苦ノ惨


 度重なった問題から、飴屋と鍵屋は町じゅう駆けずり回ることになり、暁の身柄はクーパーが預かることになった。しばらく、ふたりして車中で会話もせずに呆然としていた。その間も車は一応、とろとろとあてもなく走っていた。

 町は静かに混乱している。喧騒がいつもと明らかに違った。保存の利く食料や、消耗品を買い込んでいる人が多い。いつ『3番』のサイレンが鳴り響いてもいいように、ということだろう。

 クーパーが不意に、大きくため息をついた。

「なんか食うか」

「賛成」

 ラジオの時計を見ると、とうに昼食時を過ぎていた。空腹を感じるどころではない数時間だったが、クーパーの提案を受け入れたとたん、暁のいつもの食欲が目を覚ました。

 クーパーが連れて行ってくれたのは粉物屋だった。

 常夜の通りに漏れるオレンジ色の明かりは、見ていてほっとする暖かさだ。軒先に吊るされた提灯には、この世界の文字で『たこ焼き』『お好み焼き』と書かれている。タコの絵が描かれた提灯もあった。

 暁がこの店に来るのは初めてだ。が、クーパーがいつもたこ焼きをおすそわけしてくれるから、この店のものがおいしいということはすでに知っている。

〈良い粉物屋〉はだいぶ生え際が後退した頭に鉢巻きをし、白い天竺シャツを着たおっさんだった。かなり体格が良く、背も高い。クマのような印象だ。町の混乱を知っているのかいないのか、赤い顔で鉄板に向かっている。

 店内にはテーブル席もあった。客は他にふたりしかいない。店の中は、熱気と食欲をそそるソースの香りに包まれていた。

「よー粉物こなもん屋ー」

「おう、クーパー! なんや今日は別嬪連れてんなあ!」

 暁が見た目から想像したとおりのどら声で、粉物屋は言った。がっはっはという笑い声まで想像したとおりのものだ。

「しかも話には聞いとったけどほんまデカイ天照やな、がはは! よろしゅう!」

「……はい……どうも……」

「どーした、いつもより輪ぁかけて声小さいやんけ」

「いや……なんて言ったらいいんだろう……うん……」

「ここのたこ焼きは知っとるやろ。お好み焼きもごっつうまいんやで。なんにする?」

「肉。」

「恐竜かお前。まあええわ。粉物屋ー、豚マヨ玉ふたつー」

「まいど!!」

 大阪。

 ここだけ大阪だ。大阪という異空間。圧倒的大阪。大阪には申し訳ないが暁の頭の中はそんな大阪でいっぱいだ。

 鉄板とテコがぶつかる小気味よい音が響き始める。クーパーは勝手知ったるふうでグラスに水を注いで持ってきた。

 鉄板からの熱気がすごいし、テコの音はにぎやかなくらいだが、不思議な静けさを感じる。外の人通りが少ないからか、それとも、店内には有線の音楽もテレビの音もないからか。

「そう言えば、クーパー。引っ越したって聞いたけど」

「ああ。このまえ、お前に布団に突っ込まれたろ? あれで俺は布団の魅力にハマってもうたんや。いやあの家ベッドやけど」

「何年もここにいたのに今まで布団で寝たことなかったなんて……」

「そらそうやろ、車はガレージで寝るもんや」

「でも仕立て屋の家にはガレージないでしょ」

「ああ、それがなあ。ま、そのうち作るわ」

 つい昨日、暁はクーパーが〈良い仕立て屋〉の店舗兼住宅に住み始めたことを聞いた。仕立て屋がいなくなってしまってから、そこは空き家のままだった。

 店の裏には狭い空き地があり、本体を停める場所には困らない。そして住居部分が洋風で使いやすいということ、飴屋が近いということから、クーパーはそこを選んだようだ。

 酒屋のガレージでも不自由はしていなかったようだが、本当に布団で寝る気持ちよさにとり憑かれてしまったらしい。

「今度泊まりに行く」

 暁が言うと、クーパーは一瞬凍りついた。

「はー!? あかん! あかんで!」

「なんで? 散らかってるの?」

「ベッドひとつしかあらへんの!」

「おんなじベッドで寝たらええやないかい」

 粉物屋ががらがら笑いながらお好み焼きを持ってきた。クーパーは皿を粉物屋から奪い取りながら大声を出した。

「やかましわ! 不純や! 犯罪や!」

「なにゆうてん。自分好きやろ天照」

「撥ねるぞボケ! ほれ食え暁!」

「いただきまーす」

 暁はお好み焼きを口に運んだ。

 ちょっと甘めで、どこか懐かしい味わいのソース。鼻に抜けてくるマヨネーズの風味。ふわふわとろとろの食感。シャキシャキ感が残っているキャベツ。ほんの少しだけ端を焦がした豚肉の薄切り。青海苔の香り。どれを取っても絶品だ。やはりたこ焼き同様、粉物屋の売るものはおいしかった。

