陸ノ弐


「なあ」

 ここで初めて、暁は修理屋に声をかけられた。

「あんた、天照だよな」

「……そうみたい」

「長いこと生きてきたけど、こんなに近くで見るのも話すのも初めてだ。こっちに来たのは、つい最近だよな?」

「うん」

「あんたが来てから、町がすごく騒がしくなった。いや、天照が来たらいつも騒がしくなるんだけどな。でも……今回はその喧騒も今までとちがうような気がするんだ。どこがどうちがうのかはよくわからねえんだが……やっぱり、おかしいんだ」

「…………」

 そんなことを話されても、というのが暁の本音だ。返答に困って黙り込むしかなかった。修理屋もそれきり口を閉ざしてしまった。結局彼は何を言いたかったのだろう。天照と話してみたかっただけだろうか。

 沈黙がちょっと気まずい。基本的に口数が多いクーパーも黙っている。

 一度は離れた修理屋の銀色の視線が、再び暁をとらえた。


 ごくり。


 居間があまりに静かだったから、彼ののどが鳴る音ははっきり聞こえた。

 はっと暁は息を呑み、修理屋の顔を真っ向から見つめ返す。修理屋の銀色の目の中で、瞳孔が、あのときの人形屋の瞳孔のように――。

「……天照。あんたうまそうだなあ……」

 それは、今までの彼の語調とちがっていた。ほとんどささやきだ。顔は、目を大きく開いただけの無表情だった。その無表情の中、舌が音もなく唇を舐める。のろりと、夢見心地のような遅さで、グローブをはめた手が暁に向かって伸ばされる。彼が今まで抱えていた狐面が落ちる。

 その色は薄墨色になっていた。ほとんど真っ白になっていたはずなのに。

 カチリ、と。

 修理屋のこめかみに銀色の銃口が押しつけられた。

 クーパーが、今まで見たことがないほど険しい顔で、修理屋にリボルバーを突きつけていた。

 カキリ、と。

 クーパーが〈クラブマン〉のハンマーを起こす。

 その音で、修理屋がのがはっきりわかった。狐のように縦に裂けていた瞳孔が丸く広がり、顔に表情が戻る。こめかみに押しつけられたつめたさにも気づいたか、彼は両手を上げた。

「わ、悪い。その……すいませんでした」

「俺かて身体直してくれたやつ殺したない。なんや今の」

「わ、わからねえよ。急にすげえうまそうな匂いして、頭がぼうっとして――」

「ほんまハジくで自分」

 クーパーの声のトーンが低くなった。その蒼い目の光がじんわり強くなったのを、暁は見た。

 そして……その蒼い目の中の瞳孔が縦型になっていく。暁は驚いた。彼は狐の子ではないはずなのに。

「い、今はもう大丈夫だって! おい、マジで撃たないでくれよ!」

「暁から離れろ。はよ」

「はいっ」

 修理屋は狐面を抱え、あたふたと膝を立てて移動した。そんなに離れなくてもいいのに、と暁が思うまで。修理屋は居間のすみっこの箪笥の陰で小さくなった。彼が抱え込む狐面は、白色に変わっていた。

 店舗のほうから、引き戸が動く音がした。飴屋と鍵屋が戻ってくる。クーパーはそちらを一瞥すると、リボルバーを懐にしまった。彼の目のかがやきと瞳孔は、すでに普段のものに戻っている。

 飴屋と鍵屋は居間に入るなり、部屋の角で小さくなっている修理屋を見てきょとんとした。が、飴屋はすぐにいつもどおりの微笑を浮かべた。

「暁。そういじめてやるなよ」

「わ、わたしじゃない。じゃなくてていうかべつになんにも起きてないから」

 とっさに暁は修理屋をかばった。

 ここで修理屋に起きた変化のことを話せば、せっかく決まりかけている彼の居場所がなくなってしまうと思ったから。修理屋のあの振る舞いは、本能や潜在意識がそうさせたものに見えた。きっと、理性ではどうにもならないのだ。吸血鬼が血を求めたようなもの。暁はそう解釈した。

 修理屋を憐れに思ったのだ。

「いや、なにも起きていないわけがないだろう。なんだい、この距離感は」

「あー、いじめたんは俺や俺。『ほんまは何が目的やー!』ゆうて詰め寄ったんや、うん」

 飴屋はクーパーを見る。ゆっくりとその笑みが大きくなった。ここで何が起きたかまではさすがに知らないだろうけれど、クーパーも暁も修理屋をかばっていることは完全に見透かされている。

