陸ノ惨


 深夜二時よりも深い静寂が、ヒガシ町を覆っている。

 暁は暫をいて、暗い通りを鍋屋とともに歩いていた。

 鍋屋は相変わらず非常に寡黙だ。あてもなく歩き出してから、ひと言も喋っていない。月と星だけが頼りの夜道で、彼の金眼は時折きらりと光った。

 鍋屋は真鍮色の文化鍋を持っていた。それを見ると、暁は小学校の家庭科室を思い出した。昔懐かしい、今となればレトロ雑貨の店に並んでいそうな代物だ。

「鍋屋。その鍋、何が入ってるの?」

 足を止めて暁が手を伸ばしかけると、鍋屋は無言で驚き、無言で鍋を暁から遠ざけた。そして無言で首を横に振った。

「危ないもの?」

 鍋屋は頷いた。

 鍋型爆弾だろうか。

 中身を聞いても鍋屋は答えてくれそうにない。答える以前に口をきいてくれないのだから、取りつく島もない状態だ。暁を嫌っている様子はないのが救いだが。

 飴屋の采配により、囮は修理屋と暁が務めることになった。本来護られるべき天照が囮とはナンセンスな話だ。実際クーパーはちょっと怒っていた。

 でも暁は、お姫様みたいに護られるだけの足手まといにはなりたくなかった。将来誰かの嫁になる必要がありそうな気配だが、今はとりあえずどうでもいい。この夜を乗り越えられなければ、そんな心配など徒労に終わる。

 飴屋は一応護衛として鍋屋をつけてくれた。鍋屋も彼の案には反対だったのかもしれない。作戦を説明されたとき、目力のある金眼をぎょろっと飴屋に向けていた。あれはきっと、のだ。結局、何も言わずに頷いたけれど。

 暁は雑談が苦手だったので、寡黙な鍋屋が相方で助かったとは思っていた。

 修理屋が今どのあたりを歩いているのかはわからない。鍋屋や鍵屋の居場所も。クーパーはよくよく考えるとということで、どこか物陰で待機している。

 こんな雑な囮作戦など、相手に見透かされるような気もするが――。

 バシッ。

 突然、暁と鍋屋の近くの地面が明るく照らし出された。

 はっと暁は暫の柄を握り、身を翻す。鍋屋も文化鍋の蓋に手をかけた。

 地面には、四角い……幻灯が、映し出されていた。暁は幻灯というものをまったく知らない。でもきっと、これが幻灯なのだろう。プロジェクターに映し出したスライドの画像。それにそっくりだ。

 画像はひどくぼんやりとしているが、極彩色だ。万華鏡の中を映し出しているかのように。真ん中に短い文章。文字は当然この世界のものだ。

 しかし、鍵屋に文字を習った今の暁には、かろうじてそれが読めた。


『天照残酷物語』


 これはタイトル画像だ。そうにちがいなかった。

「さぁさ! お立ち会い! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい。『裏切り者』の修理屋を探してはるばる敵地に来てみれば、これこそまさに棚からぼた餅。うーん、実にうまそうだ! あ、いやいやワタクシ、天照に是非ともお目に掛けたい幻灯がございました。さぁさ! 早速! 天照の噺を始めようじゃあないか!」

 空のうえからハスキーな男声が降り注いできた。それはマイクを通していない声だったが、ひどくよく通った。歌手や舞台俳優、口上役の声のごとく。

 バシャッ、と地面の幻灯が消えた。

 あっはっはっはっ、と陽気な声が降ってくる。さっきとはべつの方向から。

 バシッ。

 今度は暁のそばの店舗の壁に、幻灯が照らし出される。壁はでこぼこしていたから、画像もでこぼこしていて、何が描かれているのかはっきりとはわからない。それは相変わらずの極彩色であり、ステンドグラスのような画風の絵であることはわかった。

 女……、だろうか。

 でこぼこに歪んだ幻灯は、ひとりの女のバストアップであるようだ。青い着物を着た、長い黒髪に切れ長の目の美人。

「天照! あんたが出てくるとは思わなかったッ。いや、あんたが矢面に立たされるとは思わなかったッ! 16年前の天照とは大違い! そのとおぉおり、これは16年前の天照!」

 幻灯は消える。

 鍋屋が唇を噛んでいた。怒っているのか。……いや……、焦っている?

