拾壱ノ死

 

「今晩は、〈良い飴屋〉様、〈良い鍵屋〉様。町のトップ2と御目見得でき、まことに恐悦至極に御座います」

 低く、なめらかで、年配の男のバリトン。男でさえうっとりするような美声だ。しかしその美声を汚すものがある。無数の蟲の羽音と脚の音。

 ひと目でただものではないとわかる男だった。身長は2メートル以上あるだろう。体格はほっそりとしている。シルクハットをかぶり、恐らくは、燕尾服を着ている。

 恐らく、というのは。

 男の全身を漆黒の蝿と死出虫しでむしが覆っているために、彼の輪郭がはっきりしないためだ。特に顔にはびっしりと死出虫が群がり、目鼻立ちさえわからない。顔そのものがもじゃもじゃと蠢いているかのよう。

 飴屋や鍵屋と目が合うと、男はシルクハットを取り、優雅におじぎをした。ぼたぼたと、その顔や頭から虫どもが落ちる。きれいに撫でつけられた黒髪には、無数の虱が湧いている。

わたくしは、トコヤミサアカス座長に御座います。当サーカス団の妙技、お楽しみ頂いておりますでしょうか」

「ああ、存分に堪能した」

 飴屋は笑わずに皮肉を返した。

 座長の顔が笑みに歪んだ、気がする。筋肉が動いたことで、蟲の位置が微妙に変わったのだ。

 彼の背後には10人ほどで構成された音楽隊がいた。どの楽器も毀れている。そしてどいつもこいつも腐っている。どろっと濁った白目を剥き、膨れ上がった黒い舌を出し、例の音楽を奏でている。しかしその音量きかなり控えめだ。座長の声を遮らないようにするためか。

「ニシ町の住人ではないな」

「ええ、ええ、仰る通り。我々は世界を股に掛けています。世界から世界へ、次元から次元へ、終わりなき興行の旅を続けております。大いなる〈ドオーム=レヴ〉の御業みわざを顕現する為に。――おお、そうでした。御二方は大いなるドオーム=レヴを御存知でしょうか」

「いいや。知りたいと思っていた」

「成程成程。それでは僭越ながらお話し致しましょう」

 座長は芝居がかった仕草で両手を広げた。もしかすると、これは本当に芝居なのかもしれない。台詞回しはこなれていた。何十回も、何百回も、同じ噺をしてきたといったふうに。

「おお、偉大なる神ドオーム=レヴ! 指し示す者、光を呑み込む者、外空ゲクウより誘われし者、蠢く無貌の闇。かの御方おんかたは複数の次元複数の時間に同時に降臨する事も出来ます。但し、其れは其処に濃密な『絶望』がたゆたう場合のみ。絶望と常闇を司るドオーム=レヴは、絶望と常闇の概念そのものと言えるでしょう」

 座長は背後の音楽隊の向かって片手を広げた。

「我々トコヤミサアカスは、全ての団員がドオーム=レヴの敬虔な信者です。大いなる神を召喚する儀式があれば、その地に向かい、濃密なる絶望を神に捧げるのであります。神は必ず応えて下さいます。代償と引き替えに、ドオーム=レヴは降臨した世界を引き裂き、過去と現在と未来の全てから消し去って下さるのです!」

「――それが、あの小僧の目的か……」

 飴屋はつぶやいた。座長がまたゆっくりと微笑む。

「この常夜ノ国のどこかで、その神を喚ぶ儀式が執り行われたということだな?」

「正確には、まだ儀式は完了しておりません。我々は前座に御座います故」

「代償と引き替えに世界を壊す、と。妙な話だ」

「願いを叶えると云う行為は、必ず代償を伴います」

「世界の死を神に願うやつがいるというのか?」

「左様に御座います。実に大勢いらっしゃいますよ。我らが大いなるドオーム=レヴは、我々等及びも付かぬ引っ張りだこ。引く手数多の存在なのです」

「この世界は……他の世界のためにも、なくてはならないものだ」

「お言葉ですが、なくてはならないものなど、ただのひとつも御座いません」

 座長は悠然と断言した。飴屋を嘲笑うでも、憐れむでもなく。それが真理だと確信している。

 なくてはならないものなどない。

 すべてのものは、いつか死に、腐って崩れ、消え失せて、すべてから忘れられる。

 この常夜ノ国とて、そうだというのか。

 狂った神が居座り、水子が流れ着き、時折若いむすめを引きずり込む世界。ここのものを食べたが最期、死んでも出られなくなる世界。永遠に終わりそうもない、善と悪の戦いが続く世界。

 ああ、確かに。確かにそうだ。

 こんな世界は「なくてもいい」どころか、「ないほうがいい」のだ……。

「だが、大勢が生きる世界を壊す権利は、誰も持っちゃいない」

 飴屋は和鋏を撫でた。

「おれもこの世界は好きじゃあないが、この町に住む連中はみんな好きだ。気のちがったお狐様に代わって、守り神になりたいくらいさ。理由なんかない。そういう性分なんだろうなあ」