「そうかい。これから頑張って信頼を勝ち取るんだな、修理屋」

「はい」

「すぐ近くに〈良い修理屋〉の店だった空き店舗がある。おまえさんにはそこで暮らしてもらおう。組合には必ず入ってもらう。いや、戦わなくてもいい。おれがおまえさんを目の届くところに置いておきたいだけだからな。とりあえず、今日これからおれといっしょに、お狐様に挨拶しに行こうじゃないか」

 修理屋は頷いた。

「クーパー、社まで送ってくれ。暁は――」

 そのとき、店舗の引き戸が荒々しく開かれる音がした。次いで、大声が飛んでくる。

「飴屋ぁ! いる!? ちょっと、ちょっと来てぇ!」

 ずいぶん野太い声だったが、口調は……仕立て屋と同じ、オネエ口調だった。暁が知らない人物にはちがいなかった。

「〈良い化粧けわい屋〉だ。何事だろうか」

 鍵屋が少し緊張した面持ちで飴屋を見る。

 何か、良くないことが起こった。化粧屋の大声には、聞けば誰しもそう思うような、焦りや恐怖が浮かび上がっていた。

 飴屋に続き、全員ぞろぞろと連れ立って店舗に向かった。

 店の中には、小太りな男がひとりいた。……男だ。間違いない。男なのだが、化粧をしていた。しかも仕立て屋よりずっと濃く、強烈な化粧だ。慌てふためいているその仕草も、いかにもオネエっぽい。

「あ、あら、ずいぶん大勢出てきたわね」

「ちょいと組合で話し合い中だったんだ。で、なんだい、〈良い化粧屋〉」

「き、今日は2時から仕立て屋とアタシと髪結屋でお茶することになってたの。でも、し、仕立て屋がお店を開けてなくて、裏に回って呼んでも反応がなくって……! くじ屋が消えたって言うじゃない!? アタシ心配なのよッ!」

 その場の全員が顔を見合わせた。

 暁は、固唾を呑んだ。

〈良い仕立て屋〉。今着ている軍服は、彼が作ってくれたものだ。そして何より仕立て屋は、暁の知人だった。知人が何らかの事件に巻き込まれたかもしれない、という知らせが、これほど寒気の走るものだったとは。

 顔も知らないくじ屋が消えたと聞いても、ちょっと不安になっただけだった。今の気持ちとは大違いだ。

「鍵屋」

「うむ」

 鍵屋は腰の鍵束に手をかけ、鍵をひとつ外した。飴屋はてきぱきと指示を出す。

「化粧屋、おまえさんはここで待っているか、店に戻るか、好きなほうを選びな。クーパー、お前さんは車を仕立て屋の前に停めて待機してくれ。何かあったらすぐ無線屋に」

「ほいきた」

「暁と修理屋も来てもらおうか」

「オレも!? ……あ、いや、当然か。オレをひとりで残しとくわけにはいかねえよな」

 修理屋はちょっと顔色が悪い。能力的に、物騒な香りがする場所に行くのは気が進まないのだろう。

 大きな図体をして、情けない。暁はちょっとそんなことを考えてしまった。



 仕立て屋の店舗も住居も鍵が閉まっていたが、鍵屋がいる以上、それは問題でもなんでもなかった。店舗側の鍵を開け、暁たちは中に入った。

 しん、としている。

 静まりかえっているというより、これは、。空気が。時間が。すべてが。

 店舗に明かりはついていないが、奥の部屋から光が漏れていた。そして……、いやな匂いも。この不快な匂いに、暁は覚えがあった。

 飴屋はするりと袖から右手を出す。その手には和鋏が握られていた。これでもう、暁の暫に出番はないと言っていいだろう。

 修理屋は落ち着かない様子で店内を見回していた。彼の銀色の目は、ストロボを浴びた獣の目のように光っている。クーパーの目の、にじむような発光の仕方とはちがっていた。

 飴屋と鍵屋は、慎重ながらも恐れる様子はなく、ゆっくりと奥の扉に向かっていく。仕立て屋を呼ぶこともなく。……もう、察しがついていたのか。

 鍵屋が、半開きだったドアを大きく開いた。

 仕立て屋の姿はなかった。

 ここは作業部屋のようだ。古い手回しミシンがあり、机のうえにはたくさんの裁縫道具が乗っていた。そして、見覚えのある包みもある。

 暁はぴんときた。仕立て屋は、暁の服をすべて仕立て終えたのだ。きちんとたたんで包装紙に包み、渡しに来るつもりだった……。

 鍵屋と飴屋が壁を見つめている。暁はその視線を追い、たちどころに、目が釘付けになった。

 そこには、

 焦げ痕。

 人の姿をした焦げ痕。

 焼きつけられた影のような。

 まばゆい光を浴びせられ、とっさに顔をかばったような態勢の、影。

 体型と髪型は仕立て屋とそっくりだった。

 焼きつけられているのはそれだけではない。茶色い気の壁には、仕立て屋の影だけではなく、他にもたくさんの人影が焼きつけられている。他の人影はひとまわり以上小さい。拍手をしているように見えた。スタンディングオベーション。仕立て屋を祝福しているかのよう。