「長ったらしいいきさつは、この際端折ってしまいましょう。あわれ16年前の天照は――」

 べつの店の壁に、新たな画像が投影された。かと思うと、バシャシャシャシャシャ、とフラッシュバックのように次々と画像は切り替わっていく。端折られているのだ。

 その壁は平らであり、また白塗りだった。画像を投影させるにはおあつらえ向き。

 バシャッ。

 スライド送りは止まった。

 その地獄絵図は、はっきりくっきり、暁の目と意識に焼きついた。

「こうされて」

 それは、女が裸にされている絵だった。

「こうされてしまいましたとさッ!」

 バシャッ。

 続けて投影されたべつの画像。

 そこでは、女がバラバラにされて、鍋やオーブンにぶち込まれていた。

 絵の画風はすべて切り絵に似ており、絵本の挿絵のようだった。リアルではない。だが、裸にされている最中の女は涙を流して叫んでいた。まわりの男たちも裸だった。涎を垂らし、刃物やのこぎりを手にしていた。

 そしてバラバラにされ、鍋に押し込まれていた女の首は、丸坊主になっていた。目はうつろでマネキンのように見えたが、その目からは涙が流れていた。

 こんな絵本や幻灯を見せたら、子供は間違いなく泣き叫ぶ。そして生涯、この幻灯を夢にみるだろう。それほど醜悪な幻灯だった。暁のまぶたの裏にも焼きつき、こびりついて、しばらく離れそうになかった。

 あっはっはっ。

 あーっはっはっはっはっはっ。

 芝居がかった笑い声は、ありとあらゆる角度から聞こえた。

「あっはっ!」

 否。

 今は、暁と鍋屋のすぐ近くから聞こえた。

「……!」

〈悪い幻灯屋〉は、異様な風体の長躯の男だった。服はモーニングだ。白と黒のボーダー柄の。顔かたちはわからない。やけに大きなシルクハットを、顎の下まですっぽりかぶっているからだ。そのシルクハットも、白黒のボーダー柄だった。

「横の〈良い鍋屋〉はともかく、天照を永遠にわけにはいかないんだなあ。残念無念。我が町の組合長が怒るからねえ。それはそれは怒るだろうねえ、生け捕りにして持ち帰らないと」

 顔は帽子の下なのに、声がまったく籠もっていない。はっきりと暁の耳に届く。

「16年前の天照はねえ、それはそれはうまかっ――」

「〈なべこわし〉」

 鍋屋が口を開いた。

 そして文化鍋の蓋も開いた。

 真鍮色の文化鍋の中には、液体状の闇が詰まっていたように見えた。しかし見えたのは一瞬だ。鍋の中身はごぼりと泡立ったかと思うと、爆発音を鳴らして膨張した。

 文化鍋の中から現れたのは、とてもその鍋の中には収まりきらないはずの大きさの怪物だった。それを、なべこわし、と鍋屋は呼んだのだろう。

 アンコウやカジカのように、顔全体が口と言っても過言ではないような、醜い魚だった。鍋屋よりもずっと大きい。人間などひと口で丸呑みできそうだ。身体には鱗がなく、するどい棘が何本も飛び出している。胸ビレは長い鉤爪を生やした手のよう。真っ黒な表面はぬらぬらと光っていた。その光は金色であり、真鍮色だ。感情を読み取れない大きな丸い目は、まるでふたつの月。そしてそれも、金色にかがやいていた。

 なべこわしは空を泳ぎ、牙だらけの大口を開けて幻灯屋に襲いかかった。

「おおっと!」

 さして焦ってもいない様子の声を上げ、幻灯屋は帽子を押さえて一回転した。

 消えた。

 本当に、煙も残さず幻灯屋は消えた。

 鍋屋は唇を引き結び、鍋の蓋を閉めると、また開けた。

 なべこわしがもう2体現れる。3匹のなべこわしは、暁と鍋屋のまわりをぐるぐる旋回した。ここが水中であるかのように。

 鍋屋が振り返り、後ろに向かって顎をしゃくった。こんなときくらい喋ってもいいのに、と暁は思う。どうやら下がれと言いたいらしい。暁はおとなしく後ろに下がり、建物の壁を背にした。

 ばしッ、とまばゆい光。

 虹色。

 笑い声が響いた。

 幻灯屋は鍋屋と暁に幻灯を浴びせてきたのだ。修理屋の話のとおりなら、3秒で壁に焼きつけられる。

 が、なべこわしがすばやく3匹とも集まってきて、鍋屋の前に陣取った。魚が焼ける匂いが立ちこめる。なべこわしの1匹が、悲鳴なのか咆哮なのかわからない声を上げながら、虹色の光に焼かれていた。

