第苦話

苦ノ壱


 長雨から数日が経った。

 太陽はなくても、この世界の水たまりはすぐに蒸発し、ぬかるみも一日で固まる。洗濯物も半日で乾く。湿度が砂漠並みに低いというわけでもないのに。常夜ノ国の不思議のひとつだ。

 泥の匂いもなりをひそめ、通りには活気が戻っている。修理屋はカウンターでハイボールを引っかけながら、行き交う人びとを眺めていた。

 修理屋も意外に思ったことだが、ヒガシ町の造りそのものはニシ町とさほど変わらない。確かにニシ町のほうが殺伐としているし、ドヤ街やスラム街と言ってもいい界隈は多いが、赤い提灯や密集した和洋折衷の建物群が醸し出す町の風貌は似たようなものだ。

 良いひとばかりが住む町。それしか知識になければ、ヒガシ町はさぞメルヘンでふわふわした町なのだろうとしか想像できなかった。なんかモフモフしたパステルカラーのいきものでもいるのかとさえ思っていた。

 まあ、ヒガシ町の住民も、ニシ町はそのへんに死体が転がり廃墟が連なる恐るべき終末都市と思っていたようなので、これでおあいこというものか。

 修理屋にはぽつぽつと客が来るようになった。クーパーが宣伝してくれているらしい。飴屋に頼まれてのことか、無言の鍋屋が残り物を持ってきてくれるし、なんとか食うには困らない状態だ。今のところ、売上の半分はウイスキーに消えているが。

 暁が来る少し前に大きな襲撃があり、〈良い修理屋〉は運悪くその戦闘に巻き込まれて死んでしまったという。良い修理屋もまた非戦闘員だった。そして、鍵屋よりも見た目が年嵩だったらしい。修理屋を訪れる客は、「修理屋が若返った」とおかしそうに言った。

 修理屋は壁に掛けた自分の狐面を見た。隈取りの色は銀色のままだが、真っ白になっている。ここに来たばかりの頃は気がつくと灰色になったりもしていたが、今はもう、最初から白であったかのように、色彩に変化はなくなっていた。

 一説によれば、寝返る狐の子は、シロギツネとクロギツネ両方の『気』を帯びているらしい。真偽のほどはわからない。修理屋にはさほど『親』を敬う気持ちがなく、社には数えるほどしか行ったことがない。寝返ったことで、社にはますます行きづらくなってしまった。いったいどちらに祈りを捧げれば良いのやら。

 雨も上がって道もよくなったし、今日は客が来るだろうか――。

 修理屋は新しいハイボールを作ろうとしたが、思いとどまって、ウイスキーのボトルの蓋を閉めた。

 そのあとだった。

 店の入り口に影がさした。

 ぞくりとする。雨はとっくに上がっているのに、『彼』は番傘をさしていた。

 道にいた人びとも足を止め、怪訝そうに彼を見ている。人形屋を見ている……。

 開いたままの傘をその場に打ち棄て、人形屋は修理屋の店の中に入ってきた。傘は泥だらけだったが壊れてはいない。そして、壊れたものを持っている様子もない。修理屋は挨拶も忘れた。わずかに回っていた酒もひと息に抜けた。

 人形屋の瞳は狐になっていた。

「〈悪い修理屋〉」

 ぼそりと、人形屋が呼びかけてくる。修理屋は固唾を呑んだ。なんだい、と返すこともできない。それほどの気迫。怒り。憎悪。

「己のおんなの味はどうだった?」

「え」

「己のおんなを手籠めにしたか?」

 気づいたときには、胸ぐらをつかまれていた。修理屋のほうがずっと体格が良いのだが、あっさりカウンターの外に引きずり出された。

 人形屋の髪は乱れ、やつれて、口や顎には少し無精髭が散らばっている。そしてその服は土で汚れていた。いや……、泥で汚れたのが、すっかり渇いただけなのかもしれない。

 ヒガシ町の人びとは、人形屋を腫れ物のように扱っているというのが修理屋の印象だった。人形屋自身もそれを心得ているのかどうかは知らないが、基本的に店に引きこもっていて、ほとんど外出しない。組合員は、そんな彼をそっと見守っている。相当のわけありだから――。

