苦ノ死


 暁を、闇と光と香りが包む。

 ざああっ、と風が吹きぬける。

 無数の花びらとともに。

 それは嵐。白……、いや、桜色の。

 暁は夜桜の並木の下にいた。

『この国にも、桜はあるのね』

『あるとも』

『きれい』

『そうか』

 月明かりを受けて、桜はほの白くかがやいているように見えた。むせ返りそうな桜の匂いと花びらの嵐の中に、一組の男女がいる。瑠璃色の浴衣を着た黒髪の美女と、〈良い人形屋〉だ。

『私、決めたわ。人形屋、貴方に嫁入りします』

『……そうか』

 人形屋は目を伏せて、はにかむように微笑んだ。優しい眼差しだった。そこに、暁が常に彼に見てきた翳りはない。

 風が吹いて、またたくさんの花びらが舞った。女の長く美しい髪も、風によってかき上げられた。

 その顔は……、〈俤〉。

 人形屋が操る人形そのもの。生き写し。

『まだ……出会って半年にもならないが……己を選んでくれるのか』

『貴方となら、大丈夫。そう思ったの』

『己は口数も多くない。人形を造っているときはまわりも見えなくなる。……つまらない男だ。それでも良いなら、おまえのそばにいよう』

『はい。よろしくお願いします』

『……有り難う。霧衣』

 ふたりは、そっと手を取り合った。

 そして花びらが――。


 ごう、と唸る。


 桜の花びらは燃え上がったように赤くなった。

 否、これは、血だ。

 血が花びらを染め上げて、赤い嵐が闇夜で渦巻く。

 男たちの凄惨な悲鳴が上がり、ひとりの女の悲鳴が上がる。

 場所は暁にも見覚えがある。ヒガシ町から社の山までの一本道。うっすらと赤い地平線。草をかき分け、獣の息づかいが駆け寄り、近づき、凶器がひらめく。

 狐面が地面に落ちた。隈取りも控えめな白面。それは、人形屋の狐面。ぼたぼたと血が滴り落ち、狐面の白を汚していく。

『キリ、エ』

 人形屋が苦痛に満ちたうめき声を漏らし、咳き込み、血を吐いた。

 彼は黒い紋付き袴姿だった。彼が顔を上げた向こうで、花嫁がもがいている。純白の角隠しと狐面をかぶり、夜の中に浮かび上がるような白無垢を着ている。

 角隠しに、狐面に、白無垢に、良い狐の子たちの赤いあかい血が飛び散る。

『霧衣』

 白い花嫁の姿は見えなくなった。草と土で汚れた男たちが彼女を抱え、覆い尽くし、常夜の中に引きずり込んでいった。白みつつあった赤い地平線も、闇ににじみ、融けて消えていった。