 ぱくぱく一心不乱で半分近く食べ進めるまで、クーパーも粉物屋も腕組みをして暁を見つめていた。ふたりの顔にはありありとひとつの質問が浮かび上がっている。

『どや?』

「すごくおいしい」

「せやろ!」

「なんで自分がドヤ顔やねん。せやけどよかったわ。天照、無表情で食うとるさかい」

「ああ、こいついっつも仏頂面やねん。わろたとこ見たことない」

「ほーん。そら自分、腕の見せ所やろ」

「なにがや」

「惚れた女のひとつやふたつ、にっこりさせたらどないやっちゅうねん」

「…………自分ほんましばくで」

「おおこわ」

 粉物屋は鼻で笑うと、余裕の足取りで厨房に戻っていった。クーパーはなんだか怒ったような顔でようやく豚マヨ玉を食べ始める。暁はおにぎりか白いごはんがほしくなってきていた。

 厨房には豚の丸焼きができそうなくらい大きな鉄板があり、その横にはたこ焼き用の鉄板もあった。粉物屋は鉄板をテコできれいにすると、たこ焼き器に生地を流し込んだ。

 暁とクーパーが食べているうちに、他の客は金を払って出て行った。みんな、暁にちょいと会釈をしていった。

 店内は、よけいに静かになった。

「おい。なんや人形屋がやらかしたらしいなあ」

 粉物屋は生地に具を投げ込みながら言った。暁とクーパーは揃って箸を止める。粉物屋は、笑っているでもなく怒っているでもなく、ちょっと沈んだ表情になっていた。

「ああ……、粉物屋お前、雨降ってから人形屋見かけたか?」

「いや、いっぺんも見とらん。最近はちょいちょい来るようになったんやけどなあ。まぁたに逆戻りか」

「人形屋、ここの常連なの?」

 ちょっと、いやかなり意外だ。暁が言うと、粉物屋は笑顔を見せた。

「せやで。たこ焼き、紅ショウガマシマシのマヨなしを買うてく。たまにねぎ焼きや。酒のアテにでもしとるんやろ。店、横の細道行ったらすぐやさかい、長い付き合いやねん」

 暁は人形屋には一度しか行ったことがないので、道をまったくと言っていいほど覚えていなかった。粉物屋に来たのも初めてだ。ここから近いということには正直驚いた。確か、ひと気のない、ひっそりとした暗い路地に面していたはずだ。

 粉物屋は見ていて楽しくなるくらいに手際よく、たこ焼きをパックに詰めていった。ソースをかけ、青海苔をかけ、かつお節をかけ、マヨネーズをかける。あっという間にできあがったたこ焼き2パックをビニール袋に入れると、暁たちのテーブルのうえに置きに来た。

「これはワイからや、天照」

「おっ、こらおおきに」

「ワイは天照にちゅうたやろボロ車!」

「ありがとう。すごくおいしかった。また来るね」

「おおきに! 人形屋に、はよ顔見せゆうたってくれや」

 粉物屋は豪快に笑っていたけれど、人形屋のことを心配しているのがなんとなく伝わってきた。たこ焼き片手に店を出ると、暁は、粉物屋が言っていた『細道』を覗き込んだ。

 道と言うより建物と建物の隙間だ。明かりもなく真っ暗だった。

「クーパー」

「……人形屋、行ってみるか?」

「わたしね……、わけありのひとをそっとしておくなのは、どうかなって思うんだ」

「ん……」

「このあいだあなたに話聞いてもらえて、なんだかすっきりした。人形屋もそうとは限らないけど、ちょっと……会ってみたい」

「さよか。ほんなら、送るわ」

「ここ行ったらすぐなんでしょ?」

「俺通られへんよ」

「あ」



 粉物屋から人形屋まで、車だとだいぶ回り道をすることになった。あの細い道を歩けば2、3分だったかもしれない。暁は、クーパーがそもそも車で、本体から30メートル程度しか離れられないということをうっかり忘れていた。彼が人間くさすぎるのがいけないのだ。

 人形屋の周囲は相変わらず暗く、静まりかえっている。今は深夜なのかと思い、腕時計を見てしまうほど。時刻は午後3時。あと1時間もすれば町の店は閉まり始めるが、まだまだ『昼』だ。

