第陸話

陸ノ壱


 暁が鍵屋に居候してから2日が経った、昼下がりのことだった。

 飴屋からの言伝を預かったクーパーが鍵屋を訪れた。

 修理屋が意識を取り戻したという。

 暁は真っ先にミニ・クーパーのフロントガラスを見た。まだ割れている。けれど、穴はだいぶ小さくなっていたし、ヒビもほとんど消えていた。眼鏡屋での戦いのときについた引っ掻き傷など、もう跡形もない。本当に自然に直るらしい。

「クーパー、エンジンの調子は?」

「絶好調やで!」

 たこ焼きを丸呑みしてから、クーパーは満面の笑みで答えた。その顔からガーゼは消えているものの、こめかみと口元には痣のような打ち身のような赤黒い色が残っていた。それでも確かに元気そうではあるので、暁はほっとしてため息をつく。

「暁も飴屋行くか?」

「そうしようかな」

「ちゅうかお前えらいカッコええ服着とるなあ」

「あっ……」

 暁は、仕立て屋が仕立ててくれた軍服を着ていることをすっかり忘れていた。見た目はともかく着心地はいいので、今日は朝からこれを着ていたのだ。しかも鍵屋がロングブーツをどこからか手に入れてきてくれたので、すっかり『完璧』になっていた。いつかクーパーに意見を聞こうとは思っていたが。

「……鍵屋はへんじゃないって言ってくれたけど、クーパーはどう思う? これ」

「ええんちゃう? 似合うで」

「仕立て屋には悪いんだけど、なんかコスプレみたいで……」

「ああ、確かにあっちやったらコスプレやな。でもここならええんちゃうか。そういう格好のやつおるで。……うん、俺はなかなかええと思う。強そうや」

「…………」

「なにあかなっとんねん」

「!」

 それは脊髄反射だった。

「だあ!?」

 気づけば暁はフルパワーでクーパーを突き飛ばしていた。イギリス車のオプションは思いっきり吹っ飛んだ。たこ焼きが2個入ったパックが宙を舞う。……が、後ろにいた鍵屋が偶然受け止めていた。英国紳士部分が地面にぶっ倒れた瞬間、駐車されているミニ・クーパーがゴションと1回揺れた。

「ぃいったあ! なにすんねん!」

「ごめん」

「サスつぶれるやろー! 乱暴やなもー! まあええわはよ乗れ!」

「はい」

「君たちはすっかり仲良くなったな」

「やかましわ!」

 ばくっ、とミニ・クーパーのドアが2つ開く。心なしかいつもより開き方が荒々しかったように思える。鍵屋はさっさと後部座席に乗ってしまった。盛大に突き飛ばしておいてクーパーのとなりに座るのは気まずかったが、暁は仕方なく助手席に乗った。

「……くじ屋いなくなってもうたって、ほんまか?」

「ああ。もう丸2日経つのに、手がかりさえつかめないのは妙な話だ」

 姿を消したくじ屋は、今も姿を消したまま。この町はそう広くはないし、住民全員が顔見知りのようなもの。くじ屋のはすでに町中に周知され、皆が彼を探していた。

 誰もが最悪の事態を覚悟しているのだが――死体さえ見つからないのだ。鍵屋が指摘しているのは、つまりそういうことだった。

「修理屋みたいに、寝返ったんかもしれへんで」

「そうだな……その可能性も考えなければならないか……彼の狐面を調べてみよう」

 話しているうちに、飴屋に着いた。

 飴屋の店舗にはなぜか時計屋がいて、ぼうっとした顔で煙草を吸っていた。暁たちが中に入ると、彼はぱちんと懐中時計を閉じた。

「やっぱり時間どおりじゃないか」

 時計屋は遠くを見つめながら、紫煙といっしょにため息を吐いた。

「時計屋やないか。引きこもりのお前が珍しいなあ?」

「飴屋は修理屋を見張ってる。お前たちがいつ来るかわからないから、俺がこうして店番を頼まれたわけだ。お前たちは午後1時32分に到着すると言ったのに」

「……ねえ、時計屋。あなたって、予知能力あるの?」

 暁が尋ねると、時計屋はまたため息をついた。ペールグリーンの目は退屈そうにどんより曇っていた。

「そんな単純なものだったらどんなにいいか。……俺は、〈世界の軌道〉がわかるんだ。基本的に、俺を中心にした軌道だけだがな。つまり……、俺がこうして無理やり店番をさせられるという運命は決まっていて、俺はそれを知っていた。どんなに俺が拒否しても結局店番をさせられるということもだ。わかるか?」

「よくわかんない」

「お前がそう答えることも俺はわかってた。それでも俺はぼやいた。そういう流れだからだ。いくら知っていても、俺もみんなと同じだ。世界の軌道からは外れられない。事故を未然に防げるわけでもないし、俺がかかわってないところで世界の破滅につながる何かが起きてても、俺はそれを知ることができない。俺はとんでもなく無力なのさ。……あと10秒」