「お気持ちお察し致しますよ。私にも愛する存在はおります故」

「悪いな、座長。おまえさんが愛する神とは、今回ばかりは引き合わせたくない」

 飴屋の殺気は、座長に伝わったようだ。

 ぶぶぶぶぶぶ、と、座長の身体と顔に群がる蟲どもの動きが激しくなる。体内から這い出たものか、白い蛆がその漆黒の群れに加わり始めた。

 その蛆はぼとりぼとりと地面に落ちると、たちまち蛹になり、たちまち羽化した。現れた蝿は異様に大きい。どんな蟲よりも大きい。透明な翅には髑髏のような模様が浮かび上がっていた。

「鍵屋」

 鍵屋のチェーンが動く音を聞き、座長から目を離さないまま、飴屋は呼びかけた。

「世話になったな」

「飴屋、君ッ……」

「暁とクーパーの仲人を頼む。おれはもう

「飴屋!」

「――さあ、るか、座長」

 飴屋はぽとりと和鋏を落とした。

 もう必要ない。



 屍、骸、死体、死骸。瓦礫。紫と桃と緑と灰の空。

 ヒガシ町はこんなところではなかった。

 ここ16年店に引き篭もりがちだったけれど、こんなところではなかったと人形屋は断言できる。ここは……良いところだった。戦いの中にあっても、良いところにはちがいなかった。

 皆優しく、そっと、人形屋を見守ってくれていた。

 粉物屋の死体を見た。頭にテコを突き立てられて、全身にバトンを突き立てられて、右腕は吹っ飛んでいた。つい1時間前、暁とクーパーの後ろに並んで、彼からねぎ焼きを買ったのがとても信じられなくなった。

 この気持ちはなんだ。

 ああ、悔しい、のだろう。

 憎悪とはまたちがう方向の怒り。

 戦闘能力の強さから、人形屋は組合で重宝されていた。それでも、結果はこれだ。ろくに護れもしなかった。絶望と破壊の前では圧倒的に無力だった。

 弔う気持ちを持ちながら、人形屋は骸を跳び越え、修理屋に走る。目抜き通りには動く人影がない。ヒガシ町の住民は皆死んでいる。不幸中の幸いは、サーカス団員や魔獣の類もあまり見当たらないことだ。

 出くわしたサーカス団員は〈俤〉で斬り刻んだ。

 でも、〈俤〉も……疲れている。美しい長い黒髪もざんばらに乱れ、粉塵で汚れている。全身血みどろ。腕はもう2本がだめになってしまった。刀もすべて刃がこぼれ、ひと振りはなかばで折れている。

〈俤〉に使っている髪は、キリエのものだ。略奪からちょうど1年後、人形屋のもとに届けられたもの。その日、人形屋は荒れた。駆けつけた飴屋と無線屋を殴ってしまったし、鍵屋も巻き込まれて怪我をした。それは……反省している。

 届けられた髪には、まだ生々しい頭皮がこびりついていた。

 生きていたのか。キリエは、この髪を剥ぎ取られるまで。

 赤い狐面の少年や修理屋からキリエの末路を聞かされる前に、人形屋は悟っていた。ニシ町で1年近く、キリエが生かされていたこと。その間、キリエがどんな扱いを受けていたか。

 復讐のために、人形屋は〈俤〉を造った。戦いにはまったく必要ないのに、一瞬で鬼の形相に変わる、ガブというからくりに力を注いだ。キリエの髪に油を塗り、整え、〈俤〉のかしらに植え付けた。ひと房ひと房。場所によっては、1本1本。

