拾壱ノ弐


 奇怪な咆哮。飛び散ってくる破片。小さな木片が飴屋の頬にぶつかる。

 魔獣遣いの哄笑とともに、象は飴屋に近づいていた。目抜き通りは、かれが作り上げた瓦礫だらけだ。

 鼻と言っていいのか触手と言っていいのかわからないものが伸びてくる。

 ちょきん、と切断する。

 象が痛みと怒りに満ちた声を上げ、後足で立ち上がった。鞍のうえの魔獣遣いは慌てるでもなく怒るでもなく、ただ笑い続けている。笑いながら鞭を象に当てれば、象はすぐに前脚を下ろして、ぶるりと大きな頭を振った。

 ぢょっ・きん。

 飴屋の右手に、今まで感じたこともなかった負荷がかかる。象の前脚を切断しようとしたのだが、あまりにも硬すぎたか、大きすぎたか。切断までは至らなかった。ただ、がくんとその巨体が傾いだ。

 飴屋はその隙に逃げた。

 はす向かいの店へ。

 そこは今、クーパーと暁の家。

 目と鼻の先なのに、走って辿り着くまで時間がかかったような気がした。この自分が焦っている。飴屋は笑ってしまいそうになった。

 元仕立て屋の店舗は無事だ。裏にまわる。首が折れた道化に出くわした。腰にいくつもいくつも生首をぶら下げている。どれもこれも、飴屋が知っている顔だった。道化はわけのわからない声を上げながら大鎌を振り上げた。

 ちょきんちょきんちょきんちょきんちょきんちょきんちょきん!

 飴屋は口を引き結び、生首の数だけ和鋏を閉じる。閉じるたびに飴屋の望む場所の次元が閉じて、道化の身体は切断される。しまいには、道化はいくつもの肉塊になってその場に崩れ落ちた。

 肉塊を跳び越え、飴屋は仕立て屋の裏の空き地を覗く。

 ミニ・クーパーはそこになかった。排気ガスの匂いもない。サーカスが到来するだいぶ前に、ふたりはどこかに出かけていた様子だ。

 怒り狂った象と魔獣遣いの笑い声が近づく。飴屋が足を止めて空き地を見たのはほんの一秒。細い路地裏に駆け込んだ。

 次の目的地は鍵屋。走り通しでも10分はかかる。クーパーがいれば……。

 ふたりは町の中にいないかもしれない。東のはずれの〈カナイの丘〉が好きなようだから。

 そばの建物が崩れた。象が突進してきたのだ。飴屋の姿が見えようが見えまいが関係ないらしい。町ごと押し潰せばいいと考えているのだろう。

 飴屋は瓦礫の破片を避けながら目抜き通りに戻った。

 死屍累々とはこのことだった。

 倒れている人びとは皆知人と友人。崩れている風景は、毎日そこにあって当たり前の日常そのものだった。

 飴屋の胸と脳髄の奥で、感情がふつふつと煮えたぎる。きっと自分の瞳は狐になっているだろう。

 出くわすサーカス団員はすべて始末した。5回和鋏を閉じるだけ。四肢と首を刎ねるだけ。

 走る飴屋の視界に、ようやく、逃げ惑うでもなく殺されるでもなく、サーカスに立ち向かっている人の姿が入り込んだ。

「鍋屋!」

 鍋屋は文化鍋片手に走り寄ってきた。この期に及んでも彼は寡黙だ。飴屋の背後には象と魔獣遣い。鍋屋はなにも言わずに鍋の蓋を開ける。

〈なべこわし〉!