 時計屋は億劫そうに立ち上がった。

「あと5秒」

 足音が近づいてくる。

「おお、来たな、暁」

「時間だ。俺は帰るぞ、飴屋」

「ああ。すまんなあ、時計屋」

「べつにいいさ。決まってたことだし、ヒマだしな」

 飴屋が、修理屋を伴って店舗に顔を出した。時計屋は、それを前もって知っていたようだ。暁は彼が語った話を半分も理解できなかった――が、彼の目を覗き込んだとき、『悟り』を感じた。

 何もかもがつまらない。けれどどうしようもない。受け入れるしかない。もう完全に、あきらめた。

 時計屋はそんな目をしていた。とてもきれいな色をしているのに、まるで覇気が感じられない。それがもったいないと暁は感じた。

「ああ、クーパー。それと暁」

 別れ際、時計屋は言った。

「電池切れ以外の理由でその腕時計が止まったときは、俺の出番だからな」

「そらそうやろ。時計の修理はプロに任せんと」

「ちがうんだ。俺は……」

 時計屋はクーパーと暁を交互に見て、軽くかぶりを振った。

「やっぱり俺には荷が重い……」

 ため息まじりに呟くと、時計屋は店を出て行った。

「もー、ほんまなんやねんあいつ」

「まあ、許してやってくれ。ある意味この町でいちばん気の毒なやつなんだ」

 飴屋は暁を見て、ゆっくりとやわらかに微笑んだ。久しぶりだな、と言いたげに。

「クーパー。おまえさん、まだ窓に穴が開いているよな」

「ああ」

「修理屋が直してくれるそうだ。お前さんさえよければだが」

 クーパーはきょとんとした顔で修理屋を見た。修理屋は飴屋と同じくらい背が高かったが、今は居心地悪そうに背中を丸めている。クーパーと目が合うと、ちょいと頭を下げた。

 彼の目は銀色に光っている。顔のあちこちに赤い傷があったが、顔色はかなり良くなっていた。鍋屋のように、頭にタオルを巻いている。長い髪は後ろでざっくりとひとつに束ねていた。

 着ている服はこぎれいになっていたが、黒っぽいツナギと黒いTシャツという組み合わせは変わらない。無精髭も生やしたまま。そして両手はごついグローブの下だ。

 クーパーは振り返って、店の前に停めた自分の本体を見た。

 修理屋を信用するのかどうか、という話なのだろう。

 クーパーは数秒、じっと修理屋の顔を見つめて、やがて大きく頷いた。

「ええよ。頼むわ」

 修理屋はほっとしたように息をつくと、店の外に出た。

「ふーん。いい車だな」

 開口一番、修理屋はミニ・クーパーを褒めた。思わず出てしまったふうなので、恐らく本心からの言葉だろう。クーパーの表情がぱあっと明るくなった。とてもわかりやすい男だ。

「ほうか! 俺あんさん好きになったで! 乗したる!」

 そしてなんだか犬みたいだ。尻尾があったらぶんぶん振っているにちがいない。

「い、いや、今はいいよ」

 修理屋はそう言うと、口を閉ざして、あたりを見回した。

 店先や道ばたにいた人びとが、全員こちらを……修理屋を見ている。露骨な敵意は向けられていないが、やや警戒している。修理屋が少しでも妙なそぶりを見せれば、すぐに動くだろう。

 修理屋もその空気は感じ取ったらしい。ヒガシ町の住民をあまり見ないようにして、ミニ・クーパーのフロントガラスに目を向けた。

 そして、グローブをはめた右手を伸ばした。

 何も言わず、修理屋はフロントガラスの穴を撫でた。特に何か目に見える現象が起きたわけでもない。光が生じるでもなく、音がするでもなく――ただ、修理屋が撫でた端から、ガラスのヒビと穴が消えていく。

 暁はぽかんとしてしまった。となりでクーパーもぽかんとしている。

 暁はそんなクーパーの英国紳士部分を見てさらに呆気に取られた。彼のこめかみと口元の傷が、みるみるうちに消えていくのだ。

 フロントガラスの穴とヒビは、ものの十数秒で消えてしまった。修理屋はちょっと首を傾げたあと、身を乗り出してフロントガラス全体をさっさっと撫でた。

 修理屋が身体を起こすと、ミニ・クーパーのフロントガラスは新品同様になっていた。暁は今まで特に気になっていなかったが、きっと、古い車だから細かい傷や劣化があったのだろう。修理屋は、それもしまったのだ。

「こんなもんかな」

「お、おおきに」

「他に調子悪いところはないか?」

「あらへん」

「えっと……あんた、なんなんだその訛り?」

「Should I speak in English ?」

「い、いや、こっちの言葉のほうが楽だよ」

「俺もや。とにかく助かったわあ」

「助けられたのはオレのほうだ。……この町にいてもいいか?」

「クーパーも直してくれたことだし、おれはかまわないと思う。〈良い修理屋〉が死んじまって、みんな難儀しているしな。ま、みんなから信用されるかどうかはおまえさん次第だ。とりあえず、おまえさんの詳しい事情でも聞こうか」