 そして――ヂュッ、と消え失せた。すぐそばの建物の壁に、なべこわしのかたちが黒く焼きつけられていた。

 暁の腕を鍋屋がつかんだ。そのまま、店と店の隙間に引きずり込まれる。虹色の光は追ってきたが、なべこわしたちが隙間をふさいだ。

 なべこわしが焼ける匂いは強烈だった。……香ばしくて、ちょっとおいしそうな香り。焼き魚が少し苦手な暁でも、食欲を一瞬刺激された。

 鍋屋が手を離す。狭い路地をふたりで駆け抜けていく。

「ねえっ、逃げるだけじゃ――」

 なんの解決にもならない。

 暁がそう続けようとしたとき、笑い声がすぐ近くで聞こえた。

 幻灯屋が真正面に現れていた。

 虹色の光。

 鍋屋は臆せず文化鍋の蓋を開く。とびきり大きななべこわしが現れ――虹色の光がきらめき――なべこわしが、をひと呑みにした。

「ち、ちょっと!?」

「シッ」

 なべこわしの口の中はなまぬるく、じっとりべっとり湿っていて、おまけにものすごく魚臭い。なべこわしはのどの奥でぐるぐるうめいていた。魚が焼ける匂いがしてくる。暁と鍋屋のかわりに幻灯を浴びているのだろう。

「背後に出す」

「え」

「斬れ」

 言葉が足りなさすぎて作戦がいまいちよくわからない。が、金色の目にぎろりと見つめられ、暁は思わず頷いていた。

 鍋屋は文化鍋の蓋を閉めた。

 一瞬で空気が変わったのがわかった。車でトンネルに入ったときのように、耳がつんと遠くなる。

「行くぞ!」

 鍋屋が文化鍋の蓋を開けた。

 ずばん、

 暁を口に含んだなべこわしが飛び出す。どういう理屈なのか。いったいどこから現れることができたのか。鍋屋の能力は間違いなく次元を超越していた。

 なべこわしは、大口を思いきり蛇のように大きく開ける。考えているいとまはない。暁はそのゴムのような舌を蹴り、牙を飛び越え、暫を鞘から抜き放つ。

 そこは幻灯屋の背後。ほぼ頭上と言っていい高さ。

 なべこわしの口の中から跳躍した暁は、きらめく刃を幻灯屋に振り下ろした。

 幻灯屋の悲鳴もまた、よく通るハスキーボイスだ。

 しかし、だめだ。浅い。

 ジャンプしながら刀を振り下ろすなど、さすがに初めての経験だったから、踏み込みが足りなかった。剣道ならずっとやっていたが、剣道はそんな漫画じみたスポーツではない。

 幻灯屋は血しぶきを上げながらも身をひるがえした。一瞬、赤の中に真っ白い背骨が見えた。しかしその姿は、また煙も残さずかき消えてしまった。暁は唇を噛んであたりを見回す。すぐ近くに鍋屋がいた。

「ごめん、だめだった」

 鍋屋は気にするなと言いたげにかぶりを振り、暁の背後を指さした。

 路地に点々と血痕の道しるべができている。暁の足は無意識のうちに動いた。抜き身の暫を引っ提げ、走り出す。幻灯屋は自分を生け捕りにしようとしている。きっとすぐには殺そうとしない。

 血痕は続いている。

 が、途切れた。


 ここだ。


「……!」

 暁は眼前の空間めがけて刀を振り下ろした。

 絶叫が上がる。暁の手には肉を裂く感触が伝わってくる。血痕が途切れたその場所に、どさりと幻灯屋の血まみれの身体が倒れた。

「…………ぅっふっ。ううっ、あっはっ、は」

 悶えながら、幻灯屋は笑い声を絞り出した。

「お、みごと、天照。じ、16年前の、天照と、おぉお違い」

「…………」

「お、願いだ。キリエは、ね、うまかっ……たよと、にんぎょう――」


 ちょっ・きん。


「けカッ」

 幻灯屋が奇妙な声を上げた。

 次の瞬間、彼の首は、ころりと落ちた。一見するとシルクハットが転がっただけだった。傷口は焦げていて、嫌な匂いのする煙がわずかに立ちのぼった。

 シルクハットの中には、まるで赤黒い肉が詰まっているようだった。よく見れば、真ん中に白い骨がある。首の断面。ぜったいにあのシルクハットの中身をあらためるべきではない。