「〈俤〉」

 人形屋がつぶやくと、空間が歪み、そこからひとりの美しい女が現れた。青い振り袖を着た、長い黒髪の。切れ長の目。小さな口。人間と見まがうほどの生々しさ。

「貴様が犯し、肉を喰らったおんなは、こんな顔ではなかったか?」

 修理屋はぶんぶんとかぶりを振った。

「しっ、し、知らねえよ。そもそもオレ、女犯ったことねえし!」

「――嘘をつくな」

「嘘じゃねえって、な、なんなんだよ、いきなり!?」

 人形屋が、ぎりっと歯を食いしばった。

 唇が開き、歯列がむき出しになった。……いや、牙だ。歯まで狐のものになっている。そしてその金色の目が、今は、

 緋色だ、

 血よりも深い赤に光っている。

「16年前、己の霧衣を、貴様らは……」

「じ……」

 16年前。

 修理屋は思い出した。

 キリエ。名前は知らない。だが、16年前に来た天照のことは知っている。

「知っているな?」

 頷けば殺されるかもしれないが、黙秘してもどのみち殺されそうな気がする。修理屋は迷ったが、頷いた。

 バシャッ、と人形から音がした。

 修理屋は腰を抜かしたが、人形屋に胸ぐらをつかまれたままだったので、床には倒れなかった。

 人形の形相は豹変していた。鬼のものに。振り袖からは刀を持った細い腕が6本飛び出している。これを修理屋はいちど見たことがあった。寝返りの夜に。あのときは半分それどころではなくてほとんど印象に残っていなかったが、こうしてまじまじと見せられると、とんでもなく恐ろしかった。

「ちょっ、き、聞いてくれ! 知ってるけど、オレは犯ってねえんだ、ほんとだよ!」

 人形屋が赤い瞳をわずかに細めた。

 聞いてくれ、とは言ったものの――こんな事情を話したら、自分はどうなるか。修理屋は束の間迷ったが、話すことにした。

「ど、胴元とか、くっ組合の武闘派の連中が、天照を町に連れてきた。胴元の命令ですぐには喰わなかったんだ。み、みんなで、その、まっ、マワすって、そういうことになって」

「……ッ!」

「じ、順番があるだろ、この町にも。何ごとも、戦える組合員が優先だ。それは向こうだって同じなんだ。お、オレは、どうせ順番なんか回ってこないって思ってた。その前に、短気なやつが殺して喰っちまうだろって、それでぜんぜん期待してなくて、天照の顔も見てないしどこにいるのかも知らなくて、ふ、普通に暮らしてた。そ、それが……だいぶ……経ってから、解体屋に呼ばれて」

「……だいぶ?」

「う、な、何ヶ月もあとだ。いや、い、1年近く経ってたかも……。オレはもう半分忘れてた。でも、オレの番が来たっていうんだ。それで行ったんだ、胴元の屋敷に。天照は……」

 こんなことを話したら殺される。

 こんなことを話したら。

 人形屋は天照――キリエの夫だったのか。修理屋は知らなかった。

 話すべきではない。夫だった男に、嫁がどうなっていたかなど。

 人形屋の手に力がこもった。首が絞まる。体格は中肉中背なのに、ものすごい力だ。

「きっ、聞きたいのか、あんた!?」

「言え!」

「――キリエは! 手と足もなくなってた! でも生きてたんだ! は、腹もでかくなってて! ……そんなの犯れるわけねえだろ!! オレ吐きそうになって断って帰ったんだ!!」

「……………………!!!」

 衝撃。

 殴り飛ばされて、修理屋は入り口近くまで吹っ飛んだ。涙が出てきた。痛みではない、あまりの恐ろしさで。キリエの惨状も努力して忘れていた記憶だ。思い出したくもなかった。

 いくらあの頃は〈悪い修理屋〉だったとしても、修理屋にそんな趣味はなかった。飲みながら仕事したり、二日酔いで店を開けなかったり、こっそり酒やつまみを盗んだり、払いの悪い客からの仕事の手を抜いたりする、その程度の悪いやつだった。