 それから全員で、飴屋の住居の居間に入った。

 修理屋はちらちらと暁を見てくる。彼が何を思って視線を向けてくるのかわからなかったが、暁は睨み返したりはしなかった。

 居間には修理屋の狐面があった。ほとんど白と言っていい色になっている。

 修理屋はそれをいじりながら話し始めた。

「最近、ニシ町の様子がおかしくなってきた。……いや、あんたらが言いたいことはわかるよ。もともと頭がイカレた連中ばかりさ。でも、ヒガシ町にも、あんまり町同士のケンカにかかわらないで、ひっそりおとなしく暮らしてるやつはいるだろ? ニシ町じゃ、そういう連中はだいたいまともに話せるし、そんなに悪さもしないで普通に暮らしてる」

「そうだなあ。少なくともおまえさんは、今のところ奇声を上げたりしていないよな」

「オレはなんでも直せるが、実は『物』だけなんだ。生き物のケガや病気は治せねえ。だから戦いに駆り出されることはあんまりなかったんだが、その……日常生活の中では、それなりに重宝されてたと思う。でも……おかしいと気づいたきっかけは、その『修理』なんだ。みんな、ものを直しに来なくなった」

「それは……つまり、壊れた物を壊れたまま使い続けるようになったと?」

「そうなんだ。でもそれは、節約のためじゃねえ。みんな、ものが壊れてることにみたいな、そんな感じなんだよ。壊れてろくに動かない道具を使ってるから作業がぜんぜん進んでねえのに、それに気づいてねえっていうか、気にしてねえっていうか。……不気味だろ?」

 ぞくっ、と得体の知れない怖気が、暁の背筋を這った。

 暁たちは思わず顔を見合わせる。言葉はない。

「それに気づいたら、どんどん、ニシ町の不自然さがわかるようになってきて。今まで無意識のうちに受け入れてたらしいな。特に不気味だと思うようになったのは……最近、かぶりものをするやつらが異様に多くなったことだ」

 暁は、これまで襲ってきたニシ町の住民を思い出してみた。

 修理屋が言うとおりだ。ほぼ全員、マスクやら袋やらをかぶっていて、素顔がわからなかった。暁がまともに素顔を見たクロギツネの眷属は、修理屋が初めてと言ってもいい。

 あれはニシ町の住民からしても、異常な行動だというのか。

「オレは、ねじ屋と仲が良かった。店も近くでさ。あいつが、オレが町を飛び出すきっかけになった。つい前の日まで普通に話してたのに、あの日、店に行ったら……あいつ……。きたねえジーンズをかぶってたんだ。ぞっとした」

 修理屋にとって、それはよほど恐ろしく、ショックな出来事だったにちがいない。そこで大きく吸った息が震えていた。

「ねじ屋はオレを見て、『顔を隠せ』って怒鳴った。そんで、いきなりドライバー持って襲いかかってきたんだ。どうも、顔を隠すのが絶対のルールだって感じだった。理由なんかわからねえ……とにかく『顔を隠せ』って繰り返すだけで……でも、オレがねじ屋から逃げたとき、やっとべつの言葉をぶつけられたよ。『裏切り者』」

 それから、修理屋はほとんど着の身着のままニシ町を飛び出した。

 自宅から持ち出したのは、持っていた黒い狐面。そのとき、色が変わっていることには気づかなかった。たぶんそれどころではなかったからだ。

 ニシ町の不自然さもその理由も、そのときはもはやどうでもよかった。ニシ町の住民のすべてが修理屋に敵意と殺意を向けてきた。彼らは『顔を隠せ』と叫び、『裏切り者』と怒鳴った。

 なんでもいいから頭にかぶれば、彼らは矛を収めたのだろうか。

 そのうちハコスカまで追いかけてきたが、修理屋は彼とも仲が良かった。古い車と修理屋だ、切っても切れない仲だ。ハコスカだけは、修理屋を助けるか、事情を聞こうとしていたのかもしれない。彼だけは『顔を隠せ』とも『裏切り者』とも叫ばなかった。

『おい、どうしたってんだよ!? 修理屋! ちょっと待て!』

 だが修理屋はそのときすっかりパニックに陥っていた。ハコスカのことも信用できなくて、お得意様からも逃げてしまった。

『テメェ寝返るのか、オイ!?』

 ハコスカの最後の怒号が、修理屋に追い打ちをかけた。

 今思い返せば、ハコスカの声色は、修理屋がヒガシ町に寝返るのを咎めたふうではなかった。どうしていきなり寝返る気になったんだ、という疑問の色が濃かった。しかしそのときの修理屋は、やはり、それどころではなかった。あのときハコスカを信じて彼のに乗っていたら、その後の運命はがらりと変わったのかもしれない。

「でも……、今のところ、こっちに来たことは後悔してねえよ。あんたら、本当に〈良い〉ひとたちなんだな」

 大柄な身体が小さく見える。誰も彼もに警戒される今は居心地が悪いにちがいないが、嘘を言っているようには聞こえなかった。

 飴屋と鍵屋が目配せをして立ち上がった。

「少し待っていてくれ。してくる」

 組合長と副組合長は飴屋の店舗に行った。居間には、修理屋と、クーパーと、暁が残された。

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