苦ノ弐


 暁は人形屋の背を見送るしかなかった。鍋屋は声をかけるでも歩調を合わせるでもなく、まるで行く方向が同じだけとでもいうような自然さで、人形屋を尾けていく。

 ヒガシ町の目抜き通りはたいへんな騒ぎになってしまった。危険が去ったからか、だんだん野次馬が増えてきている。

 誰かが〈良い町医者〉を呼んできた。町医者は「内科が専門なのに」とぼやきながら、その場で修理屋の傷の応急処置を始めた。運良く内臓に傷はつかなかったらしく、命に別状はないとのことだった。

「さて、どうするか……」

 飴屋は修理屋を見下ろし、顎に手を当てた。しかし彼がそう考え始めた直後、ミニ・クーパーがそばで止まり、中から鍵屋が飛び出してきた。鍵屋は暁が見たこともない表情をしていた。鬼気迫っていた。

「どうした、ここでも何かあったのか、飴屋」

「『ここでも』? おまえさんが顔色を変えるとは、よほどのことが起きたようだな」

「ああ。お狐様の社が破壊されていた……!」

 え、と暁は息を呑む。飴屋も、まだ周囲に残っていた野次馬も、大きく目を見開いた。どよめきが走る。

「ふむ。おれが行ってもどうにもならないだろうが、見るだけ見てみよう。クーパー、すまんが送ってくれ」

「ええけど――おい修理屋死んどるやんけ!」

「死んでないよ、大ケガはしたけど」

「道々話そう。暁も来るか?」

 人形屋と修理屋のことも気がかりだが、暁は社に行くことにした。飴屋は車に乗る前に、集まってきた人びとに声をかける。散った散った仕事に戻れと言われた者が大半だが、修理屋を中に運ぶように指示された者や、無線屋にこのことを連絡するよう頼まれた者もいた。

 いつか見たときのように、実にてきぱきとした采配だ。それに誰も異を唱えることはなく、車が出る頃には、修理屋の前から野次馬は消えていた。

「いったいぜんたいどないしたんや、今日は。修理屋、誰にやられてん?」

「……人形屋」

「は!?」

「なんと」

 クーパーだけではなく、後部座席に座った鍵屋まで身を乗り出した。

「ふたりがどんな話をしたのかは知らん。おれが駆けつけたときには修理屋は刺されていた。まあ、人形屋は……クロギツネの子には因縁があるからなあ」

「しかし修理屋も人形屋と接するのは自粛していたはずだ」

「ああ。となると人形屋から喧嘩を売ったことになるだろう。……店先に人形屋の傘が落ちていたな。服も汚れていた」

 飴屋は顎を撫で、少し翳りのある声でつぶやいた。

「人形屋とは、雨降った日に会うたのが最後や。夜も10時まわっとったのに、歩きでお社行くゆうて……。暁も会うたよな?」

「うん……、お見舞いのお団子くれた。ちょっとだけキリエさんの話を……」

 キリエの名前を出すと、後部座席の飴屋と鍵屋が目を合わせた。

「キリエさんとはぜんぜん似てないのに、わたしを見てると思い出すって」

「彼が天照を見ること自体が、16年ぶりだからかもしれないな」

「え? ……そっか」

 前の天照は、ヒガシ町には辿り着けなかった。となると、鍵屋の言うとおりになる。初めて会ったとき、人形屋は暁を見て、あまり面白くなさそうな顔をした。キリエとの違いに失望でもしたのだろうか。