 飴屋でさえこれまでに見たこともない大きさの怪魚が、5匹立て続けに鍋から飛び出した。空気がひと息に生臭くなる。あの魚どもは、どこかべつの世界の海の底を泳いでいるらしい。あんな怪物がうようよいる世界があるというわけだ。

 なべこわしは象に喰らいついた。耳を、肩を、鼻を、次々に喰いちぎっていく。象はここでようやく悲痛な叫び声を上げた。

 しかし、魔獣遣いは笑っている。

 それまで悠然と鞍に腰かけていた魔獣遣いがすっくと立った。象は倒れていく。魔獣遣いは軽やかに跳躍し、くるりと空中でトンボを切ると、鞭を振り回した。

 ひゅうぱちっ、ひゅうぱちっ、ひゅひゅうぱちぱち、ひゅうばちっ。

 かれが着地する前に、鞭はなべこわし5匹を一度ずつ叩いていた。

 なべこわしが――

 くるりと振り返り、鍋屋を見た。

「……!?」

 鍋屋と同じくらい、飴屋は驚愕した。

 なべこわしは5匹とも、襲いかかったのだ。あっという間だった。1匹が鍋屋の右腕と文化鍋を、1匹が鍋屋の左腕を喰いちぎった。魔獣遣いは大笑いして、鞭を振るった。

 ああ。

 ヒトならざるものを、やつはすべて操ることができるのか。

 何が起きたかわからない。そんな顔で後ろによろめいた鍋屋の上半身が、

 消えた。

 いちばん大きいなべこわしがひと口で食いちぎり、咀嚼して呑み込んだのだ。

「鍋屋ぁッ!!」

 飴屋は久しぶりにこんな大声を上げた。

 こんな怒りと驚きを覚えたのも久しぶり。

 怒りのままに和鋏を魔獣遣いに向ける。なべこわしが襲ってくる。五度鋏を閉じる。真っ黒い怪魚どもは香ばしい匂いを上げながら真っ二つになり、地面にべちゃべちゃと落ちた。

 鍋屋の腰から下も倒れた。はらわたがどろっと道に広がる。

 魔獣遣いは鞭を振り回しながら近づいてきた。象はまだ生きているようだが、ものすごい勢いで腐敗を始めていた。鼻が曲がりそうだ。ぶんぶんと蝿がたかり始めている。死んで何週間も経っていたかのようだ。肉が液体状に崩れ、ガスを発している。骨が見えてきた。

 飴屋は目を見開き、口を引き結び、力いっぱい和鋏を閉じる。

 またたく常夜。

 魔獣遣いは――避けた!

 分断された次元からすばやく身を引いた。いや、引いたというより、のけぞって避けた。身体が異常にやわらかいようだ。

「そうかい、それなら」

 飴屋は怒りを押し殺し、口元をゆるめる。

 この笑みは、驚き呆れたためのもの。

 手を口元に持っていく。てのひらのうえに乗せたものを吹き飛ばす、そんな手つき。

「こいつはどうだ?」

 ふッ!

 魔獣遣いの黒い肢体を見つめながら、するどく短く、息をつく。

 ようやく黒人の哄笑がやみ、凄惨な悲鳴に変わった。魔獣遣いは燃え上がっていた。飴屋が生みだした〈狐火〉によって。

 狐の子だからといって、この国の住民から誰でも使えるというわけではない。飴屋には使えるというだけだ。最近は和鋏〈アトロポス〉が気に入りでそればかり使っていたが――本来、飴屋が戦に使う能力はこれだった。固い飴も、ひとも、一瞬でどろどろにする猩猩緋しょうじょうひの炎。名前は特につけていない。ただの炎だ。

 燃え盛る魔獣遣いはしわがれた悲鳴を上げながら走り回り、転げ回った。飴屋の炎は飴のように対象に絡みつき、自然と消えることがない。そのうちかれは壊れた家屋に激突した。炎が燃え移り、たちまち建物全体があけに呑まれていく。

 やれやれ、と飴屋はため息をつく。だから炎はなるべく使いたくなかったのだ。

 ひゅっ、とするどくみじかく息を吸い込めば、燃え広がろうとしていた狐火は一瞬で消えた。

 魔獣遣いは死んでいる。炭になり、腕と足を曲げた奇妙な格好で。

「…………」

 仇は討っても、気持ちは晴れない。飴屋は下半身だけになってしまった鍋屋に目をくれる。

「おまえさんのめしはうまかった」

 そう言い残すと、飴屋は再び走り出した。

 行く先では、動く樹のような怪物が2体、我が物顔でヒガシ町を蹂躙している。


 てってってれてれてってってーてっ、

「いあ!」

 てってってれてれてってってーてっ、

「いあ!」

 てってってーてっ、

 てってってーてっ、

「ドオーム=レヴ!」

 てれれれれれれてってってんっ!