 顔を上げると、何人かの顔が見えた。

 組合にも入っていない、戦いに役立つ力のない、修理屋と同じ立場の住民たち。何ごとかと野次馬ができていた。修理屋と目が合うと、彼らは、思わずといったふうに目をそらした。

「……た……」

 背後から足音が近づいてくる。

「……助けて……」

 ざくっ、と身体につめたい衝撃が走った。

 ひぐッ、と修理屋の息が止まる。

 胸から刀の切っ先が飛び出している。

 と思っていたら、引っ込んだ。

 恐ろしい痛みのあとに、血が流れ出した。

 うわっ、と野次馬からも悲鳴が上がった。ばたばたと駆け出していく足音。逃げているのか、それとも誰か呼びに行ったのか。

 どのみち自分は助からないだろうと、修理屋はした。なんだかんだで、この町でもやっていけるかもしれないと思っていたが、虫の良すぎる話だった。長生きした裏切り者の話などほとんど聞いたことがない。

 また身体に衝撃が走った。修理屋は軽々と蹴り上げられて、店から往来に飛び出していた。

 とりあえず即死はしなかったし、息もできる。手当てをすれば助かる傷と思われる。……が。

 振り返ってみれば、生き残る自信など消えてなくなった。

 獣の唸り声のような音が転がっている。

 人形屋の背後に、青白い、光の尾。6本の狐の尾。不動明王の火炎光背のようにさえ見える。双眸の赤いかがやきは目に焼きつくほど強い。

 ――詰んだ。

 修理屋はなかば呆れて、その場にへたり込んでいた。

「人形屋!」

 横合いから、飴屋の緊張した声が飛んできた。

 ぎろり、と人形屋の目が横を向く。

「落ち着け。ことは知っているだろう」

 飴屋のとなりには暁がいて、唖然としていた。その顔の痣はまだ色濃く残っている。修理屋には、暁の存在がまぶしかった。べつに暁が発光しているわけではない。それなのに、しばらく見つめているとなんだか目がちかちかしてくるのだ。頭が痛くなってくることもある。

 軍服姿の暁と目が合った。人形屋は飴屋と睨み合っている。暁がさっと動いて、修理屋の手を引っ張った。熟した果物とはちみつを合わせたような甘い香りがして、修理屋の意識はほんの一瞬飛びかけた。……うまそうな匂いだ。

「早く。こっちに」

 ああ、今はそれどころではなかった。修理屋の意識から天照の芳香は吹き飛び、痛みと恐怖がどっと押し寄せてきた。暁に引っ張られ、もがくようにして修理屋は逃げる。

 人形屋の視線が動き、彼の人形が動いた。6本腕の影が修理屋と暁に覆い被さろうとした、そのとき。

「すまんな。人形屋」


 ちょっきん。


 修理屋は振り返った。和鋏が閉じる音が生じたその1秒後、鬼女の人形は地面に倒れていた。片足が妙な方向に曲がっている。

「……!」

 修理屋も暁も、すでに足を止めていた。人形屋はもう尻尾を生やしていなかったし、目も金色に戻っている。しかし、我に返ったとは言いがたかった。青褪めた顔で人形に駆け寄り、ひざまずいて抱き上げた。

「……すまん。すまなかった。霧衣……」

 人形屋のささやきが聞こえる。人形の足を壊したのは恐らく飴屋の力によるものだろうが、人形屋がそれを責める様子はなかった。人形を抱えて立ち上がり、もはや誰も視界に入っていないふうで、ふらふらと歩き始める。

 飴屋は、たった今駆けつけてきた鍋屋に何ごとか耳打ちした。鍋屋は頷き、人形屋のあとを追う。

「修理屋」

 飴屋が声をかけてきた。

「なんだい、案外元気じゃないか。これは死んだなと思ったが――」

 彼の笑みを見て、修理屋は、自分が助かったことをようやく実感できた。その瞬間、その場に倒れて気絶した。

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