「しかし、雨が降ったのは何日も前だ。まさか……ずっと社の山に?」

「でも、俺とお前、さっきお社まで行ったやんか。一本道やのにすれ違わへんかったろ」

「いつ町に戻ったのかはわからんが、着替えもせず誰とも会わず、引き篭もっていたのだろうな。あの様子だと、めしも食っていなさそうだ」

 全員、それきり黙りこくった。

 あまり考えたくはなかったが、そう考えるしかなさそうだ。

 車は町を出て、社の小山に着いた。暁は絶句した。赤い鳥居が打ち壊されて、ばらばらになっている。片方の足だけが立っている状態だった。

 初詣に行くくらいで、暁はけっして信心深くはなかった。それでも、なんて罰当たりなことを、という考えが頭に浮かぶ。飴屋と鍵屋は険しい顔をしていた。

「俺は行かれへんから見張っとるわ。なんかあったらホーン鳴らす」

「あ、そうだったね」

「暁。お前足はようなったんか?」

「平気。薬屋のシップが効いたみたい」

「さよか。足下気ぃつけや」

 煙草を取り出したクーパーを残し、暁は山を登り始めた。

 足首はもう痛まないが、脇腹にはまだ少し痛みがある。服を脱げば痣だらけだ。早く治ってもらわなければ、組合に迷惑をかけてしまう。

 今も、飴屋や鍵屋は暁を気遣って、ゆっくり歩調を合わせてくれていた。きっと社まで急ぎたいだろうに。

 雨を受けて固まったばかりの地面は少し歩きにくかった。

 社に辿り着いたとき、暁は驚き呆れた。

 ここまで徹底的に破壊されているとは思わなかった。下の鳥居とそう変わらない惨状だ。飴屋も鍵屋も無言だった。

 飴屋は瓦礫の中から木材を拾い上げ、しげしげと眺める。それを何度か繰り返した。

「雨がやんだあと、何人かで力任せに叩き壊したようだな。うん……少なくとも人形屋の仕業じゃあない」

「ニシ町のやつら?」

「ありえない。……とは言うものの、そうなればいったい誰がこんな大それたことをしたのかという話になるが……。この社に祀られているのは二柱の狐だ。クロギツネの眷属にとっても聖域なのだよ」

「じゃあ、ニシ町のやつらもここにお参りに来るんだ。意外」

「そう頻繁には来ないようだがね。ただ、胴元は信心深いようだ。何度か出くわした」

「え!? 危ないじゃない、それ」

「そうでもない。かなり昔――社の境内はもちろん、山の周囲においても戦闘行為は行わないという協定が結ばれた。特に胴元はそういった掟を守る男でね。おかげで私もこうして生きている」

「じゃあ……、これはよっぽどのことなんだ」

「ああ」

「もうお狐様にお参りできないの?」

 飴屋と鍵屋は顔を見合わせた。困ったような、悲しそうな、しかし怒っているような、とても複雑な表情だった。それを見れば、こんなことが起きたのは初めてだということが暁にもわかった。

「修理屋なら直せるかも。ケガしちゃったけど」

「……頼んでみるとするか」

「やはり、おれが来てもどうにもならなかったなあ」

 飴屋は袖の中で腕を組み、瓦礫と化した社を眺めた。

 吹く風がやけにつめたい。虫の声もひどく小さい。暁はえも言われぬ不安を感じた。

 きっとそれは、飴屋がとほうに暮れていたからだ。

 この男がとほうに暮れるなんて。



 町に戻ると、また新たな問題が発覚した。飴屋の店舗の前には数人が集まり、飴屋の帰りを待ち構えていた。中心にいたのは、飴屋が無線屋に言伝を頼んだ人物だった。

〈良い文房具屋〉といい、組合には一応加入しているが、さほど戦闘能力は高くない。眼鏡をかけた痩せぎすの男だ。すっかり色を失っていて、そわそわと手をこすり合わせていた。

「〈良い文房具屋〉。どうした、無線屋に何かあったのかい」

「そ、そうなんですよ、実は。何て言ったらいいのか。とにかく行ってみてくれませんか」

「やれやれ。今日はほんとうにどうかしているなあ」

 飴屋は呆れた様子で、苦笑いを漏らした。もう笑うしかないといったところか。暁の脳はすでにパンクしており、考えることを放棄している。

「クーパー、こき使って悪いが、次は無線屋だ」

「かまへん。車は走ってなんぼや」

 飴屋の店がまた遠ざかる。

 目抜き通りはまだ混乱していた。立ち話をしている人びとの顔は、一様に不安げだ。

 暁は何気なくバックミラーを見た。自分も、住民と同じ顔をしていた。

 無線屋の周囲にも人が集まっていた。誰もが無線屋の入り口から一定の距離を取って、手をこまねいている。車を降りれば、理由はわかった。

 無線屋の中からは騒音があふれ出していた。異音とも言う。いったいなんの音なのかもわからない音だ。暁たちは全員顔をしかめた。

「耳栓要りそう」

「んー。俺行ってくるわ。お前らにはきついやろ」

「そうだなあ」

「え。大きい音苦手なの?」

「狐の子だからだろうか。我々は人間より心持ち耳がいい」

「心持ち、な」

「そうなんだ。じゃあ……わたしも行く」

 クーパーとともに店内に入る。苦痛を感じるほどではないが、思わず耳をふさいでしまうくらいの騒々しさだった。うずたかく積み上げられた無線機やラジオは、すべて電源が入っている。液晶のディスプレイがあるものはチカチカとせわしなく光をまたたかせていた。

 いくら声を張り上げても会話ができそうにない。クーパーは大きな音にはかなり強い――というか、鈍感なようだ。車には耳にあたるような機能がないからだろうか。暁は耳をふさいだままその場で硬直するしかなかったが、クーパーはしかめっ面で次々に無線機のスイッチを切っていった。