 暁とクーパーの姿も気配もない。鍵屋の周辺には曲芸師や道化が何人もいた。もうほとんど、無事でいる住民を見かけない。道化たちの腰の生首は、歩きづらそうなくらい大量にぶら下がっている。まるで腰みののようになっていた。

 鍵屋が見えてきた。

 飴屋は再び和鋏を使っている。鍵屋の店に火をつけてしまっては笑い噺にもならない。

 いったい何十人の首を刎ねたか。

 しかし。

 鍵屋の前に人だかりができているのを見て、さすがの飴屋も肝が冷えた。そして、鍵屋は店にいるという確信を持った。

 鍵屋、と呼ぼうとしたとき。

「――〈これは王国のかぎ〉」

 鍵屋の、深い、落ち着き払った声がした。

 それは鍵屋が自分の武器を喚ぶ声だった。

 ぢゃららららららららっ、と、鍵屋の店から伸びる鎖。7本の鎖。その先には鍵がついている。鍵はねじくれた身体の曲芸師たちそれぞれにひとつずつ、ざくっと突き刺さる。

 そして、


 かっ・ちん!


 鍵は回った。

 鍵は開いた。

 曲芸師たちの合いの手も、濁った笑い声も、瞬時に止まる。鍵屋の鍵によって肉体を開かれ、無数の肉塊となってその場に崩れ落ちる。

 鍵屋のチェーンは意思を持つ蛇のように動いた。ぱちぱちんと、チェーンの先端のキーホルダーから血まみれの鍵が外れて落ちる。そして、チェーンを勢いよく回転しながら這い上り、新たな鍵がキーホルダーに収まる。

 再び鍵がサーカス団員に突き刺さる。回る。開かれる。

 鍵屋の取りこぼしは飴屋がちょん斬った。

「飴屋! 無事だったか」

 肉塊や肉片を踏み潰し、血だまりをよけようともせず、鍵屋が飴屋に駆け寄ってきた。彼の飴色の目は狐のものになっている。冷静沈着な彼も、さすがに激怒しているようだ。

「鍵屋。暁とクーパーを見なかったか」

 飴屋は自分が肩で息をしていること、汗だくになっていることに、今になって気づいた。あえぐように声を絞り出し、鍵屋に尋ねる。鍵屋は首を横に振った。

「鍋屋が死んだ」

「なんだと!?」

「やってくれるよなあ、鍵屋。どうしたらいいと思う?」

 飴屋もとほうに暮れることはある。そういうとき、相談するのはいつも鍵屋だった。飴屋が悩むときはたいてい鍵屋も悩んでいる。ここのところずっとそうだった。鍵屋に聞いても、打開策は見当たらない。

 それでも、鍵屋にはこうして尋ねる。長いこといっしょに生きてきた仲だから。彼に愚痴を聞いてもらえるだけで、飴屋はなんだか安心するのだ。クーパーもかなりの聞き上手だけれど、まだ知り合って日が浅い。

 鍵屋は難しい顔をして、眼鏡を直した。右側のレンズに血が一滴ついている。

「兎にも角にも、まず花嫁と花婿を探さなければ」

 今回は、答えが返ってきた。飴屋も考えていたことだけれど、おかげで決意が新たになる。

「この騒ぎだからエンジンの音も聞こえん。どこかに隠れているんだろうか」

「あの暁が黙って隠れると思うかね?」

「いや」

「無茶はしないだろうが……。とりあえず人形屋と合流しよう。彼なら生き残っているはずだ」

「そうだな」

 とはいえ、組合でも戦闘能力の高い鍋屋が戦死した。人形屋も無事でいる保証はない。

 飴屋と鍵屋は走り出した。もう悲鳴もろくに聞こえなくなっていた。主立った通りの路面店の住民は、皆殺しにされたのか――。


 てってってれてれてってってーてっ、

「いあ!」

 てってってれてれてってってーてっ、

「いあ!」

 てってってーてっ、

 てってってーてっ、

「ドオーム=レヴ!」

 てれれれれれれてってってんっ!


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