「……飴屋」

 狭い路地の闇から現れたのは、飴屋だ。彼が言ったとおりだ。幻灯屋の首はあっさり落ちて、飴屋が勝った。

「遅くなったな。怪我はないか」

 暁は無言で頷いた。飴屋はくすりと苦笑いを漏らす。

「そりゃあ鍋屋の物真似かい?」

 鍋屋は大きなため息をつきながら、文化鍋を抱えて歩み寄ってきた。だいぶ疲れている様子だった。

「鍋屋。ご苦労さんだったなあ」

 鍋屋は無言で肩をすくめた。

「明日はおまえさんの店で、修理屋の歓迎会でもしようか。暁にもつ鍋を食わせてやってくれ」

 鍋屋は暁に顔を向けた。彼が何を言わんとしているのかわからず、暁はまじまじとその顔を見つめ返してしまった。鍋屋はふいっと猫のように目をそらした。

「……もつ食えるのか?」

 そして、ちゃんと声に出して尋ねてきた。

 もつは好き嫌いがはっきり分かれる食材だからだろうか。その気遣いがちょっとくすぐったかったけれど、暁は頷いた。

「好き」

 鍋屋は何度も頷いて、くるりと背を向けた。

「鍋屋」

 その背中に暁が声をかけると、彼はすぐに振り返った。

「ありがとう」

 鍋屋はやっぱり何も言わなかったが、ちょっと慌てたように前に向き直って、足早に去って行った。暁のとなりで、飴屋は笑っていた。


 三度のサイレンが鳴り響く。


 徐々に、町に明かりと人の気配がもどってくる。

 目抜き通りを歩きながら、飴屋は言った。

「暁。修理屋の件も幻灯屋の件も落ち着いたことだ。明日から、おれの家に戻るかい?」

「……そうしようかな」

「鍵屋のところは居心地が悪いか?」

 飴屋はちょっと意地の悪い笑みになった。暁は慌てて、ぶんぶんと首を横に振る。べつに鍵屋のところが気に入らないわけではなかったのに、自然と「戻る」と答えていたのは、自分でも意外だった。

「……鍵屋は気にするかな」

「大丈夫さ。あいつはもともと、修理屋のことが片づくまでおれのかわりに、という心づもりで、おまえさんを預かってくれたんだからな。それに何より、良い奴だ」

「それならいいんだけど」

 ぱっ、と目前の店の軒先に吊るされた提灯に明かりが灯った。唐突だったので、暁は反射的に目を閉じる。

『こうされて』

『こうされてしまいましたとさっ!』

 幻灯が。

 あの忌まわしい、クロギツネの眷属の欲望そのものが投影されたかのような幻灯が、暁の黒い視界に浮かび上がった。

 胸の奥から湧き起こるのは、恐怖のようで恐怖ではない。これは……怒りだ。

 フェミニストであるつもりはなかったが、女が複数の男の慰み者にされたあげくに喰われたという話を聞けば、同じ女として、怒る他に選択肢はない。ムカツク、という言葉はまさに今の暁の気持ちのためにある。

 暁は足を止めていた。目を開けると、怪訝そうな顔の飴屋が覗き込んできている。

「飴屋……」

「なんだい、暁」

「キリエって……いったの? 16年前に来た天照は」

「…………」

「人形屋と何か関係があるの?」

「…………」

 飴屋は答えなかった。しかもその顔に、得意の人を食ったような笑みがない。ゆっくりと、彼は袖の中で両腕を組んだ。

「暁。おれからの頼みだ」

「……?」

「今日のことはぜんぶ、人形屋に黙っておいてくれ」

「どうして?」

「――おれがこっぴどく怒られるからさ」

 嘘だ。

 飴屋の口元にうっすらと浮かんだ笑み。

 いや、まるっきりの嘘ではない。きっと、今日のことを話せば人形屋が怒るというのは事実だ。でも、それは真実ではない。飴屋はもっと都合の悪い事情を隠している。


『根は悪い奴じゃないし、熱いところもあるんだぜ。暁、あいつを許してやってくれ』

『よっぽどのわけありっぽいね』

『実はそうなんだ』


『お、願いだ。キリエは、ね、うまかっ……たよと、にんぎょう――』


 人形屋と、16年前の天照〈キリエ〉。無関係ではなさそうだ。

 でも、人形屋とはさほど仲が良いわけではない。わざわざ彼の店を尋ねて事情を聞く気にはならなかった。

 あの目力と、きりっとしたたたずまいに似つかわしくない、強い憂い。絶望。そっけない態度。チャラチャラした男より、暁にとってはかえって好感が持てる男だけれど、よっぽどのわけありならば仕方がない。

 だが、知りたい、という気持ちに嘘をつくのは難しい――。

 背後から、光が近づいてきた。

 ミニ・クーパーだった。その丸いヘッドライトを見たとき、ようやく暁はほっとした。

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