 人形屋の前には所在なげに鍋屋が立っていた。

「おう鍋屋。人形屋おるか?」

 鍋屋は頷いた。ずっと見張りをしていたのだろう。

「そろそろ帰ってええんちゃう?」

 鍋屋は人形屋の戸を振り返り、無言で見つめたが、やがて頷いた。文化鍋を抱え直し、彼は立ち去った。

 クーパーは戸を叩いたが、返答はなかった。

 茶運び人形が描かれた提灯は灯っていない。クーパーはふむと息を漏らすと、停めた本体のエンジンをかけて、ヘッドライトをつけた。あたりはかっと明るくなった。

 クーパーは暁と目配せしたあと、戸に手を掛けた。

 鍵がかかっている。

「堪忍な、人形屋」

 ぶるん、とミニ・クーパーのエンジンが唸った。クーパーの腕に、見た目からは想像もできない力がこもったのがわかる。

 戸からかなり大きな破壊音がした。76馬力をまともに受けて、鍵が壊れたのだ。騒々しい音を立てながら引き戸は開いた。

 店の中は真っ暗だったが、奥の障子の向こうには、弱々しい光がある。

 クーパーはジッポーを出して火をつけた。壁際の椅子が照らし出される。以前暁がここを訪れたとき、そこには〈俤〉が座っていた。今は……からっぽだ。誰もいない、何もない。

 クーパーが戸をこじ開けたときに大きな音が響いたはずだが、人形屋が出てくる気配はなかった。

 暁が店の奥に行こうとすると、クーパーに無言で制止された。が、それは「行くな」ではなく、「俺が先に行く」ということだったようだ。ジッポー片手にクーパーは奥に進み、静かに障子を開けた。

 行灯が淡い橙色の光を放っていた。

 10畳ほどの座敷。

 作業台があり、まわりには市松人形の頭や手足がいくつもいくつも転がっている。人形用の硝子の義眼、かつら、白粉のような真っ白の粉。小さな着物。完成品と思しき人形も並んでいる。硝子の瞳に行灯の光を映して、暁をじっと見つめてくる。

 それはひと言で言えば不気味な光景だったが、よく見ると、人形たちは皆どこか悲しげであり、寂しげでもあり、あるいは呆然としていた。表情こそ暗いものの、どれも不可思議な生々しさを持っている。触れれば頬の肉がへこむのではないかと思うほど。

 人形屋の作品であることが、誰に言われなくてもすぐにわかる。顔が似ているというわけでもないのに。

 雑然としているのは作業台の周囲だけだ。座敷の半分はきれいに片づいている――というより、店内同様、殺風景だ。床の間には何も飾られていなかった。

 そして人形屋は、行灯の光もろくに届かないその空間で、女を抱きしめてうずくまっていた。

 女。

 いや、人形〈俤〉。

「人形屋」

 暁が呼びかけると、人形屋はわずかに顔を上げた。

 金色の目は獣のもののようだった。行灯の光を受け、硝子のようにきらりとかがやく。けれどその光に、感情らしい感情はなかった。

「修理屋と何を話したの?」

 いらえはない。

 クーパーも何も言わないが、警戒しているのはわかった。彼の緊張が暁にも伝わってくる。まるで猛獣を前にしているかのよう。

「……キリエさんのこと?」

 少しためらってから、暁はその名を口にした。人形屋の目の光が強くなったのがわかる。

「……霧衣……、」

 今にも消え入りそうな声で人形屋は呟いた。俤を抱くその両腕に力がこもる。

「霧衣」

 彼はそれだけしか言わなかった。

 暁はクーパーの横顔を見る。

「クーパー。ふたりだけで話させてくれない?」

「アホかなにゆうてんねん!」

 暁のささやきに、クーパーはささやきで諫めてきた。今は彼が保護者なのだからもっともだ。

「このあいだふたりっきりで話したじゃない。同じことするだけだよ」

「俺もお前もシラフやったろ。今と状況ちゃうねんて」

「……鍵屋からこれもらったの、覚えてる?」

 暁はポケットから赤い鍵を出した。常夜ノ国に来たばかりの頃、初めて鍵屋と会ったときにもらったものだ。その場にはクーパーもいた。

 鍵屋はこれを『心の扉の鍵』だと言った。

 これまでずっと何に使うのかさっぱりわからず、しかしどこかに置いたままにするのも正解ではない気がして、お守りのようにいつも持ち歩いていた。

 今なら使いどきがわかる。

 だということが。

「人形屋は自分の殻の中に閉じ籠もってる。扉にがっちり鍵をかけて」

 粉物屋が言っていたことを思い出して、暁はクーパーにささやき続ける。

「鍵屋に開けられへん鍵はない……か」

 クーパーの蒼く光る目がわずかに細められた。

「修理屋のこと、飴屋がどう始末つけるかわからへんけど、組合に人形屋は必要や。ほっといたらなんも食わんと死んでまうかもしらんしなあ。やってみ」

「ありがとう」

「……こんなもん使いたないが、準備はしとくで」

 クーパーは懐から銃を取り出した。それを咎められるような状況ではない。暁は頷き、そうっと人形屋に近づいた。

 鍵をどう使えばいいのかはわからない。参考になるのは、鍵屋の戦い方だけ。

 赤い鍵のブレードを人形屋に向ける。人形屋はうずくまったまま動かない。暁は鍵を人形屋の脇腹のあたりに押しつけた。

 ざく、と鍵穴に鍵が入る音。

 ためらう。

 だが、やってみなければならない。

 回せば、かちん、と音がした――。

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