拾壱ノ惨


 人形屋はすぐに見つかった。彼も飴屋や鍵屋を探して、目抜き通りに向かっているところだったようだ。人形屋は無傷らしく、着物には汚れもほとんどない。だが、鬼の形相の〈俤〉は、まるで真紅の振り袖を着ているかのようだった。白面も腕も刀も血まみれだ。腕は1本壊れてしまったのか、だらりと垂れ下がっている。

 飴屋と鍵屋の姿を認め、人形屋は無表情でため息をついた。

「やはり無事だったか。ひどい乱痴気騒ぎになったものだな」

「人形屋! おまえさんを探していたところだ」

「己を? 暁とクーパーを探すべきだろうが」

「いや、それは大前提というやつさ。今は少しでも戦力が欲しいところだからなあ」

「鍋屋はどうした」

 飴屋は笑みを消してかぶりを振った。人形屋の金色の目が大きく開く。しかし悲報を聞く前から、彼の瞳は狐のものだった。表情はほとんど動かず、言動も冷徹そのものだが、彼もまた怒っているのだ。

「……こうなる1時間ほど前に、暁とクーパーとばったり会った。粉物屋でたこ焼きを買っていた」

「そのあとは?」

「ふたりで酒屋の仕事の手伝いをしに行くと」

「酒屋の仕事か。配達だな。となると、町の中にいるのは確かか」

「〈カナイの丘〉にでも行っていれば良かったんだ」

 人形屋は眉をひそめて毒づいた。しかし飴屋はうっかり笑ってしまうところだった。ふたりが町の東の果てによく行くことを、人形屋も知っていたとは。彼もふたりを陰から見守る者のひとりだったということだ。

 地響き。

 3人は同時に同じ方向を見る。

 わけのわからない、樹なのか生き物なのかわからない三本脚の怪物が、こちらに近づきつつあった。飴屋が倒した象よりも大きい。何本もの触手の先には、串刺しにされた住人の死体がぐったりとぶら下がっている。

 よく見れば、その怪物も象と似たように着飾っているのだった。真っ黒な皮膚に、薄汚れた絨毯の刺繍がやけに映える。こんな化物でも、サーカスの花形なのだろうか。しかしその刺繍もまた、わけがわからない柄だった。じっと見つめていると、目も頭もどうにかなりそうになる。

 怪物に目らしきものはなかったが、飴屋たちを見たのがはっきりわかった。

 ちっ、と人形屋が舌打ちした。〈俤〉では手にあまるし、鍵屋の鍵は射程がさほど長くない。ここは逃げるくらいしか打つ手がなさそうだ。

「とりあえず酒屋だ」

 飴屋は言う。

 3人は別々の方向に逃げた。

 ここから酒屋までは走って7、8分。

 巨大な管楽器が立てるような低音が、黒い化物の咆哮だった。空気そのものがびりびりと震え、しびれのような感覚が飴屋の肌を打つ。

 ごう、と今度は本当に空気が唸った。樹の幹のような触手が、飴屋の背後の地面を抉った。怪物は飴屋を追うことにしたようだ。誰が『長』か見抜いたのか。それとも、知っているというのか。

 飴屋は振り向きざまに和鋏を閉じる。

 ぢょっ・きん。

 まただ。

 切断しきれない。

 右手に痛みさえ走る。

 怪物の触手の一本は皮と肉の一部でまだ繋がっている。脚を止め、怪物は吼えた。飴屋は右手に力を込める。ようやく、触手が1本落ちた。

 硬くて斬れないのではない。単純に、〈アトロポス〉の効果が薄いという様子だ。次元が絡む攻撃に対して耐性があるのか。飴屋は立て続けに五度ほど和鋏を握って確信した。効きにくい。

 あんなばかでかいものをこんな町の真ん中で燃やしたくはない、が。

「そうも言っていられんか」

 飴屋は立ち止まり、息を吸い込んだ。

 ふッ!

 黒い樹はひと息に燃え上がった。

 建物の窓枠もがたがたと揺れるほどの大絶叫。飴屋は思わず首をすくめた。大きな音はご遠慮願いたい。こちらは狐なのだから。

 赤々と燃える怪物は、ものすごい悪臭と黒煙を放ちながら暴れ回った。木造ばかりの建物に、たちまち燃え移っていく。

 だが、べつにいいじゃないかと思っている飴屋がいた。ここまでさんざん壊され、さんざん殺されてしまったのだ。今さら、大火が拡がったところで何か問題なのか。

 束の間そうして投げやりになった飴屋だったが、気を取り直し、すっと息を吸った。

 生き物が生きたまま焦げる悪臭と黒煙だけを残し、赤い狐火は消え失せる。

 怪物はまだ生きていた。凶悪な口からだらだらと血なのか涎なのかわからない液体を垂れ流し、ふらふらしている。幸い、飴屋を追う気力は今のところないようだ。

 飴屋は再び走り出した。

 ふと気づく。

 音楽があまり聞こえなくなってきた。



 酒屋はめちゃくちゃに潰れていた。押し潰されていた。酒の匂いが漂っている。店内の酒瓶は、きっとすべて割れてしまっただろう。〈良い酒屋〉の姿もなく、威勢の良いどら声も聞こえない。店内にいたとすれば、恐らく酒瓶と同じ運命だ。