 よく見ると、拍手している影の顔は歪んでいた。狐のような耳を生やしているものもあれば、叩き潰されたかのようになっているものもある。そして……皆、嘲笑っている。そう、祝福しているのではない、馬鹿にして手を叩いて笑っているのだ。

 暁の後ろで、修理屋が大きく息を吸い込んだ。その呼吸は震えていた。

「〈悪い幻灯屋〉だ……!」

 飴屋と鍵屋が振り向いた。

「冗談抜きでやばいぞ、あいつは3秒もあればひとを壁に焼きつけちまう!」

「ほう」

 飴屋はちっとも動揺しない。それどころか、ほんのかすかに口元に微笑を浮かべた。

「おれは刹那で首をちょん斬れる。勝ったな」

「ば、バカ。ニシ町じゃかなりのレベルの武闘派だぞ。おまけに神出鬼没なんだよ。いきなり幻灯浴びせかけられて、驚いてるあいだに影絵になっちまうんだぞ。ここにだっていつどこから現れるか」

「確かに、ひどく驚かされた様子だな」

 鍵屋は壁の黒ずみに手を触れた。その手に、黒い煤が付着する。

 それが〈良い仕立て屋〉の成れの果て。

 彼は……、壁に焼きつけられてしまった。

 暁は言葉を失い、机のうえの包みと、自分が着ている服を見た。本当に、これを仕立ててくれた彼が――死んでしまったというのか。

 暁は壁に焼きつけられた影を見つめるしかなかった。

 飴屋がさっと動いた。表情はいつもと変わらず飄々としていたが、その足取りはすばやく、かつ大股だった。

「クーパー、無線屋に行ってくれ。『3番』だ」

 そして彼は、いつもよりもずいぶん大きな声で車に言った。ミニ・クーパーは短く一度ホーンを鳴らし、走り去った。

 暁たちはその後すぐに飴屋に戻り、店舗内でそわそわしていた化粧屋に仕立て屋の末路を伝えた。化粧屋は女のように声を上げて泣いた。

 その大きな泣き声に追随するかのように――、


 ゥゥゥオオオオオオオヲヲヲヲン。

 ゥゥゥオオオオオオオヲヲヲヲン。

 ゥゥゥオオオオオオオヲヲヲヲンンンン。


 三度サイレンが鳴り響く。

 泣いていた化粧屋もはっと顔を上げ、飴屋を見た。化粧が落ちてものすごい顔になっている。飴屋は無言で頷いた。化粧屋は挨拶もそこそこに店舗を飛び出し、道を走り去っていく。

 暁はサイレンが鳴ったあとのヒガシ町を観察した。のんびり道を歩いていた者も、店先を掃除していた者も、三度のサイレンを聞くと顔色を変えていた。そして皆大急ぎで店に飛び込み、戸やドアを閉めて、店舗の明かりを消す。

「『3番』のサイレンだ。再び三度のサイレンが鳴るまで自宅に籠もり、あらゆる扉を施錠し、召集がかかった組合員以外はぜったいに外に出るなという警告だ。非常に緊急性が高い」

 暁のとなりに鍵屋が立って、説明してくれた。いつも落ち着き払っている彼の表情も険しくなっていた。

「幻灯屋って、神出鬼没なんでしょ。どうやって探すの?」

「……オレが囮になろうか?」

 全員の視線が修理屋に集まった。修理屋は青い顔で、ぼりぼりうなじを掻いていた。

「オレを追ってきたやつの中に幻灯屋もいたような気がするんだ。オレの寝返りのどさくさにまぎれてこの町に忍び込んだのかもしれない。だとしたらオレの責任になる。それに……、だとしたら、オレを狙うだろ」

「そうだなあ。さっさと見つけんことには、町のみんなもこまるだろう。どう転ぶかはわからんが、せっかくの修理屋の厚意だ。やってもらうとしようか」

 それが組合長の答えだった。誰も異議は唱えない。暁は、冷徹な判断だと思った。これが暁のいた日常なら、いやいいよいいよ他の案を探そうとみんなで慌てて口を揃える。そういう世の中だった。

 飴屋はしばし顎に手を当てて思案に暮れる。

 やがて、すいっ、と涼やかにオッドアイが動き、暁をとらえた。

「人形屋もいないことだし、ここは天照の力も借りるか」

 やはり飴屋は、どこまでも冷徹であった。

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