 少しずつ、店そのものががなり立てているかのような騒音が小さくなっていく。そのうち、暁も動けるようになった。手当たり次第にスイッチを切り、あるいはコンセントを引き抜いていく。

 なんとか互いの声が聞こえそうになってきた。そのときだ。

「だ、ぁぁぁああああああああ!! やべろ! やめろああああ! きこえるから! きごえるがらあああぁぁぁああ! ぃああッ、ぎゃああああああああ!」

 雑然とした店の奥から断末魔の声めいた絶叫が上がり、ガラクタの山が崩れ落ちた。無線屋だ。もしかすると、ガラクタでバリケードを築いていたつもりなのかもしれない。

「無線屋! どないしたお前!?」

「あ゛ぁぁぁああああああ! いあああああああ! ソトトト! いああっあ゛ーーーッッ! うぇがーーーーッッ! いやだぁああああききたくないんだぁああああああ! いああっいアッアッ!」

「ぅわこれあかんやつや」

「ア゛ーーー!! あどラあああぁッどおーむれヴ!!」

「あっ」

「ぃったあ!」

 無線屋は完全に錯乱していた。ガラクタの中からスパナをつかんで投げつけてきた。スパナはまともにクーパーの額に当たった。車に石が当たったときの、カーンという硬質な音が上がった。

「ちょっと、大丈夫!?」

「なぁぁ血ぃ出た血ぃ、もー! たぶんどっかへこんだわくっそー! 無線屋、落ち着け!」

「おと! おどおおおおおぉ! キャあああああああぁぁああ!」

 無線屋は耳を押さえてじたばたし始めた。

 らちが明かない。

 暁は店内をずんずん進むと、無線屋の前に立った。

「無線屋」

「どああああああぁ! やめろやべろぃあああああ!」

「ごめん」

「あぱっ」

 ぶん殴った。

 無線屋は吹っ飛び、ガラクタの山に突っ込んだ。クーパーが慌てて駆け寄ってくる。

「暁お前もー、すぐ腕力で解決すんのやめろやあ」

「でも……」

 思わず口答えしようとしたが、暁は口をつぐんだ。ここに至ってもまだ自分は変われていない。何ごともごり押しで解決してきて、そのしわ寄せが来た結果が今の身の上なのに。

 無線屋は気絶していた。クーパーがガラクタの中からひょいと彼を救い出した。

 クーパーは暁よりも小柄だが、暁よりもずっと力持ちだ。なんでも紳士部分も車と同じ76馬力くらい出せるらしい。たぶん、町でいちばん足が速いだけでなく、町いちばんの力持ちでもあるだろう。

 無線屋は全身汗でどろどろだった。唇は切れて血がにじんでいる。口を大きく開けて叫びすぎたせいか。

 店内の無線やラジオをすべて黙らせたわけではない。液晶はまたたき、スピーカーからは雑音が流れている。

 …………?

 無線屋の奇声がやんだので、その『音』に集中することができた。暁とクーパーは顔を見合わせていた。

 何か言っている。無線とラジオが拾う周波数の向こうと奥で、なにものかが、なにか言っている……。


『ぃぁ』

『ぃぁ』

『よぐそとほす』『ばーくる』

『ぃぁ』

『ろろせと』

『ないあはそらそてふ』『ぃあ』『ぅぇかと』


『ドオーム=レヴ』


 叩き壊しそうな勢いで、クーパーはすぐ近くの無線のスイッチを切った。

 最もボリュームが大きくなっていたのはその無線だったらしい。他の無線機からは相変わらず音が流れているが、『声』は聞こえなくなった。

 だが、まだ、だれかが何か言っている。ささやかな雑音の向こうで、意味のわからない言葉が転がっている。

 クーパーは聞いてはいけないものを聞いたというより、見てはいけないものを見たような顔で振り返った。暁と見つめ合う。彼は冷や汗を流していた。

「……なに? なんなの、今の」

 暁の声も、勝手に震えていた。

 クーパーは表情を変えずに、無言でかぶりを振った。ツッコミを入れずにはいられない彼が言葉を失うのはよほどのことだ。

「ぜんぶ切ろう」

「……せやな」

 それは、恐怖からの行動だった。

 無線屋が何を『聞きたくない』とわめいていたのか、今ならわかる。この、意味のわからない言葉の羅列だ。

 暁はコンセントを見つけ、そこに挿されていたコンセントタップを引き抜いた。タップはものすごいタコ足配線だった。タップそのものを抜けば、店内はようやく静かになった。

 外のざわめきが聞こえる。騒音がやんだことで、狐の子たちがは無線屋の入り口に集まり、中を覗いていた。

 飴屋と鍵屋が入ってくるまで、暁は放心していた。

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