 6年前までオート三輪が収まり、つい最近まではミニ・クーパーが居候していたガレージも、完全に壊れていた。見たところ、瓦礫のあいだから垣間見えるのは、潰れたオンボロのオート三輪だ。クーパーが出て行ったので、ここは再びオート三輪のものになっていたのだろう。

 飴屋が辿り着いたときには、鍵屋も人形屋もすでにいた。人形屋が珍しく血相を変えていた。飴屋はいやな予感がした。これ以上問題が起きてもこまるのだが。

「クーパーがいたぞ!」

「暁は!?」

「……ッ!」

 人形屋は激しくかぶりを振った。

 飴屋の全身を、ぞくりと悪寒が走る。

 人形屋が走った先は酒屋の近くの路地だった。

 ミニ・クーパーは――

 あちこちへこんで、傷だらけになっていた。左のヘッドライトが割れている。フロントガラスは割れ、運転席は血まみれだった。ドアはふたつとも開いている。運転席側のドアの下に、血だらけになったクーパーがうつ伏せに倒れていた。

「クーパー!」

 飴屋は駆け寄り、抱き起こす。身体は熱を持っていたが、意識はないようだった。……息もしていない。もとより呼吸など必要ない身体だが。

 飴屋は本体を見た。車には詳しくないが、ボンネットの中身は無事そうだ。どんなに傷がついてもエンジンが生きていて、走ることができるなら魂も消えないだろう、という無線屋の見解を覚えている。

 クーパーの身体を仰向けにして、飴屋はまた、ぞくっとした。

 クーパーの左目には、床屋が使うような銀色の鋏が突き刺さっていた。左胸には、見覚えのある透明な裁ち鋏。クーパーの血によって、不可視の鋏の大きさもかたちもはっきりわかる。

 首を刎ねられれば意識を失う彼だ。心臓を貫かれても気絶するのかもしれない。

 飴屋は2挺の鋏を引き抜いた。

「クーパー!」

 もう一度、大声で彼を呼んだ。

 ひゅうっ、とクーパーが大きく息を吸い込んだ。左胸の傷口から、どくりと血があふれ出す。左目は潰れたまま。右目はかろうじて開き、飴屋をとらえる。

「飴……屋……!」

 血まみれの手が、飴屋の二の腕をつかんだ。クーパーは自分が馬鹿力であることを忘れたのか、飴屋の顔が思わず歪むほど強くつかんでいる。

「あのガキと……胴元が……暁、を……」

「なに、胴元までいたのか!?」

「ハコスカに……乗っ……」

 げぼっ、とクーパーは大量に血を吐いた。咳はその一度だけでは終わらなかった。彼の咳に混じるのは、血だけではなくなっていく。煙が……。

「……あき……ら…………ッ……」

 飴屋の二の腕をつかむ手から、力が抜けていく。

 ぱすっ、と彼の本体から音がした。ボンネットの隙間から、わずかながら白煙が漏れ出ている。クーパーはまた気を失ってしまったようだ。目と胸の傷が治る様子もない。

「人形屋!」

 飴屋は顔を上げる。人形屋は……、青褪めていた。彼ならクーパーの気持ちが痛いほどわかるはずだ。また見えない傷を抉られたかもしれない。だが今は、いたわっている場合ではなかった。

「修理屋を呼んできてくれ。クーパーの足が必要だ。おれと鍵屋でこいつを守る」

「……判った」

 修理屋と人形屋はしがらみがある。しかしそれも、今は言っていられない。人形屋は何かと融通が利かないのが玉に瑕だが、さすがにわきまえてくれた。とはいえ、気が進まない様子に見えなくもなかったが。

 人形屋は走り出した。〈俤〉は……どこかに置いてきたのか、しまっているのか。喚べば来るとはいえ、戦いのときにあの人形と離れている人形屋を、飴屋は久しぶりに見た。

 人形屋の背を見送ると、飴屋はクーパーをそっと車の運転席に乗せた。彼なら、寝床や地べたより、ここのほうが落ち着くだろうと。

「飴屋」

「ああ」

 静かに鍵屋に呼びかけられ、飴屋はゆっくりと車内から身体を引き抜く。

 空気が変わっていた。

 唸りが聞こえる。

 ぶんぶんぶんぶん、という、それは羽音。

 蜂の群れ……、いや、蝿の大群が近づいているような。

 狂った音楽は、はるか彼方で、ささやきのように繰り返されている。

 そして、彼は、現れた。

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