 まっくらな中に、

 怒りと憎しみに満ちたさけび声。

 一抹の悲しみを孕んでいる。

 人形屋の、獣の声。


 沈黙。


 ぽつりぽつりと、雨の音。

 やがてさあさあと草花がささやく。夜の雨を受け、さあさあと。

 人形屋は番傘をさし、社の山を下りていた。

 その暗く沈んだ表情は、暁にとって見慣れたものだ。この人形屋は……、つい数日前の人形屋だ。

 山を下りきり、赤い鳥居をくぐろうとしたところで、人形屋ははたと足を止めた。

 鳥居の向こうには、黒い詰襟を着て、赤い狐面をかぶった少年が立っている。

 莫迦な、と人形屋は目を見張ってつぶやいた。

 この国に子供はいないはずだから。

『こんばんは。〈良い人形屋〉さん』

 少年は涼しげな声で挨拶した。

『……〈俤〉!』

 人形屋の挨拶はそれだった。彼の背後に、キリエそっくりの人形が現れる。

 少年が、はっと息を呑んだようだった。

 暁はそれに驚く。彼が動揺したのだ。しかしそれも、ほんのいっときのことだった。少年はすぐに気を取り直した様子で、くすりと笑った。

『……そっくりだ。なるほどね』

『なに?』


『おれの母さんにそっくりだよ、人形屋』


 人形屋も、暁も、同時に驚愕した。

『キリエのことが忘れられないんだね』

『…………』

『おれ、いくつだと思う?』

『…………』

『もうちょいで15だよ』

『…………』

『どういうことだと思う?』

『…………』

『――そうだよ。キリエは十月十日とつきとおかは生かされてたんだよ。ケダモノばっかりのニシ町でね』

『……嘘を……つくな』

『嘘? 自分でも薄々わかってたんじゃないの? その人形の髪。キリエの髪。1年後に届いたはずだけど?』

『……ッ!』

『まあ、信じられないなら、確かめてみればいいじゃん。ヒガシ町に寝返ったやつがいるんだからさ。そいつに聞いてみれば?』

『黙れ!』

 俤が形相を変えた。

 雨が飛び散る。六振りの刀が振り上げられる。でも、少年は動じない。くすくす笑って……赤い狐面に手をかけた。

『怖いなあ。母さんはそんな顔じゃなかったと思うけど。ま、おれも実際に見たわけじゃないし。記憶の中にあるだけだ。ここ15年の出来事で、おれが知らないことはないんだよ。きれいなひとだったよねえ。肉もうまかったらしいよ』

 少年の手が、狐面を、外す。

『いくらなんでも、を虐待するのはないんじゃない? ――父さん』

 ああ、その少年の顔!

 静かに微笑むその顔は――

 人形屋にそっくりだ!

 人形屋が15に若返ったようだ。

 でも、どこか、なにかがちがう。

 人形屋にそっくりなのに、まばたきをすれば、まるでべつの男の面影を残す紅顔に変わる。似ているはずなのに、似ていない。それはまるで……、まるで、無数の男の息子であるかのよう。暁は時折少年の顔に、〈悪い胴元〉のするどい面影をみることさえあった。