〈俤〉が完成すると、キリエがそばにいてくれているような気がした。髪には想いが宿るというからか。

 でも、おかげでキリエのことをいつまでも忘れられないのだ。

〈俤〉の関節からいやな音がし始めている。が毀れてしまうのは忍びない。修理はできるが、……この先、修理するときは来るのだろうか。

 修理屋に辿り着いた。入り口は破壊されている。焦げ痕もあった。

「修理屋!」

 呼びかけながら中に飛び込む。死体はない。

 人形屋は店の奥に進み、住居部分に入った。こちらはほとんど無傷だ。

「おい、修理屋! 死んだのか!?」

 台所に飛び込む。それと同時に、ひゃあっと情けない声が上がった。

「修理屋! 生きているなら返事くらいしたらどうだ」

「こっ、こここ殺さないでくれ!!」

「莫迦が。殺すものか」

 吐き捨ててから、自分の言葉にまるっきり説得力がないことに気づいた。彼を一度殺しかけたではないか。

 修理屋はがたがた震えながら包丁を握りしめていた。人形屋は戦意がないことを示すために、〈俤〉の形相を素に戻した。

 が、完全には戻らなかった。角が引っ込まなくなってしまったようだ。

「クーパーが手ひどく痛めつけられた。暁はさらわれたようだ」

「え」

「頼む、クーパーを直してくれ。道中、己がおまえを護る。……頼む、〈良い修理屋〉。このとおりだ」

 人形屋はその場に正座すると、修理屋に向かって頭を下げた。

「おまえに許してもらえるとは思わない。だから、暁とクーパーのために力を貸してくれ。もう天照を不幸にはしたくないんだ!」

「わ……、わかったよ。……もういいよ」

 人形屋が顔を上げると、修理屋は戸惑った顔で包丁を下ろしていた。彼は怖々と〈俤〉を見上げると、立ち上がって手を伸ばした。

 さらさらと、修理屋の手が〈俤〉を撫でる。みるみるうちに、〈俤〉の美貌が戻っていく。

「オレも……なんにもしなくて、悪かった。助けてやれば……せめて楽にしてやればよかったのかな……。あんたのキリエを」

「…………」

「こんなにきれいな天照だったんだな」

「ああ」

 修理屋はため息をつくと、戸口のほうに顔を向けた。

「修理なら任せてくれ。で……、遠いのか?」

「走って10分少々だ」

「遠いじゃねえか! ああ終わった!」

「己が護ると言っただろうが。それは置いていけ。かえって危ない」

 修理屋はためらったようだが、素直に包丁を床に置いた。

 彼とともに店を出る。

 ひッ、とまた修理屋が情けない声を上げた。

 サーカス団員が……、ひい、ふう、みい、よ、いつ、むう、な。

 人形屋と修理屋の会話を聞きつけたのか。血みどろのお面で顔を隠しているが、にやにや笑っているのが手に取るようにわかる。

 バシャッ、と〈俤〉の形相を変える。鬼の顔をもってしても、彼らの心胆を寒からしめることはできない。

「これ詰んだだろ」

 修理屋が背後で呆けた声を上げた。

「人形ひとつでどうにかなるのか?」

「――人形がひとつ? 何を言っている」

 人形屋は両手の指をわらりと動かした。10本すべてに、白い輪が嵌まっている。人形を繰るための輪だ。

「物言わぬならば、そこらじゅうにある!」

 人形屋の双眸が、ぎらりと金に光る。

「!!」

 起き上がった。

 死んだ狐の子たちが。

 ひい、ふう、みい、よ……。

 全部で15体。〈俤〉も合わせれば、これで人形屋が繰る『人形』は16体。

 どん、と右足を前に出し、人形屋は指を広げた手を振るう。見栄を切るように、あるいは優雅に舞うように。

 頭を割られ、心臓を抉られた、かつての隣人たちは、皆人形屋の思いのままに動いた。サーカス団員に襲いかかり、素手で引き裂き、叩き斬る。

 向こうも抵抗した。死体は斬り刻まれ、叩き潰された。だが、死体は他にいくらでもある。べつの死体を起こせばすむこと。やつらが殺しすぎたのが運の尽き。

 あとから何人か増援は来たものの、サーカス団員はものの数分で殲滅した。

「すまんな、皆の者。礼を言う」

 しゅッ、と人形屋が両腕を振り下ろせば、操っていた屍はすべて同時に地面に倒れた。操り人形の糸を切るように、とはよく言うが、まさにそのとおりの光景だ。

「片づいた。行くぞ」

「はい」

 ちらと人形屋が見た修理屋は、完全に瞳孔が開いていた。走り方もなんだかぎこちない。

 人形屋は走りどおしだったし、人形を操る能力は際限なく使えるわけではない。ここで休めばもう立ち上がれなくなる気がした。疲れているということを考えたくもなかった。

 だが、また、音楽が聞こえる……。

 狂った音楽が始まっている。

 がっくりと全身から力が抜けていくような感覚を、人形屋が無理やりはねのけたときだった。

「え……、あ、おい! あれ……!」

 修理屋が、向かう先を指さした。常夜の中に、ぼんやりと白い光が生じるのが見えた。

 まだ正体不明の魔獣は2匹とも生き残っていて、光のすぐそばで身体を揺らしている。

 かと思っていたら、爆音とともに2体とも燃え上がり、その漆黒の身体の大部分が爆ぜた。

 獣の遠吠え。

 ぶわッと広がる、白い8本の光の帯。

 いや、それは、

「八尾」

 人形屋はつぶやく。今このときばかりは、修理屋と同じように呆気に取られるしかなかった。

「あれは飴屋だ」

 象や怪物よりも大きな、どんな建物よりも大きな、白々とひかる、それは八尾のシロギツネ。

 白狐。

 怒りと覚悟に任せてそのすがたになれば、もう狐の子はもとに戻れない。

 白狐の左目は金色。右目は飴色。目のまわりには、瞳と同じ色の隈取り。

 まばゆいほどい美しく、神と見まがうほどに崇高な狐は、〈良い飴屋〉にちがいなかった。

 狐が発する光が増幅したかと思うと、かれの前方が、ひと息に燃え上がった。爆発した。

 音楽は――やんだ。


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