた。でも、わたしも聞いてみたいかな」

「そ、そうか。天照は、みんな聞いたことないって答える、けど、みんなそのあと、き、聞いてみたいって、言ってくれるんだよ、な」

 無線屋はそこで初めて笑った。

 とても無邪気で、嬉しそうで、子供みたいな笑顔だった。

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