 そして人形屋と決定的にちがうのは、その目の色だ。

 赤くあかく、禍々しく、血と炎のように、緋色がかがやいている。

『…………!!』

『この国って、婚前交渉ありなんだねえ。ニシ町のやつら、処女じゃなかったってがっくりきてたよ』

 少年は苦笑いした。人形屋にとてもよく似た顔で。

『貴様……何が……目的だ』

 人形屋が、怒りと驚きの中で声を絞り出す。

 暁にはわかる。

 人形屋の傷が開き、腐り、腫れ上がって、どす黒い血をどろどろ流している。森に降る雨が赤く染まっていく。人形屋の金色の目が、赤く染まっていく。

 少年は余裕綽々と、赤い狐面をかぶった。

『きまってるじゃん』



『絶望だ』



 めちっ。

 めちっめぢっめぢぢぢびりゅっ。

 それは、かさぶたを剥がす音。

 化膿して腫れ上がった傷を掻きむしる音。

 空から血が降ってくる。ぼたぼたと、腐りかけた肉片も混じっている。

 人形屋は、番傘を取り落とし、その場に膝から崩れ落ちた。


『キリエの絶望を知れ』


『十月十日の苦痛を知れ』


『おれの……おまえの息子のクソみたいな人生のことも教えてやろうか』


『おまえが護れなかったからこんなことになったんだよ、人形屋』


『ニシ町のクズどもが憎いだろ』


『そうだよ』


『みんな死んじまえばいいんだ』


『楽になる方法はひとつだけ』


『絶望をもって、〈外空ゲクウ〉より指し示す者をこの世に導け』


『いあ、ドオーム=レヴ』


『みんなみんな――壊しちまえ』



「人形屋!!」



 ぐちゃぐちゃと血肉が降る中、暁は手を伸ばして声の限りに叫んだ。

 がっくりとうなだれ、血肉を浴びるままの人形屋の肩がわずかに揺れる。

「人形屋、お願い、こっちに来て! この町にはあなたが必要なの!」

 人形屋がのろのろ振り返った。赤く光る目が暁をとらえ、呆けたようにゆっくりまばたきする。

「お願い……、力を貸して。町がおかしいの。あなたにまでいなくなられたら、どうしようもなくなりそうで――」

「……なくなってしまえばいい。こんな世界など」

「人形屋、」

「己は……もう、疲れた……」


 もう疲れた。疲れ果てた。こんな世界など、ぐちゃぐちゃに潰れて消えてなくなってしまえばいいのに。


 それは絶望。

 少年が望むもの。

 暁を常夜ノ国に引きずり込み、人形屋の心を殺そうとしているもの。

 どうすればいいのか、暁にはわからなくなった。誰がどんな言葉をかければ、人形屋が立ち直るというのか。たった18年しか生きていない暁には、見当もつかなかった。

「ねえ……、人形屋」

 なにを言えばいいのかわからないままに、暁は口を開いた。

「おなかすいてない? 粉物屋からたこ焼きもらったんだ。……マヨネーズかかってるけど……、食べようよ。クーパーもいるから、みんなで……いっしょに」

 我ながら呆れていた。

 自分はこんなことしか言えないのか。

 でも本当に、なんと声をかけてやればいいものか、思いつかなかったのだ。

「……わたしもあなたと同じこと考えてたら、お狐様にさらわれちゃった。でも、みんなのおかげで、今生きてる。みんなが助けてくれるから。みんないいひとだから……」

「……ッ……」

「わたし、誰にもいなくなってほしくない。またあなたといっしょに鍋屋でなにか食べたい。ここで生きるしかないなら、みんなといっしょに生きていたい。人形屋……、わたしじゃ、あなたの傷を癒やせないと思うけど……でもそれはみんな、同じだと思うし……。なんて言ったらいいんだろ……、ごめん、バカだからよくわかんないや……」

「…………。……まったく……」

 人形屋はうつむいていた。

 でもその頬が、思わずといったふうにゆるむのが見えた気がした。

「おまえはどうしようもない天照だな」

「…………」

「霧衣は淑やかで、気立てが良くて、家事はなんでもできるおんなだった」

「……なんか……すいません……」

「何をすすめてもろくに食わなかった。太るのが怖いと言ってな。あの世でろくでもない男に引っかかって、ここに来てから、始めのうちはひどくびくびくしていた」

「キリエさんも……絶望して、ここに?」

「ある男と交際を始めたが、そのうち男が本性を表わしたと……言葉や力で虐げられるようになったと話してくれた。自分に自信が持てなくなり、生きている価値などないと思うようになったようだ。だが……、ここに来てひと月もすると、よく笑うようになった……」

「……そう」

「『ここにいるのは、みんないいひとだから』と」

 人形屋はなつかしそうに微笑んでいた。

 暁はどきりとした。

 必死で、ただ思いついたことを並べただけのことばの中に、人形屋の心を打つものがあったのだ。

 でもそれは、暁の本心からのことばでもあった。

「己はおまえたち天照にとって、いいひとなのだろうか」

「……うん」

 暁は、胴元やハコスカに追われた日のことを思い出した。

「わたしが危なくなったときに、助けに来てくれた。正直、意外だったけど……でも、今思い出したら、嬉しいよ。こんな天照なのに……ありがとう」

「おまえも霧衣も、危なっかしくて放っておけん。……そして己がいくら絶望したところで、霧衣はもう戻ってはこない。まったく……、どうしようもない天照どもだ」

「……人形屋」

「なんだ?」

「帰ってきてくれる?」

「……己はほんとうに必要なのか?」

「うん」

「……判った。……有り難う」

 ふたりは、そっと手を取り合った。



 気がつくと、そこは薄暗い人形屋の座敷。

 暁と人形屋のあいだに、折れた赤い鍵が落ちていた。


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